快進撃
「止めよクー!オーダイルに雷の牙!」
ドラゴン使い・ドラコと実力を認め合い喝を入れられたジェムは再びバトルクォーターに挑んだジェムは、新たに得たクチートの力で順調に勝ち進んでいた。
相手に相性のいい技を叩きこむことが重要なこの施設では新たに覚えた雷、氷、炎の牙は使いやすく、遠距離から攻めてくる相手には十万ボルトや冷凍ビーム、火炎放射を放つことも出来る。威力が足りないと感じた時はメガシンカによって強力な一撃を叩きこむことも可能だからだ。
「よしっ……これで20連勝!」
「……」
その様子を、ダイバは応援席で黙ってみている。彼は既に7連勝したにもかかわらず、自分はいいと言ってジェムだけに挑戦させていた。その理由を、彼は話そうとしない。
「おめでとうございます!次はいよいよフロンティアブレーンの登場でございます。準備の方はよろしいですか!?」
「ついにブレーンが……!」
ジェムは頷く。すると突然、会場の照明が消え天井にプラネタリウムのような淡い藍色が浮かび上がった。そして天井の頂点に移るのは星ではなく――三日月を模した光。突如として現れた人工的でありながら幻想的な光景にジェムが見とれていると、その間にジェムの反対側のステージに一人の女性が立っていた。
「あれ、この人……ネフィリム?」
ジェムはこの女性を知っていた。テレビドラマで良く見る顔が、今自分の目の前で薄紫のドレスを纏って優しげに微笑んでいる。そう、この人はホウエンでは知らぬものはほぼいないものはないと言えるほどの女優である。
「その通り!私こそがホウエンの大女優にして、この施設のブレーン。ネフィリム・シュルテンですよ。可愛い挑戦者さん」
「……シュルテン?ってことはもしかして」
見覚え、聞き覚えのある名字にジェムは首を傾げる。ネフィリムは誇らしげに頷いた。
「そう、あなたは知っていますよね。ダイ君のこと。私があの子の母親です。よろしくお願いしますね」
「……ママ。余計なことは」
観客席から口を挟むダイバ。彼は自分の母親相手にも帽子を目深に被って、目を合わせようとしない。その態度にネフィリムは頬を膨らませた。
「もう、ママはダイ君が一番に挑戦しに来てくれると思って待ってたのに……なんでそこにいるの?」
「……うるさいな。さっさとその子とバトルしてよ」
「相変わらず恥ずかしがりやなんだから……この子とはお友達?」
ネフィリムがそう聞くとダイバは短くこう答えた。
「奴隷」
言うことを聞くという関係ではあるがあんまりな言い方にジェムはむっとする。というか母親にそんなこと言っていいのかと思う。ネフィリムは顔に手を当てて、瞳を潤ませた。
「ちょっと、誰が奴隷――」
「ああ……さすがはパパの息子だわ。もう自分で人を従えることが出来るようになるなんて……」
「えっ」
「……はあ」
涙を零し、本気で感激しているらしいネフィリム。彼女はジェムの方に向き直った。ダイバがため息をつく。
「ジェムちゃん……だったわね。幸せでしょう?この子に従うことが出来て」
「……なんでそうなるんですか」
「だってダイ君は、あの人の息子ですもの。あの人のいうことが聞けることはとっても幸せなことなのよ。きっとダイ君にも同じ才能があるわ」
「同じ才能があるとは、限らないと思います」
「そう……あなたがまだその幸せを実感できていないとしても、いずれわかるわ。この子とあの人に使われることが、どんなに幸せなことか」
「……なんなの、この人」
ジェムは狂気じみた理屈と信条に困惑した。目の前の女性は、自分の息子が他人を奴隷扱いしていることを叱るどころか、喜んで涙さえ流している。おまけに言うことを聞くのが幸せだと、確かめるのではなく決めつけている。
「そうとわかればより気合を入れなきゃね。ダイ君がどんな娘を従えているのか、確かめさせてもらうわ」
「言いたいことは色々あるけど……ひとまず、バトルが先ね」
ネフィリムがボールを取り出したのを見て、ジェムも構える。
「出てきなさい。三日月の下で舞い踊る美しき獣、レパルダス!」
「出てきて、クー!」
ネフィリムはレパルダスを、ジェムはクチートを繰り出した。クチートが大顎を開けてレパルダスを威嚇する。レパルダスがわずかに怯んだ様子を見せる。
「漆黒の牙怒りと共に振るわせ、全ての敵を噛み砕いて!」
15秒のカウントが始まると同時に、クチートをメガシンカさせる。その体が光に包まれ、戻ったときにはクチートの大顎が二つになり体が一回り大きくなっていた。
「クー、じゃれつく!」
「初手からメガシンカですか……ならばレパルダス、ねこだまし!」
両者が近づき、メガクチートが大顎を振るう前にしなやかな動きでレパルダスがメガクチートの正面に回り込み、目の前で両前足を打ち鳴らす。大きな音にメガクチートの頭が真っ白になり、怯んだ。
「続けて『ねこのて』です!」
「クー、気を付けて!」
「遅いですよ!」
技『ねこのて』は仲間の技を何か一つ使うことのできる技。故にほぼどんな技でも使うことでが出来、まだ相手の手持ちがわからない以上読むことが出来ない。警戒しようとするが、それよりも早くレパルダスは動いた。
「ニャアアオオオオオオオオ!!」
レパルダスが距離を取り、大音量の叫びをあげる。その声は破壊の音波となってメガクチートの体を打った。鋼タイプのメガクチートには大したダメージはないが、これで一方的に二回ダメージを受けたことになる。この施設がいかに相手を攻撃したかを重視する以上、不利と言わざるを得ない。
「クー、右で火炎放射、左で十万ボルト!」
「避けなさい、レパルダス!」
メガクチートの右顎に炎が、左顎に電気が蓄えられ放たれる。レパルダスはしゃなり、と音もたてずに避けた。だが二つの角から角度をつけて放たれた攻撃は交差し――爆発を起こす。レパルダスがそれに巻き込まれて吹き飛ばされた。
「やりますね……ではもう一度『ねこのて』です!」
今度はレパルダスは思い切り助走を付けたかと思うと、一気にとびかかりメガクチートの反応を許さずにその前足で蹴り飛ばした。
レパルダスの特性は変化技を素早く放てる『悪戯心』であり、技『ねこのて』は仲間の技を扱える変化技である。つまりレパルダスは仲間の攻撃技を誰よりも早く扱えるのだ。それが速度の秘密だった。
「さあ下がりなさいレパルダス、多少のダメージは負いましたが後は逃げていれば私の勝ち……」
「……捕まえたわ」
「!」
飛び退ろうとしたレパルダスの足に、クチートの大顎が食らいついていた。
「今よクー!じゃれつく!!」
片方の顎が体を挟み、もう片方の顎で思い切りレパルダスの体を打ちつける。吹き飛ばされて衝撃を殺すことすら敵わず、暴力的な一撃にレパルダスは戦闘不能になった。
「あの攻撃を見切るとは、やりますね」
「『悪戯心』の戦術なら、お父様の得意技だもの」
「……ああ、そういえばあなたはチャンピオンの娘でしたか、なるほど」
ジェムの父親、サファイアのエースは特性『悪戯心』のメガジュペッタである。父親のバトルを誰よりも見ているジェムは当然その性質についても知っていた。『ねこのて』との複合は初めて見たが、二回も見れば見切れないことはない。
「では二体目……出てきなさい、三日月の下で歌う愛らしき獣!ニンフィア!」
「ニンフィア……なら、アイアンヘッド!」
15秒のカウントが始まる。ニンフィアのタイプはフェアリー。メガクチートは鋼タイプを持つため弱点をつける分有利のはず。そう判断してメガクチートを突っ込ませるジェム。
「簡単には近づけさせませんよ!ニンフィア、ハイパーボイス!」
「フィアアアアアッ!!」
ニンフィアが高い声で叫ぶと、部屋全体がビリビリと震える。激しい音波の攻撃を受けたメガクチートの足が止まる。だが音はいつまでも続くわけではない。声が止んだ隙を見計らってメガクチートは接近し、二つの大顎を噛みつくのではなく直接ぶつける!
「一発で決めるわ!」
「ニンフィア!」
ニンフィアの体が鋼鉄に吹き飛ばされる。弱点を突いたうえにメガクチートの特性は『力持ち』だ。その怪力の前でひとたまりもないと思われたが。
「電光石火!」
「なっ……!?」
ニンフィアは起き上がり、目にも留まらぬ速さで突撃してメガクチートの体を吹き飛ばす。華奢な身体からは想像できないほどの力だった。
「まさか――」
「気づいたようですね。残念ですが私は攻撃を受ける直前、スキルスワップを発動していました」
『スキルスワップ』。自分と相手の特性を入れ替える特殊な技で、使い方次第で様々な戦術を可能にする技。ネフィリムはそれでメガクチートから攻撃力を奪い、逆にニンフィアの攻撃力を倍増した。メガクチートが、自身の両顎を重そうに引きずっている。これでは物理攻撃は難しいだろう。
「……でも弱点を突いた攻撃はそう何発も耐えられないはず!クー、ラスターカノン!」
「本当に多彩な技を使いますね……電光石火で避けなさい!」
メガクチートの顎から銀色の光弾が二つ放たれるのをニンフィアがスピードで躱しつつクチートの体を蹴り飛ばす。特性を失い、自身の体を動かすことさえままらないメガクチートに、ニンフィアの体は捉えられない。
ニンフィアもメガクチートの鋼の体には決定打を与えられず、そのまま15秒が過ぎた。
「クチート対ニンフィア、『心』は引き分け。『技』はクチート。『体』はニンフィア……よって結果、引き分け!」
「お疲れ様クー。よく頑張ったわ」
「勝ち切れませんでしたか。戻りなさいニンフィア」
判定が下される。攻撃回数もほぼ互角で体力はクチートの方が少ないが。とにかく弱点をつける技を連続で出したことが評価されたらしい。ジェムとネフィリム。お互いがポケモンを戻す。
「よし、このまま決めるわよ!出てきてルリ!」
「追い詰められましたね……ですが負けませんよ!さあ出てきなさい、三日月の下で舞うしなやかなる野獣……ミミロップ!」
ジェムはマリルリを、ネフィリムはミミロップを出す。奇しくもお互い兎のような姿をしたポケモンだ。
「ふむ……またフェアリータイプ、かつ特性『力持ち』のポケモンですか。小さくても侮れない。まさにあなた自身の様ですね」
「小さいって言わないで!ルリ、アクアテール!」
気にしていることを突かれちょっと顔を赤くしつつジェムは指示を出す。飛び跳ねたマリルリの水玉の尾が水で一気に膨らみ、それを叩きつけようとする。
「遅いですね、ねこだまし!」
だが尾を振りかぶる前にミミロップも跳躍し、マリルリの前で掌を合わせ大きな音をたてる。その音に驚いてマリルリの尾にためた水ははじけ飛んでしまい、フィールドを濡らす。
「だったらアクアジェット!」
「受け止めなさい、ミミロップ!」
今度は尾から水流を放ち、一気にミミロップに肉薄する。それをミミロップは自身の膝でいともたやすく受け止めた。
「ルリの攻撃を簡単に……」
「さあいきますよ、おんがえし!」
接近した状態から、ミミロップはその両耳でマリルリを殴り飛ばす。『おんがえし』はポケモンのトレーナーに対する忠誠度が高いほど威力を発揮できる技で、今のは間違いなく最高ランクの威力だった。
「もう一度アクアジェット、今度は後ろから回り込んで!」
「そう上手くいきますかね?」
マリルリが再び尾から水を放ち、旋回してミミロップの背後を取ろうとする、が――マリルリは身体を曲がり切れず、あらぬ方向に突っ込んでしまった。普段ならこんなことはありえない。
「ルリ、どうしたの!?」
「どうしたの!?と聞かれれば答えてあげるが世の情け。私のミミロップは先ほどねこだましと同時に『仲間づくり』を使っていました」
「……仲間づくり?」
「この技の効果は特性を入れ替えるのではなく、相手の特性を自分と同じにする……この効果により、マリルリの特性は『力持ち』から『不器用』に変わりました。ここまで言えばわかりますね?」
「そういうこと……」
マリルリは特性『力持ち』を奪われたから攻撃を簡単に受け止められた。そして、『不器用』になったことで自分の技をうまくコントロールできなかったというわけだ。
「そして見せてあげましょう、本当の私のエースの姿を……ミミロップ、メガシンカです!」
ネフィリムの首にかかるエメラルドが輝き、ミミロップの体が緑色の光に包まれる。より筋肉を発達させた美しい肢体を持つ姿のメガミミロップの登場だ。
「これで止めです、とびひざ蹴り!」
「避けて、ルリ!」
ミミロップが助走をつけ膝を突き立てて突っ込んでくるのを、マリルリは避けられなかった。そのまま壁に叩きつけられ、戦闘不能になる。
「……お疲れ様、ルリ」
「さて、これでお互い残り一体ですね」
「頼んだわ、ラティ!」
「ひゅううん!」
ジェムの相棒、ラティアスが姿を現す。見たことのないポケモンにネフィリムは目を瞬かせた。
「珍しいポケモンを連れていますね……そんな子を従えるとは、さすがダイ君です」
「……ママ、こっちみないで自分のバトルに集中して」
自分の息子に向けた視線から逃げるように頭を振るダイバ。それもそうですね、とネフィリムは視線を戻し、再びカウントが始まる。
「ラティ、サイコキネシス!」
「させません、影分身!」
ラティアスの目が光り、メガミミロップの体を念力が捉える前に影分身で姿を眩ます。複数体に増えるメガミミロップを見て、ジェムはラティアスに目くばせした。
「……アレでいくよ、ラティ」
「ひゅううん!」
ラティアスが自分だけに扱える技、ミストボールを放つ。それはメガミミロップの体を狙わず、すぐに霧散してフィールドを覆う霧になった。
「姿を隠して攻撃を避けるつもりでしょうが……その程度でミミロップの目からは逃れられませんよ!おんがえしです!」
ミミロップの目は霧の中を飛ぶラティアスの体をしっかりと捉えていた。ミミロップが跳躍し、しなやかな動きでラティアスの体を狙おうとする――しかし、どんな動きも、いくら分身を作り出しても、実体がある以上フィールドを包む霧を乱さずに通り抜けることは出来ない。
「それはどうかしら!ラティ!」
「!」
ラティアスの目が光る。すると空気中の霧が一気にミミロップの周りに凝縮し、その体躯全体を包む水球となった。動きと呼吸を奪われ、もがくミミロップ。空中で動きを止められ、しかも水の中では動きようがない。
「……やられましたね」
「これが私達の……新しい技よ!ミスティック・リウム!」
念力が水を圧縮し、ミミロップの体を握りつぶす。水でくぐもったミミロップの悲鳴が響き、勝負がついた――
「……さすがダイ君が目を付けただけのことはありますね。あなたの勝ちです」
ミミロップをボールに戻し、ネフィリムがジェムに微笑んだ。勝利したジェムはしばらく無言だったが、ラティアスが近づいてくるとぎゅっとその体を抱きしめた。
「ありがとう、ラティ、皆……私達、勝ったよ!!」
「ひゅうん!」
ラティアスも嬉しそうにジェムに頬ずりをする。ここに来て初めて、ジェムは勝利の充実感を噛みしめることが出来た。ただの子供の様にはしゃぐ様を、ネフィリムは微笑ましそうに見ている。
「うちのダイ君もそれくらい素直に笑ってくれればいいんですけど……はい、これが私に勝った証、タクティクスシンボルです」
「ありがとうございます!」
『W』の形を模した薄紫色のシンボルを手渡される。それを笑顔で受け取って握りしめた後バトル前のダイバへの態度のことを思い出す。
「そうだ、あの――」
「……ダイ君と仲良くしてあげてくださいね。私達ではあの子を笑顔に出来なかったから……あなたに、託します」
言いかけたところで、ネフィリムはジェムにそっと耳打ちした。その言い方は勝負する前のそれとは違って、純粋にダイバのことを想い、ジェムに対等な立場としていてほしいと思っているようにジェムには聞こえた。
「何話してるの……?」
「なんでもありませんよダイ君。あなたが挑戦してくれるのを待ってますからね」
「……」
頷くジェムの様子に違和感を覚えたのかダイバが口を挟む。するとネフィリムははぐらかした。……何か直接言えない理由があるのかも、とジェムは思う。
「さて、傷ついたポケモン達を回復させましょうか……クレセリア!」
「えっ?」
ネフィリムが天井の三日月を見上げると、そこには見たこともないポケモンがいた。月光を思わせる光が優しくジェムとネフィリムのポケモンを包み回復させていく。
「綺麗……」
「普通の挑戦者には見せるつもりはないんですけど……あなたたちは特別ですから」
3人はしばらくクレセリアの『月の光』を眺める。ダイバは相変わらず表情を見せない。ジェムは少しでもネフィリムの気持ちが彼に伝わっていればいい、と思った。
始めてフロンティアブレーンに勝利したジェム。ポケモンは回復してもらったが大分連戦して疲れも溜まっているということで今日は部屋に戻って休むことにした。いつほかのトレーナーが襲ってくるかわからない以上寝食をダイバと共にすることになるわけだ。フロンティアにはたくさんのトレーナーが集まる以上、宿泊施設が用意されているので、そこに泊まろうとジェムは提案する。
「いや……その必要はないよ。僕はパパとママから部屋をもらってるから。ついてきて」
ダイバはそう言うと、ジェムを案内し一つのホテルへと向かう。いくつか用意された宿泊施設の中でもひときわ高級そうなところで、日の暮れたフロンティアに上品な明かりをともしていた。
その中に入り、ダイバはフロントの人といくつか会話を交わす。その間ジェムはテレビの中でしか見たことのない特別な雰囲気をきょろきょろと見渡している。建物そのものもそうだが、中にいる人もエリートトレーナーやジェントルマンなど、なんとなく気品のある挙措の人間が多い……気がした。
「ほら、カードキー貰ったから行くよ。……あと、あんまりきょろきょろしてると変に思われるからやめて」
「え!?う、うん。わかったわ」
特に笑われたりはしていないが、そういう物なのかなとジェムは思う。ともかくエレベーターに乗り、自分たちの拠点となる部屋のドアを開ける。
「わあ……広い」
「……こんなもんじゃないの?」
花の模様で彩られた大きなソファに、3人くらいで寝ても大丈夫そうなベッドが二つ。テーブルにはおいしそうなお菓子が置かれ、ガラス張りの向こうにはお風呂まで用意されていた。俗に言うスイートルームというやつである。
「まるで一つの家みたいね、すごい」
「……君って本当にチャンピオンの娘?一緒にこういう所に来たりしないの?」
呆れるような、冷めた反応のダイバ。ジェムの親であるチャンピオンはその地位故結構なお金を持っていると思うのだが、ジェムの反応はかなり庶民的だ。
「うーん、お父様もお母様もあんまりこういう、高級そうなところ?って好きじゃないみたいなの。お仕事でパーティーなんかに出ると落ち着かないって苦笑いしてるわ」
「……ふーん。うちのパパとママとは大違いだ」
「でしょうね……ふあ」
ダイバの両親が派手好みっぽいのは今日会ったネフィリムのことや、この島そのものを作ったエメラルドのことを考えれば容易に想像がつく。頷きながらソファに座ると、その柔らかさと一日中バトルしていた疲れで一気に眠気が襲ってきた。
「寝ちゃわないうちに先にお風呂に入ってもいい?疲れた……」
「……今日一日で随分とメガシンカを使ったからね。そうしたら」
メガシンカはポケモンとトレーナーの絆の力――つまりはトレーナーの精神力を消費して発動する。それを一戦あたり2分もかからないあの施設で行い続けたのだ。並のトレーナーなら疲労で倒れてもおかしくないところだ。
目をこすりながらジェムは脱衣所へ。そしておもむろに服を脱ぎ風呂へと入っていった。
体を洗い、シャワーで流した後浴槽に浸かる。手でお湯を掬いながら考えるのはまず今日のバトルのこと。
「ここに来てからいきなり色々あったけど……最後に少しだけ、お父様に近づけたかな」
いろんな人とバトルして負けてしまいには操られて心が折れかけて、それでもあのドラゴン使いの少女のおかげでようやく掴んだ一つ目のシンボル。それを思い返す。
「今日あったこと、全部話したらお母様心配するよね」
特に謎の男に操られかけたことを言ったら大層不安に思われるだろう。このことは伏せておこうと心に決める。両親のことに思いを馳せたあと、ダイバの母親であるネフィリムに言われたことを思い出した。ダイバと、仲良くしてあげてほしいと。
(凄く無茶苦茶する子だし、凄く暗そうだからあまりしゃべる気にならなかったけど……少し、話でもしてみようかな)
今日自分の心を一度折った原因の半分くらいは彼のせいである。そんな子に自分から関わるなどやめておいた方がいいのではないか。
「でも私は……お父様の娘だもの」
自分の父親は他人に対して頑なでひねくれていた少女の心を少しずつ開き、自分の命を絶とうとしていた一人の少年をバトルで笑顔にすることで留めたという。ならきっと、ダイバの心をネフィリムの代わりに開くことが自分のなすべきことなのではないか。ジェムはそう思った。
「ふう、気持ちよかった〜」
お風呂から上がったジェムはパジャマに着替えて脱衣所から出る。ダイバの様子を見ると、彼はベッドの上で何やら携帯ゲームを遊んでいるようだった。ジェムが隣に座ってのぞき込むと、それはポケモンバトルのシュミレーションゲームらしい。
「へえ……ゲームするのね。面白い?」
「……別に。ただ、これもバトルの練習にはなるからね」
そう言いながら彼は画面の中の自分のポケモン――ガブリアスとガルーラ、そしてゲンガーで相手を次々と倒していく。ジェムはあまり電源ゲームをしたことがないが彼の正確無比な動きは施設で見せたバトルと同じで相手に一切の容赦なく、効率的に倒している印象を受けた。
本人の言う通り、楽しんでプレイしているようには見えない。
「ガブリアスとガルーラは見たけど、ゲンガーって持ってたっけ?」
「……まあね。今日は使ってないけど」
「そうなんだ。今度見てみたいわ」
なんて他愛のない話を少しした後、ジェムは意を決して聞く。
「ねえ。せっかく同じ部屋で過ごすんだし、少しお話ししない?」
「……話?」
怪訝そうな顔をするダイバ。フードから覗く目は冷たく、一瞬彼とバトルした時のことを思い出しすくみそうになるがこらえる。
「そう。私、あなたがどうしてそんなに強くなったのか……あなたの話、聞いてみたいな」
「……聞いても、つまらないよ」
「そんなことないわ。あなたのお父様もお母様も、その、変わった人なんだし、興味があるの」
「いやだ、教えない」
ジェムが聞いてみたが、ダイバは珍しくぴしゃりと断った。その言葉には、はっきりとした拒絶が見て取れた。
「思い出したくないの?」
「っ……そんなこと」
「やっぱり、そうなんだ」
彼は図星を差されたように顔を背ける。その仕草は年相応の子供の様で、ほんの少し微笑ましく……そして、痛ましかった。ジェムにとっては父と母との思い出は全て宝物のような記憶だ。思い出したくない記憶というものがどんなものか、想像も出来ない。
「ねえ……あなたはお父様やお母様に、抱きしめられたことある?」
「は?……ないよ、そんなの」
「私のお母様とお父様はね。昔から、私が良いことをした時、悪いことをして叱った後……よくぎゅって、抱きしめてくれたの」
「……だからなに?」
「そうされると、なんだか大切にしてもらえてる気がして、とっても嬉しくなるのよ。……こんなふうに」
ジェムは隣にいるダイバの自分より小さな体をぎゅっと抱きしめる。お風呂あがりの体のぬくもりが、服越しにダイバに伝わった。
「あったかくて、気持ちいいでしょう?この温かさを、少なくともあなたのお母様はちゃんと伝えたかった。そう思うの」
「……何を勝手なこと言ってるのさ。僕のママはパパの従順な道具だ。パパが僕にかける期待を叶えるために僕に構ってるだけ……それだけだよ。君がどんな風に育ったか知らないけれど、君の勝手なイメージを押し付けないでくれない?」
「ううん。間違いないわ。だって、あなたのお母様は、私、に…………」
「……?」
ジェムの言葉は途切れる。ダイバが首を傾げてジェムの顔を覗き込むと、彼女はすやすやと寝息を立てていた。お風呂に入る前から相当眠たそうにしていたとはいえ、こんなタイミングで眠らないでほしいとダイバは思う。蹴り飛ばしてやろうかと思った。
「まあ起きて話を続きをされてもうっとおしいし……いいか。ほんと、弱いくせに無防備だよね」
ダイバはため息をつく。今抱きしめたまま眠ってしまうこともそうだし、脱衣所の部分はガラス張りになっているので彼女が服を脱いでいるところは普通に見えていたわけだが、彼女は眠気のせいだろうか気にするそぶりを見せなかった。
「あんな油断した姿を見せて、僕のこと……何とも思ってないのかな?」
あれだけ容赦なく彼女のポケモンを痛めつけて自分には敵わないと思わせたはずだったのに。あのドラゴン使いの女のせいで調子が狂ってしまった。
「別にあの子のことなんてどうでもいい。だけど僕はパパの息子だ。だから……」
母親を、自分を。そして無数の人々を従え頂点に君臨する父親。ジェムを支配しようとしたのは、彼のようになりたいという心の表れだった。それは自覚できる。
「……またそのうち、教えこんであげないとね」
だけど、ダイバ自身が自分の意思でジェム自身への興味を持っていることは、まだわかっていない。ひっついたジェムを適当に寝かせたあと、彼も風呂場へと向かうのだった。一方その頃、件のドラゴン使いは――
ジェムと戦ったドラゴン使い――ドラコ・ソフィアは特訓のため外に出たところを二体のゲッコウガに襲撃された。数多くのトレーナーが集うこの場所、それにゲッコウガ二体の統制のとれた動きからどこかにトレーナーが隠れていて指示を出しているのかは明白だったが、姿が見えない。こうしてドラコが吠える間にも、ゲッコウガ達は拳に冷気を纏って殴りかかりに来る。冷凍パンチだ。
「カイリュー、雷パンチ!メガリザードン、ドラゴンクロ―!」
それを自分のドラゴンで迎撃するドラコ。雷を纏った掌底と二つの牙にゲッコウガの体が引き裂かれる。すると、ゲッコウガの体が影となって掻き消えた。影分身だ。もう一時間以上、影分身が突っ込んできては迎撃してを繰り返している。
「こそこそと……勝負するなら正々堂々と出てこい!!」
言葉に答えるように再び二体のゲッコウガが出てくる。だがこれもまた分身だろう。辟易しながらも、そうである確証がない以上手は緩められない。
(だがおかしい。既にチルタリスとフライゴンに探させている。なのになぜ一向に見つからない!?)
姿の見えない、手ごたえのない敵と戦い続けるのは普通の戦闘以上に消耗する。疲弊しているのを自覚し、焦りが募る。そしてまたゲッコウガの冷凍パンチが襲ってくる。
「何度も何度も……馬鹿の一つ覚えか!!破壊光線!」
カイリューの破壊光線で二体とも薙ぎ払う。そう、この一時間相手は影分身に冷凍パンチを撃たせて来るだけ。それも途中からは全く同じタイミング、同じ動きで攻撃を仕掛けてきていた。
(ええい、一体……何が起こっている!私は、何と戦っているんだ?)
ドラコの意識は、摩耗していく。それでも敵の攻撃は止まらず、何度も、何度も――
「やれやれ、やっと大人しくなりましたか。ご苦労、ゲッコウガ」
数時間後、ドラコは路地で放心したように立ち尽くしていた。ドラゴンたちも、もう存在しない敵に対して自身の拳と爪を振るい続けている。
それに嗤いながら近づく一人の男がいた。ドラコとジェムの戦いを見て正面からの戦いを挑むのは不利だと判断した男は、まず影分身で何度か攻撃をしかけた後……ドラコに相手に瞳に同じ映像をループさせ続ける催眠術をかけた。ドラコの精神が擦り切れるまで。
「さて、ではこの子には……あの子の前に私の傀儡になってもらうか。もう一仕事頼むぞ、カラマネロ」
「う、ぐ……」
カラマネロが改めてドラコに改めて催眠術をかける。今度は映像ではなく、自分たちに服従を強制する……洗脳の術を。ドラコがうめき声をあげるが、もはや抵抗のすべはない。
だが、そんな男に声をかける一人の少女がいた。
「……相変わらず、趣味が悪いのですね。アマノ」
男――アマノやドラコよりは背の低い、薄いピンク色の髪をツインテールにした少女が、アマノに苦笑する。茶色のぼろぼろマントを被った彼女にアマノも振り返り、にやりと笑みを浮かべた。
「やっと来たか。ずいぶん時間がかかったな」
「まあその代り上手くやってきましたよ。……チャンピオンはしばらくここには来れません」
「ご苦労。……もう一つ頼まれてくれるか?」
「なんです?」
アマノは少女に一枚の写真を渡す。そこにはドラコとバトルするジェムの姿が写っていた。
「この子はチャンピオンの娘だ。……今日は俺がこいつを手に入れるはずだったんだが、失敗してしまってな。俺が再び近づけば、警戒されるだろう」
「今みたいに影分身と催眠術でやっちゃえばいいんじゃないです?」
「無理だ。こいつは今あの野郎の息子と共に行動している。この術は一人にしかかけられない」
「まさに目の上のたん瘤ですね。……いいですよ、私がやります。なかなか私好みの子ですし」
少女は写真を見て笑った。写真の中のジェムを見るその瞳は、彼女を人間として見ていないのがアマノにはわかった。まるで、美しい美術品を見るような眼だ。
「……趣味の悪さは俺に似たんじゃないか?」
「中年のロリコン趣味と一緒にされたくはないのです。それではわたしはこれで」
ドラコのことなど眼もくれず、夜のバトルフロンティアを歩いていく。残されたアマノはため息をついた。
「まったく、誰がロリコンだ。……まあいい、私も今夜は『楽しむ』とするか」
催眠術をかけ終わり、崩れ落ちたドラコを見て満足げな笑みを浮かべる。そうして、それぞれの夜は更けていく――。