119話 敵意
「リングマで、メガトンラリアット! ……あっ」
時すでに遅し。つい反射的に言ってしまった。何かを叫んだ気がするが、リングマは止まらない。リングマのラリアットがブーバーン0/100を一撃で気絶させる。
全てが歪んでいく。対戦が終わり、消えていくポケモン達。そして仰向けに倒れ、消えていく斉藤。
風に舞う斉藤の手札の中で見つけたポケモンキャッチャーのカード。どうして。前の番にそれを使ってヒノアラシを攻撃していれば、俺の逆転の芽は完全に摘まれて勝てたはずなのに……。
「どうだ……、味わったか。これが勝利の恐怖だ」
嘲笑うようなか細い声が俺の耳に届いて、辺りは静かになった。
前の斉藤の番、俺のベンチにはHPが60/60のヒノアラシがいた。斉藤がポケモンキャッチャーでヒノアラシを引きずり出し、ブーバーンで山焼きではなく威力60のバーストパンチをしていればヒノアラシは気絶。
それでも斉藤のサイドは一枚残るが、俺の逆転は百パーセント封じれたはずだ。山焼きだったら実際にあったように、三パーセントの確率で負けてしまうのに。
実際のところ、斉藤もその百パーセントに踏み切ることが出来なかったんじゃないのだろうか。
『とはいえ、今でもオレは勝利が怖くなる時がたまにある。オレが勝ったがために相手がどうなってしまうか。どんなことを考えてしまうかをついつい気にしてしまう』
そう。斉藤も、『勝利の恐怖』に……。
今となってはもう分からない。斉藤は本当に勝利の恐怖に飲まれたのか。俺がしてきたことは正しいのか。
分からない、分からない……! 分から無すぎて吐いてしまいそうだ。
今回だけじゃない。いつの時だってそうだ。いつも熱くなりすぎて、後になって過ちに気付く。
いや、これは過ちなのか? どっちにしろ戦う時が来るだろうし、俺だって消えたくない。でもだからって……。
ダメだ! 考えれば考えるほど分からない。訳が分からない。俺はどうするべきだったんだ。この後どうすればいいんだ……。
この後? それは……、決まってる。姉さんを探さなきゃ。姉さんと合流しないと……。
そのために斉藤を倒したんだ。せめて自分の言ったことは貫かないと。
姉さん……。確か姉さんを連れて行ったあの光は、森の方に向かって行ったんだったか。
行かなくちゃ……。森の方に行かないと。
「向井、向井ー!」
ライコウの攻撃を受け、敗北した向井が光の粒子になって消えていく。
近づいて手を伸ばそうとしても、消えていく向井の手を握ってやる事すら出来ない。悲しい、怖い? ……違う。確かにそれもある。だけど、何よりも悔しいっ!
部活で一緒にヘトヘトになったり、休みの日は遊びに行ったり、翔たちと一緒にポケカをしたり。
まるで俺のもう一人の弟のような、そんな向井を守ってやれなかった。腹の中で何かがうねり、熱くなっていく。
「まずは一人目。直に二人目も片付くな」
作業でもしているような冷淡なライコウの声。そして、その凍てつく視線が俺を射る。
「てめえ! クソッ、なんなんだよ!」
「何だっていいだろう。これから先ほどの少年と同じように、貴様も己(おれ)に負けて消えていくのだから」
「勝手に俺を負ける前提で話するんじゃねえ。向井の仇を受けてもらう!」
「……いいだろう。どちらにせよ戦ってみれば分かるだけのことだ。それがハッタリか、本当かなんてことはな」
バトルベルトのボタンを押して、バトルテーブルを組み立て、ベルトとテーブルを切り離す。
さっきまで向井が立っていた場所に立つ。ライコウの攻撃によって生じた風のエフェクトから耐えるために出来た、踵で少しだけ削れた土の上に足を合わせる。
向井、頼む。俺に力を貸してくれ!
「丁度陽が沈み始めた頃だな。……それでは見せてもらおうか、貴様の実力を。貴様の闘志を!」
『周囲の使用可能なバトルベルトをサーチ。コンパルソリー。スタンダードデッキ、フリーマッチ』
太陽が沈みかけている頃。と言っても、俺こと蜂谷 亮がいる森からは直接太陽がどこにあるかを目視出来ない。空の色で判断しているってわけだ。
しかしどうして俺がこんなけったいな事に巻き込まれないといけないんだ。
本当なら今頃は家に帰って飯でも食ってるはずなのに。
帰りてえな……。
いつも傍にいるからこそ、目の上のたんこぶのように感じる親のありがたみが身に染みて分かる。中学校の宿泊訓練を思い出すぜ。
何かするたびにいちいちケチをつける母ちゃん、家にいるときはぐうたらしてる親父。それと、前ほど俺に構ってくれなくなった妹。
ああ、せめて恭介でも誰でもいい。知ってる人に会いた……。
「あ痛っ!」
「うわっ!」
突然木の陰から飛び出た誰かが俺の右肩にぶつかる。かなりのスピードで走ってきたのか、衝撃は申し分なく痛い。
「ちょ、マジ痛いし……。って翔?」
「蜂谷」
噂をすれば影がどうたら。いや、実際に名前を出したのは恭介だったからニアミス……。ってそこはもはやどうでもいい!
「翔、久しぶ──」
「悪い、急いでるんだ」
「ちょ、待てって。何慌ててるんだよ」
「姉さんが大変なんだ!」
「はあ?」
「話すにしても走りながら話す!」
ここまで必死な形相の翔も初めてだ。とりあえずここは本人に従って、走りながら話を聞く。
翔の言う話では、翔が違う誰かと対戦しているときに赤い光が翔の姉さんを連れ去った。そして、その光は森の方向に消えて行った。ということだけど……。
「その光とやらが今も森にいる保証はあるのか?」
「知らねえよ! 俺は──。……、ごめん」
語気を荒げたかと思えば、急に何かを思い出しては消え入るように小さな声に。
ここまで精神的に不安定な翔は初めて見た。いつもはなんだかんだあっても真っ直ぐな翔が、こんなにもブレて感じられるなんて。
少し沈黙が続いた後、遠くの方で大きな音がした。
「ん?」
「どうした?」
「いや、何か音が……」
足を止め、音のした方へゆっくりと歩み出す。翔はまだ音が聞こえていないのか、怪訝な表情を浮かべている。
でも確かに爆発音が聞こえた。バトルテーブルで聞きなれた音が。翔の姉さんがそこにいる保証はないが、少なくとも誰かが戦っている。
一分ほど歩いた先の木と木の間から、マルマインが見えた。やっぱり誰かが戦っている。それだけじゃない。マルマインの後ろにはエレブーが。ということはマルマインがバトルポケモンで、エレブーがベンチポケモン。ってところか。
そしてそのエレブーの後ろに……。エンテイ!? 目を擦ってもエンテイがいる。本来ならプレイヤーがいる位置に! しかもエンテイの目の前にはかなり大きいサイズのバトルテーブルらしきものがあり、手札と思しきカードがエンテイの目の前で浮いている。
「……はぁ?」
絶句するしかない。あんまりだ。何がどうなってるのかさっぱりわからん。
「どうしたんだ」
「ア……、アレ。見てみろよ」
翔を近くに誘って、エンテイを指さす。
「エンテイがプレイヤー!? 対戦相手は誰なんだ」
そういえば対戦相手は確認してなかった。もう少し前にと歩み出す翔を追う。とした瞬間だった。
「姉さん!」
脱兎のごとく、対戦している二人(一人と一匹?)の前に駆け出していく。俺も確認したが、確かに翔の姉さんがいた。
「って待てよ!」
駆け出していく翔の後を追おうと走り出すと、こちらに気付いたのかエンテイの顔がこちらに向いた。視線もバッチリあった。俗に言う、悪寒もセットでやってきた。
「招かねざる客だな。ふん!」
ボウッ、という音と共に、翔のすぐ正面に火柱が立った。寸でのところで止まった翔にぶつかりかけた俺は、わざと横に転んで、衝突した勢いで翔が火柱に飛び込む事態だけはかろうじて避けられた。
そして火柱は他にも複数、バトルフィールドを囲むように現れて、まるで檻のように立ちふさがる。
「主らの相手は後だ。今はそこで見ているんだな」
「くそっ、姉さん! 姉さん!」
翔が力の限り叫んでいるにも関わらず、雫さんは全然こちらに気が付かない。近くにいる俺は鼓膜がどうにかなりそうなのに、数メートル先の雫さんに届かない訳がない。
「姉さあああん! ……」
最後の力を振りしきって出したと思われる声にも、やはり反応が帰ってこない。翔は叫びすぎた反動か咳を繰り返し、肩を上下させて息をし、俯く。
「そこにいる限りお主らの声は決して届かない。そこで見ていろと言っただろう。安心しろ、直に終わる」
切り替えて場全体を見渡す。まだ俄かには信じられないが、エンテイのバトル場には雷エネルギーを二つつけたマルマイングレート70/90、ベンチには雷エネルギーが二つついたエレブー70/70。そしてサイドは三枚。
対する雫さんはバトル場に水エネルギーを二つつけたカメックス130/130、ベンチには水エネルギーを一つつけたフローゼル60/80と、同じく水エネルギーが一つついたマナフィ60/60がいる。サイドは残り四枚だ。
少し雫さんが苦戦している? いや、サイドだけを見ればそうだけど、場全体の充実さでは雫さんが勝っている。本来は苦手な雷タイプに善戦している!
「それでは我が攻撃だ。マルマインでギガスパーク!」
全身に電撃を集めたマルマイングレートが、猛スピードでカメックスに突進する。突進したと同時に、マルマインの体から電撃の筋が二本、マナフィとフローゼルをも襲う。
「ギガスパークの本来の威力は30だが、カメックスの弱点は雷。よって威力は二倍の60となる。さらに、ギガスパークの効果でベンチポケモン二匹にそれぞれ10ダメージずつ与える」
これでカメックスのHPは70/130、フローゼルは50/80、マナフィは50/60になった。合わせて80ダメージ!
確かに強い威力だ。それでも個々で見ればそこまで大きな痛手でもない!
「あたしの番よ! あたしは手札の水エネルギーをバトル場のカメックスにつけ、さらにベンチのフローゼルのポケパワーを発動。ウォーターアクセル! 自分の番に一度だけ、手札の水エネルギーをこのフローゼルにつける。さらにカメックスのポケパワー、押し流すも発動よ! 自分のベンチポケモンについている水エネルギーをバトルポケモンに付け替える。その効果でフローゼルの水エネルギーを一つ、カメックスに付け替える!」
上手い。これで自分の番に一気に二枚のエネルギーをカメックスにつけたことになる。
「カメックスで攻撃。ハイドロランチャー! このポケモンについている水エネルギー二枚を手札に戻し、相手のポケモン一匹に100ダメージ! マルマイングレートに攻撃!」
四つんばいになったカメックスは、しっかりと大地に足をつけ、背中の砲台から二発、強烈な水鉄砲をマルマイングレート0/90に浴びせる。
「よし!」
と、ガッツポーズと共に叫んだのは翔だ。ここにいても手助けをできる訳でもなく、声すら届かない。だから翔はさっきから、ただただ祈り続けている。そんな翔を見るのは俺には少し辛かった。
にしてもなるほど。自分の番にエネルギーを二枚つけるさっきの雫さんのコンボは、このハイドロランチャーを何回も使いまわすことが目的だったんだ。
「サイドを一枚引くわ」
「それではエレブーをバトル場に出そう。……しかしお主は今、たった一つ重大なミスを犯した」
「ミス? どこがよ。次の番、エレブーの攻撃を耐えてもう一度ハイドロランチャーを打てばあたしの勝ちよ」
「そこに気付かないのが愚かなことよ。主のミスは二つある。まずは一つ。倒すべきはマルマインではなく、エレブーだったということだ。ハイドロランチャーは我がベンチのポケモンにすら攻撃が届くのだからな」
声こそは穏やかに聞こえるが、エンテイの声のトーンがさっきの番とは違って低く感じる。
言うことからして嫌な予感がする。まさかそのエレブーが何かあるとでもいうのか。
「そしてもう一つのミスは……、欲張ってそのフローゼルに一枚、エネルギーをつけっぱなしにしているということだ」
「なんですって?」
「我はエレブーをエレキブル(100/100)に進化させ、雷エネルギーをつける。これでトドメだ」
待て、まだ雫さんの場にはポケモンが三匹いるし、エンテイのサイドは三枚ある。なのにトドメだって?
「エレキブルで攻撃。サンダーシュート!」
両手で拳を作ったエレキブルが大声で叫びながら四方八方に電撃を飛ばしていく。
「エレキブルのサンダーシュートの効果だ。このワザは固有の威力を持たないが、エネルギーがついている相手ポケモン全員に50ダメージを与える!」
「そんな!」
雫さんの場には水エネルギーが二つのカメックス70/130、ベンチには共に水エネルギーを一つずつつけたマナフィ50/60とフローゼル50/80。カメックスはもちろん弱点によって受けるダメージが倍になる。一方で、ベンチのポケモンにはダメージ計算をするとき弱点は無視されるが、それでも……!
「全滅……!?」
攻撃を受けた三匹のポケモンは同時にHPが尽き、倒れ伏す。雫さんの場に戦えるポケモンがいなくなり、エンテイが全てのサイドを引いた。
「もしもフローゼルに水エネルギーがついていなければ、まだチャンスはあったかもしれなかったがな。もっとも、エレブーが残された時点でその可能性はごく僅かかもしれんがの」
勝負が終わり、(エンテイは除く)全てのポケモンが消えていく。そして俺たちを阻んでいた火柱も、ふっと消えて行った。
「くっ、姉さん!」
走り出した翔の後を小走りで追うも、今更どうなるものでもない。雫さんの体から光の粒子が溢れ、少しずつ薄くなっていく。
ダメだ、見ていられない。俺も何度かこの目で見てきたが、人が消えるなんて……。しかもそれが身内の人間なら尚のことだ。
「姉ざあああああああん!」
泣きじゃくり鼻声になりながらの翔の声が後ろから聞こえる。
こういう時、俺はどうしたらいいんだろう。友のために何が出来るんだ。優しく声をかけてあげることだろうか。それとも、ただ傍にいるだけがいいのか。そっとしていてあげた方がいいのか。分かんねえ、分かんねえよ。
と、悩んでいるときだった。
「お前だけは絶対に許さねえ! 潰す! 潰す! 潰すっ! 絶対に俺がこの手でぶっ潰す! 俺と戦え!」
首だけ振り返った翔が、エンテイを睨みつけながら声の限り叫ぶ。
いつもお世話になっている第六感が俺を蹴飛ばす。翔とこのエンテイを戦わせてはいけない、回避させろ。はっきりとそう聞こえた気がした。
こんなに落ち着きのない状態で、雫さんからあんなに大勝するエンテイを倒せる訳が無い。倒すにしても、時を改めて落ち着かせないとダメだ。
「落ち着け翔! 俺たちじゃ絶対に適わねえって! 今は一旦退いて──」
そう言って伸ばした俺の手が、翔の右手によってあっさりと弾かれる。
予想外のリアクションに戸惑っているうちに、翔がバトルベルトに手を回す。こうなったら無理やりにでも連れて行くしかない。再び翔に手を伸ばす。
「翔! だから今は一度逃げて──」
「お前に何がわかるんだ!」
「えっ?」
自分でも信じられないくらい情けない声をあげてしまった。自分が尻餅をつくまで、翔に突き飛ばされたということにすら気付かなかった。
言うべきことが、やるべきことがある。あるはずなのに、あるはずなのに翔にこんな手荒い真似をされるなんて、と虚を突かれたがために一瞬のスキが出来てしまった。ヤバい……!
「いいだろう。そこまで我と戦いたければ相手をしてやろう。その代わり手加減は一切せんぞ」
『周囲の使用可能なバトルベルトをサーチ。コンパルソリー。スタンダードデッキ、フリーマッチ』
「っ! おいっ、ダメだ! 翔!」
翔の気持ちは完全にエンテイに向いている。もう俺の声すら届かないっていうのか。
始まった勝負はもう止められない──。
蜂谷「今回のキーカードはカメックス。
フローゼルとのコンビネーションは抜群!
毎ターン100ダメージの驚異的な組み合わせだ!」
カメックス HP130 水 (E)
ポケパワー おしながす
自分の番に何回でも使える。自分のベンチポケモンについている水エネルギーを1個、バトルポケモンにつけ替える。このパワーは、このポケモンが特殊状態なら使えない。
水水無無 ハイドロランチャー
このポケモンについている水エネルギーを2個手札にもどし、相手のポケモン1匹に、100ダメージ。[ベンチへのダメージは弱点・抵抗力の計算をしない。]
弱点 雷×2 抵抗力 − にげる 3