集いしチャレンジャー
「まったくこいつら……しつこいわね。ラティ、サイコキネシス!」
「ははっ、こっちもサイコキネシスだ!」
「カポエラー、トリプルキック!」
「ラティ、避けて!」
バトルフロンティアに到着したジェム。まずそこにある施設の特殊な外観に驚き、あたりを探索するのもつかの間。ひょんなことから自分と同じくプレオープンにやってきた挑戦者たちとバトルする羽目になってしまった。そのわけは、30分ほど前に遡る――
「それじゃあ見送りもしたし僕はいくね。開始は明日だから、今日は見物でもしつつゆっくりするといいよ」
「はーい、ジャックさん」
一緒にここまで来たジャックはラティオスに乗るとさっさとどこかに飛んで行ってしまった。ジェムも大人しくこれから巡る施設を見て回ろうとする。
「すごい……空を飛んでいるときも思ったけど、大きいわね。地上から見るとてっぺんが見えないわ」
島の中央には、巨大な塔とでも言うべき建物がありその一番上は目視できなかった。その他にもまるで野球場のような円形のドームに、ポケモンコンテストの会場のような煌びやかな建物、巨大なサイコロのような、白い正六面体の建物。そして中の様子を映し出すために設置された無数のモニター。面白そうなものばかりでこれから始まるバトルに期待を膨らませるジェム。だったのだが。
「おいガキ!もういっぺん言ってみやがれ!」
「そこまで言うなら俺らとバトルしろや!」
「……」
怒鳴り声が聞こえてそちらを見てみれば二人の男が、ジェムよりもさらに年下であろう少年に突っかかっている。帽子とフードを深くかぶった少年は怯えていて、おどおどしているように見えた。そう判断したジェムは、一も二もなく彼らの間に割って入る。
「ちょっとあんたたち!こんな小さい子に二人がかりで大人げないわよ!」
父親譲りの正義感でそう叫ぶと、二人の男の矛先はジェムへと移り、ドスの効いた声を荒げる。
「ああん!なんだこのメスガキ!」
「邪魔するとてめえもいてまうぞコラァ!」
「誰がメスガキよ!私にはジェム・クオールっていうお父様とお母様に貰った立派な名前があるわ!」
それに一歩も引かずに対峙するジェム。フルネーム――つまりチャンピオンである父の名字を出せば相手は引くのではという打算もあった。ここに来ている以上は、それなりにトレーナーとしての事情にも興味を持っているだろうから。だがそれは逆効果だった。
「クオールだと……チャンピオンのガキか?」
「だったら丁度いい!このフロンティアで活躍すればポケモントレーナーとして名を上げられると思って来たが……チャンピオンの娘を完膚なきまでに叩き潰せばさらに名が上がるぜ!」
「おお!そうだな兄弟!となりゃいくぜフーディン!」
「出てこいや、エビワラー!」
「やる気ね……いいわ、フロンティアに挑む前の肩慣らしよ。出ておいで、ラティ!そっちの子はさっさと逃げなさい!」
「……」
少年は相変わらずきょろきょろおどおどしている。こうなっては仕方ない。一人で二人を相手にするしかないだろう。こうしてジェムのバトルフロンティアは施設に挑む前から波乱の幕開けとなったのだ。
「さあ、さっきまでの勢いはどうした!?スリーパー、思念の頭突きだ!」
「見たことねえポケモンを連れてるようだが、大したことねえな!サワムラ―、メガトンキック!」
「もう三体も倒されてるくせによく言うわよ!ラティ、自己再生!」
頭突きと蹴りを受け止めながら、ラティアスは超能力で自分の傷を癒す。既にフーディンとカポエラー、それにエビワラーをラティアス一体で倒しているのだが、男2人は怯むことなく攻撃してくる。自己再生で回復できるとはいえ、ラティアスも消耗していた。相手の手持ちが六対ずつだとしたら、さすがに倒しきる前にラティアスの方が限界が来るだろう。
「こうなったらしょうがない……『アレ』を使うよラティ!」
「きゅううん!!」
「その神々しきは聖なる光!今、藍と紅混じりあいて、幻惑の霧となって!」
ラティアスの体が光輝き、目の前に赤と青のグラデーションによる光の珠が発生する。それを打ち出し、サワムラ―に命中させると光の珠は炸裂して、周り全てを覆う虹の濃霧となった。男2人がジェムと少年の姿を見失う。
「ほら、逃げるよ!」
「えっ」
ジェムは少年の手を取り、一目散に走りだす。あんな連中相手に逃げるのは癪だが、ラティアスを傷つけられるのはもっと嫌だった。
後ろ二人で自分たちを追いかけようとして衝突でもしたのか男2人の悲鳴が聞こえたが、そんなことはジェムにとってはどうでもいいことだった――
「はあはあ……どうやら、撒いたみたいね」
「……」
手を取って走ったせいか、割とすぐに息が上がったジェムだったが、幸いにして二人は追いかけてこなかった。ジェムの速さに付き合わされた少年も肩で息をしている。
「それであなたは、どうしてあの男達と揉めてたの?」
「……それは」
少年はもごもごと口ごもる。言いにくいことなのかな、と思ったジェムは少年に目線を合わせて話題を変えた。
「それじゃあいいわ。どうしてあそこに一人でいたの?お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」
「パパとママは……ここにいるけど、来ない」
「?」
よくわからない返事だった。判断に迷っていると、少年はため息をついた。
「……っていうかなんなの、君。あんなの相手にしなければどうせ何もされずにすんだのに下手に刺激しちゃって……馬鹿みたい」
「……え?」
今この少年は何と言っただろうか。ジェムの聞き間違いでなければ、おどおどしながらジェムを馬鹿にしたように聞こえたのだが。
「挙句の果てにぼくまで走らせるし……余計なお世話だよ。こんなことなら、最初から黙らせておけばよかった」
「なっ……!あんた、言っていいことと悪いことってもんが」
ジェムの怒りを含んだ声にも気にせず、少年はとどめの言葉を放つ。
「しかも何あの台詞。……恥ずかしい」
ジェムの堪忍袋の緒が切れる。多分あの男二人にも同じような調子で馬鹿にしたのだろう、こんなことなら助けるんじゃなかったと思いつつ、そして。パチン!!と少年の頬を平手で打つ。
「助けた礼を言えとは言わないわ!でも、あれはお父様が私にくれた言葉なの、馬鹿にしないで!!」
「……!!」
平手打ちをされた少年は、びっくりしたように目を見開いた。そしてその瞳にじわりと涙が浮かぶ。
「ぶった……ママにも叩かれたことないのに」
少年はフードの裏側からモンスターボールを取り出す。そしてそれを開くと、中から現れたのはメタグロス。4本の鉄足が大地を踏みしめ、強面がジェムを睨む。
「何がお父様だ。パパなんて、自分の考えを子供に押し付けるだけじゃないか。馬鹿みたい。……お返ししろ、メタグロス」
「……ラティ、来るよ!」
目深にかぶったフードから覗く少年の瞳は、本気だった。咄嗟に対応するジェム。
「メタグロス、高速移動」
「ラティ、影分身!」
メタグロスが電磁力を利用して体を浮かせ、目にも留まらぬ速さで動く。ラティアスが分身して惑わそうとしたが、少年の瞳はラティアスを最初から見ていない。ジェムの体を見つめていた。
「……『お返しする』っていったよね」
「!!」
ぞっとした。その瞳に、言葉に自分の対応は間違っていたことを確信した。少年は自分にポケモンバトルを仕掛けてきたのではない。彼は――
「やれ、メタグロス。バレットパンチ」
鋼の拳が――鍛えているとはいえポケモンに比べればあまりに小さなジェムの矮躯を、高速で殴った。
「あがっ……」
どさり、とジェムの体が少年の目の前で崩れ落ちる。階段から転げ落ちた時のような、身じろぐどころか悲鳴すら上げられないほどの痛み。それを与えたことに少年は初めて笑顔を浮かべ、そしてジェムの髪を掴んで意外なほどの腕力で持ち上げた。
「はい、お返しだよ。文句は言いっこなしだからね」
バチン、と。少年は虫の体を引きちぎるような笑顔を浮かべて平手でジェムの頬を叩く。顔にジンジンとした痛みが響くが、文句を言う余裕などあるわけがない。鋼の体を持つポケモンに殴られたのだから。
「きゅ……きゅううん!!」
「うるさいよ。やれ、メタグロス」
ラティアスが主を傷つけられたことに怒りの声をあげる。サイコキネシスを放とうとしたが、その前にメタグロスがラティアスの背後をとってコメットパンチで殴り倒した。
「きゅうう……」
「ら、てぃ…」
ポケモンバトルではないとはいえ、自分たちを圧倒する少年に、ラティは歯噛みし、涙を零す。自分たちは良かれと思って助けてあげたのに、何故こんな目に合わなくてはいけないのか。――そして、状況は更に動いた。
突如として設置されていた無数のモニターにスイッチが入る。そこに映し出されたのは、全て同じ映像だった。紅い長髪に緑の瞳の男が、堂々とした態度で立っている。
「いようおはよう、この島に集まった挑戦者ども。まずは俺様の招待を受け入れ来てくれたことに礼を言ってやるぜ」
「……!」
その放送が始まった瞬間。少年の瞳が鋭くなる。
「プレオープンだが、思ったより早く準備が終わってな。――今この瞬間よりこの島はバトルフロンティアと化す!!」
どわっ、と町中のどよめく声が聞こえた。それはそうだ。この島に集まったのはすべてバトルフロンティアに挑戦にしに来たものばかりだからだ。
「それと、ここで一つイベントの開催をお知らせするぜ。一遍しか見せねえし言わねえからよーく見ろよ?」
画面が切り替わる。新しく映ったのは他ならぬジェムと少年の顔写真だった。何故自分たちの写真が、と驚くジェムと少年。
「内容は簡単だ。こいつらを倒して、何処かの施設に連れてくりゃあいい。それが出来た暁には――一人、10万円くれてやるよ。そして二人とも倒せば50万だ.。いわばハンティングゲームだな」
とんでもない内容だった。これではジェムたちの気の休まるときなどない。
「おっと、こいつらが誰かって?教えてやるよ、女の方はあのチャンピオンの娘、ジェム・クオール。そして男の方は――俺様の息子、ダイバ・シュルテンだ。つまりこの地方の王者二人の子供ってわけだ。倒しがいがあるだろ?よーく覚えときな」
「……」
「……!!」
再び画面が紅い長髪の男に切り替わる。それを苦々しげに見る少年、ダイバ。気を失ってしまいそうなのを必死に堪える少女、ジェム。
「これで告知は終わりだ。健闘を祈る。――尤も、祈ってるだけだけどな」
言うだけ言って、モニターは静かになった。
「……パパのバカ。鬼。悪魔。……いくよ、メタグロス。出てきて、サーナイト」
ダイバは吐き捨てるように言うと、もうジェムに対する興味を失くしたようで、どこかへ歩き出す。新たにサーナイトを出したのは、自分の身を守るためだろう。
残されたジェムも、気を失うわけにはいかなかった。ここで倒れたら、お金目的の連中に気を失った状態で施設を連れ回されかねない。
「そんなの……いや。ルリ、出てきて」
必死に腰のボールに手をやって、マリルリを出す。特性『力持ち』を有している彼女は、ジェムとラティアスを担いだ。
「一旦、何処かに隠れましょう……お願いね」
そう言うと、ジェムは気を失った。そうして、ジェムのバトルフロンティアはただの挑戦者ではなく。狙われる獲物としての幕をあけたのだった――。
「いったたた……」
ジェムが痛みをこらえながら体を起こすと、そこは施設と施設の間の狭い空間だった。どうやらルリは上手く自分を隠してくれたらしい。開始早々、どこの誰とも知らない相手に連れ
回されずに済んでほっとする。
「でも……どうしよう、ラティも怪我しちゃったし、これじゃフロンティアどころじゃないかも……」
弱音が零れる。いやそれは弱音と呼んでいいのかどうか。島中に人間に狙われるというのは13歳の少女には――大抵の人間はそうだろうが――未知の状況である。
これからどうすればいいのか悩んだそんな時。ポケベルから着信が届く。相手は、母親のルビーだった。
「ジェム、今話しても大丈夫かい?」
「お母様……うん、大丈夫」
ルビーの声は、娘を心配する母のそれだった。
「今、こっちにバトルフロンティアの様子がジャックさんから伝わってきたよ。町中のトレーナーに狙われてるって……声も辛そうだし、もう怪我でもさせられたの?」
「ううん、違うの。実は……」
ジェムはルビーに事のいきさつを話す。絡まれている少年を助けたら逆にけなされて喧嘩になって、ポケモンに殴られたこと。その少年はこのフロンティアの主催者の息子であることを。するとルビーは、大きくため息をついた。
「……親が親なら子も子か。ジェム――一旦うちに、帰ってきてくれないかな?」
「えっ?」
「ジェムにとっていい経験になればと思って行くことには反対しなかったけど……今のフロンティアはあなたにとって危険すぎる。こんな狂ったゲームに付き合う必要は皆無だよ」
ルビーは基本的に娘の自主性を重んじていたが、危険が及びそうなことにはかなり心配性な部分もあった。それがわかっているからこそ、心配をかけまいとジェムは笑う。
「大丈夫よお母様。もうぴんぴんしてるし、せっかく楽しそうなところに来たのに帰るなんて出来ないわ!これくらいへっちゃらよ。お父様とお母さまの娘だもの。お父様は昔自分の憧れの人に裏切られても頑張ったし、お母様だって昔はお爺様やお婆様にいじめられても、頑張ってきたんでしょう?だから私だって――」
「ジェム」
だが、母親の耳はごまかせない。空元気で言っていることも、本当は弱音を吐きたい気持ちも、覚り妖怪のように伝わっている。
「……昔から言っているだろう?ジェムは私やお父さんの娘であるよりも前に、ジェムという一人の女の子なんだよ。無理はしちゃいけないし……しないでほしい。あなたに何かあったら、悲しいじゃすまないんだ」
母親の言葉は真剣で、電話越しにも赤い瞳がまっすぐ自分を見つめているような気がした。
「それにね、ジェム。トレーナーという物は基本的に無教養で無鉄砲なんだ。……施設での公平なバトルならいいけど、人目につかない場所で負けたりしたら何をされるかわからない。言いたいこと、わかるよね」
「……!」
察して、ジェムは戦慄する。今まさに自分がいるのがそういう場所だ。見つからなかったからよかったものの、場合によってはどうなっていたか。
「だからジェム。家に帰っておいで。お父さんもお爺様もお婆様も、誰もジェムを責めたりなんてしない。……やっぱり、まだ遠くに行くには早かったんだよ」
その言葉に、ジェムは甘えたくなる。そうだ、この状況から逃げ出したところで家族は誰も怒ったりしないだろう。母親は抱きしめて、怪我の手当てもしてくれるだろう。しかし、ジェムはここで退きたくはなかった。
「お母様、心配かけてごめんね。でも……私はやっぱり、挑戦してみたいの。今の自分の実力を試してみたい。危ないと思ったら素直に帰るから……それじゃ、ダメ?」
ここでどうしても駄目だ、と言われたらジェムは言うことを聞くつもりだ。ジェムは聞かん坊ではないし、母親の言うことがわからない子でもない。娘の言葉に対しルビーは……深くため息をついた。
「まったく、しょうのない子だ。……約束だよ」
「……!うんっ、ありがとうお母様!」
「3回だ。3回野良試合で負けたらすぐに帰ってくること。人目のつかないところにはいかないこと。毎日夜には一度電話をして無事を知らせること。いいね」
「わかったわ!」
ルビーの声はなおも心配そうだったが、それでも娘の意思を尊重してくれた。そのことに感謝する。
「ジェムの強さは私も知っているしね。娘の我儘を聞いてあげるさ。……女の子なんだからもっと私に似てくれたらよかったんだけどねぇ」
「ふふっ、お母様に似たら偏屈さんになっちゃうわ」
「こら。怒るよ」
「冗談よ、冗談。お母様、愛してるわ!」
「私もだよ。……それじゃあ、頑張ってね」
通話を切る。体の痛みは残っていないわけではないが、心は随分とすっきりした。
「まずはラティを回復させてあげて……それから挑戦しに行きましょう!行くよミラ、クー!」
ラティアス、マリルリを引っ込めてヤミラミ、クチートを出す。狭い空間から飛び出せば、すぐさま飢えたトレーナー達が自分に挑んできた。単純に金目当てのもの、チャンピオンの娘と聞いてその実力を確かめようとするもの、様々な相手に対してジェムは応戦しつつ、一番近い施設に向かう。
「お父様とお母様から受け継いだ力、見せてあげるわ!さあ……行くわよ!」
ジェムが入ったのは、まるで巨大なサイコロのような正六面体の建物だった。ジェムの挑戦が、今始まる。
一方。通話を切ったルビーは、今は遠く離れた娘の言葉を感慨深く呟いた。
「愛してる、か……私は自分の子供を確かに愛せたの、かな」
正直のところ、ずっと不安だったのだ。ルビーは昔は愛という物を知らなかったし、子供が実は嫌いなところがあった。だから自分が子供を持ってその子を愛せるのか。自分の父や母がそうだったように虐待同然のことをしてしまわないかと。
「生まれてきてくれてありがとう、ジェム。あなたは私の……宝物だよ」
でもルビーは夫のサファイアに愛を教えてもらって、子供にもそれを伝えることが出来た。それを教えてくれた娘に感謝しながら、家庭を支える母として家事に戻るのだった――。
自分にバトルを挑む相手を振り切り、施設内に駆け込むジェム。さっそく挑戦したい旨を話すと、受付のお姉さんがポケモンを回復させたうえで二つのサイコロを渡してくれた。何の変哲もない6面ダイスに見える。
「これは……?」
「ここの施設名はバトルダイス!挑戦者の運と駆け引きを試す場所でございます。ルールをご説明しますね!」
お姉さんの説明によるとルールはシングルバトル。挑戦者はバトルの前に六面ダイスを二つ振る。その際に出た目のどちらかが使用できるポケモンの数になり(3が出たら3対3のシングルバトル、6が出たら6対6のシングルバトル)、もう片方の出目が回復できるポケモンの数になる(1が出れば手持ちのうち一匹しか回復させることは出来ない。6が出れば全員回復させられる)。なお回復はバトルの『後』に行われる。
重要なのは、どちらがバトルするポケモンの数で、どちらが回復する数なのかは挑戦者が選択することが出来る点。。つまり、3と4が出れば3対3のバトルで4匹回復させるか4対4のバトルで3匹回復させるかを選ぶことが出来る。
ポケモンバトルの性質上、数が少ないほど相性の差が露骨に出て運の勝負になりやすいが数が多ければ多いほど傷つくポケモンの数も増え一長一短である。具体的には1と6が出た場合、挑戦者は6体全て回復できる代わりに一対一のリスクを抱えるか、6対6とはいえ後で一匹しか回復させられないかのリスクを背負うことになる。そのあたりの駆け引きが鍵となるらしい。
「うん、分かった。やってみるわね!」
「はい、頑張ってください!」
あどけないジェムの返事に、受付のお姉さんがにこりと微笑み、道を開ける。そこを進むと、白塗りの正方形で構成された部屋についた。まるでサイコロの中にいるみたい。とジェムは思った。バトルフィールドの片方につくとジェムの傍にお椀をひっくり返したような物体が現れる。
「そこにダイスを入れ、ひっくり返してください。バトルが終わるごとに一回振ってもらいます」
変わった振り方ね、と思いながらジェムは従う。バックギャモンや丁半などでされる振り方なのだが、ジェムにはその知識はなかった。
「出目は……2と4!」
「では、2対2のバトルにするか、4対4のバトルにするかを選んでください」
ジェムは考える。単純に考えれば2対2を選択すればバトルのあと手持ち全てを回復できるはずだ。
「私は2を選ぶわ!」
「了解しました。では……バトル、スタートです!」
「えっ?相手は?」
まだここにはジェムしかいない。対戦相手の姿を探してきょろきょろと周りを見回すと、バトルフィールドの対面にいきなり人が出現した。スーツに七三分けの会社員風の男だ。
「うわっ!びっくりした!」
「ふふ、バトルフロンティアにおいては対戦相手は基本的にヴァーチャルトレーナーとヴァーチャルポケモンが務めます。ヴァーチャルと言っても、質量を持った立体映像ですので本物と変わらないバトルが出来るとお約束します」
「すごい仕組みね……まあ、普通にバトルが出来るなら文句はないわ!」
ヴァーチャルトレーナーがバッティングセンターのピッチャーのような定められたモーションでモンスターボールを投げる。そしてこう言った。
「私の 業績に 失敗はない お前を 倒して 昇進確定だ!」
「ヴァーチャルに昇進があるのかしらないけどそうはいかないわ!まず最初は……やっぱりあなたね。出ておいで、ラティ!」
「ひゅああん!」
ジェムは回復したラティアスをボールから出す。ヴァーチャルの会社員はマッスグマを繰り出した。
「マッスグマ 頭突き」
「ラティ、影分身!」
まっすぐ突っ込んでくるのを分身しつつ横に移動してラティアスが躱し、急ブレーキをかけるマッスグマの背後を取る。すかさずジェムが指示を出した。
「竜の波動よ!」
ラティアスの口から銀色の光が噴出し、振り返ろうとしたマッスグマに直撃する。マッスグマは倒れた。すると、その姿が消滅する。一瞬驚いたが、バーチャル故の処理だろう。会社員が再び一定のモーションでボールを投げる。出てくるのはマルノームだ。
「ヘドロ爆弾!」
「サイコキネシスで捻じ曲げて!」
大口を開けて放たれる毒の爆弾を、サイコキネシスで当たらない場所へと方向を捻じ曲げる。床に着弾すると溶けるような音がしたが、実際には抉れたりはしなかった。
「もう一度サイコキネシス!」
強烈な念力がマルノームの体を持ち上げて、床に叩きつける。効果抜群の一撃を受けてマルノームも一撃で倒れた。ぐっと拳を握りしめるジェム。
「馬鹿な …… 私は もう 終わりだ」
「やったわ、ラティ!」
「ひゅうん!」
頑張ったラティアスを抱きしめてやると、ラティアスも喜んで頬ずりした。
「早速だけどわかったわ。この施設のやり方が!数の少ない方を選択して戦い続ければ、バトルの後で全てのポケモンを回復させられる!」
「……。回復の処理を行います。ボールにポケモンを戻し、次のダイスを振ってください」
一瞬沈黙があったが気づかないジェム。言われた通りにボールにラティアスを戻すとボールが光った。回復が終わったらしい。ダイスを振ると、次の目は――6と3。
「3!」
「了解しました」
作戦通りに3を選択するジェム。ヴァーチャルのトレーナーが現れた。今度はパラソルを持ったお姉さんだ。
「心の 涙に 濡れないように パラソルを してるの」
「お母様と違って詩的ね……今度はこの子よ!出ておいで、キュキュ!」
「コーン!!」
キュキュというニックネームをつけられたキュウコンをボールから出す。次のバトルが始まり、ジェムは最初は問題なく勝利していった。
だが、ジェムの作戦には穴があり、この施設はそんなに簡単ではないことを彼女は痛感することになる――
「1を選ぶわ」
「了解しました」
これで13戦目。少しずつ相手のポケモンが強くなっていることを感じつつも、作戦は曲げないジェムは1と4で1を選ぶ。
「将来は トレーナーから お金を 絞り取る 仕事に 就きたいです」
「嫌な子だわ……出てきて、ルリ」
塾帰りっぽい男の子相手に眉を顰めつつ、マリルリを繰り出す。そして相手が出してきたのは――ドククラゲだ。80本もの触手が蠢く姿を見て、ジェムはしまった、と思う。
「……!ルリ、注意して!」
マリルリのタイプは水とフェアリー、そしてドククラゲのタイプは水と毒。水同士はお互いに効果が薄く、毒とフェアリーでは毒が有利。水とフェアリーの物理技を軸にしているマリルリと、触手で近づくもの絡めとるドククラゲは極めて相性が悪かった。そして1対1である以上、ポケモンの交換は出来ない。
「ドククラゲ 溶解液」
「確実に行くわよ、アクアリング!」
触手から放たれた液体を、水のリングで弾き飛ばす。さらにこのリングは少しずつだがマリルリの体力を回復することが出来るのだ。
「触手に捕まらないように注意しながらアクアテール!」
「ドククラゲ 絞り取る」
水のリングが触手を弾き、マリルリも必死のフットワークで触手を避けていく。そして水の尾が強くドククラゲの体を打とうとするが――
「ドククラゲ バリアー」
「逃げて、ルリ!」
その一撃は透明な壁に弾かれる。すぐさま逃げるように指示したが、接近した状態からは逃げられない。触手にマリルリが捕まってしまう。
「ドククラゲ しぼりとる」
「ルリ、アクアジェット!」
アクアジェットで触手から逃れようとするが、何十本もの触手からは逃げられない。体を締め上げられマリルリの体力がどんどん削られていく。
「こうなったら……馬鹿力よ!」
マリルリが限界を超えた力でもがく。使用した後攻撃力と防御が下がってしまう代償があるためあまり使いたくはなかったが仕方がない。なんとか自力で脱出した。しかし今度は、触手の包囲網がマリルリの行く手を塞いでいる。
「ドククラゲ ヘドロ爆弾」
「……ハイドロポンプ!」
怒涛の水が正面から来る毒を弾く。だがヘドロ爆弾は80本の触手から、つまりは全方位から飛んできていた。ハイドロポンプでは一方向にしか対処できずほとんどの毒をその身に被る。マリルリが悲鳴を上げて倒れた。
「ルリ!!」
「君のような カモネギが 一番 相手に しやすいんだよね」
マリルリは戦闘不能になった。つまり、ジェムの負けだ。敗北感に包まれ、ボールにマリルリを戻した後、体から力が抜けてぺたりと座り込んでしまう。
「負けた……私、お父さんの娘なのに……もう負けちゃった……」
膝にぽたぽたと涙が落ちる。ジェムはとても負けず嫌いであった。おくりび山でジャックに負けた時も、毎回悔しさに駆られていた。特にジェムは自分をチャンピオンの娘としての自立心や責任感のようなものをとても強く抱えている。バーチャル相手に負けてしまったことは、彼女の誇りをとても傷つけた。
「うぅ……ぐす……私、もっと考えれば良かった……ごめんね、ルリ」
泣きながらボールの中のマリルリに謝る。少女は悔しさに拳を震わせと自分のポケモンと父への罪悪感に涙を零しながらも『次』を考えていた。その精神がジェムを強くさせる。彼女が13歳にしてここまでの実力を付けたのは、決してチャンピオンの娘というだけではない。
受付のお姉さんに退出を促され、ジェムは敗北を噛みしめる。次はきっと勝つと心に刻みながら――
「これで止めよ!ルリ、アクアテール!」
「リル!」
マリルリの水玉の尻尾が水を纏って巨大化し、相手のワカシャモを押しつぶす。泣きながら対策を考え、時間を置いて再挑戦したジェムは順調にバトルダイスを勝ち進んでいた。バトル終了とともにダイスを振り、出たのは1と4。
「……4を選ぶわ!」
「了解しました」
先ほどの敗戦で学んだこと。それは1や2のような数字を選ぶとポケモン同士の相性が出やすく、安定した勝利は難しい。よって極力そのような数字は避け、3対3以上のバトルに持ち込むのを基本とした。アイドル風のバーチャルが現れる。
「私の ファンへの サービス たっぷりと 味わってください」
「あなたのファンになった覚えはないわ。いくよ、ラティ!」
「ひゅああん!」
だが大きい方の数字を選択することはすなわちバトルの後に回復できるポケモンが少なくなることと同義。そのあたりのバランスが難しかったが、ジェムは対策も考えていた。
「アーボック 噛み砕く」
「下がって自己再生!」
開始早々にラティアスと相手のポケモンに距離を取らせ、回復技を命じる。実はさっきの勝負でラティアスはダメージを受けたのだが回復はさせず、代わりに他のポケモンを回復させていた。理由は今のように、ラティアスは自力で回復する技を使うことが出来るからだ。
「アーボック 蛇睨み」
「サイコシフトよ!」
アーボックがラティアスをお腹の模様で睨みつけると、ラティアスは恐怖心から体の動きが鈍くなる――が、それをサイコシフトで逆に相手を麻痺状態にしてしまう。回復技だけならマリルリはアクアリングを使えるし、ジェムの手持ちには他にも回復技を使える手持ちがいるのだが、状態異常さえも自己解決出来る点でラティアスは優れていた。
「サイコキネシス!」
「ひゅうん!」
相手の動きが鈍くなったところをサイコキネシスで持ち上げ、バトルステージの壁に叩きつける。毒タイプに対しサイコキネシスは効果抜群で、一撃で倒せるかに思えた。
「ウタンの実 使用 アーボック ゲップ」
「もう一度サイコキネシスよ!」
だがバトルフロンティアは一筋縄ではいかない。勝ち進むごとに道具を持つポケモンが増え、その効果を活かしたバトルを展開してくるようになる。ウタンの実とはエスパータイプの攻撃力を下げる木の実で、ゲップは木の実を使用した時のみ使用できる毒タイプの強力な技だ。木の実を食べたアーボックの口から毒の気体が吐き出され、ラティアスの周りに漂う。もう一度サイコキネシスで床に叩きつけるとアーボックは倒れたが、ラティアスは苦しそうだ。アイドルは次にオクタンを繰り出す。
「ラティ、下がって!出てきて、ルリ!」
「オクタン 冷凍ビーム」
オクタンがドラゴンタイプ相手に有利な冷凍ビームを放つ前に、ジェムはポケモンを交代する。水タイプ相手ならば水タイプを持ちつつフェアリーの技で攻撃できるマリルリが有利と判断したのだ。
「ルリ、じゃれつく!」
「オクタン 十万ボルト」
「!!」
予想外の技に驚くジェム。水タイプのポケモンが電気タイプの技を使うのは珍しい。近づこうとしたマリルリが強力な電流をまともに受ける。
「……頑張って、ルリ!」
「リル!」
それでも足を止めず、オクタンの懐に潜り込んでじゃれつくマリルリ。じゃれつく、という愛らしい技名とは裏腹に威力は高く、オクタンとともに床を転がりながら、その体を殴打していく。
「オクタン 十万ボルト」
「アクアジェットで吹っ飛ばして!」
オクタンがその口に電気をためる間に、先手を取って動く。水を尻尾から噴出して勢いをつけて殴りかかる。オクタンの体が吹き飛ばされ、戦闘不能になった。ヴァーチャルのオクタンの体が消失し次のポケモン、チリーンが現れる。風鈴のような体からリン、と涼やかな音が鳴った。
「エスパータイプが相手なら……出てきて、ミラ!」
「チリーン サイコキネシス」
マリルリを戻し、出てくるのはヤミラミだ。チリーンの念力は悪タイプのヤミラミには通用しない。しかもヤミラミもまたラティアスと同じく自己再生の使えるポケモンであり、この施設には向いているといえた。
「ミラ、爪とぎよ!」
「チリーン 交代」
ヤミラミに対し有効な技がないのか、アイドルはチリーンをすぐに引っ込めた。意味のない技を延々と打ち続けたりしないあたり、ヴァーチャルの頭脳も悪くないことが伺える。代わりに出てきたのは、ウインディだ。
「ウインディ フレアドライブ」
「ここは負けられない……ミラ、見切りからのシャドークロー!」
ウインディの体が燃え上がり火車の如く突進してくるのを、わずかな動きで見切って躱す。そして背後を取り、鋭く研ぎ澄ました爪を振るわせた。ウインディの毛並みに傷がつく。
「ウインディ 逆鱗」
「……自己再生でやり過ごして、ミラ!」
傷つけられたウインディが激怒し、無茶苦茶に暴れまわる。その動きに蹂躙されつつも、自らの体を回復させることで瀕死を免れる。そして、逆鱗の代償が訪れウインディの体がふらふらとおぼつかなくなり始めた。その隙を突こうとするジェム。
「今よ!だましうち!」
「キーの実 使用 ウインディ フレアドライブ」
ウインディが木のみを齧ると、混乱が治り再び体が燃え上がる。その体が動き出す前に鋭い爪で体を切り裂くが、倒しきれずにフレアドライブに吹き飛ばされる。ヤミラミがふらふらと立ち上がり、ウインディは――攻撃の反動で体力がつき倒れる。最後のチリーンが出てくるが、悪・ゴーストのヤミラミの前にエスパーとノーマル技しか覚えていないチリーンになすすべはなくそのまま決着をつけた。
「……勝った!」
「なんで 私に 気持ちよく 歌わせて くれないの ……」
バーチャルのこころなしか悲しそうな音声がすると、受付のお姉さんのアナウンスが聞こえる。
「それでは1匹回復させるポケモンを選んでください」
「……私はルリを回復させるわ」
「了解しました」
マリルリの入ったボールが光り、回復処理が終わる。するとお姉さんは事務的な声にわずかに喜色を混ぜてこう言った。
「おめでとうございます!次はフロンティアブレーンとのバトルになります。ダイスの準備はいいですか?」
「フロンティアブレーン……!ここまで来たんだもの、絶対倒してみせる!」
フロンティアブレーンとはそれぞれの施設にいるトップの様な存在であり、彼らを倒すことでその施設を制覇したと認められる。その戦いまでたどり着けたことにまずは喜び、勝って兜の緒を締めた。そして運命のダイスロール。出た目は――
「3と5……悩ましいわね」
普通のバトルならいい目であり、3を選べば大抵の相性問題は何とかなるうえにバトルの後5体を回復出来る。だが相手はフロンティアブレーンであり、今までとは格の違う相手だろう。ならば。
「私は5を選ぶわ!」
「了解しました。では……フロンティアブレーンの、おな〜り〜!!」
堅い木を打ち鳴らすような音が部屋中に響き渡り、ジェムの対面の壁だと思っていた部分が襖のように開く。その向こうにもまた襖のような扉があり、それがどんどん開いていった。
その奥から現れたのは――白塗りの顔に目や口に赤いメイクをしている、服は赤と青の二色で構成されたど派手な着物を着た2m近くある初老の大男だった。ジェムに芸能の知識があれば歌舞伎を思い浮かべたかもしれない。
初老の大男はずんずんこちらに歩いてくると、小柄なジェムを見下ろして楽しそうに笑った。
「ほう、儂のところに始めてたどり着いたのはこんなちまい嬢ちゃんかい。山椒は小粒でもぴりりと辛いってぇところか?」
「……ちまくて悪かったわね」
体が小さいのはジェムの中では少しコンプレックスである。ムッとするジェムに、大男はまたも豪快に笑った。
「ははははは!悪い悪い、てっきり荒くれ物ばかりが挑戦しに来ると思ってたんでな。……んじゃ、さっそくやるか?」
「ええ、そうしましょう。……絶対に勝つんだから」
「おいおい、あんまり気負わねぇでくれよ?このバトルフロンティアはあくまで遊びさ」
そう言うと大男は腰の瓢箪を口を当てて中の液体を飲み始めた。中に入っているのは酒だろう。
「……あなたにとっては遊びかもしれないけど、私は負けるつもりはないわ。お父様の娘として恥ずかしくないバトルをしなきゃいけないもの」
「お父様……?ん〜?」
大男はジェムをまじまじと見つめる。そしてジェムのオッドアイに、納得したようにポンと手を打った。
「おおそうか、おめえあのチャンピオンの娘さんかい。そうか……もうそんだけ時が経ったんだな。儂も年を取るはずだ」
「お父様を知ってるの?」
いや、知る知らないで言えばトレーナーがチャンピオンである父を知らないはずはないが。大男の言い方はもっと直接的な知り合いであるように聞こえた。
「ああ、多分お前さんが生まれる前の話だが昔チャンピオンロードで戦ったことがあってな。……いやあ昔から強かったぜ。そして楽しかった。あいつのバトルはよ。……こいつはますます楽しくなってきたな。あいつの娘がどんなもんか……俺の名はゴコウ・カモン。バトルダイスのフロンティアブレーンとして……いざ、勝負!」
「その期待、応えてみせるわ。……いくよ、みんな!」
二人はお互いにボールを取り、バーチャルではない本物のポケモンを呼び出す。
「出てこい、松に鶴!」
「来て、キュキュ!」
松に鶴というニックネームのつけられたドダイトスとキュキュと名付けられたキュウコンが場に出、戦いの火花を散らす――