─9話 Berserker's strength
結局二日間、篠原さんとは連絡を取らなかった。そもそも取らしてもらえなかっただろう。
空白のこの時間、いつもより遅く感じる時の中で自責の念に駆られていた。
何もかもが甘かった。篠原さんや、新川に比べて何もかもが。
意識が違う。あたしみたいに、このままでは実家に帰れないという見栄を張るためにプロをしているのではない。プロであることの誇りを、新川は持っていた。あたしがやったのはその誇りを踏みにじるようなそれだった。
プロである以上持ち合わせる勝利への固執。自ら突き進み、相手の懐から奪い取り、ようやく抉り取ってこそ価値のある勝利。それを勝手に負け試合として勝ちを譲る行為は最大の侮蔑だった。
あたしだってやる気のない相手から勝っても何も嬉しくない。激しいせめぎ合いから生まれる、猛る炎のような感情の先にある勝利。そんな勝利が好きだった。
それを喰らい、糧とするためにプロとして生きている新川の姿勢に気付き、ああ、だから自分はダメなんだと自覚した。
こっちに出てきてからあたし自身が何も為せなかった理由。それはあたしが小さい頃にバトルを一心不乱にやっていたときのような、勝利への執着が次第に薄れてきてしまったのかもしれない。
篠原さんはそれを見抜いて、だからこそこの状況を作ったのかもしれない。
勝利にしがみつけ。と声が聞こえるかのように、篠原さんはFAXで新川の情報を送ってくれた。
手持ち、昨シーズンの成績、決めワザや傾向。さらに装備品まで、全て。
新川が所属している神奈川ビクトライズファイターズのスポンサー、ビクトライズはトレーナーの各種装備品を作る企業。その恩恵を受け、新川は数多くのオーダーメイドの装備品を手にしているようだ。
先日のバリアソードも、カビゴンがのし掛かっても潰れない(尤も、その前にトレーナーの腕が折れるが)程の強度を持ち、ブーツも型番名ジェットスクリプトの名の通り、筋肉の流れに沿ってアシストし、素早いステップを可能にさせる最新技術が搭載されている。
エルレイドがやられたときのように、基本戦術は新川が体を張って自分のポケモンを守り、一撃必殺を決める。または相手の攻めを妨害して一方的に攻めるの二パターン。対策して簡単にクリア出来るものではないが、それでも頭を使っていろいろ考えた。
イメージトレーニングをしながら向かったブライトムーンはいつもとは異質な雰囲気を放っていた。溢れるような人の数。それが原因か。
馴染みの店員に裏口から入るように誘導された。対戦が始まる三十分前なのに、ようやく入った店内は異様な熱気を醸し出していた。誘導してくれた店員は、忙しくて死にそうだとあたしにだけ聞こえるように、苦笑いした。
カウンターの中で、大舘さんともう一人、どこかで見たことがあるような白髪の老人と話す篠原さんと目が合った。頭を下げて一礼したが、篠原さんは目もくれずに酒瓶を棚から取り出して老人の前に出していた。
店員にロッカーまで案内されている途中、あの老人は現・瀬戸内ビッグウエーブスの監督、知念宝地だと教えてくれた。かつての篠原さんが現役時代に監督をしていたらしい。テレビでたまに見るような気がしていたから、その疑問が解決出来た。
ロッカーでウェアに着替え、装備品を確認する。パワーグローブはちゃんとしまってある。大丈夫、問題ない。同じ失敗はしない。
時間になり、バトルエリアに向かった。あたしが入場するよりも、新川が入場したときの方が歓声が湧いた。ほとんどの人はバーサーカー新川を間近に見に来たのだろう。
サポプロのリーグ戦や大会は、ファンとバトルエリアの距離が遠い。だからこれ見よがしにと、様々なファンが近くからみられるトレーナーハウスに駆け込んだのだろう。事実、ここはファイターズの本拠地のある神奈川。
いつもあたしが戦う慣れたバトルエリアのはずなのに、どことなくアウェイだなと感じた。
「今回は本気で戦います。もちろん勝つ気で」
試合前の握手のとき、あのときの恐怖を覚えながらもリスペクトを込めて伝える。新川は、うんともすんとも言わずに目を伏せた。ああでも言わないと、雰囲気に飲まれてしまいそうになり、自分の意識が揺らいでしまうと思った。
互いにファーストポジションに着き、最初のポケモンが入ったモンスターボールを握る。胸の鼓動が加速する。お腹の底が冷える。異様な熱気にあてられそうになるが、首を振って頬をピシャリと叩き、気合いを入れる。
不思議と前回よりも落ち着けているような。
『使用ポケモンは三匹のシングルバトル。うち二匹が戦闘不能になると敗北です。入れ替えは自由。その他のレギュレーションは協会認定No.4で行います』
試合の合図が鳴った。
もう後戻りは出来ない。身を焦がすほど考え抜いた、答えを今確かめる。
ボールを握ったまま正面にエルレイドを放ったあたしに対し、新川は真上にボールを投げた。ただ投げたというよりはぶん投げたと言った方が正しいくらいだ。
天井近くまで飛んだボールは開くと同時に大量の粉末が降ってくる。その奥に、ゆっくり降下してくるエルフーンの姿も見えた。
何のかは分からないが、確実に常態異常を狙っている。万が一吸わないようにマスクを急いでつけ、サイコカッターを指示した。空中に浮かんでいるならば簡単には避けられない。
短い溜めで下から上へ振り上げるように肘刀が振るわれる、かと思ったそのとき、エルレイドの体が傾いた。
いつの間にかマスクをつけた新川が、エルレイドとの距離を詰めて、足払いをかけていたのだ。サイコカッターは打ち上がらないまま右手を地につけたエルレイド。新川は休む暇なくバリアソードを腰から引き抜き、右手を払おうとする。
「こっちへ転がって!」
新川を攻撃しても意味がない。いや、新川を気絶させられれば話は別だが、新川は当然そうならない立ち回りをあたし以上に知っているはずだ。
エルレイドでは新川を遠ざけられない。だから、出来るだけ新川を無視しなければ。
「地均し!」
ズン、と右足を踏み込むとエルレイドの周囲に衝撃が走り、新川の動きが僅かに鈍る。
「サイコカッター!」
その隙を突いて、今度こそまだ粉と共に宙に浮かぶエルフーンに向かって濃い紫の刃が飛んでいった。
「ダイブッ!」
しかし、新川の短い叫びと共にエルフーンは体を縮こませ、頭を下にして降下スピードを上げてサイコカッターをかわす。後ろを見ないまま指示を出せたということはサイコカッターの軌道が読まれていたのか。
平衡を取り戻した新川はモンスターボールではない黒い球体をエルフーンのときと同じように豪快に振り上げ、大きくバックステップをする。
粉がちょうど地上に降り注ぐ。毒、麻痺、眠り。何れの状態異常も受けてはならない。防ぐ手立ては――。
「今度こそ、サイコカッター!」
ならばやられる前に押しきるまでだ。あたしの気迫を受けたエルレイドは渾身の一撃を、地上に降り立ったエルフーンに放つ。いくらエルフーンでも再び飛び立つまでにはワザを受けるはず。
が、エルレイドの盾になるように新川が割って入る。バリアソードじゃあこないだのインファイトをやり過ごす程度しか出来ないはずだろう。念波の刃を打ち消す力はないはずだ。
「っだああああ!」
しかしバリアソードの「跳ね返す」機能を持った青い棒が引っ込み、反対側から「弾く」機能を持った赤い棒が飛び出した。新川は左手を右手に沿え、サイコカッターを迎撃せんと下から上へバリアソードを振り上げた。
「そんなっ」
サイコカッターは軌道を曲げられ、フェンスへとぶち当たる。しかし反動で新川のバリアソードも後ろへ吹き飛んだ。まだ、まだチャンスは残された。
「急いでインファイト!」
エルレイドが駆け出した。しかし、それより先にエルフーンが動いた。
「ソーラービームッ!」
エルレイドのいる正面ではなく斜め上空へ放たれたから誤射だと思った。しかし、間もなくソーラービームの白い光が細かな光線と化してフィールド全体に降り注ぐ。
フィールド中央にいたエルレイドは守りの動作を取れることなく直撃したし、あたし自身の目の前にも光線が降り注いだから驚いて反応が取れなかった。
すぐに光線が止み、うつ伏せに倒れるエルレイドに、最初に撒かれた大量の粉が降り注ぐ。そして、新川が投げていた黒い球体がポトンとフィールドに落ちた。
追撃が来る。回避の指示を出そうとしたが、立ち上がるエルレイドの動きが鈍い。麻痺だとはすぐに分かった。しかしボールに戻すより早く。
「暴風だ」
局地的な風があたしからすれば向かい風に、浮き上がるように吹き、エルレイドの体が持ち上がる。続けざまに風に乗ってもう一つのボールが飛来していた。
「守って!」
「押し潰せ!」
ボールが空中で仰向けになっているエルレイドの上に位置したと同時にボールから大きなオーダイルが現れ、力一杯地面を殴り付けるように右の拳が降り下ろされる。
間一髪でエルレイドは緑の膜を張って直撃を防いだが、体重をかけたオーダイルを緑の膜に乗せたまま地上に墜ちる。
体の正面を守れたが、背中への落下の衝撃はモロに受けてしまった。エルレイドの短い悲鳴と共に緑の膜は消え、自重でトドメのオーダイルのパンチが腹に直撃した。結果は火を見るよりも明らかだった。
エルレイドの戦闘不能のコールと共に、固唾を飲んでいた客席から大喝采が。張り詰めていた緊張の糸がほどけ、焦る。何一つダメージを与えられなかった。
こうしている間に新川は弾き飛ばされたバリアソードを回収している。
回収、そうだ。さっきの黒い球体。あれをよく見れば、大量に細かい凹凸があった。ソーラービームはこれに放たれ、この球体が乱反射したことによってフィールド全体にソーラービームを拡散させた、のか。
そして今の新川のポケモンがオーダイルなら次のポケモンは。