第一章
開かれるパンドラの心
「……待たせたわね。四葉」
「いや、他ならぬ君の頼みだからね。また会えてうれしいよ、涼香」

 第一ジムのある街へたどり着き。涼香と四葉はジムの裏、人気のないところで対面していた。チャンピオンである四葉がここにいるのは、涼香がメールで呼びつけたからであり、四葉はそれにすんなり応じた。巡達は今、ジムへ挑戦中だ。四葉と会うことは話し、巡と明季葉は心配したがこれは私の問題だと言い聞かせた。

 四葉は手持ちであるジャローダのとぐろを巻いた中心に立っている。それは彼女たちのお互いの信頼の証だ。涼香の傍らで唸り声をあげ両者を睨むヘルガーと涼香の関係とは決定的に違う。
 
「……と言いたいところだけど。早速要件を聞こうか。わざわざ僕を呼び出した用は何かな? まさか、そのヘルガーで僕に勝てると思ったのかい?」

 そんな関係を一目で見抜いたのか、四葉は眼を細め、退屈そうに言った。涼香はそれを焚きつけるように強い口調で返す。

「いいえ、勝つつもりなんてないわ。まだ旅は続ける。でもその前に……四葉に確認しなきゃいけないことがあるの」
「確認? 僕が前言ったことを忘れたのかな? 今僕と問答をしたとして、全てを失った君にそれが事実だと確認できるとでも?」

 四葉の表情は薄く微笑んで、頭の悪い子供に諭すように言う。内容は、涼香の部屋の前で語ったことと同じ。

「もういいのよ、四葉」
「……もういい?弟を殺した相手に何も聞かず、仕返しもしなくていいというのかい? 涼香らしくもないね」

 四葉はせせら笑う、涼香の心が痛む。彼女が自分にそんな声音を向けるなど昔は思いもしなかった。
 だからもう、それを終わらせなければならない。涼香ははっきり首を振った。

「四葉は、私の弟を殺してなんかいない。あの子は……私が死なせたんだから」
「……」

 それを認めることは、涼香のしてきたことの全てを否定することだった。チャンピオンになると誓ったあの旅路も、四葉への復讐を志したこの旅も、意味を失う。それでも、自分は認めなければいけない。

「私はどうしてもあの決勝戦に勝ちたかった。どんなことをしても、たとえ汚い手を使ってでも。でもそれは、私だけじゃなかった。四葉だって……いえ、四葉の方がずっと勝ちたい思いが強かった。そうでしょ」
「何を言うかと思えば笑わせないでほしいね。一年間僕に騙されたことにも気づかず落ちぶれた君に僕の本心の何がわかるっていうんだい?」
「わかるわよ」

 旅に出る前、四葉の両親と話した時も。四葉がこの旅を成功させるために多くの改案を出し、巡達の旅を安全にしていることも。涼香は知っている。

「病弱で、誰よりも体が弱くて、旅の途中で何回も寝込んで、それでも私と同じようにジムバッジを集めた四葉が……どれだけチャンピオンになりたかったなんて、私だってよくわかってた。わかってなきゃ、いけなかった」

 真実を、たくさんの情報から見つけ出す必要などなかった。四葉が自分を罠にはめた理由なんて、はめなければいけない理由なんて、とっくにわかっていたはずだった。それでも落ち込み誰とも話さず堕落していた自分は、四葉の口車に載せられ煽られるようにありもしない原因を滑稽に探していただけだったのだ。
 後悔と罪悪感に震える涼香に反比例するように、四葉の目が細まり、不快感を露にする。

「……で?」
「だから……」
「だからなんだい? ああそうだよ。弟一人なんかの為にチャンピオンの権力を使おうとする涼香よりも僕がチャンピオンになるべきなんだ。君の傲慢で私利私欲に走る姿勢にはうんざりだ。だからただ勝つだけじゃなくて罠にはめたんだよ。わかった?」
「だったらなんで、一年も経ってから私にそのことを知らせたの?」
「そんなことどうだっていいじゃないか。チャンピオンだって何でもかんでも周りに言うことを聞かせられるわけじゃないんだよ。弟のことしか考えてない君とは違って、僕にはこの世界の為にやりたいことがたくさんあるんだから」
「だったら、ずっと放っておけばいいじゃない。本当は……」

 その言い分ならば、涼香に自分のせいだと仄めかして旅に出す必要などない。涼香が堕落していくのをずっと放置していればいい話だ。仮に涼香が投げ出したり自分の為に新人トレーナー達を危険な目に合わせたりすればこの旅を計画し、これからのトレーナー達に安全な旅路を歩んでほしいというチャンピオンとしての四葉が困るのだから。

「弟が死んだことは、四葉にだって想定外だった。いくら四葉が賢くても、私が不正をしたから弟が自殺するなんてわかるはずがない」

 決勝戦の前弟の名前を出したのは涼香の負けられない気持ちを煽りに不正をさせるための誘導。そこに計算があるとしても、その後涼香やその弟がどうするかなど誰にも操りようがない。四葉はあれから一年経つまで自分たちに関わっていないのだから。

「全部、私のせいなんでしょ?私があんたの気持ちも知らずに勝とうとして、弟の死を受け入れられず自堕落になって、そんな状態が一年も続いて……それが嫌だったからあんたは自分を悪者にした。自分のせいで私の弟が死んだかのように論点をすり替えて!無理やり私を外の世界に出して立ち直らせようとした。そうでしょ?」
「……!!」

 四葉の侮蔑の表情が、一転真剣なものになる。

「それは違うね。涼香の思い込み、ただの現実逃避さ。今言ったことが真実だとしたら、弟の死の責任は君が負うことになる。君の努力を応援してた人達への裏切ったこともだね。それを君自身が背負うんだよ?それが耐えられなかったから君は、あそこに閉じこもっていたんじゃないか。君はずっとあの生活を続けるつもりなのかい?」
「大丈夫よ、四葉」

 一年間、誰も味方はおらず、全てが自分を憎んで、疎んでいるような感覚は耐え難いものだったし、いつ自分の命を絶ってもおかしくないものだった。誰も頼れる人もいなければ自分を信じてくれる人もいない。そんな生活には耐えられない。だけど。
 
「確かに私は全て裏切って無くしてしまったけど……四葉はチャンピオンになる夢を叶えても、私の為にこんな無茶をしてくれた。自分を悪役にしてでも、私の為に力を尽くしてくれたことって信じられる。だから私はもう……全てを受け入れるわ。この旅も続けて、引率トレーナーの役目も、ヒトモシとヘルガーの復讐も果たす。私はもう自分の罪から目をそらない」
「……」

 四葉の瞳から、雫が零れた。膝をつき、ジャローダの上で親指姫のように座る彼女は、自分を這いつくばらせ嘲笑った彼女とは別人のようで。何より、涼香が本来知っている。この地方を良くしたい。自分の頭脳をみんなに役立てたいと言っていた優しい友人のそれに違いなかった。

「……僕のせいなんだ。僕が卑怯な手を使わなければ……涼香が、あんなに苦しむ必要はなかったんだ」

 それは、涼香の突き付けた言葉が思い込みでなく真実であることに他ならなかった。きっと、涼香の弟の死に苦しんだのは四葉も同じだった。自分の策が、関係ない相手を死なせたばかりか想像をはるかに超えて友人を苦しめてしまった。

「怖かったんだ……涼香の不正が僕の罠だと言えば涼香は僕を許さないんじゃないかって。涼香がどれだけ弟のために頑張ってたか知ってたから、言えなくて……チャンピオンとしての責務に逃げたんだ。悪者のふりなんかじゃない。僕は……僕は、たった一人の友人を裏切ってぬけぬけと王者の椅子に座った悪人なんだよ。だから涼香は……僕を憎むべきなんだ。君に過ちを犯すように仕向けたのは僕なんだよ」

 涼香が弟の死を自分のせいだと責めたのと同じように、四葉も友人の弟を死なせたのは自分だと、その友人を塞ぎこませてしまったのは自分だと悔やんだ。そして、彼女は決意したのだ。友人の再起の為に自分が恨まれるべきだと。
 涼香は四葉に近づき、自分も膝をついた。顔と顔が触れられるほどの距離まで近づき、囁く。

「……そうかもしれない。私も四葉も……お互いに、やってはいけないことをしてしまった。だからせめて……二人でやり直しましょう。全ての罪は私が負う。世界の全てが敵に回っても……一番の友達である四葉が味方なら、私はなんだってできるから。弟の為に、チャンピオンになるために暴走族でも何でも蹴散らしたみたいにね」

 そうやって、涼香は笑ってみせた。昔、トランプで一緒に遊んだ時のような、友人同士の屈託のない笑顔で。

「でもそれじゃあ、涼香だけが……」
「いいのよ。私の目標はもう絶対にかなわない。でも四葉の目標は……この地方を良くしたいっていう思いは、まだまだ叶えられる。そうでしょ?」
「……涼香は、強いね。僕よりも、ずっと」
「一年間も現実に受け入れずに引きこもったのに?」

 涼香が笑い、涙を零す四葉もつられるように、ずっと抱え込ませてしまった罪悪感と重荷を下ろすように笑みを漏らそうとした。その時だった。


「なーんか二人して悲劇のヒロイン気取りな会話してるけどさあ……そんな都合のいい選択肢、あるわけないじゃーん?」


 ジムの屋根から、レーザーのような鋭利な影がいくつも伸びた。それは正確に、四葉の心臓を狙っていた。四葉のジャローダがとぐろを巻き身を挺してわずかに軌道を反らしたそれは――四葉の腹と足を貫き、四葉に悲鳴を上げさせた。

「四葉ッ!!」
「あははははははっ、さすがチャンピオンのポケモン、ぎりぎりで気づいて即死は免れたみたいだね!」

 地面から優に五メートルはある屋根の上から、影が二つ降り立った。一つは二メートル近い大型の肉食獣、オオタチ。そしてもう一つは以前涼香の前に現れた危険なトレーナー、千屠に他ならなかった。オオタチの腕に残る黒いオーラが、『シャドークロー』で四葉の命を狙ったことを物語っている。

「千、屠……何の、つもりかな」
「いやーあんまり二人の茶番がうすら寒いから、せめて将来を誓い合った直後に片方が死ぬっていうわかりやすい展開にしたげようというせめてもの慈悲だよ? なあダチー?」
「オオンッ!」
「ッ、ヘルガー!」
「ガアアアアッ!!」

 ヘルガーの火炎放射が千屠のオオタチに放たれ、オオタチが避ける。にらみ合いになったところを、四葉が息も絶え絶えに言う。ジャローダが、オオタチの巨躯させ悠々と丸呑みに出来そうなほどの大きな口を開けた。

「君がそういう子なのはわかってるけど……僕に勝てると、思うかい……?」
「いや全然? だから真っ先に狙ったんだし……ほら、クローバーちゃんもいいの? このままほっとくと大事な主人が死んじゃうよ?」
「……!!」

 クローバーが、四葉の体に蔦を巻き付け自身のエネルギーを分け与える。流れる血の分を補いはするが、元々身体が虚弱な四葉にとってダメージは深刻過ぎた。涼香が怒りが燃え上がる。

「……何のつもり」
「うわ怖。でもさー、そっちのお姉ちゃんは自分で弟を殺したことを認めるんでしょ?だったら俺が四葉姉ちゃんを殺すのも認めてよ」
「ふざけないでッ!!ヘルガー、『火炎放射』よ!!」
「っと!!」

 千屠自身に放たれた炎を、ポケモンに頼ることもなく側転で避けた。以前会ったときもだったが、尋常ではない身のこなしだ。 
 
「もう一度だけ聞くわ。なんでこんなことをしたの」
「なんでっていうか、話を聞く限り四葉姉ちゃんはもう悪者ぶるのやめるんでしょ?だったら俺との契約も解消ってわけでー。俺が四葉姉ちゃんとつるむ必要もないじゃんね。だからころそっかなって」
「はあ!?」
「なんだよもー説明してあげてるのに怖いなー」

 涼香の怒声に耳を塞ぐ千屠。四葉が、今にも途切れそうな言葉を紡ぐ。

「千屠はね……丁度一年前くらいにこの地方にやってきた。トレーナーを殺して金品を奪う強盗なんだ」
「四葉、喋らなくていいわ。……こいつは、私が燃やし尽くす」
「これは、僕の罪なんだ……涼香に対して悪であると決めた後、僕は直接彼を捕らえて取引、したんだ。罪を不問にしてあげるから、僕の言うことを聞いてくれって……」
「そーゆーこと。あんたらにちょっかいをかけて煽ったりー、後博士拉致ったりね。面倒だったけど、まあたまにはこういう計画的なことをしてみるのもいいかなーとか割とまんざらでもなかったのにさあ。全く、とんだ幕切れだよ!違約金として命くらいもらわないとさー、俺の気持ちが収まらないんだよね」
「……黙りなさい。あんたは……今ここで、灰にする!」
「やらせねーよバーカ!一旦退くよ、ダチ!」

 千屠はジムの表門の方へと走り出す。涼香も走って追いかけようとしたが、傷の具合によっては予断を許さない四葉を見て追撃を躊躇った。

「ヘルガー、止まって!あいつはあんた一人で倒せない」
「僕は気にしないで……急所は、クローバーが避けてくれた、から。ごめん……千屠を、止めてくれ」
「あいつを手元に置いたのも、私の為なんでしょ。今救急車を呼ぶから、静かにしてて、私が見張るから……」
「いいや……今すぐ、彼を追いかけてほしい。千屠は……きっと、海奏達を狙いに行っただろうから」
「巡達を……!?」

 千屠が走っていったのはジム側。命を貰う、というのは涼香達の方ではなく巡達を狙っているのだとしたら。

「私達のせいで、あの子たちを傷つけさせるわけにはいかない。……死んじゃダメよ」
「……うん。最後に、これを」

 四葉が一つのモンスターボールを涼香に渡す。その中にいるポケモンを見て、涼香が驚いた。

「きっと、君の力に……後は、頼んだよ」
「……ありがとう、ずっと待っててくれて。まだまだ言わなきゃいけないことがあるから……もう少し、待っていて」

 意識を失った四葉はクローバーに任せ、千屠を追いかける。自分の過去への決着はつけた。一番の親友の本心を知ることも出来た。だが、それだけでは終われない。これからを生きるため、一度旅を終えたトレーナーとしての責任を果たすため涼香は己の心を燃やす。

「こんな旅をさせてしまった罪は私が償う……絶対に」

 ヒトモシを抱え、ヘルガーを隣に。自分と四葉の確執を終わらせまた歩んでいくために。自分たちの罪を無関係な子供たちに巻き込まないために、涼香は走り出す。


じゅぺっと ( 2017/12/28(木) 17:07 )