Blazerk Monster - 第零章
心を燃やす劫火
 一年越しに、『ポケモントレーナー』として旅立った涼香は、まず南を目指した。所持金は財布の三千円。モンスターボールなし、食べ物なし。そして何よりポケモンなし。あるのは新品のトレーナーカードだけ。トレーナーカードは薄型のスマートフォンのようになっていて、操作することで現在の手持ちやマップ、また旅に関するルールを見られるようになっていた。
涼香の踏みしめる大地キヤリーグは、そう大きくはない島国だ。涼香のいる町フェロータウンは島の南西にあり、リーグに挑むための前提条件であるジムは全て北や東にある。涼香のいるであろうポケモンリーグは標高千五百メートルを超える雪山を超えた遥か北東で最終的な目的地はそこになる。
この島には町と街を繋ぐ道には所謂ポケモントレーナーのため、そしてポケモンの暮らしを守るために自然が保護された『道路』と、人間や物資が移動、流通するための『街道』がある。『街道』にはタクシーも通っているし、徒歩でも安全に次の町へ行ける。ポケモントレーナー以外の一般人は、皆そちらを通るのが当たり前だ。それを使えばひとまず博士のいる町、今の自分が向かうべきところへはいける。しかしポケモンがいなくては話にもならない。
 かつて旅に出た時のように、草むらに入ってポケモンを捕まえることも出来ない。この辺にいるのはビードル等幼虫のような虫ポケモンに、ポチエナ等小動物のようなポケモンだが、身一つでポケモンの生息地に足を踏み入れることは、大きなリスクがある。
 ビードルの毒針に刺されれば、命こそ奪われないが個体によっては数時間苦しむほどの毒性はある。ポチエナも自分より大きな人間を食べるために襲うことなどしないが、狩の練習のターゲットにされれば、さんざん追い回された上に噛みつかれるだろう。親のグラエナでも出てこようモノなら、彼らの餌になりかねない。ちゃんとポケモンを持っているトレーナーでさえ、ふとした油断で大怪我や命を落とすことは決して珍しくないのだ。
 なので博士の研究所までの道中もポケモンの生息地はあるが、極力『街道』を歩いて、ポケモンには手を出さない。所持金3000円ではタクシーなど使えるはずもないので徒歩で移動したのだが、この一年間で筋力がすっかり衰えた体ではなかなか辛いものがあった。空気は冷たく、乾燥した島であるというのに汗をびっしょり掻いている。野宿の際も一応旅していた時の寝袋を使ったがこの一年の間にすっかり柔らかさは失われていた。
明朝には博士の研究所にたどり着いたが、なんと顔を合わせたものか悩んでしまう。

(あんなに仲が良かった四葉に復讐するためにポケモンが欲しいなんて……言えるわけない)

 博士はぶっきらぼうだがいい人だった。ポケモンに関する質問は答えてくれたし、時折珍しい道具屋旅の資金を助手を通じて送ってくれたこともあった。四葉によれば話は通してあるとのことだがどこまで話したのか、どう思われているのかわからない。手塩にかけて育ててやったのに裏切ったと侮蔑されていてもおかしくはないのだ。
 研究所があるアイマラタウンは自然の中に家々が点在する小さな村だ。涼香も四葉もこの村で育ったため、もう訪れないと思っていたここに来たことに少なくない感情が巻き起こる。
この村に限ったことではないが、田舎の人間というのは結びつきが強いがゆえに、異端者、よそ者は排斥的になる傾向がある。親に聞いた話だが、四葉は赤ん坊のころに重病を患ったがために手術をして、病気は直ったものの静かな土地で暮らすべきだということでこの村に来たらしい。
他所から来て、病弱で体が弱く、風変わりな四葉は村のほとんどの人間から煙たがられていた。涼香が四葉と仲良くし始めたのは、似たような境遇を持つ病気の弟がいたからだ。もし弟が健康だったら、自分も差別していたのかもしれない。

(いや、差別はしていた。少なくとも四葉はそう感じていた)

 四葉と仲良くしたのも、陰湿ないじめから守ったのも、良かれと思ってやったことだ。だが全てはもう裏目でしかない。賽は投げられたのだ。
涼香は木造建築ばかりの景色の中でひときわ異彩を放つ白塗りの強化素材で出来た建物を見やり、思い出す。ここの博士の研究テーマは、『ポケモンと人間のコミュニケーションによる能力の変化』だ。
観葉植物に優しい言葉やリラックスできる音楽を聞かせると良く育つ、きつい言葉や激しい音楽を聞かせると萎れるなんて話はよくあるし、ポケモンには意思がある以上人間とのかかわりが影響するのは当然のことだが、具体的にどう影響するのか?マイナスのコミュニケーションを取ることはポケモンの能力にとって一概にマイナスと言えるのか?という様なことを研究していると思えばいい。
 なので、ここには様々な人間との関係を持ったポケモン達がいる。大切にされていたけれど、主が死んでしまったポケモン。飼ったはいいが躾けることが出来ず、捨てられたポケモン。ずっと檻の中に閉じ込められたポケモン、様々だ。

(そして私の様に。犯罪を犯したトレーナーから取り上げたポケモンもここに送られる)

都合上、トレーナーとの関係性によって別々の場所に隔離されていることを涼香は覚えていた。幸いにして、博士や助手達は研究所の中にいるらしい。慎重に隠れて進む必要はなかった。
研究所の一角にある、特にトレーナーとの間に深刻な問題を抱えたポケモン達が入れられた場所にまっすぐ向かう。涼香と四葉が旅立つ際、色んなポケモンを見せてあげると博士はほとんどの場所に案内してくれたが、この場所だけは危ないから近づいてはいけないと言われた。そのことが、涼香の記憶に逆にはっきりと印象に残っていたため場所まではっきり覚えている。
勿論トレーナーとの間に溝のあるポケモンを従えるのは難しいことだ。単にポケモンが欲しいだけならもっとトレーナーに好意的なポケモンのいるところに行った方がいい。だが涼香の目的は復讐だ。本来のポケモントレーナーの道のりとはかけ離れた、日陰の道を歩くことになる。幸せに過ごすポケモンを付き合わせたくはなかった。
 それに……もしかしたら、自分の持っていたポケモンもここに送られているかもしれないという期待もあった。あの一件以来、まともな別れの挨拶も出来ず奪われた仲間たちがいれば、どれだけ心強いことか。身勝手だと知りながら、その思いは止められない。

 人体を感知する分厚い自動ドアが開き、中に入る。一本の廊下の両脇には、一体ずつ頑丈な檻や水槽に入れられている。中にいるポケモン達が、自分を睨みつけたのがはっきりわかった。人間への恨みや敵意の熱量がはっきりわかる眼差しだった。
だが涼香は臆さない。今からこの中の誰かを仲間にするのだから。何より、彼らと同じ炎が自分の胸の中には燃えているから。
涼香は檻の一つずつを、コンコンとノックしてみる。両目が潰れたゾロアークが光を失った顔を向けた。自分の殻を破りすぎたハンテールがとぐろを巻いた。布のような部分が破れ、文字通り首の皮一枚つながっただけのミミッキュが首から脅かすように手を出した。

(……何か、おかしい)

 廊下の奥のほうまで行って、違和感を覚える。全てのポケモンは涼香――人間に対する負の感情を持っていた。だがその怨みを本気でぶつけてくるポケモンがいないのだ。威嚇や警戒に留まっている。檻に入れられてこの程度なら、危険と言うほどでもない。
それに、置いてある餌も気になった。博士は全うな人格者だ。彼が餌やりを怠るとは思えない。事実時折見える餌箱は、新鮮な木の実や肉がちゃんと置かれていた。なのにポケモン達がそれをちゃんと食べている様子がないのだ。2,3口齧って、残しているのがほとんどだ。
人間を恨んでいるから食べない可能性も考えたが、それならば自分を見れば元気がなくとも死にものぐるいで食ってかかってきそうなものだ。
涼香が考えながら次の檻に進むと、視界の端で小さな灯火が揺らめいた。蝋燭のような、吹けば消えそうな幽かなものだ。涼香の視界が動く。

「もしぃ……?」

 ガラスの向こうにいるポケモン。ヒトモシは頭に紫の火が灯る白く小さな体をしていた。本来は綺麗な円柱形であろうその姿は、出来損ないのキャンドルアートのようにあちこちに体にガラス球を埋め込まれ、まるで疣(いぼ)に侵された病人の様だ。小さな瞳が、自分を不審の目で見つめている。

「怯えているの?」

 直感だった。涼香はしゃがみ込み、ヒトモシと目を合わせる。恐らく体のガラス玉は、前のトレーナーに埋め込まれたのだろう。ポケモンに衣服やアクセサリーをつける人間など珍しいものではないが、直接埋め込むなどポケモンのことを一切考えていない狂気の沙汰だ。何をされたかが明白な分、その存在は哀れに思え。自分と同質に思えた。
話しかけると、ヒトモシはぶるっと頭の火を震わせ、ゆっくりと後ろに下がった。ただ振るえない敵意を持つ今までのポケモン達とは違っているのは明白だった。自分に対してはっきりと行動を起こしている。

「も、も……!」
「大丈夫、何もしないわ。あなたじゃ私の道にはついてこれないだろうし」
 
ヒトモシは、進化すればトップクラスの火力を持つ強力なポケモンだ。とはいえ簡単には進化しないし、ヒトモシ自身はその体の関係上、動きが非常に遅い。即戦力が必要な自分の旅には適さないと涼香は判断していた。それでもなお話しかけたのは、爛れてもトレーナーとして自分に注目しているポケモンへの警戒心と優しさか。
 なおも目を合わせ続けると、ヒトモシは頭の火を強く揺らめかせ、涼香へ炎を放ってきた。だが二人の間は耐火ガラスで遮られている。その炎が届くことはない。

 
 はずだった。


「あ、つっ……!?」

 涼香の上半身が、紫色の炎で燃え上がった。体の中が焼けつく感覚がして、考えるより先に咄嗟に地面を転がる。ポケモンの火に巻かれた時の咄嗟の行動で、トレーナーの基本だ。
 しかし、その炎は消えない。転がった後もめらめらと涼香を焼き尽くそうとする。……その状況をはっきり確認できていることに違和感を覚えた。本物の炎に焼かれているなら、熱さとショックでそんな思考の余地はないはずだ。今の涼香は、冷静すぎる。
燃え続ける自分の体を見ると、火傷もなければ服も燃えていない。でも、かといって幻の炎でもなかった。

「そういう、ことだったのね」

 ヒトモシの炎が燃やしているのは自分の身体ではなく、心だ。一年ぶりの遠出で体が疲れていても、復讐心に突き動かされるようにして動いていた涼香の足から力が抜けていく。疲労がどっと沸き、活力がなくなっていく。
周りのポケモン達が妙に元気がないのも、そういうことだ。この小さなヒトモシが、この室内のポケモン全ての生きる気力を奪っていた。臆病なのに、貪欲極まるその性質。種類とは関係なく、初めて見るポケモンだった。
手持ちのいない涼香に対処の術などない。涼香の心が燃えて、燃えて。ついにがっくりと膝をつき、うつぶせに倒れた。ヒトモシを見つめていた瞳が閉じる。

「もし……」

 それを見て安心したヒトモシは、涼香を燃やす火を消した。ヒトモシとその進化系の操る炎に、決まった温度はないし、炎タイプのそれとは性質が完全に異なる。その炎は心を燃やし、燃やしたエネルギーを自分の糧とする。完全にヒトモシ達自身の意思でコントロールされ、消したいときに消せるのだ。
普通の人間なら、誰かに起こされるまで目を覚ますことはないだろう。場合によっては生きる気力を失い、鬱状態になるかもしれない。だがそんなことはヒトモシの知ったことではない。自分を散々いじくりまわし傷つけた人間がどうなろうと、当然の報いだから。

「ふ……ふふふ」

 涼香の指先が、ピクリと動いた。ヒトモシはびくりとする。涼香は腕に力を籠め立ち上がった。一度閉じた瞳は、死んでいない。再び開いたそれは、復讐の炎がはっきり燃えていた。

「あなた、気に入ったわ。私と一緒に、来なさい」

 命令し、近くの消火器を両手で持つ。ヒトモシの心を燃やす炎は消火器で消せるものではない。それは涼香もわかっている。
ヒトモシの壁を覆っているのは、水槽のような強化ガラスではなく、炎耐性の耐火ガラスだ。故にその強度は決して高くない。だから涼香は消火器を振りかぶり、全力でガラスを粉砕した。瞬間、ポケモンが脱出する危機を告げるけたたましいアラームが鳴り響いたが気にしない。ここに来るよう命じたのはチャンピオンとしての権限だと四葉は言った。ならここにきてポケモンに襲われたから迎撃したのは普通なら言い訳でしかなくとも正当防衛で通るはずだ。

「も、も、もしぃ……」

ヒトモシは、自分の炎で焼き尽くせない人間に戸惑っていた。どんな強力なポケモンでも、心を焼かれれば動けないはずなのだ。なのに、どうしてと。じりじりと、本人としては全速力で後ろに下がる。
涼香は用済みの消火器を投げ捨て、そんなヒトモシに近づいて、再びしゃがみ込み、たくさんのガラス玉で醜く歪んでしまった体を抱きしめた。頭の炎で自分の肩口が焼けることも恐れずに。

「残念ね。私の心はもうあなたと同じ炎が宿っているの。あの子を焼き尽くすまでは、決して消えない」

 瞳を閉じ、アパートで四葉に告げられた真実を思い返せば怒りと悲しみ、体から力が抜け落ちそうな無力感は何度でも蘇る。弟と自分。そして自分のポケモン達を引き裂いた彼女は、どんな理由だろうと許せない。例え復讐を終えた自分の心が消し炭になってしまうとしても、その時までは燃え続ける。

「あなたも、辛かったわよね。信じていた相手に裏切られる辛さは、私がわかってあげる。私なら、あなたと一緒に誰かを燃やし続けられる。だからどんなに辛くても、最後の一瞬まで一緒にいましょう」

 モンスターボールによって捕まえられたポケモンは、所有者への強制的な信頼感情を与えられる。所謂『おや』の特権だ。勝手に与えられた信頼に、勝手な裏切り。そんなことが横行するトレーナーの、なんと醜いことだろう。だから、一緒にいきましょう。涼香はかつて四葉に向けていた優しい瞳で告げた。

「もしぃ……もしぃ……」

 ヒトモシの瞳から、線香花火のような小さな火が漏れた。それが涙であることなど、考えるまでもないことだった。裏切られた同士に、モンスターボールによる強制的な信頼など必要ない。仲間になる儀式は固く抱擁を交わすだけでよかった。
一分後、涼香はヒトモシを組んだ腕の上に置き立ち上がる。ヒトモシの遅さがバトルで戦力になりにくいことには変わりない。だからしばらくは、自分と一緒に動くことにするのが一番だろう。

 アラームが鳴り響く中をさっきよりも足早に歩いていく。ここまでもそうだったが、残念ながらかつての涼香の手持ちはいないようだった。他のポケモンもヒトモシに生命力を吸い取られている以上、連れていくには適さない。このまま出ようとしたとき、鉄格子の割れる音がした。
中から飛び出たポケモンは、涼香の前に立ちふさがる。

「ヘルガー……」

 悪魔のようにねじ曲がった立派な二つの角の両方が戦いではなく綺麗に、意図的に折られ。胸のドクロ模様も切り取られたヘルガーが、涼香とヒトモシをじっと見つめた。炎と悪の両方の性質を持つゆえに、炎とゴーストの性質を持つヒトモシの炎の効果は薄かったのか。万全ではないが、目は力を失ってはいない。
周りに散らばった本来は極めて頑丈な鉄格子は、度重ねて吹き付けた炎で大きく劣化していた。出ようと思えば、いつでも出られたのだろう。人間なら研究所の誰かが定期的に来ているはずだ。このタイミングで出てきた理由は、一つ。

「あなたも、ここから出るつもりなのね」

 涼香の問いかけに、ヘルガーは頭を垂れた。檻を破れても、人間がいなくては自動ドアは抜けられない。そして研究所の人間が、一緒に抜けさせてくれるはずはない。
 だからヘルガーは待っていた。自分を連れ出す、何者かの存在を。それが自分の憎む人間であると分かりながらもだ。

「いいわよ。あなたをここから出してあげる。ただし条件があるわ」

 涼香は少し考え、こう口にする。地獄の道を歩む仲間に対する、制約と誓約。ヘルガーにとって傷のついた己の角と胸の模様は強さと美しさを示す勲章だが、同時にポケモンマニアからの需要も高い。飼われた後一切の戦いを許されず、養羊場の家畜のように育てられ、成長したら角と模様を刈り取られる。彼は、己の誇りを『おや』に剥奪されたのだ。

「私と一緒に、戦ってほしい。私はあなたを傷つけることはあっても誇りを奪うことはしない。戦いはあなたのしたい様にすればいい。険しい道のりになるけれど、飼い殺しはしないわ」
「ガル……」

ヘルガーは、涼香の体の周りをぐるりと一周し、最終的に涼香と同じ方向を向いた。彼なりの人間を認める儀式なのだろう。ただしそれは服従ではない。もし涼香がヘルガーのプライドを傷つけるようなことをすれば、その牙は容易に涼香に向くのは間違いない。
涼香は2体と共に、自動ドアの出口を抜ける。二体もいれば、当面旅をするには十分だ。後の仲間は、これからの道のりで見つければいい。
 ヒトモシの炎を胸に。傍らにヘルガーを従えた涼香は、一旦研究所から出ようとした。新人トレーナーがくるまではまだ時間がある。新たなポケモン達に事情を話す必要もあるしそれまでここにいるわけにもいかない。しかし後ろから声がかかる。

「……涼香。何か言うことがあるんじゃねえか?」
「!」

 振り返ると、博士がちょうど研究所から出てきたようだ。ポケモンの脱走を告げるアラームを聞きつけ、やってきたのだろう。白髪をオールバックにした壮年の男性で、火のついたタバコを手に持った彼は白衣が凄く似合わない。スーツを着てオフィスにいれば誰でも仕事の出来る管理職だと判断しそうだ。

「お前がここに来る理由は四葉から聞いた。あいつは相変わらず肝心なことは言わんから詳しくは知らんが、とりあえずそのことには目をつぶるさ」

 博士はタバコでヘルガーとヒトモシを指す。やはり四葉が話を通しているのは事実のようだ。

「……なら、遠慮なくもらっていくわ。新人のトレーナーは今どこに?」
「口の利き方に気を付けろ、自分の立場がわかってないのか?」
「……!」

 身の竦む言葉だった。昔からぶっきらぼうではあったが涼香に対しては旅を支援する博士として接してくれていた。でも既に涼香の立場は違う。

「お前はもう期待の新人トレーナーじゃない。どんな事情があろうと周囲と自分のポケモンを裏切ったトレーナーの風上にも置けない女だ。そいつらを連れていくのを許すのも、チャンピオンになったあいつがポケモンなしでは新人トレーナーを守る仕事に差し障ると判断したからにすぎん」
「……そうね」
「聞こえなかったか? 口の利き方に気を付けろと言ったんだ。十八歳にもなれば目上の人間と話す時は敬語を使うもんだ」

 涼香が旅立ったときは15歳、あれから3年の月日が流れていた。まだ未成年ではあるが、体はもう大人と変わらないし普通に仕事をしていても珍しくない年齢である。涼香は少し考えた後言った。一応アルバイトで敬語を使うのは慣れている。尤も全く心のこもっていない棒読み口調だが

「……失礼しました。それで、一緒に旅をするトレーナーはどこにいますか」
「ふん……四葉の住んでいた家だ。ご両親の承諾を得て一晩そこに泊めさせたからまだそこにいるはずだ」
「わかったわ」
「おい」

 答えを聞くなり敬語をやめた涼香に博士が真面目に怒りのこもった声を出す。

「……四葉に伝えておいてくれないかしら。あなたの掌で踊ってあげるけど、決して綺麗には踊らない。むしろ踏みつけてタップダンスでもしてやるって」
「つまらんジョークだ。そんな態度を取るならこの件は取り消してもいいんだぞ?」

 四葉は涼香に旅をさせたがっているようだが、新人のトレーナーを旅立たせる身としては礼儀の一つも弁えない子供を引率につけることは承諾できない。研究所のポケモンを奪い身勝手な振る舞いをしたことを報告すれば涼香を引率役から下ろすことは可能だ。

「……既に旅をしたことがあるトレーナーを引率につけるのは、四葉の提案で今年から始まった。どんなやり取りをしたのかは知らないけど博士も承諾した」
「だからなんだ? お前の代わりなどいくらでも用意できる」
「……その引率者が旅を始める前に新人トレーナーを殺してしまったらどうなるかしらね?」
「何?」

 博士は涼香の顔を見る。冗談や見え透いた脅しではなかった。やりかねない、と思わせるほど、涼しい目の中には激情が宿っていた。

「四葉はトレーナーの旅を安全にするためにいろいろ工夫を重ねたらしいわね。引率者の他にもジムの縮小、新人トレーナーには旅をする一年前にポケモンは与えておくとか色々……あの子らしい賢い工夫よ。でも、危険から守るはずの人間の手で新人トレーナーが殺されてしまったら全てご破算。違うかしら?」

 勿論そうなれば涼香は正真正銘の人殺しとして死罪になるだろう。四葉が涼香を裏切った理由も弟の死の真相もわからないまま人生を終えることになる。だが四葉や博士も困るはずだ。せっかくトレーナーの安全のために工夫を積みかさねたのに最初の旅が始まることなく死を迎えるなどあってはならないことのはず。

「あなたたちの言う通り引率役はしてあげる。でもそれは私が四葉に復讐するため、心までは思い通りにさせない。……これはその宣言よ」
「チッ……もともとじゃじゃ馬だったが一年見ないうちにとんだ暴れ馬になりやがって」
「じゃあ一旦出るわ。直接顔を合わせてくる」
「まさかとは思うが――」
「殺さないわよ。あなた達が私に引率役を任せている分にはね。ただ、邪魔するなら手段は選ばない」

 涼香の目的はあくまで過去の真相を知ること。それを根幹から崩す真似を自分からするつもりはない。ヘルガーと共に博士の横を通り抜ける直前、一言小さく呟いた。

「何だと……? 待て、どういう意味だ」

 それには答えず、涼香は背を向けて一旦研究所を後にする。二人が出ていった後、博士は苦々しく呟いた。

「あんなに良くしてもらっていたのに、ごめんなさい……か」

 他の誰にも聞こえない言葉は、自分への謝罪だった。さっき自分を脅したのとはまるで違う、罪悪感に潰れそうな震えた声。 
 
「……こりゃあ、荒れた旅になるだろうな」

 涼香は元々非常に真直ぐであるがゆえに暴走しやすいところがあった。心も男勝りな勇敢さの反面他人想いで優しいところがある。四葉は、穏やかでかつ博士である自分よりもはるかに賢い少女だったから彼女がいいストッパーになっていた。だがその本心は一度も理解できたことがなく、不気味ですらあると感じられる時も博士にはあった。その四葉が涼香と袂を分ち描いた旅は、きっと一筋縄ではいかないものになるだろう。そんな確信があった。

 

じゅぺっと ( 2017/08/05(土) 19:56 )