27話 試合の損切、勝負の利確
翔は市村の車に同乗させてもらっていた。決して詳しくはないのだが、車についたエンブレムからどこかの海外製であることは分かった。普段翔が乗るレンタカーとは違い、助手席のシートは動かしやすく、座りやすい。良い車だ、ということは素人でもなんとなくわかった。
「うわっ、肘置きもめっちゃ快適だ」
「ハハ、そんなに外車が物珍しいかい」
「初めて乗ったもんだからつい……。旧いタイプのAIが無い軽自動車しか乗った記憶が無くて」
「勘違いされちゃあ困るけど、これはボクの私物ではないよ。家族で使いまわす車だし、君が言ったのと同じ旧い車だからね。そして君が思っているよりは値段が高くはない。今時上位AI付きの自動運転車の方が主流だからね、この手のアナログタイプはそれに比べれば大したことは無い。なんてったって面倒だよ? このご時世まだガソリンを使ってるせいで、ガソリンスタンドを探すのもそうだし、特に雨の日なんて視界も悪くて運転するのも煩わしい。運転する気分を味わいたいのなら、マニュアル運転ができる自動運転車で晴れの日だけ運用する方が良いに決まっている。必ずAIのフィードバック制御が入るから事故も起きない。そう思わないかい?」
ははは、と翔は苦笑いで躱す。翔はAI非搭載の旧型車しかほとんど乗らないから同意を求められても困るし、そもそも市村とは決して良い思い出がないため接し方も分からない。割り込む隙を与えてくれない市村の話し方のせいで、さらに疲れてしまう。
風見のいる場所を教えてもらえればそれだけでよかったのだが、ここに至るまでに一度市村の研究室に寄って、踏矢先生がいるという施設の名前を探さなくてはならなかった。ようやく名前が見つかったと聞けば、その研究所は交通の便があまりにも悪い。さらに彼(風見を指しているのか、踏矢先生を指しているのかは分からなかった)には用が少しあると言われたためこうして市村の車に同乗するハメになってしまった。
今向かっているのは大霧特殊技能研究所。踏矢、の字が無いため探しても出てこないわけだ。聞けば研究所そのものはニ十数年前には既に閉鎖しており、インターネット上にほとんどその名が残っていない。偶然市村の担当教員が以前共同研究をしていた、という話を聞いた覚えがあるため、なんとか古いウェブサイトを見つけることが出来たのだとか。
都内から関越自動車道を利用して埼玉の奥まで進み、そこから西へ西へと山へと向かう。とてもじゃないが一時間ではたどり着けそうにない。
ここまで時間を費やし、市村と気まずい空間を過ごすだけなら構わない。なにか、もっと嫌ななにかが起きないことをただただ祈るのみだ。
アクセスの悪い山道に、研究所警備員の汪にほとんど追い出される形で研究所を後にすることになった風見は、二つの困りごとを抱えていた。
一つ。予定よりも早く研究所を出たため、迎えの自動運転車が来るまで出来ることが無い。かといってバス停も遠く、山道を降りねばならない。
もう一つ。いくら研究所に不審者が入ってきたからとはいえ、あまりにも追い出し方が雑である。研究所に入ってきた不審者の仲間が外にでもいれば巻き添えをくらいかねない。なにせ、今風見一人が保持しているAfは全てで二十九枚。翔達に渡したままのAfの総量の倍以上をたった一人で持っているのだ。これを事故だろうがなんだろうが紛失するわけにはいかない。だがしかし。
「そうは問屋が卸してはくれないか」
スニーカーが砂利を踏む音。振り返れば、姿形はよく見えなかったが人影が一つ。こちらに気付いたのか、山を登る方へその人影は走り出した。
放置してもいい、しかし僅かに垣間見えた橙色の髪。帽子こそ被っていたので見間違いかもしれない。それでもあれが翔の言う雨野宮陽太郎であれば、いずれにせよ戦闘は避けられない。ため息を一つ吐き、風見はその影を追うことにした。
うねるカーブをいくつか跨ぎ、追いかけっこは思った以上に長く続いた。どれくらい時間が経過したのか忘れた頃に、人影は石造りの鳥居の下で足を止め、両手を両膝に置いて肩で息をする。その人影の向こうには石段、これ以上登る体力が無いと断念したのか。或いは風見がここに誘い込まれたのか。体力づくりに専念してきた風見も、たまらず肩が上下して汗が噴き出す。
「足は速くは、なかったけどよォ、持久力が、あって驚いたぜ。こんな一本道を通れば、いつかは追いつかれるよなァ」
その男は被っていた帽子を、乱雑に背後の石段に向かって放り投げる。橙色の頭髪、吊り目、背丈や体格の情報。翔から聞いた通りの特徴が完全に一致している。雨野宮陽太郎に間違いない。
取り出したデッキポケットを左腕に装着し、モニターを確認すると現在時刻は午後三時。翔達が各地に散らばって戦いを始めるはずの時間だ。ならば何故目の前にこの男がいる?
考えられる可能性は二つ。一つは、四か所に散ると言った雨野宮陽太郎。だが、そのうち一か所はフェイクで雨野宮陽太郎は向かっていない。その一体が今目の前にいる。二つは、翔が報告した雨野宮陽太郎が作れる分身の数が三つではなかったとき。そうであれば、四か所に散った上で今俺の目の前に現れることも出来るだろう。
だが俺が大霧特殊技能研究所に行く、とは翔達にも伝えていない。踏矢先生の所に行く、としか伝えていないにも関わらず、なぜこの男はこんな辺鄙な山の中まで俺を追跡することが出来たのか。気配を感じてはいなかったのだが、尾行されていたのだろうか。
「研究所に押し入った不審者もお前の引き金か?」
「あ? 何のことだ?」
「無関係だとしたらとんだ偶然だ」
本当に何も知らないかのような素振りだ。まあいい、倒してからじっくりと話を聞けばいい。いずれにせよ俺も踏矢先生も運が悪いには違いない。
「ハッ、適当な因縁つけやがって。だが関係ねえなァ! 嫌でも付き合ってもらうぜ」
そう言って雨野宮はデッキポケットにデッキを装着し、戦いの準備をする。
この雨野宮という男に対し、負けるつもりは一切ない。だが、翔と戦った時に見せた光子装甲は、まだ実用テストの最中で社外に持ち出せず、自社開発室に保管したままだ。他の皆と違い、事前に戦う用意をしていない。デッキこそあるが、ベストなコンディションとは言えないデッキだ。それを予測して現れた雨野宮、おそらく本人は勝つ気でいるに違いない。
光子装甲が使えないなら使えないで、仕方がない。逆に都合が良いこともある。まだ風見には試さないといけないことがある。
「良いだろう。だがここから先、俺は一切の加減が効かなくなる。かなり手痛い目に合う覚悟が無いなら、Afを置いてここから立ち去った方が良い」
「オイオイなんだそれ! スカしすぎて頭が痛くなるぜ! そんなことを言われて立ち去る馬鹿がいるなら苦労しねえよなァ」
「それもそうだ。その決断が、後悔にならないといいがな」
言って聞かせられないのなら、力で示すほかはない。風見もデッキポケットを構え、ウェアラブルグラスをかける。
『ペアリング完了。対戦可能なバトルデバイスをサーチ。パーミッション。ハーフデッキ』
風見のバトル場にはレックウザEX170/170、ベンチにナックラー60/60。対する雨野宮はバトル場にゾロア60/60、ベンチにはミツハニー40/40、テッポウオ60/60。
「先攻は俺がもらう。まずは手札のダブル無色エネルギーをレックウザEXにつける。そしてサポート『ポケモン大好きクラブ』を発動。山札からたねポケモン二匹を加える。俺はヌメラ(40/40)二匹を手札に加え、二匹ともベンチに出す。さらに二匹目のレックウザEXをベンチに出す」
風見の場にはバトル場にレックウザEX170/170、ベンチにもレックウザEX180/180と、ヌメラに続き二匹同じポケモンが並ぶ。しかしこちらはバトル場の方が無色、ベンチの方がドラゴンタイプとタイプ、そしてワザも異なる。しかし異なるのはそれだけではない。その進化先、にも大きな価値がある。
「手札のメガレックウザEXの古代能力『
Δ進化』。レックウザEXが場に出た番、及び最初の番でも進化することが出来る」
「オイオイオイオイ! 一ターン目からメガシンカなんてマジかよ」
「裂空の覇者よ。音断つ速さで翠蓋を破れ! メガシンカ。メガレックウザEX」
頭部を始め、体の紋様はよりシャープに。姿形もリニアを思わせるような流線形に近付き、胴のエッジもロケットの脚部を思わせる形に変形していく。鋭利な形状に顎が突き出され、頭部と顎の先端からは金色に輝くヒゲがはためく。突如山奥に現れた物々しく神々しい存在に、近くの林から鳥が飛び出し動物が鳴く。異例の速度にして圧倒。無色タイプのメガレックウザEX220/220が雨野宮に挑戦状を突き付ける。
「メガシンカの共通ルールにより、メガシンカを行ったと同時に、俺の番は終了する」
元より先攻最初の番はワザを使えない。これ以上なく合理的な判断だ。
そして風見は念のために周囲に人がいないかを確認し、精神を集中させる。自ら課していた枷に向きわねばならぬ。その目の色は群青色の光を帯びた、絶対洞察のオーバーズ。
そのオーバーズは相手の視線や手の動きなど、僅かな仕草も見逃さない。まさに最高の集中状態によるパフォーマンスを発揮する。
風見が絶対洞察のオーバーズを発現したのは中学生の頃だった。このオーバーズによって一時期はポケモンカードの勝率を上げたが、その反面オーバーズに頼り過ぎるようになった。このオーバーズの欠点を市村アキラに突破されて完膚なきまでに負け、高校一年の頃に奥村翔と初めて戦った際の戦闘でも負けて以来封印した、風見にとってはある種曰く付きのオーバーズとなっている。
それを今になって使い始めたのは自暴自棄ではない。翔が苦戦しながらもオーバーズを自分のモノにしようと奮闘しているのだ。先輩面している自分が、いつまでもオーバーズから逃げているわけにはいかない。さらに高みを目指すためには避けては通れない命題であり、今がチャンスだと思ったからだ。
「さあ、どうした。来るなら来い」
「るっせえ! 手札の悪エネルギーをゾロアにつける。そしてサポート『アズサ』を使う。自分の山札からEX一匹か、EXでないたねポケモン三匹をベンチに出す。オレはクリムガン(110/110)と、アンノーン(60/60)二匹をベンチに出す。そしてグッズ『Afスーパーブレイクスルー』!」
ゾロアの体が金色の光に包まれ、進化を遂げていく。しかし普通の進化のモーションは金色でなく白色の光。何かあるか。
「Afスーパーブレイクスルーの効果を教えてやる。手札を一枚山札に戻すことで使え、手札のBREAKポケモンを、そのポケモンへと進化する自分のバトルポケモンに乗せて進化する。つまり、ゾロアから一気にBREAK進化だ!」
本来ならゾロア、ゾロアーク、その次にゾロアークBREAK140/140の順番に進化していかないといけない。しかし雨野宮のAfはその間を一つ飛ばして進化を仕掛けた。
雨野宮の息が先ほどよりも安定している。走って息切れしていたときから比べるとかなりリラックスしている状態だ。さらに番の始まりと比べて手札を見る頻度が大幅に減っている。何か大技が飛んできそうだ。
呼吸の様子、相手の視線。そんな些細な動きですら、絶対洞察のオーバーズは見逃さない。そこから相手の心理状況を分析し、対策を練る。それが強みだ。
しかし欠点も多い。風見が見ようと集中した箇所以外を俯瞰してみることが出来ない。平たく言えば、レンズでズームして覗き込んだように、周りが見えなくなってしまうのだ。さらに周囲の音への反応も鈍化する。これが、風見が克服すべき課題。このオーバーズによる一点集中と平常時の全体俯瞰、二律背反する要素を掌握する。そうすることで更なる高みへ進めるのだ。
「バトル。ゾロアークBREAKのイカサマ、効果発動! 相手のバトルポケモンのワザをこのポケモンのワザとして処理する。オレが選択するのはお前のメガレックウザEXのエメラルドブレイク! 進化を早めたのが仇となったな!」
ゾロアークBREAKの幻影がメガレックウザEXの形を成す。そしてその幻影は錐もみのように高速回転をしながら、風見のメガレックウザEX70/220に突き刺さる。
エメラルドブレイクは自分のベンチポケモンの数×30ダメージ。雨野宮のベンチにはミツハニー、テッポウオ、クリムガン、二匹のアンノーンで計五匹。すなわち、30×5=150ダメージが通った。
「手痛いだの後悔するだのほざいてたがよォ、言う相手を間違えたなァ」
風見は服に着いた砂煙を払い、雨野宮を一瞥する。
判断力は良い。突然現れた大型EXポケモンに臆することなく、迅速に対策を練り出す。そしてエメラルドブレイクの威力を上げるためのプレイングを欠かさない、賢明な欲深さがある。Afをばら撒いた張本人というだけある強さだ、と賛辞の言葉を贈りたい。
しかしベンチポケモンが五匹並ぶのは、手の内を明かし過ぎた事と同じ。ハーフデッキでは山札に入れられるカードはたった三十枚。ミツハニーやテッポウオの進化先にも枚数が割かれるため、雨野宮の山札からは恐らくこれ以上のポケモンは出てこない。そして並んでいるポケモンはどれも小粒なポケモンである。
風見は確信した。火力勝負であれば、俺が負ける事は無い。そうなると雨野宮は必ずAfを使った搦め手で攻めてくるはずだ。
奇しくも風見が引いたカードはAfリフトアップマイン。その名の通り、地雷となる効果を持つカードだ。このカードを使えば、自分の山札の上から二枚のカードをサイドに置くと引き換えに、このカードを雨野宮のサイドに置くことが出来る。そして、相手がこのカードをサイドから引いた時、地雷は威力を発揮する。
パワータイプの風見のデッキに入れた数少ない搦め手の手段。このカード単体では、自分のサイドを二枚増やして相手のサイドを一枚増やす、デメリットカードだ。だからこそ仕掛けるタイミングが肝心。今はまだ必要ない。
「手札の炎エネルギーをメガレックウザEXにつけ、サポート『ティエルノ』を使う。山札からカードを三枚引く。そしてベンチのヌメラをヌメイル(80/80)に、ナックラーをビブラーバ(80/80)に進化させ、ナックラー(60/60)をベンチに出す。メガレックウザEXで攻撃だ。エメラルドブレイク!」
上空に飛び立ったメガレックウザEXが、角度をつけて流星のごとくゾロアークBREAKに向かって飛び込んでいく。風見のベンチはレックウザEX、ヌメイル、ビブラーバ、ヌメラ、ナックラーの計五匹。よって30×5=150ダメージがゾロアークBREAK0/140に襲い掛かる。
「お前のポケモンを気絶させたことで、俺はサイドを一枚引く」
「くっ……! クリムガンをバトル場に出す」
風見も雨野宮と同様に、山札のたねポケモンを全て出し切った。しかし風見はまだベンチに大型EXポケモンが控えており、他のたねポケモンも進化することが出来る。大して雨野宮のベンチは小粒なポケモンが目立ち、デッキの要でもあろうゾロアークBREAKはもう退けた。このままだと劣勢に傾きかける、そういった状況に追い込めば雨野宮は搦め手を仕掛けてくるはずだ。
「オレの番だ。サポート『ロケット団参上!』を使うぜ。互いのサイドを全てオモテにする」
モニターに情報が新たに表示される。風見の残りサイド二枚はヌメルゴン、ダブルドラゴンエネルギー。そして雨野宮のサイドは草エネルギー、フィールドブロアー、Af損切利確。ただサイドをオモテにするだけで、それ以外の効果はない。変わったサポートだ。風見の予想通り、間違いなくまだ何か搦め手が来る。
「スタジアムカード発動。『Af魔の勝権取引所』!」
雨野宮の後ろの景観が山奥の神社に続く石段から、一面ガラス張りの証券取引所を模したビルに変化していく。
「このカードが場に出た時、オレたちはお互いの手札を一枚選んで、ウラのまま相手のサイドに置く。そして互いに手札を全て山札に戻しシャッフルし、三枚カードを引く」
二人は手札のカードを一枚選択し、相手に送り付ける。そして手札は互いに三枚。サイドを送り付けた段階で二人とも手札は一枚以下だったため、フェアーな手札増強となった。
風見は顎に手を当て思案に耽る。お互いにサイドが増えることの利は、俺のサイドが増える事。雨野宮はEXポケモン二匹を倒せばサイドを四枚引けるが、雨野宮はEXポケモンを連れておらずベンチポケモンが大量にいる。すなわち俺はあと三匹倒さなくてはならない。長期戦に持ち込み、息切れを狙うのか。
「ダブル無色エネルギーをクリムガンにつける。そしてベンチのテッポウオをオクタン(90/90)、ミツハニーをビークイン(90/90)にし、オクタンの特性『アビスハンド』! 自分の番に一度だけ、手札が五枚になるまでカードが引ける」
雨野宮の手札が0枚から五枚に一気に補充される。さらに、雨野宮の攻勢は続く。
「ベンチのアンノーンの特性、『置き手紙』を発動。アンノーンをトラッシュすることでカードを一枚引く。当然これは気絶扱いではない。オレは二匹目のアンノーンの置き手紙も発動だ」
雨野宮のベンチから二匹のアンノーンが消え、手札が二枚増える。これで雨野宮の手札は七枚。
「やれ、クリムガン。リベンジ!」
怒れるクリムガンが放つ渾身の一撃、リベンジ。基本威力はたった20だが、前の番に相手によって自分のポケモンが倒されていた場合は威力が70増加し、20+70=90ダメージがメガレックウザEX0/220を薙ぎ倒す。
「EXポケモンを気絶させた。オレはサイドを二枚引くぜ」
風見はモニターで雨野宮がどのサイドを引いたのか確認する。雨野宮が引いたのは、フィールドブロアーとAf魔の勝権取引所の効果で風見が渡したサイド。予想通りの展開だ。雨野宮の心理から考えられる、相手のカードを自分のサイドに加えるメリットは三つ。一つは先ほど言ったように、俺が倒すポケモンの数を増やすこと。次に相手の手札を一枚使えない状況にすること。そして最後。Af魔の勝権取引所が発動した時の俺の手札は二枚。相手に渡す以上、俺が必要だと思うカードを渡すことは無いが、それでも雨野宮は渡したカードがもしかしたら良いカードかもしれない、と期待する。
そんな弱い心が、忌避すべき地雷を踏む。
「うおおおおっ!」
派手な爆音と閃光を引き起こし、サイドから引き揚げたカードが爆発する。無論、あくまで演出だ。とはいえAfである以上、多少は影響があるかもしれないが。
「お前は今地雷を踏んだ。グッズ『Afリフトアップマイン』はサイドから手札に加わった時、効果が発動する。プレイヤーはランダムに手札を二枚トラッシュしなければならない。さらにその中のエネルギーがあれば、相手はそれを自分のポケモンに好きなようにつけることが出来る」
雨野宮がトラッシュしたカードは草エネルギーとレインボーエネルギー。その二枚を、風見のベンチのレックウザEXにつける。
「くそっ、てめえ! くそおっ!」
「地雷を仕掛けたのは俺だが、起動させたのはお前だ。どうこう言われる筋合いはない。これでAfリフトアップマインの効果処理は終了。俺はレックウザEXをバトル場に出す」
「まだだ……。オレの番が終わり、ポケモンチェックになったことで、魔の勝権取引所の効果発動だ。このカードに取引カウンターを一つ乗せる」
この地雷はカードの効果以上に、雨野宮の心に与えたダメージの方が価値が大きい。自らが敷いた策を、相手に利用される。一度植え付けられた疑念は永遠に振り払う事は出来ない。どれだけ目を逸らそうとしても、失敗を恐れる心が思考に靄をかける。
聞かずとも、オーバーズ越しに分かる。サイドを引いた雨野宮の右手は微かに震えたまま。息の感覚も乱れ、こちらを見る目は怒りと共に畏れを抱いている。
たった一度のプレイで、「格」が分かたれる。弱気な心が覗かせた隙は、次第に広がり思考に、言動に、行動に影響を及ぼす。
別に心をへし折る必要はない。しかし風見の主義に関わらず、風見のオーバーズそのものがその我欲を引き起こす。落ち着け、これでは以前と何も変わらないだろう。俺は成長しなくてはいけない。色を出すな、我を抑えろ。心に隙を作った? いいや、俺が慢心すれば俺にも心の隙は生まれる。もっと自分を客観視しろ。
「俺はダブルドラゴンエネルギーをレックウザEXにつける。そして手札からグッズ『Afアフタープレイ』を発動。俺は自分の手札を一枚、ウラのままバトル場の横に置く。この番俺が何らかの手段でサイドを引くことが出来たなら、そのウラにしたカードをオモテにして使うことが出来る。逆に出来なかった場合はそのカードをトラッシュする。そしてベンチのビブラーバをフライゴン(140/140)にし、特性『サンドフラップ』を発動。俺かお前、どちらかを選択し、選択されたプレイヤーは手札を全て山札に戻してシャッフルする。効果対象に俺自身を選択」
今の手札は0枚。戻すカードがないので、そのままカードを四枚補充する。残りのデッキ枚数は六枚となったが、ここでようやっとキーカードが出揃う。
「ヌメイルをヌメルゴン(140/140)に進化させる。ヌメルゴンがいる限り、特性『スリップトリップ』の効果でお互いに手札のポケモンの道具をポケモンにつけることは出来ない。そしてクリムガンに攻撃。ドラゴンストライク」
レックウザEXの粗暴な突進がクリムガン0/110にヒット。そしてドラゴンストライクの効果処理として、コイントスを行う。威力120の反動として、コイントスがウラなら次の番同じ技を使うことが出来ない。結果はウラ、流石にそう良いことばかりは起きない。
「俺はサイドを一枚引く」
雨野宮はバトル場にビークイン90/90を繰り出し、ポケモンチェックに移行。ここで二枚のAfがそれぞれの効果を発揮する。
「Afアフタープレイの効果発動。俺はウラにしたカードをオモテにする。俺がセットしたのはメガレックウザEX。すなわち、バトル場のレックウザEXを今メガシンカさせる。極天の覇者よ。大気を操り雲を裂け! メガレックウザEX!」
雷鳴と共にレックウザEXがメガレックウザEX230/230へとメガシンカを遂げる。先ほどのメガレックウザEXとは見た目こそ変わらぬものの、タイプはドラゴンタイプ。異なる能力、異なるワザを備えた風見のデッキの最後の砦だ。
「ハッ、粋がるなよ。オレも魔の勝権取引所の効果。取引カウンターを一つ乗せる。そして取引カウンターが二つ乗ったとき、このカードの取引カウンターを全て取り除いて真の効果が発揮される。手札が最も多いプレイヤーは、サイドを一枚引くことが出来る。ただし、デメリットとして次の番サポートが使えねえがな」
「なるほどな」
俺の手札は四枚。雨野宮の手札は、前の番にAfリフトアップマインの効果を受けてもなお六枚。前の番にしきりにカードを引き続けていたのはこのためか。雨野宮は躊躇わずに、サイドからAf損切利確を引く。
これで雨野宮のサイドは残り一枚。ポケモンを入れ替えるカードがあるならば、無理にメガレックウザEXを倒さずとも、ポケモンを一匹倒すだけで良い。
「オレの番だ。ネタが割れた以上もうこいつは必要ねえ。グッズ『フィールドブロアー』を使い、スタジアムをトラッシュする」
魔の勝権取引所を自分自身でトラッシュし、景観は元通りになる。効果が判明した以上、雨野宮はこのカードを残す必要性が無い。
雨野宮がどれだけカードを補充しようと、風見はフライゴンの特性を使う事で、雨野宮の手札を四枚に戻すことが出来る。そうなると雨野宮からすれば魔の勝権取引所を残すことがデメリットになる。さらに魔の勝権取引所が無くなったことで、サポートが使えないデメリットも消滅。結果として、地雷こそ踏んだものの風見にだけサイドを一枚多くするという当初の雨野宮の目標は果たせている。
「ビークインにダブル無色エネルギーをつけ、ベンチにミツハニー(40/40)を出す。さらにサポート『オカルトマニア』を使う。次のお前の番の終わりまで、互い全てのポケモンの特性は働かない!」
特性を持つポケモンはオクタン、フライゴン、ヌメルゴン。うち二匹は手札の枚数を操作するポケモンで、わざわざオカルトマニアを使ってまで無効にする必要は薄い。となれば当然、ヌメルゴンのスリップトリップを無効にして手札のポケモンの道具を使ってくる。
そして十中八九、ポケモンのワザの威力を高めるものに違いない。野暮な小細工は意味を為さず、防御を固めてもメガシンカポケモンの攻撃を防げるHPではない。となれば、自ずと答えは絞られる。
「ポケモンの道具『力のハチマキ』をビークインにつける。そしてグッズ『Af損切利確』だ。自分のベンチポケモンを一匹トラッシュし、トラッシュしたポケモンと異なるタイプの基本エネルギーを、手札からベンチポケモンにつける。さらに、望むなら山札のポケモンを一枚選んでトラッシュする。オレはオクタンをトラッシュし、草エネルギーをミツハニーにつける。そして追加効果によって、山札のゾロアークをトラッシュ。さあ、ビークインでメガレックウザEXに攻撃。ビーリベンジ!」
雨野宮の戦術はまさに肉を切らして骨を断つ、だ。ビーリベンジのワザの威力は基本威力20に加え、トラッシュにあるポケモンの数×10ダメージ。そのためにアンノーンやオクタンを効果でトラッシュに送り、積極的にポケモンをトラッシュに増やしていった。その結果トラッシュにはテッポウオ、オクタン、ゾロア、ゾロアーク、ゾロアークBREAK、二枚のアンノーン、クリムガンと計八枚。
さらに力のハチマキで、相手に与えるダメージを20増やした。これで20+10×8+20=120ダメージ。仮に次の番、ビークインが倒されてもベンチのミツハニーをビークインにして攻撃すれば、トラッシュのポケモンの枚数が二枚増えることで20+10×10=120ダメージ。これでメガレックウザEX230/230を倒し切れる。
雨野宮は腹のうちから込み上がる歓喜の声を抑えられずにいた。もしもギャラリーがいれば歓声が上がるようなジャイアントキリングだ。EXポケモン無しで、メガシンカポケモン二匹を倒し切る最善の一策。一時はAfリフトアップマインに驚いたが、魔の勝権取引所の本当の目的はオレ自身がサイドを引く事ではない。相手のサイドを増やし、否が応でも長期戦にさせて相手を疲弊させることにある。
他の分身は誰と戦うことになるか分からない以上対策が練れないが、オレは風見雄大と戦うことは決まっていた。そのためのデッキ構築とタクティクス構築。そしてダメ押しとして使ったオカルトマニアで、無駄な抵抗が出来ないよう特性は封じた。勝てる。これで仮面の女もといノーネームの下馬評を覆せる。そう思っていた。
「メガレックウザEXの古代能力、『
Δワイルド』。このポケモンが相手の草、炎、水、雷ポケモンから受けるダメージを20軽減する」
「は……? オイオイオイオイ!」
動揺する雨野宮の声を遮るように、攻撃のエフェクトによる爆音と砂煙が場を覆う。メガレックウザEX130/230が受けたダメージは20+10×8+20−20=100ダメージ。しくじった。雨野宮陽太郎、披荊斬棘の戦略。風見雄大の首を落とせる、そう信じた槍の穂先は空を切る!
「オカルトマニアで『特性』は封じることができるが、『古代能力』は封じれない。一番最初のメガレックウザEXとは違う個体である以上、備える能力も当然違う。確かに俺を倒せる算段だったが、自分のことしか勘定には入れていなかったようだな」
失敗した。ダメだ、もうこれ以上の手がない。どうする、どうすればいい。ここまで折角来たのに、オレがやってきたことの意味はなんだった。Afを手にして強くなった。そのはずだったのに。
血の気は引くが、冷や汗は止まらない。無情にもそよぐ風と汗による気化熱が雨野宮の「熱」を奪う。心臓が拍動を止めたのかと錯覚するほど、雨野宮の体温はみるみる下がっていく。膝が笑う。そこに立つことが今の精一杯の足掻きだった。脳に酸素が行き届かないのか、思考も視界もぐるぐる回る。
狭まる視野が更に余裕を無くす。空は気付けば低くなる。しかし狭まり揺れ動く視界の中で、目の前のメガレックウザEXと風見雄大だけはやたらと威風堂々と大きく映る。まだ風見はサイドを二枚残しているにも関わらず、勝てない。そう思ってしまった。
そしてその動揺はオーバーズ越しの風見も手に取るように理解出来た。しかして風見は何も感じない。彼が歩いてきた道と何ら変わりない。誰かが勝てば、誰かが負ける。息をするのと同じほど、当然の理。特別な情など湧かない見慣れた光景だ。
「何の障害も無く自分が企てたプランが上手くいく。仮に不都合があっても祈れば奇跡が起こるはず。そんな安い想定しかしない相手に、この俺が負けるわけにはいかない」
風見は山札からカードを引く。既に詰みの手順は見えている。雨野宮の山札は残り三枚、手札も一枚とこの盤面をひっくり返す力は残されていないだろう。そして当の本人から当初の覇気はもはや無い。後はただ蹂躙するだけだ。
「手札の炎エネルギーをメガレックウザEXにつける。ビークインに攻撃、ガリョウテンセイ」
メガレックウザEXの胴が光る。そのまま上空へ駆け上がり、螺旋を伴う流星となってビークイン0/90を撃ち貫く。
「ガリョウテンセイのコストとして、エネルギーを二枚トラッシュしなければならない。俺は炎エネルギーを二枚トラッシュ」
必要なワザエネルギーは炎炎炎雷無の五枚でありながらコストが必要と、非常に重いワザだが威力は圧巻の300ダメージ。過剰な攻撃がビークインを襲い、一撃であっさりと仕留める。風見はサイドを一枚引き、雨野宮はミツハニーをバトル場に出す。
そして風見の番が終わったことで、オカルトマニアの効果も終了。フライゴン、ヌメルゴンの特性は有効になった。
「くっ、オレの番だ! ミツハニーをビークイン(90/90)に進化させ、草エネルギーをつける」
手札0、場にはビークインのみ。まさに万策は尽きた。ただし、一つだけ助かる道はある。次の番に風見がエネルギーを二つつけなければ、再びガリョウテンセイで攻撃することが出来ない。風見の言葉を借りると、仮に不都合があっても祈れば奇跡が起こるはず。というものだ。
何と言われようと仕方がない、もう手札0枚の雨野宮に打てる手は無い。それでもエネルギーを一度に二つつけるのは簡単な事ではないと思うと、必ずしも分が悪いわけではない。
「ビークインで攻撃、ビーリベンジ!」
「
Δワイルドの効果で受けるダメージは20下がる」
ビーリベンジの威力は20+10×10−20=100、メガレックウザEX30/230にはやはりあと一息届かない。もう一度オレの番が回れば、勝利は出来る。
「二度同じことを言わせるな。奇跡は祈る人間の元には来ない。掴もうとする人間の前にのみ来る」
風見は引いたカードを見ることもせず、手札一枚を雨野宮に見えるようにオモテにする。
「これは先ほどサイドから引いたカードだ。俺のサイドはお前のカードでオモテにされていた。であれば、俺がこのカードを選ぶのも当然だろう」
風見がかざすのはダブルドラゴンエネルギー。ドラゴンタイプのポケモンについていれば、全てのエネルギー二つ分として働くカード。確かに、ロケット団参上! を使った時には既にオモテになっていた。
つまり、雨野宮は最初から存在のしない奇跡を待っていたのだ。
「ダブルドラゴンエネルギーをメガレックウザEXにつけ、もう一度ガリョウテンセイだ」
暴風と共にビークイン0/90が吹き飛ばされ、風見は最後のサイドを引く。まさにその瞬間だった。
慢心などではない。可能性を考慮していなかった訳ではない。だが、たった三つの事象が風見の判断を鈍らせた。
まず単純に雨野宮との戦いに勝利したこと。オーバーズを使い続け、風見の集中力もさすがに限界であった。それによって生じるほんの僅かな気の緩み。
そしてオーバーズそのもの。風見のオーバーズは一つのモノを見続けることに特化しており、視野が狭くなる。風見には目の前の雨野宮しか視界にはなかった。
最後に、目の前の雨野宮の焦りや恐怖、悔しさが本物であったこと。
想定できた可能性も、これらによって生じた小さな心の隙が視辛くしてしまった。だからこそ起きた最悪の事態。
そのパルス的な激痛に、風見は声をあげることも抵抗することも敵わなかった。
突如腰に走る電流。あまりの衝撃に立つことすら出来ず、膝から崩れ落ちてその場に倒れ込む。内臓まで刺激された反動で、込み上がる吐き気。思考もロクに回らない。最後に視界に入ったのはその凶器、スタンガンを片手に構えた雨野宮の姿。
そのまま力無く倒れ込んだ風見は、そこで意識が途絶えた。
未だ手足は震え、肩が大きく上下する。雨野宮陽太郎、死中求活の最後の手段。
先ほどまで風見と戦っていた五体目の分身が負けた時。風見の背後、山道の中から音を立てずに飛び出して、スタンガンで物理的に攻撃する悪逆無道の一撃だった。
しかし脳裏に張り付いて消えない恐怖感。スタンガンで攻撃する瞬間、風見は僅かにこちらに振り返ろうとしていた。ほんの一瞬でも遅れていれば、この手もいなされていたかもしれない。そうなっていれば全てが破綻していたかもしれない。間一髪、という言葉がこれ以上適切なシチュエーションもないだろう。
分身とはいえカードでも負け、場外乱闘でも一手先を読まれていた。勝負には勝ったが、言いようのない恐怖と怒りが全身を駆け抜ける。これは学びだ。あと少し刺激されれば涙腺が弾けそうなほどの心の痛み。痛みがあるからこそ、次はその痛みを回避しようと人は学ぶ。
「敬意を払って感謝、しなくっちゃあなァ……。今にも泣きそうなほど痛い目を見たけどよォ、たくさん学ばせてもらったぜ。風見雄大」
学習したオレは強い。なんせ同じ過ちを繰り返さない。欠点が減った分だけオレは強くなる。祈っても奇跡は来ないとお前は言った。だからオレはこうして奇跡を掴みに来た。
強がりであることは分かっている。しかしそうでもしなければ自分を保てない。ハリボテのように増長していくプライドに、心が追いついていないことなどもう分かり切っている。
「早く行動しなくていいのか?」
雨野宮が慌てて振り返ると、仮面の女がいつの間にやら山道の中から姿を見せていた。
「ノーネーム、てめぇ……」
「貴様の言う作戦通り上手くいったか見に来ただけだ。私はお前に干渉しない、それで満足だろう」
風見がこの大霧山に十五時頃に現れる、と情報を流したのはこのノーネームだ。
Afは今全て集めきる必要はない。ただ、出来れば多くのAfが欲しい。そんな状況下で大量のAfを抱え、比較的無防備な状態で風見が現れる。と聞いて雨野宮は作戦を絞った。
邪魔をしそうな奥村翔達を極力遠方に散らし、誰の妨害も入らない状況で手段を問わずに風見を文字通り倒し、Afを奪う。
そこまでは順調に進行している。なのに今足元で無様に転がる風見雄大を見ても、爽快感は一つもない。むしろ敗北感すら感じるほどだ。
オレはオレの意思でここまで来ている。そして計画はもう大詰めだ。だがどこまで誰に何を見透かされている?
底の見えない不安が、薄皮の笑みの下でピクピクと震えている。せめてステージの上では観衆に笑顔を見せようと、空虚をひた隠しにする道化と同じだ。
「うるせえ、遊びは終わりだ。お前が待ち望んでるAfの真の力ってのもすぐに拝ませてやる」
風見のデッキポケットや所持品からAfを奪い、雨野宮は発つ。最後の舞台へ。
翔 「おい、風見! しっかりしろ、おい!」
市村「意識は失ってはいるが、脈はある。大きな怪我もない。……ここはボクがなんとかする。君は行くところがあるんだろう?」
翔 「……陽太郎。このままあいつの好きにはさせない。決着をつける! 次回、『飢え続けた二十年』」
陽太郎「世の中結果だけだ! オレはオレを肯定するために、お前を潰して結果を得る!」