永遠少女(前)
嘘でしょどういうことだ何が起きてるの。いや、何が起きてるかは分かってる。吹っ飛んでいるんだ。それなりに体重があるはずのサイドンが、あの男のナゲキに空き缶を投げるかのように投げ飛ばされた。いや、投げ飛ばされただけでまだ終わっちゃいない。「なんとか着地してっ、サイドン!」甲高い声に応えるかのようにサイドンは重々しい音を立てながらきちんと足から地面に降り立ち、気合いで堪えた。その衝撃で突風が起き、私のやや長めの髪が煽られる。今は身だしなみなんてどうでもいい。そんなことよりもサイドンの対応能力は素晴らしい、perfect! しかしこれで勝負に勝ったわけじゃない。相手が驚いているスキを狙うんだ。「地均し!」サイドンが地面を踏みつけると激しい衝撃波が周囲を、ナゲキを襲う。ダメージを受けて動きが鈍ったところを追撃だ。「メガホーン!」自慢の大きな一本角を突きだし走り始めたサイドン。なのに、なのに、ナゲキはそれを待ってましたと言わんばかりにあえて角の一撃を受け止め、サイドンをがっちり掴み、当て身投げを放つ。サイドンの防御力でもこれはもうダメだ。再び宙に浮かされたサイドンは、もう完全に身動き出来ず、派手な音を立てて地面に落っこちるとそのまま動けなくなった。「これで決まりだ。もういいだろ」男はナゲキをモンスターボールに戻すとこちらを一瞥して踵を返し、さっさと立ち去ってしまった。……。男の姿が見えなくなると、身体中の力が抜けに抜けてぺたんと座り込んでしまう。どうして。どうして、どうしてあの男に勝てない。視界が急に霞み、鼻水が止まらない。起き上がったサイドンが心配そうに見つめるなか、一人ただ泣き叫んだ。
ポケモンセンターの待ち合い室、サイドンの回復を待つ。もう涙の跡は残していない。やはりまたしてもあの男に勝てなかったか、と落ち着いた頭で先ほどのバトルを反芻する。あの男とは十八年程前に同じ故郷で出会い、育ち、同じスクールで学んだ。そしてスクールの頃から何度も何度もさっきのようにポケモンバトルを挑み続けた。しかし勝てたことはたった一度もなかった。悔しい。恐らく私はあの男にはきっとひたすらじゃれついてくる雌犬くらいにしか思われてないだろう、一度も名前を呼ばれたことすらないのだ。「勝負だ!」と声高に叫んでもあっさりいなされ、そんな様子を周りに見られ笑われ貶されで、自尊心は傷つきヒビ入り粉砕されてしまった。なのにそれでもあの男にもう一度もう一度と挑み続けようとするのは、トバリのゲームコーナーで失敗した人間があと一万だけあと一万だけとしぶとく食い下がるのと同じようなものなのかもしれない。ああ嫌だなあ、そんなことをしなければそこそこのポケモントレーナーとして細々と暮らしながらなかなかの毎日を過ごせただろう。恋人を見つけどこかの街に住み着き子を産み平和に暮らせたかもしれない。なのにどこまでも旅をするあの男の足跡を踏み辿るかのように旅する男を追いかけて挑むだけ。本当に嫌だなあ。でもここまで来てしまったんだ、こんなに年月を費やしてしまったんだ。引き下がれば終わらせれるのにそうしてしまうと今の自分を否定するだけになってしまう。青春を丸ごと懸けた戦いは何も成さずに終わってしまうのが、本当に一番嫌なことだなあ、と思った。
「どうしたのそんな不貞腐れた顔して」急に声がかかって振り返る。そこには緑のワンピースと柔和な笑みを纏った一人の大人びた女性がいた。彼女は私と同じ故郷及びスクール出身だ。旅をしている途中で恋人を見つけこの街に住み着きまだ子を産んではいないが平和に暮らしている。数少ない友人の一人でもある。彼女は私の隣の席に座った。「まだ彼のこと追いかけてるの?」「……うん」彼女と会う度にいつも尋ねられる問いだ。この問いのあと、大抵彼女はそれを咎める。いっそどこかのジムリーダーになれだの恋人を見つけ安定した暮らしをしろだのと。だが今日は違った。「そっか、本当に好きねぇ」「え?」いつもはこの後の説教が、心配してもらえて嬉しいのと同時に若干うざったいのだが、どうしてか今回はにっこり笑いかけてくるだけだ。なんなんだろう。「ねぇ、最近思うんだぁ。一生を懸けて追い続けれる人がいるっていいことだって」「どういうこと?」「ロマンチックじゃない? ただ悔しいだけでこんなに頑張れないわよ」「……そうかなぁ」「そうそう。だって好きなんでしょ、彼のこと」「えっ!」「あははっ、照れちゃって」反射的に両頬を隠すように両手をあてて体を縮こませる。「彼に自分のことを認めて欲しいんでしょ? 自分に振り向いて欲しいんでしょ?」「……」そうなのかもしれない。いや、あの男に恋心を抱いてるなんてそんなバカな。でも勝って自分の強さを認めさせたいのは確かだ。「ところで××ちゃんがもしももう一度彼と戦って勝っちゃったら、その後はどうするの?」「えっ」「何も考えてないの?」「うん」馬鹿にされてる感じがして、俯きながら肯定する。あの男を倒すという目標はあまりに高く広い壁過ぎて、その先の風景のことを何も見えていなかった。考えれば、あの男が突如旅を終えれば私の旅も終わってしまう。そしてあの男がポケモンバトルを辞めてしまえば私の今までの苦労が全て水泡だ。未来のビジョンなんて何も見えてなかったのだ。この街で落ち着いて暮らし始めた彼女はなんて計画的な大人だろう。あまりにも自分が子供過ぎる。なのに、彼女は「羨ましいなぁ」と私に言ってきた。「なんで?」「一途じゃない。彼の背中を追って走り続けるなんて、いかにも青春で羨ましいわ」「そういうものなのかな」「そうそう。さしずめ××ちゃんは永遠少女、ってとこね」「なぁによそれ」「もう二十歳過ぎなのに少女漫画の主人公みたいに一途だもん」「馬鹿にしてるの?」「だぁからしてないって」二人して意味も分からず笑っていると、ジョーイさんがサイドンの入ったモンスターボールを持ってくる。「治療終わりましたよ、すっかり元気になりました」「ありがとうございます」モンスターボールを受け取ると、横にいた彼女がモンスターボールを見つめる。「どうかした?」「なんでもないよ。それよりさ、永遠少女の夢が叶うよういいモノあげちゃうんだから」
ジムリーダーや、四天王などといった強豪トレーナーに勝っても心は満たされない。どんなポケモンバトルの先にもいつもあの男がいた。たった一人、たった一人あの男が常に私の心の中にいた。ポケモンバトルをしていても常にあの男のことを考えていたし、ポケモンバトル以外のことをしてるときもあの男は今頃どうしているだろうかなどと思っていた。これが所謂恋だとか言うものなのか。こっちはこれほど想っているのに僅かな言葉しか交わされず無表情でバトルをし何も残さず去って行くあの男。彼女の言う通りだ。認めて欲しい。それもある。でも振り向いて欲しかったのだとようやく自覚した。もっとその声が聞きたいのだ。もっともっとその動作を瞳を戦う姿を全部全部全部全部見ていたい。彼女とポケモンセンターで出会ってから十日経ち、あの街から二つ先の街に着いた。あの男ももちろんここにいる。もう一度、勝負を挑む。お昼が過ぎた頃に外を出歩くあの男に、エンカウントを装ってたまたま会ったわねと言ってから勝負を挑むのだ。もう何年もしてるから、あの男も偶然なんて下手くそな嘘だと言うだろう。それでも気恥ずかしいからいつもいつもそうしている。今回もそうやってたまたま出会ったフリをしてせっかくだから勝負しようと言ってやった。男はいつもみたいにまたお前か、とは言わなかったが、黙って頷いた。バトルが出来る程度の敷地に移動し、モンスターボールを手に握る。今度こそ勝つ。今回も使用ポケモン一匹の勝負だ。勝ってやる。そう意気込んだときだった。「聞いてくれ」こんな風に対戦前に話しかけられるのは初めてだった。「この勝負の後、俺は旅をやめる。これが最後の戦いだ」「えっ……」唐突に通告された最終戦通告。意味がわからない、どうして。なんで。しかし男はお構い無しだ。「行くぞ! これが俺の旅の終着点だ! ラグラージ!」ラグラージは彼のエースポケモン。彼の言うよう最後にはふさわしいかもしれない。いまだ何が起きているのか処理出来ない私は、緊張によって現れた大量の手汗をかいた右手に握ったモンスターボールからドサイドンを放つ。「こないだのサイドン、進化したのか」前の街であの彼女に夢が叶うようにともらったモノ、それはプロテクターだ。十日前よりもより屈強に進化したドサイドンは、私の中でのけじめをつけるためのポケモンだ。「ドサイドン、地震!」大きい動作で地面を強く踏み鳴らすドサイドン、大地が揺れ身体が揺れ視界が揺れてラグラージの動きを制限させる。「怯むな。泥遊びからのマッドショットだ」地面をあっという間に泥に変換し、それをホースから水を放つよう打ちつける。ドサイドンは右手一つでマッドショットを受け止める。マッドショットに対応していて動けないドサイドンに、ワザを放ちながらもラグラージは近づいてくる。nasty! 「地均し!」「ジャンプしろ!」ドサイドンが大きく右足を振り上げ、降ろし、地面を揺らす。が、泥と化しぬかるんだ地面に勢いよく足を突っ込んだがためにドサイドンは泥に足をとられてしまった。跳び上がったラグラージはそのままドサイドンに飛び掛かろうとしている。ラグラージは空中、空中にいれば自由な動きは出来ない。チャンスは今だ。「岩石砲!」ドサイドンの右手の穴から人間の頭くらいの岩がラグラージ目掛けとてつもない速度で発射、ヒット! wow! great! 素晴らしい! 相性が相性だがあんな攻撃を受ければただでは済まない。勝った! 吹っ飛ばされたラグラージは力なく地面に落下し消えた。消え……た? 状況を処理する前にドサイドンの背後から穴を掘るして出てきたラグラージがいた。まさか岩石砲をぶつけた相手は身代わり! なんて失態、岩石砲の反動で動けぬドサイドンに精一杯のハイドロポンプが。ドサイドンは必死に耐えようとしたが堪えきれず膝から崩れKO。「また負けちゃった……」私もドサイドンよろしく膝から崩れ、うつむいた。これがこの男との最後の勝負、もう一度次のチャンスという訳にはいかない。結局初めて戦った日から一度も勝てなかった。悔しい悔しい悔し過ぎてどうにかなりそうだ。そうか今までの努力は無駄で無意味で馬鹿馬鹿しいものだったのか。「××」ふと名前を呼ばれた。顔を上げればすぐそこにあの男、手を差しのべてくれた。その手を握り、立ち上がる。男の顔は目と鼻の先、何故だか急に胸うつ鼓動はアクセル踏み出す。男の目を直視出来ず、右を向く。ヨーテリーを連れ散歩する老人が視界にinto。名前を呼ばれたのは初めてだが、こうしてこんな近くで男の顔を見るのも初めてだ。「何よ……、いつもは負けたものには情けなしみたいな感じじゃない」「××、君に礼を言いたい」名前を呼ばれる度にどこかくすぐったい、嫌なようで嬉しいようで。感情の処理能力を越えた脳は溶けきったかのようで何も考えれない。改めて男の顔を向くと、いつになく真剣な眼差しだった。「君は俺を強くしてくれた。あの日スクールで俺が君に勝った後、君がもう一度とリベンジをしたお陰で俺は強くなるきっかけを得た」男も緊張しているのか早口で口から溢れる言葉がやや危なっかしい。「ど、どういうこと?」「一度勝った相手には特に負けられないから、リベンジしにきた君に絶対負けたくなかった。君が何度も何度も挑んでくれたお陰で俺は負けられなくなり、強くなれた」「……」そんなことはどうでもよかった。貴方に旅をやめて欲しくない、今まで通り貴方の跡を追って戦いたい! そう言いたかったが、言ってはならないワガママかもしれない。開いた私の口からは、ただスースー息が漏れるだけ。でも嫌だ。もう跡を追っていけないのは嫌だ。一人にしないで欲しい。「君が強くなればなるほど俺もまた強くなれた、だからチャンピオンとして招かれるようになった」「え?」「今までの俺の活躍から、チャンピオンにならないかと誘いを受けた」「そ、それで旅をやめるの?」「ああ。だからこそこの勝負で俺は旅をやめる。今の俺は君がいてこそだ。だから……」男は一旦咳払いして視線を反らし、再びこちらを直視する。「だから、俺と一緒に来て欲しい! 君なしでは俺は戦えない。俺が推薦すれば君は四天王にはなれるだろう、だから今度は俺と共に戦って欲しい!」嬉しいような、ズレているような。脳は再起動した。考えるだけ考えに考えて言葉を気持ちを口から心から伝える。「ごめんなさい」彼の顔が一瞬にして曇る。そんな顔は見たくない。「でも!」下に向き始めた彼の視線が再び私を見る。「でも、私は貴方の元に行く。チャレンジャーとして、四天王を倒し、チャンピオンの貴方のとこまで! そしてもう一度戦うの! 私はずっと貴方を追い続けてきた。だからこそこれからも追い続けたい」彼は思いもよらない返答にたじろいだが、ただ一つ頷いた。「必ずまた貴方と戦う。それまで絶対負けないでね」「約束するよ」彼は右手を差し出した。その右手に応え、互いに握手。彼の暖かい手が、心地よかった。リザードンに乗って飛び去った彼の背中を見送る。もう一度貴方と会ったとき、今度は私が気持ちを伝える番だ。