136話 命運が傾く頃
「……小娘風情にこの我輩が後れをとったと本当に思っているのか?」
顔をこちらに向けず、くぐもった声でホウオウは静かに一人笑い出す。
「ど、どういうこと?」
顔を持ち上げたホウオウと目が合う。今までにない狂気的な輝きが、心に深く突き刺さる。思わず情けない声が上がりそうになってしまった。
「いいか、今から一瞬でここを灼熱の焦土に変えてやる。三ターンだ! 三ターン後に我輩が貴様を倒すと宣言する!」
今のホウオウのサイドは未だなお三枚。対するあたしのサイドは二枚。三ターンで倒すというならば、毎ターンあたしのポケモンを倒す必要がある。
だというのに、ホウオウの場には草エネルギーが三枚ついたホウオウLEGEND自身しか残っていない。いくらなんでも無理がある。
そもそもホウオウLEGENDのワザにはエネルギーが四つ必要だし、ホウオウは今手札を使いきっている。エネルギーが引けない可能性だって十分にあるんだ。
「その疑いの目、今すぐに晴らしてくれよう。我輩のターン! 手札のダブル無色エネルギーを自分自身につける!」
「そんなっ!」
「エネルギーを引く確率をドンピシャで引き当てるなんて……」
「我輩自身で貴様のアバゴーラに攻撃だ。自分についている草エネルギーを一枚トラッシュして攻撃。紅蓮の翼!」
そう宣言すると、ホウオウLEGENDは再び空を見上げて急上昇。やがて姿が小さくなった頃に、全身から炎を吹き出す。火の鳥と化したホウオウLEGENDが、そのままスピードをつけて降下していく。
「アバゴーラの特性、ハードロックを発動。コイントスをしてオモテなら、受けるダメージを50減らす!」
現在のアバゴーラの残りHPは90/140で、紅蓮の翼の威力は100。ここでハードロックが成功すればなんとかふんばりきれるが……。
「ウラ!?」
飛び込んできたホウオウLEGENDの攻撃の余波が襲いかかってくる。姿勢を低くして、とっさに松野さんとがっつり互いを抱きしめあって、なんとか吹き飛ばされないようにこらえる。
「これで邪魔なアバゴーラは気絶だ。我輩はサイドを一枚引いて我輩の番を終わる」
火の放出を止め、元の形状に戻ったホウオウLEGENDは最初の位置に戻り、サイドを一枚引き取る。これでサイドの枚数はどちらも残り二枚だ。
「薫ちゃん大丈夫?」
「松野さんこそ……」
「私のことは大丈夫よ。それより、次のポケモンを選ばないと」
そうだ。今のあたしのベンチには草エネルギーが一枚ついたアギルダー60/90と、水エネルギーが一枚ついたプロトーガ90/90のみ。
ホウオウLEGENDのHPはスタジアム、セキエイ高原の効果で170/170まで上昇している。これを一撃で倒すことは出来ない。どうやって倒せばいい。倒すためにはどう手順を踏めばいい……。
考えれば考えるほど、目の前のホウオウの姿が大きく映えているように感じる。このままだとホウオウのプレッシャーに飲み込まれてしまう。
そんなとき、そっと松野さんがあたしの肩に手を乗せ語りかけてくれる。
「無理に倒そうと考えようとしたら息詰まるわ。大丈夫よ、消耗してるのはあなただけじゃないわ。落ち着いて、よく辺りを見渡してみるのよ」
確かに、ホウオウの場にはもうホウオウLEGENDしかいない。手札も一枚だけで、デッキの残り枚数もあたしの十枚と比べ、わずか四枚だ。
ホウオウの三ターンキル宣言はあたしへの威圧の意味もあったかもしれないが、逆に言えばホウオウからすると三ターン以内であたしを倒さなければいけないことから出たものかもしれない。
そう、誰にだって必ず物理的限界というものは確かに存在する。幾度となくあたしのポケモンのワザの効果でエネルギーを削り続けたことも相まって、ホウオウLEGENDもワザを出せるかどうかのスレスレだ。
ホウオウのデッキの四枚のうち三枚は、二ターン前のトゲキッスの恵みの翼の効果で自分からデッキに戻ったトゲピー、トゲチック、トゲキッスの三枚。そうなると手札、サイド、山札の残り各一枚しか引くことが出来ない。今現在ホウオウLEGENDにはエネルギーが4つついているから次の番はダメージを受けるのは必至だ。でもあとどの程度エネルギーが入っているか分からないけど、これならば耐えきることも不可能じゃない!
「あたしの番ね。手札の草エネルギーをベンチのプロトーガにつけてアギルダーで攻撃。スラッシュダウン!」
アギルダーの姿が煙のように消えると、ホウオウLEGENDの背後に現れ、手刀を降り下ろしてホウオウLEGEND110/170に60ダメージを与える。
「これしきのダメージ! それにスラッシュダウンを使うと、ワザのデメリットとして次の番はスラッシュダウンが使えない。そうと分かればそんな攻撃恐れる必要もない。我輩のターン。トゲピー(40/40)をベンチに出し、手札からグッズ、ポケモンキャッチャーを発動。その効果で相手のバトルポケモンとベンチポケモンを入れ替える。もちろん入れ替えるのはアギルダーとプロトーガだ」
空中に現れた銃のような機械の銃口から、巨大な網がベンチのプロトーガ90/90を捕らえ、強制的にバトル場へ連行される。
プロトーガのHPは紅蓮の翼の威力以下しかないし、アバゴーラのようにダメージをカットする特性や効果を持ち合わせていない。
プロトーガをアバゴーラに進化させて、ホウオウLEGENDの攻撃を耐えるという作戦がこのままでは水の泡になってしまう!
「我輩は自身についているエネルギーをトラッシュして我輩自身で攻撃。紅蓮の翼!」
この攻撃もこれで三度目、プロトーガのダメージは当然免れないけれど、エフェクトによるプレイヤーへのダメージを防ぐ手だてはもう慣れた。重心を低くして、二人で支えあうことで、熱さは避けれなくとも吹き飛ばされないように耐えきられる。
ホウオウLEGENDの攻撃を受け、炎にくるまれ炭と化して消えていったプロトーガ0/90の代わりに、再びアギルダーをバトル場へ送り込む。
「サイドを一枚引いて我輩の番は終わりだ。これで次の番、そのアギルダーを倒すことでジ・エンドだ」
頭が真っ白になりそうだ。プロトーガをアバゴーラに進化させれたら、勝ちパターンに入るはずだったのに。それが封じられたどころか、崖の隅に追いやられてしまった。もしもこのまま次の番、ホウオウがエネルギーを引くか、サイドですでに引いているなら、どうあがいたところで勝ちはない。
でも、まだ負けたと決まった訳じゃない。
最後の最後まで諦めてたまるものか。ここまでやってきて、諦めて負けるなんて自分が許さない。どうにか最後の活路を切り開くんだ。
「あたしの番よ!」
引いたカードは……研究者の記録。ダメだ、この状況では事態を好転させれない、死に札だ。
「落ち着いて! 切り替えるのよ。無理して引きずっちゃダメ!」
松野さんの叱咤が耳に飛び込んでくる。
落ち着きたいのは山々だけど、落ち着いていられる状況じゃない。切り替えろってどういう意味? 引きずるな、という言葉にもイマイチ要領を得ない。
今の手札は研究の記録、ポケモン通信、草エネルギー、ジャッジマン、アギルダーの五枚。ダメ元でジャッジマンを使って勝負にでるしか……。
待って! 切り替えるってこれのこと?
ジャッジマンは、互いの手札をすべて山札に戻しシャッフル。そしてその後互いに四枚カードを引くサポートカードだ。松野さんの切り替えるってのはこれのことを言っているんじゃないか。
どのみち何かするしかないんだ。自分で一石を投じるのみ!
「手札からサポートカード、ジャッジマンを発動!」
互いに手札を山札に戻し、シャッフル。しかしその直後、ホウオウの狼狽した声が聞こえる。
「ぐっ……! こんな馬鹿なっ……!」
自分でも状況が分からず、バトルテーブルのモニターデホウオウの場を確認して、ようやく理解した。
ホウオウの山札が無くなったのだ。
「そっか!」
ホウオウはさっきまで手札が一枚、山札が三枚だった。この状態でジャッジマンを食らうと、手札が四枚、山札が0枚になってしまう。
松野さんはこれを見越してのあのアドバイスだったのだろう。振り返れば、ウインクを投げる松野さんがいた。
「……これであんたに三ターン目は来ない。もしもそのままあたしが自分の番を終わってたら、三ターンキルはあったかもしれなかったけどね」
「グッ……小癪な!」
「小癪だろうとなんと言われようと、勝ちというその重みは変わらないんだから。これであたしの番は終わりだ。それと同時に、相手プレイヤーが山札のカードを引けなくなった時点であたしの勝ちよ!」
ブザーが鳴り、勝利のコールが周囲に響く。すると、ホウオウは糸の切れた人形のように全身の力が抜け、デッキ諸とも逆さになって落ちていき、すぐに視界から消えてしまった。
終わったんだ……。
ホウオウだけでなくアギルダーの姿も消え、静寂がこの場に訪れる。位置的に太陽の光を遮ったホウオウがいなくなったことで、唐突に直接飛んでくる赤い陽光に目が眩む。赤く燃える太陽はその姿の九割以上を沈めきり、この空間。ワンダーワールドでの激闘に終わりを告げようとしている。
目を閉じれば、まだあの戦いの光景が断片的に浮かぶ。先ほどまでの高揚感が、体の芯で熱を持ったまま離れない。
ふいに足腰に力が入らなくなり、地面に膝をつけてそのままお尻を両足の間に落として座ってしまった。右手でグーを作ろうにも、握力がどこかに行ってしまってきちんと作れない。
大丈夫? と松野さんに心配されて、松野さんに顔を向けないまま首を縦に振る。
さっきまできつく縛っていた涙腺が、反動なのか急に緩くなって、涙のせいで表情もふやけてきた。
ああ、安心してるんだ。
自分のことなのに、どうしてかやや達観した感じになって、徐々に何がなんだか分からなくなってくる。
安心感を中心に混沌と渦を描き続ける心にやがて喜びがポップして、少しずつ勢いが落ち着いてようやく涙が止まる。何度も繰り返した、袖で涙を拭う動作にピリオドを打ち、松野さんの手を借りて立ち上がった。
「さ、私たちも後に続きましょ?」
先に翔たちが飛び込んでいったワームホールが再び口を開け、今度はあたし達を待ちかまえている。
今なら胸を張って翔の隣にいられる……。松野さんの言葉に首を振り、ワームホールへ飛び込んでいった。
どれだけの時間が経ったのだろうか。やけに短かった気もするし、とてつもなく長かったような気もする。
とにかく、気づけば俺たちは四方が白い床や壁に囲まれた空間に立っていた。風見はまだしも、この「場」に圧倒されて恭介までもが閉口している。
床や天井はまだしも、左右や前を向いても後ろを振り向いても、同じような空間が永遠に続いているように感じる。ボーっと見ていると、目的や意識までもが飛んでしまいそうな虚無感に襲われそうだ。
そういえば拓哉や薫、松野さんはどうなったんだろうか……。そうぼんやりと考えていた頃、突如他の人間の気配を感じた。
「やあ、待っていたよ」
「その声は……。一之瀬さん」
先ほどまで俺たち以外誰もいなかったはずのこの空間に、いつの間にか五メートルほど離れた位置に一之瀬さんが立っている。
このアルセウスジムが始まる前に見かけた一之瀬さんとは違い、モノトーンな装いだった。他にも微妙な違和感が多々ある。あるにはあるが……上手に表現が出来ない。
突如一之瀬さんが指を鳴らすと、一之瀬さんの背後に新たなワームホールが現れた。
「翔くん。君だけがこの先に行くんだ。他の二人にはここで待っていてもらうよ」
「は……?」
俺の間の抜けた声がこの空間に虚しく響くと同時に、背後の二人から明らかな苛立ちを感じる。
「ここまで来ておいて待っておけ!? ふざけんなよ! 俺も有瀬に用があるんだ!」
「そうだ。それになぜ翔だけが」
「……君たちは本当に何も知らない、いや、気付かなかったかい?」
一之瀬さんの明らかな声音の変化に、恭介と風見が一瞬怯んだ。その気付く、とやらは察するに俺のことだろうけど、俺も気付けていないから安心しろ、なんて茶々はさすがに入れられなかった。
「風見くん。君が気付けていないことには正直ガッカリしたよ」
「なんだと……?」
「君が初めて翔くんと戦った後、君は今までにないくらい突発的に沸き立つものがあっただろう」
一之瀬さんの言葉に、あの風見があっさりと返す言葉を失った。きっと思い当たる節があるのだろう。
風見に留まらず、一之瀬さんの切っ先は恭介にも向けられる。
「長岡くん。君だって、翔くんと風見くんの戦いを見てからポケモンカードを始めた。そうだったはずだよね」
「……そういえば」
未だにそれが俺とどう繋がるか分からないが、一つだけ不可解な点がある。
俺と風見が初めて戦ったのは確か去年の十月頃だ。その頃は俺は一之瀬さんを知らないし、初めて出会ったのはPCCが開催されていた三月。
そもそも俺と風見が初めて戦ったとき、あの場には俺と風見と恭介の三人しかいないはずだ。……まあそのことを蜂谷や拓哉らに口外こそしたが、恭介があれを期にカードを始めただなんてのはそれこそ知り得ない情報だ。
「ここまで言えばなんとなく想像がつくかもしれないが、翔くんには人を惹く力がある。有瀬はそれが正の精神エネルギーとどう繋がるかを試したがっている。君たちはその妨げになるからね、通せない」
「試す……だと?」
「ふざけんな! これ以上そっちの思惑に振り回されてたまるかよ。それに大事な仲間を試すだなんて言われて――」
「いいや、振り回されてもらうね。どうしても行きたいと言うなら、この僕を倒して力ずくで通るんだ」
なんとなく嫌な予感がする。とはいえだからと言って二人を制止することも出来ない。まさに板挟みな状態だ。
「一之瀬さん。いくら貴方でも、他ならまだしも俺と恭介を二人同時に相手する。それは本気ですか」
「本気さ」
そう一之瀬さんが言い放つと、恭介の顔が苦悶に歪む。「ただ、これまでの君たちの活躍はもちろん見てる。だからこそ、『僕なりの本気』で君たちを迎え撃つ」
この白い空間のせいで目がやられたのか、突然目の前の一之瀬さんの姿がブレる。目をこすって何度も一之瀬さんを見るが、ブレが収まる所か、よりブレが広がっていく。
最初は本当に目が疲れていただけだとかそんなチャチなことを考えていたが、今はハッキリと断言出来る。これは幻じゃない。ブレはより広がって、はっきりと一之瀬さんが二人いるように見える。
「どうなってんだ……」
やがてブレが収まり、完全に分離した二人の一之瀬さんが、声を合わせて言い放つ。
「僕らをそれぞれ倒せれば、君たちにもこの先に進む権利をあげよう」
少しの沈黙の後、風見と恭介がそれぞれ一之瀬さんの前に立つ。
「翔、先に行けよ。俺も風見も負けるつもりも負ける気もねえ」
「それ同じ意味だから」
「今はお前が有瀬と戦うときだ。俺たちも松野さんたちも、そういう覚悟は出来ている。それに、お前にならそういう要の仕事を任せられる」
「ああ……。分かった。すぐ追いついて来いよ!」
風見と恭介。そして一之瀬さんたちの間を通り抜けてワームホールの前までたどり着く。一度後ろを振り向いて、二人の顔を見る。やはりどこか強ばっている。何せ相手は過去に世界大会の優勝経験のある一之瀬さんだ。
苦しい戦いになることは間違いない。でも、それも俺が有瀬を倒すことが出来れば全てが解決する。
……絶対負けるなよ。
胸に沸く嫌な感覚を押さえつけ、再びワームホールの中へと飛び込んで行った。
『対戦可能なバトルテーブルをサーチ。パーミッション。スタンダードデッキ、フリーマッチ』
「……行くぞ、恭介」
「ああ。絶対に負けねえ」
「……お疲れさま、一之瀬。これで君の役目はひとまず終わりだ」
有瀬の声で目が覚める。そのまま有瀬の手を借りて、立ち上がった。
精神の世界であるワンダーワールドと違い、ここ「アルティメットゾーン」は普通の次元と同じく実体の空間だ。しばらく立っていなかったお陰で、立ち上がったときに少しふらついてしまう。
「君の活躍のおかげで、私の計画の成就が現実になるのも夢ではなくなった。途中幾度かイレギュラーがあったが、それももはやここまで来れば細事に過ぎない。君には感謝している」
この黒い空間に、モニターが二つだけ浮かんでいる。この黒い空間には明るすぎるほどの白い空間だ。それぞれ映る空間に、見覚えのある二人の少年が……。風見君と長岡君、彼らが怖い顔をし、バトルテーブルを展開して立っている。そしてその二人の前に立ちふさがっているのはどちらも……。
「有瀬、これは一体どういうことだ!」
薫「今回のキーカードはジャッジマン!
自分の手札を入れ替えるだけじゃなく、相手の手札や山札を減らすことにも使えるわ。
要は、使いようが大事! ってことなんだから」
ジャッジマン サポート
おたがいのプレイヤーは、それぞれ、手札をすべて山札にもどし、山札を切る。その後、それぞれの山札からカードを4枚引く。
サポートは、自分の番に1枚しか使えない。