Perfect edition
─1話 Painful reality
 ビッグになる。
 そんな少年染みた事を言って故郷の駅から電車に乗って、早いものでもう五年。
 ビッグなんて夢の夢だった。あたしなんかは微小も微小、目指すビッグがホエルオーならバチュル程度でしかなかった。
 深夜三時半になって飲食店の夜勤のバイトから築十四年の狭いアパートに戻り、なにも考えずにベッドに飛び込んだ。一週間に一度くらいは、そのときに訳もわからず涙が溢れる。
 今日は、どうだろう。



 あの土臭い田舎の事を考えるだけで憂鬱になる。親族や友人が盛大に見送ってくれたあの駅の改札とは呼べない改札のようなところ。夢に満ちていた当時は手を振る彼らに必死になって振り返していた自分。今ではそのビジョンは悪夢と化して定期的にあたしを襲った。
 呼吸を乱して目を覚ませば、目覚まし時計も同時に唸りをあげていた。午前十一時。枕元は少し濡れていた。鏡を見れば顔が少し腫れていて、右目だけ奥二重にだった。
 シャワーをさっと浴び、自分と自分のポケモン達の朝兼昼御飯を出し、ポケモンのケアをしながらぼんやりと窓ガラスから空を見上げた。
 底辺トレーナー(とは言ってもまだもっと酷い環境にいる人を知っているので下の中トレーナー)のあたしより、上位なトレーナーはちゃんと朝早くにきちんと起きて、もっとポケモンに関して色々考えたり世話出来たり、更に新しいポケモンと触れ合えたかもしれない。
 自分みたいな自分の収入だけに必死なのなんかとはきっと違う。こんな生活リズムに合わさせて、あまり美味しいものを自分のポケモンに食べさせてあげれない事を鑑みると申し訳なくなって、たまにトレーナーを辞めたくなる。これも一月に一度以上はやってくる憂鬱だ。あたしの顔を不安そうに覗き込んできた手持ちのポケモンであるエルレイドに大して、慌てて笑顔を作って誤魔化した。
 悪夢と憂鬱が同日にやってきて、あたし自身のコンディションは最悪だった。
 でも自分のコンディションなんて二の次どころから十の次。カレンダーを確認する。トレーナーハウスでの営業、18時から21時。そのあとはいつもの夜勤のバイトが22時から3時。
 今日の営業先のトレーナーハウスはいつもお世話になっている、一風変わったところだ。ここにお世話になるまでは他に契約するトレーナーハウスなどなく、トレーナーとしての営業が月に一度あるかないか程度で、完全に希望を失うところだった。そんなお得意様だから、自分はともかくせめてポケモンのコンディションはベストに。可能ならば自分のコンディションはベターにする。
 手持ちを引き連れ外に出て、近場のバトルエリアに向かう。特訓の様子を見つつ今日のオーダーを決め、タクティクスを組む。試合までに疲労が溜まらないように調整する。
 昔からやってきたこれを、相も変わらず繰り返す。特訓のメニューとか、こういうときだけ昔の事が役に立った。



 十五歳、ある日一本の電話がかかってきたせいであたしの人生は変わった。
 U16。十六歳以下の日本代表の選抜の電話だった。こんな辺鄙な場所にいつスカウトが来てたかは知 らないけど、地道にバトルばかりやってたのが突然報われたみたいで嬉しかった。
 でも現実は甘くなかった。田舎から盛大に送られたのに、U16のレギュラーには一度もなれず、出番のない控え選手のまま終わってしまった。
 都会はあまりにも甘美過ぎた。様々な誘惑で溢れかえっていたから、ついつい溺れてしまった。代表コーチは選手の日常までは面倒を見ない。それ幸いにと練習以外遊びかまけていたら、こうなった。自業自得だ。
 十七歳になってU16から外れたあたしはこのままみすみすと惨めに田舎に帰る訳にもいかないと思い、この都会に残って関東プロテストを受け、かろうじて合格した。
 プロのトレーナーには二種類いる。スポンサーと契約し、リーグ戦に参加したり様々な企業が企画する各種大会に出たりする者、もう一種類はスポンサーと契約出来ず、トレーナーハウスが開催するイベントに出回って、その日暮らしの収入を得る者。
 あたしは後者だった。その年のプロテスト合格者四十二人中三十七位程度の成績で雇ってくれるチームやスポンサーがいないのは分かってた。
 何かを頼めそうなあたしのU16時代の友人の殆どはトレーナーを辞めていたので頼れず、地元でもないこの街で営業の伝を見つけるのは大変だった。一年半。つまりだいたい半年前までは、寝る間を惜しんででもあちこちのトレーナーハウスに頭を下げて、バトルさせてもらえるように必死だった。今日これから行くことになっているトレーナーハウス、「ブライトムーン」に厄介になるまでは本当に地獄のような日々だった。
 ポケモンの食事代やコンディションの維持、自身のトレーナー技術の向上、トレーナーとしての収入もないのに年二回に協会から登録料を引かれるためにアルバイト、そしてトレーナーハウスやたまに背伸びしてスポンサーへの売り込み。
 体力があったから為せたワザだ。あの頃はしょっちゅう泣きながらがむしゃらになってた。
 今はブライトムーンと契約し、週二程度のペースで呼ばれ、そのマスター、篠原さんがさらに他のトレーナーハウスに紹介をしてくれるから収入は楽になった。
 でも、ビッグなんてのはあまりにも遠すぎる。元プロの篠原さんは口を酸っぱくして言う。
『五年やって芽の出ないトレーナーに未来はない』
 十五からこっちに来てやってきたあたしのチャンスは、あとたった一年だ。
 たった一年、いや、正確には十一ヶ月。
 契約してくれるトレーナーハウスを見つけるのにこんなに時間がかかったのに、あと十一ヶ月だけで契約してくれるスポンサーを見つけろだなんて、どうやれば。

照風めめ ( 2011/10/10(月) 19:32 )