─6話 Yearning success
朝ごはんは食べた。装備品のチェックはOK、手持ちのコンディションも完璧。あたし自身は緊張し過ぎて心臓が今にも飛び出そうな程早く脈を打っている。
気持ちを落ち着かせようと、大好きな音楽を聞いたりしてみるもサッパリだった。
不安な気持ちを残しながらも、自転車にまたがって駅に向かい、会場の最寄り駅まで電車に揺られた。
僅かな時間にも頭の中でイメージトレーニングは崩さない。こう予想通り動ければ、勝てる。とイメージする。
第一予選を抜けるには上位四名に入ることが必要。そのためには四連勝しなければならない。一日でそれだけ連勝するには当然ポケモンのスタミナ(ダメージは回復出来る)が関係するだろうけど、そこまで気を使う余裕があたしにはない。一戦一戦全力で戦わないと。
ようやくついたのは市営の大きな対戦施設。バトルエリアが八つもあって、かなり大きな会場だ。会場入り口で係員からトーナメント表を受け取り、自分の名前を探す。
飯田皐月の名はご丁寧にも左端にあった。その対戦相手の名前を確認すれば……、新川良輔。
対戦相手にしては、あまりにも有名過ぎる。思わず顔が引きつってしまった。
新川良輔。U22(22歳以下)日本代表のエースで、神奈川ビクトライズソルジャーズの若き期待の新星。あまりに奇抜な戦い方からバーサーカーの呼び名があって人気も高い。十月でもあちこちの大会から引っ張りだこと聞いてたから、協会運営トーナメントに出る余裕はないだろうと思っていた。
いや、それでも新川はMトレーナー。篠原さん直伝のアクセルサモンが活きるかもしれないし、初戦だし無名のハウプロ相手だから油断があるかもしれない。
数少ないチャンスなんだ。やがてスポプロと当たる可能性は十二分にあった。たまたま初戦の相手になっただけ。やるっきゃない。
やるっきゃないんだけど……!
膝がガクガク震え始めた。どんよりとした重たい空気の塊が肺に入ったのか、胸が気持ち悪い。
やるっきゃないのは分かってる。でも、どうしてこんなことにならなきゃいけないのっ……!
出来ることなら楽に勝ち抜きたかった。サポプロと当たるにしても、第二予選に出場を決めてからにしたかった。
選手整列し、偉い人の開会の言葉の間も、ほとんど耳に言葉が入って来なかった。爆発しそうな悪寒を堪えるだけで精一杯だった。
気付けば開会式も終わって、選手控えロッカーのベンチに座っていた。どうやってここにたどり着いたかの記憶がない。壁時計を見れば、招集時間のわずか八分前。まずい、急がないと遅れてしまう。
もし遅刻すれば遅延行為を取られて反則負けになる。それだけは避けないと。急いでウェアに着替えて腰にかけるタイプのイクイップホルダーにモンスターボール、防塵ゴーグル、排粒子マスクを詰め込んでロッカールームから飛び出た。
「間に合った……」
肩で息をしながらバトルエリアに入り、対戦相手の新川に向かい合う。
本物を見たのは初めてだけど、単純に大きい。後で知ったが身長は189センチもあってあたしと頭一つの差はある。
ソルジャーズのユニフォーム――チームのイメージポケモンであるビクティニをイメージにした赤のチームカラーが基調のユニフォーム――を身に纏っている。かなりゴツい白のハイカットの靴が気になる。あたしの知っている情報の限りでは、新川はMトレーナーでも最も運動量の多いHMトレーナー。あんな重そうで動きにくそうな靴で戦うなんて、やはり油断でもしているのか。
「よろしくだ」
「よ、よろしくお願い、します」
深呼吸、落ち着け。落ち着け皐月。緊張しなければまだなんとかなるかもしれないのよ!
頬を二度叩き、自分に言い聞かせる。
『使用ポケモンは三匹のシングルバトル。うち二匹が戦闘不能になると敗北です。入れ替えは自由。その他のレギュレーションは協会認定No.4で行います』
先発はブーバーンで行こう。出来ればボールは中央に投げて、ボールから出た瞬間に攻勢に移れるように。
試合開始の合図がなる。腰のボールを右手に取ってサイドスローで素早く投げる。基本的にボールを投げれば手元からボールが離れてしまうので不利と思われるが、ポケモンが移動する手間をボールを投げることで省けるのだ。そして投げたボールを回収する算段までつけてある。
初手は大丈夫。そう思ったその時だった。
新川の足元、靴だろう、が赤く光だし、ボールを手に持ったままフィールド中央に突っ込んできた。
通常はトレーナーにポケモンのワザを当てると反則だが、そのトレーナー自身に過失がある場合反則にはならない。彼には悪いけど、火傷を負ってもらう!
「粉塵!」
ボールからブーバーンが飛び出し、熱を帯びた粉塵を噴出させる。
――そのはずだった。
パンッ、パンッと二つの軽い音が鳴ったとき、思わず目を疑った。
新川はボールが開く前にあたしのボールに向けて自分のボールを放ち、そのボールであたしのそれの開閉スイッチをロックしたのだ。
さらに新川のボールから現れたメタグロスを足場にし、新川は超人的脚力で自力で中から出られなくなったブーバーンのボールを鷲掴み。
「らっしゃあぁ!」
獣のような雄叫びと共に着地し、ボールをポケットの中に入れられた。
ダブルクラップとスナッチキル。頭の中でようやく何が起きたかを咀嚼したとき、目眩で倒れてしまいそうになった。
ダブルクラップはボールを相手のボールの開閉スイッチに向けて投げ、相手のボールを完全にロックしてしまうテクニック。さらにその封じられたボールをスナッチキル、トレーナーが手中に納めることで相手にそのボールを使わせなくする。
そう。つまりブーバーンを封じられた。
HMトレーナーはこの戦術を多様することが多いし、新川のこれの成功率の高さはプロ屈指、落ち着けて考えればそんなことすぐ分かるはずなのに! わざわざ相手にブーバーンをやったような事じゃない。
でもあたしには篠原さんから教えてもらったアクセルサモンがある。
そう思ってイクイップホルダーに手を伸ばす。
「あれっ?」
無い。無い、無い! 篠原さんにもらったパワーグローブがない。大きいもののはずだからちょっと探して見つからなければあるはずがない。どうして。
思い当たる節は……、の前に!
「エルレイド、インファイトよ」
十五秒、十五秒ポケモンが場に出ていないトレーナーは負けになる。それだけは避けなければ。
あたしの手前に現れたエルレイドは、力強くメタグロスに向かって駆け出した。
「準備だっ!」
しかし肝心のメタグロスはエルレイドから遠ざかり、代わりに新川がエルレイドの前に飛び出した。
新川は腰にぶら下げていた短い棒を取り出し、一振り。するとその棒は急に身長の半分程まで伸び、青く光出す。
そしてエルレイドが振り下ろした右手をその棒で払い、左手も払い、肘の一打も、膝のも、足払いは跳んで、頭突きは肩を回して避け、小さく突き上がるアッパーを弾き、肘刀は力一杯押し返し、同時に右肘左足が動いても右肘を棒で薙ぎ、左足のミドルキックは棒を一瞬で半回転させて弾く。恐ろしいことにエルレイドのインファイトを全てかわし薙ぎ払っている。むしろエルレイドが押されているように見えるかもしれない。
「らあああああああ!」
人間業ではない。ありえない。でも、起きている。目の前で。
咆哮と共に全ての攻撃に対処している。これがバーサーカーと呼ばれる所以か。
ただその光景に現を抜かしている場合ではない。このままじゃあ埒が開かないから、何かしら手を打たねば。
「一旦バック!」
バックステップで距離を取り、攻めの体勢を整える。そこまでのスムーズな動きを予想した。しかし、実現には至らなかった。
「今だ!」
エルレイドが右足を後ろに引いて、新川から距離を取った瞬間だった。
突然見えない力のようなものに圧され、腰を曲げ『くの字』の体勢のままフェンスまで吹き飛ばされる。
一時何が起きたかを理解出来なかった。メタグロスを見るまでは。
『エルレイド、戦闘不能』
メタグロスはずっとサイコパワーを溜め、エルレイドをサイコキネシス一撃で捩じ伏せようと目論み、実際にそうしたのだろう。
新川はそれまでの時間稼ぎに出ていたのだった。あの棒、バリアソードは光の壁とリフレクターのエネルギーで出来た素材。扱いは難しく下手をすれば自分がダメージを受けるかもしれない上、バリアソード自体に殺傷能力は無いが、よほどでない限りポケモンのワザを弾ける物だ。それで相手のポケモンとタイマンを仕掛けていたのだ。
ダメだ、何をしても勝てない。無意味にしか思えない。実力差なんて火を見るより明らかだ。月とすっぽん。雲泥の差。
分かっていた。そんなことは最初から分かっていた。ただ胸にあるのは虚しさと、惨めさ。そして悲しさ。
『協会運営トーナメントの翌日にいきなりうちで対戦してもらうことになってる。連戦になって悪いな』
そうだ。明日も試合がある。勝てない試合にムキになって、ポケモン達を疲弊させてもしょうがない。
今回は運が悪かった。そう思えば良いだけだ。
「……フライゴン、破壊光線」
新たに繰り出されたフライゴンはメタグロスを強襲する。その寸前でメタグロスが光に包まれ消える。
その光景に一瞬ハッとしていると、いつの間にか現れたゴウカザルが強烈なアッパーカートをフライゴンの腹部に叩きつけていた。
チャージドロー。今の新川のボールタクティクスの名を意識していたときには既に、トドメの一撃がフライゴンに振り下ろされていた。