clumsy twosome(逆)
あたしはあいつが嫌いだ。
正確には、あたしはあいつが嫌いだった。
中学校のときに違う市から越してきた、あの男。
一見頼りないように見えるのに、案外物怖じすることもなくどこにあるのか知らないけれどもガッツをしっかり持っている。
当時、ポケモンバトルの部活では群を抜いて一番強かったあたしに挑戦してきたあいつに対し、あたしは完膚なきまでに叩きのめしてやろうとした。それなのに。あいつはむしろ、そんなあたしの目論見を完膚なきまでに叩きのめした。
結果は引き分けだった。あいつのゴルダックも、あたしのニューラも持てる力を出しきったが、二匹とも同時に力尽きたのだ。
あたしは驚いた。この辺りであたしに敵うヤツなんて一人もいなかったから、自身の不動の地位が崩れることが怖かった。
予想通り、たった一度の引き分けでポケモンバトルといえばあたしという方程式は崩れていった。
悔しいし、憎かった。我が物にしていた自分の人気が半分とはいえ盗られることが。でも、バトルしてるときのあいつは普段のただのかっこつけからは想像もつかない真剣な眼差しで、なんというか、ちょっとかっこよかった。
そのまま高校生になった。高校でもポケモンバトルの部活だったあたしたちは時折本気で戦った。大概は引き分けで、たまに勝ったり負けたりがあれども結局勝率は五分五分。憎いという感情は徐々に薄れ、互いに切磋琢磨し合うライバルになっていった。
そして同じ大学に入学し、やはり同じポケモンバトルの部活に入った。
ハイレベルで刺激的な環境に自身のレベルアップも感じたところで、たまたまあいつと練習試合をすることになった。死力を尽くして戦い続けたが、結果はまたしても引き分けだった。
自分だけじゃなくあいつもレベルアップしてるかもしれないということは分かっていたが、自信があっただけにこの結果は不満足だった。
半年が過ぎ、二回生になった春。次の団体戦に向けて勤しむ日々が続くある日、ミーティングの後にコーチに呼び出しをうけた。何も呼ばれる心当たりがない。何事かと思ってコーチの個室に入ると、そこにはコーチだけでなくあいつもいた。
「さて、お前らに話があるんだが、由衣と悠二。お前らでマルチバトルやってみろ」
「え! あたしと悠二がですか!?」
あたしが急に大声を張り上げたからか、コーチと悠二の方が驚く。コーチは一つ咳払いを挟む。
「嫌なのか?」
「えっ、あっ、いやべべ別に嫌とかじゃあないです」
そう聞かれて、本人の前で嫌なんてのは言いにくい。コーチはどっちつかずのあたしの回答に眉を潜めた。
「なんだなんだ、分かりにくくてめんど屈斜路湖だぞ」
「はぁ」
真面目な話をあたしがリアクションを取ったために空気を壊したのは謝るが、コーチまで空気を壊さなくても。咳払いをしても誤魔化せない。
「悠二はどうだ」
「俺は問題ないです」
「じゃあ決まりだな。それだけだ」
コーチはそう言うと、あたしたちの間を通り抜けて部屋を出た。その後を追うようにあいつも部屋を出る。ただ一人だけあたしが部屋に残されて、二人がくぐった扉を見つめていた。
どうしよう……。
あたしにとってあいつは敵、打ち倒すべき存在であった。初めての引き分けという、勝敗が定まらずに悶々と苦しんだあの日からずっとそうだった。
それがマルチバトルのパートナー。
その日の夜、自宅に帰ってすぐベッドに転がり込んで、そのことを考えながらリングマドールを抱き締めたり、あるいは殴ったりとこのもどかしさをなんとかしようと必死だった。
翌日、なんとなくあいつを避けてるあたしがいた。
廊下ですれ違いそうになると人混みの中に紛れて気付かれないようにしたり、食堂でも出来るだけあいつから離れた席に座った。
どうしてこんなかくれんぼみたいなことをしてるんだろう。もやもやした気持ちで受けた午後の講義は、これ以上ないほどに憂鬱だった。
「春の団体戦まではもう少しだ、気を引き締めて行くぞ!」
「はい!」
春の団体戦は大学ポケモンバトルにおいては夏の大会と双璧を成す重要なものだけに、部員達の士気もとても高い。ただ、あたしだけは複雑だった。
「由衣、悠二。とりあえずそこの一年ペアと練習試合だ」
年が一個下の男同士の一年ペアは、もう数年に渡って組んでいる仲良しペアだ。とはいえまだこの部には入ってきたばかり、あくまで高校レベルの実力。
実力? ……そうだ、良いことを思いついた!
二人を相手にあたしが一人でぼこぼこにしちゃえば、きっとコーチもあたしをシングルで起用することを考えるはず。それがいい!
今までやる気が沸かなかったのに、目標が決まると俄然その気になってくる。
「審判は俺がやる。まああくまで練習だからそれぞれ一匹ずつだ。フリーグラウンドとはいえ天井や壁は壊すなよ」
互いに立ち位置に立ち、使うポケモンをスタンバイする。そのとき隣のあいつが声をかけてきた。
「なあ、由衣」
「何よ。気が散るから話しかけないで!」
ややきつめな口調で言うと、あいつはまだ何か言いたげだったが、口を閉じて前を向いた。せっかく人が、このバトルでどうパートナーのマニューラを動かすか思索することに集中してるのに、話しかけないで欲しい。
「始めっ!」
コーチの一言で四つのボールがグラウンドに放たれる。ボールが開ききる前に先に指示だ。
「マニューラ、正面に猫だまし!」
ボールから飛び出るように、真向かいに今現れたばかりのカイリキーにまずは一発決めつけた。あいつのポケモンはエルレイドで、相手のもう一方はアーケオス。相性は不利だ。とにかくカイリキーが怯んでいるうちに追撃をしなくては。
「カイリキーに冷凍パンチ!」
「よし、今だ、啄む!」
ふらついているカイリキーにマニューラが振りかぶって一撃食らわそうとする。そこに、アーケオスが横からマニューラ目掛けて急降下してくる。思ってるよりもアーケオスが素早い、予想外の展開だ。
「辻斬り!」
そのアーケオスのさらに横からあいつのエルレイドが伸びる肘刀でアーケオスを弾き飛ばす。
「油断するなよ!」
「してないって!」
図星だったからこそ、余計に今の一言が苛立ちを加速させる。勝手に動いてくれるの結構だけど、邪魔だけはしないで!
あいつのせいで集中力を削がれているうちに、いつの間にかカイリキーの姿が消えていた。マニューラも辺りをきょろきょろしている。そしてアーケオスもようやく立ち上がって羽ばたこうとしている。そんなときだった。
「エルレイド、マニューラにサイコカッター!」
「えっ?」
邪魔するなと思ったばかりにこの指示だ。頓狂な声を思わず上げたときには、すでに放たれた念波の刃がグラウンドを抉りながらマニューラの背中に向かって飛んできた。
と思ったところ、突如マニューラの後ろの地中からカイリキーが現れた。サイコカッターはそのカイリキーにヒットし、痛手を負わす。
「どうした。しっかりしろ、らしくないぞ!」
「う、うるさい!」
ら、らしくない? 一体あたしの何を知っててそう言うのよ。余計に腹が立ってくる。
「マニューラ、アーケオスに氷のつぶて!」
マニューラが飛び上がりのアーケオスを狙った渾身の一撃は、アーケオスに直撃した。と同時にアーケオスの姿がすっと消える。身代わりか。気づけば本体はすでに天井近くまで飛んでおり、そこからトレーナーの指示を受け、急降下してグラウンドを揺さぶる一撃、地均しを放つ。
まともに喰らった三匹は揺れる足場に身動きが取れなくなる。そこに低空飛行でアーケオスがマニューラに突っ込んできた。
「マニューラに鋼の翼!」
翼を精一杯広げて飛び込んでくる。避けるのは厳しそう、どうせ喰らうならこっちも覚悟を。
「アーケオスに不意打ち!」
なんとか体を動かして死角に潜りこもうとしたマニューラに対し、アーケオスは広げた翼を折り畳み、守りの体制に入った。すぐそばでカイリキーはもうマニューラの間合いに踏み込んで右手を振りかざしている。格闘タイプに弱いマニューラがそれを受けたらとてもじゃないが一発だ。
危機を感じたそのとき、アーケオスの背後に突如現れたエルレイドが、翼の合間を潜って左手で腹部にアッパーカートを食らわせて、右手で放ったサイコカッターがマニューラを弾き飛ばす。
マニューラが弾き飛ばされたことでその奥にいたアーケオスがカイリキーの爆裂パンチを受けた。フェイント攻撃で守りの体勢を崩されたためにクリティカルヒットだろう。アーケオスはすぐに戦闘不能の判定を取られた。
「ちょっと、あたしのマニューラに何するのよ!」
「カイリキーのあれを喰らうよりは遥かにマシだろ!」
確かにマニューラは悪タイプだから、サイコカッターを食らってもダメージを受けないけども、あんな風に自分の手持ちが攻撃を食らわされたんだから不快にならざるを得ない。
「瓦割り!」
そんなことを考える余裕もなく、カイリキーがマニューラに攻めようとする。
「冷凍パンチ!」
「馬鹿っ、向こうの方が早いぞ。くっ、マニューラを庇え!」
カイリキーとマニューラの間に入ったエルレイドが背中で瓦割りを受ける。そして両腕を後ろに伸ばし、肘刀でがっちりカイリキーの動きを押さえつけた。そして動けなくなったところをマニューラが冷凍パンチを食らわす。トドメの一撃に、エルレイドの至近距離からのサイコカッターを受けてカイリキーは戦闘不能の判定を受ける。
「とりあえずは勝ち、ってところだな……」
あいつの言う通り、とりあえず勝ったのは勝った。でも興奮が冷めて落ち着いて考えたら、ずっとあたしがピンチを招いていて、あいつに全てフォローされている。一人でなんとかするどころか完全に足を引っ張っているだけじゃない。よりによって、あいつに助けられるなんて。負の感情が悶々と募り始めて急に気分が悪くなる。
その後すぐに、コーチに体調が悪いと嘘を言ってスタジアムから、あたしを心配するようなあいつの視線から逃げるように出た。
スタジアムの傍にある校舎の、非常階段の踊り場近くの段差に座って、一人こっそり膝を抱えてうずくまっていた。
泣いてはいない。泣いてはいないけど……。
「嫌になっちゃうな……」
これまではせめてもの横に並んだ対等な関係が、助けられたことによって自分が下になる。今まで築き上げてきた信念と、抱えてきたプライドが、今まさに瓦解しようとしていた。
それは身が引き裂かれる程の辛さで、このまま殻に閉じ籠りたいくらい。
このまま消えちゃったらいっそ楽なのになぁ。
現実から背を背けているのはわかっている。でも、そうでもしないとこの苦しみに押し潰されてしまいそうになる。
顔をより膝に埋(うず)めたとき、背後から声がかかった。
「やはりここにいたか」
後ろを向き顔を上げると、上の段からあいつが降りてくる。そして図々しくも同じ段差の、あたしの右隣に座ってきたから若干左に体を動かし、再び抱えた膝に顔を埋める。
「ひどい嫌われようだな」
あいつは力なく笑ったが、それ以上あたしに近付こうとはしなかった。
「……なんでここが分かったの?」
目の前のアスファルトに自分の声がよく跳ね返る。自分で口にしながら、それを確認するかのようだ。
「俺なら、ここに来たからな」
「何よそれ」
あたしのことならなんでも分かる、そんなことを言わんとするところが不愉快だった。勝手に理解したつもりでいて欲しくない。
「実際分かるよ、お前のこと」
そう言ってあいつは缶ジュースをポケットから取り出しあたしの手の届くところに置いた。
「俺もお前も考えてることは一緒さ」
「一緒って?」
ようやく顔を上げたが、正面しか向かない。あいつの方を見たくなかった。
「そうだな。俺だって中学のときに引っ越して来て、自慢のポケモンバトルで学校のてっぺんに立って良い顔したかったのに引き分けだ。俺すごい悔しかった」
そんな話を聞くのは初めてだった。ポケモンバトルで周りからちやほやされたかったのに、引き分けて苦しんだ。確かに、あたしと一緒だ。ようやく隣のあいつを見ると、優しく微笑んでいるあいつの顔があった。どうしてか反射的にまた顔を膝に埋める。顔が火照って来たのは、日光によって熱せられたアスファルトが放つ熱気のせいだと信じたかった。
「そこから努力して努力して、それでまたお前と戦っても決着つかなくて。それで、俺とお前は一緒だって気付いたんだ」
「ど、どう一緒なのよ」
「お互いに意地っ張りで良いかっこをしたがるとこが」
そう言われたけどあいつが意地っ張りなどと言われてピンと来なかった。驚いてあいつの方を向いたけど、今度はちゃんと直視出来るようになった。そしてそこについてあたしが聞く前に、あいつから話を続ける。
「そういう風に振る舞ってないだけで、本当は俺もそうなんだよ」
「へ、へぇー」
「いつまでも素直じゃない奴だな。まあいいや、せめてジュースくらいはぬくくないうちに飲んどけよ」
あいつはあたしの手に無理やり缶ジュースを押し付けてきた。仕方ないから受け取ると、あいつは立ち上がる。
「さっきのマルチバトルだって、俺もシングルで出たいからお前を出し抜くつもりだった。でも戦っててさ、マルチも悪くないと思ったよ」
「どこが……」
「ようやくお前にも良いかっこが出来たとこ」
「なっ!」
「嘘。いや、全くの嘘じゃないけどそんなに怒るなって。……楽しかったんだ。今まで向かい合うことしかなかった俺たちだったけど、隣同士にいるのがこんなに良いもんだって、出会ってもう何年も経った今、ようやくわかったんだ」
黙ってあいつの言葉を聞いていた。その言葉は耳だけじゃなく、体の奥まで響くようで、なんだかくすぐったくて心地よかった。
そこから少し、沈黙が続くと、あいつはあたしに背を向けた。
「……一回だけだったけど、楽しかったよ。俺からコーチにダメだった、って伝えれるから」
あいつは右手をすっと上げて、そのまま階段を降りようとする。そのとき、考える前に瞬間的に体が動いた。
「待って!」
あいつが振り返る。あいつもきっと驚いてるけど、それ以上に呼び止めたあたし自身が一番驚いている。心臓がいつもより早く鼓動を打って、指先まで熱くなる。
でも、今を逃すときっとこのあと言えなくなる。そしてたぶんそのことに後悔する!
あいつみたいに意地っ張りという殻を破って本当の気持ちを伝えなきゃ! そのチャンスはきっと今なんだ!
「本当はさ!」
遠くで聞こえた他の人の声、騒音が消えて、視界にはあいつしか映らなくなる。鼓動はさらにスピードを上げて、体も余計に熱を帯びる。心の奥から気管を通って口から気持ちが溢れそうになる。言っちゃえ! 言っちゃえ!
「あたし、本当はさ!」
「ど、どうしたの?」
いよいよあいつが心配し始める。そして、今まで凝縮していた気持ちが弾けるときが来た。
「マルチバトルで助けてもらって、嬉しかったし、なんていうか、その楽しかった。だからまたあたしと組んで!」
頭の中が使いすぎたパソコンの電源が落ちたように、真っ黒になった。
それでもあいつの笑った顔はしっかり捉えた。こんなにまじまじと見つめ合ってるのは初めてで、それが一瞬だったのかそれとも何分も続いたのかはわからない。
「ああ、もちろんこちらこそだ!」
ようやく現実に戻ったら、あたしの目の前にはあいつの右手が伸びていた。
あたしは右手を握り返し、汗をかいた缶ジュースを左手でとって、二人並んで歩き始めた。
いつか共に歩き続けた先で、今度こそ本当の気持ちを伝えれるときが来たら、いいな。