86話 能力C
何にもやる気の起きない四月六日の水曜日。午後のうららかな春の日射しが舞い込むリビングでただ一人何もせずにボーッとしていた。
明日は高校の入学式だ。とはいえ俺、奥村翔は二年生になるので新たに入学するわけではないのだが、そうではなく。入学式には在校生として出席しなくてはいけない。
果てしなくめんどくさい。動くのがめんどくさい。PCCが終わってからは見事に燃えカスのようにうだうだと日々を過ごしていた。
せめて生活リズムだけは直さなくては。とりあえず立ち上がるところからだ。
「あよっこいしょ!」
うおん立ち眩み。焦点が定まらない。千鳥足で二歩床を踏みつけると、ようやくいつもの視界が広がる。
……立ち上がったはいいけど何しよう。
「おっ?」
床に裏面になったカードが一枚だけ落ちている。かがんでそれを手に取ってみた。カードを裏返して見ると、なんてことはないただの炎エネルギーだ。なんてことのない、ただのポケモンカードだ。
そして俺はこのなんてことはないポケモンカードになんてことはない高校生活を変えられていたんだな……。
よくよく思い返すとほぼ半年前、九月の十日くらいが全ての始まりだった。
その日たまたま学校に持ち込んだポケモンカード。それを恭介に紹介してるときの俺の、『熱き想いをこめた魂のデッキ』という言葉に反応した風見が、俺にケチをつけて対戦することになった。
初めての風見との戦い。風見のガブリアスデッキに苦戦していた俺だったが、なんとかゴウカザルの流星パンチで倒すことが出来た。
だが、それからしばらくして再び風見が俺に挑んできた。風見のデッキは前回対戦したときに俺が使っていたデッキ。
カードはデッキだけではダメだ、大切なのはカード一枚一枚に込めるハートだということを伝えるために、俺も風見が前回使っていたガブリアスデッキで対戦したことを覚えている。
そして風見とカードをしていくうちに、恭介や拓哉達も次第にポケモンカードを始めていくようになった。
そう、拓哉だ。あいつも俺と同じく、いや、俺以上にポケモンカードに運命を変えられているヤツだ。
一月十日の風見杯。俺は父さんが保証人となっていた借金のカタをつけるために賞金つきのこの大会に出場した。
予選を勝ち抜き、本戦の駒もどんどん進めていく。そんな俺の目の前に現れたのが藤原拓哉だった。
普段は穏やかで優しい性格である拓哉なのだが、行く手を立ち塞ぐ拓哉はそんないつもの様子とは百八十度違っていた。
『俺様はお前を許さねぇ』
あの冷たい声。ゾッとしたことを覚えている。カードを使って普通は考えられないような事を引き起こす能力(ちから)で、あのときの拓哉は人を消し去った。いや、あいつ風に言うと「異次元に幽閉した」、か。
拓哉は母親と一人暮らしで、切り詰めた生活を送っていた。後で聞いた話だが、公立高校の受験に失敗し私立高校の平見高校にやむなしで来たらしい。しかし学費の高い私立高校に来たことで拓哉の家の家計はどんどん貧困していった。
にも関わらず俺達のポケモンカードをうらやましく思った拓哉は苦しい家計にも関わらずカードを買い、そしてそれが母親に見つかって怒りを買い、暴力を振るわれた。それがきっかけで拓哉にもう一つの人格と能力が目覚めることになったのだ。
こればっかしは本人にも責任はあるだろうが、俺にも責任がないことはない。いつも遊んでる仲間たちがカードを始めれば、その仲間たちについていくがためにカードをやり始めようという気になる。事実、蜂谷だってそういう感じでポケモンカードを始めた。
そのせいもあって、拓哉との対戦は辛かった。ベンチのポケモンに攻撃をして相手を苦しめるベンチキルの戦術に、俺は押され気味だった。なんとかゴウカザルの怒り攻撃で拓哉を撃破したが、倒したと同時に拓哉は意識を失い倒れ、拓哉の能力は無くなった。
俺にもとてつもない疲労感が圧し掛かって来たのを覚えている。なんとかして次の決勝戦で風見を倒し、風見杯を優勝することが出来た。
それでも、拓哉(裏)が使っていたあの能力。ずっと一体あれはなんなのかと考えていた。
その能力とはその約二ヶ月後、三月二十日に開かれたPCC(ポケモンチャレンジカップ)で再び出くわすこととなった。
バトルベルトという持ち運び式の3D投影機器が誕生し、俺たちのバトルはより進化した。そのバトルベルトを使った初の公式大会。
全国に数多いる能力者のうち二人が。しかも能力者の中では特別に危険な二人が現れたといい、クリーチャーズの松野さん、そして松野さんの補佐として現れた一之瀬さんが俺たちにその能力者の高津と山本を倒すようお願いをしてきた。
予選を勝ち抜きトーナメント形式の本戦二回戦で山本と松野さんが対戦した。山本の能力は対戦相手を打ち負かすと、その対戦相手の意識を無くし植物状態とさせてしまう非常に恐ろしい能力だった。
松野さんは超大型ポケモンであるレジギガスLV.Xを主体としたデッキで山本に立ち向かうも、山本のミュウツーLV.Xのポケボディー、サイコバリアによってダメージを与えれずにそのまま一方的にやられてしまいそうになる。
それでも松野さんはなんとかデッキ切れを狙って勝利をもぎ取ろうとするも、それを見越されギガバーンを喰らって敗北してしまった。
松野さんが敗北したことで、風見は大きく取り乱してしまう。普段は慌てることがない風見のあんな様相を見るのは初めてだった。
そして三回戦、準々決勝では俺と山本、拓哉ともう一人の能力者である高津と対戦することに。
拓哉の対戦相手である高津はポケモンのワザの衝撃を実際に相手に与えることが出来る、こちらも極めて危険な能力だ。
闘ポケモン主体の高津に苦戦した拓哉(裏)。特にカイリキーLV.Xの攻撃で一度は意識を失い、左腕を骨折する大怪我を負ってしまうが、拓哉(表)のお陰でなんとかそれをカバーして、最後は高津の能力の特徴。ワザの宣言時に自分の指で指したところにしか衝撃を与えることが出来ないという欠点を利用して自身に受ける肉体的なダメージを防ぎ、ゲンガーのポケパワーで勝利を収めた。
その一方で俺は山本と対戦した。山本は勝てば勝つほど自身の能力が強まり、その能力が強まる先にはポケモンカードで相手を負かさずとも相手の意識を奪えるようになると言っていた。
そんなことはさせられない。緊張の糸がピンと貼った試合展開。あらかじめミュウツーLV.Xの恐るべし力をしっていたがために進化ポケモンを温存しようとしていたが、アブソルG LV.X、クレセリアLV.Xによって俺のポケモンは倒され、あとミュウツーLV.Xを倒せればという肝心なときに限ってミュウツーLV.Xを倒すことが出来る進化ポケモンを失ってしまった。
そして山本が何故力を得るかの過程を知ることになった。山本がどれほど辛かったか、それはきっと俺には知ることが出来ないだろう。でも、だからと言ってそれが他の人を苦しめる理由にはならない。
進化前がいなくなったと思っていたが、大会前に風見に借りたフライゴンLV.Xでなんとか逆転の道を切り開くことが出来た。やはり二人とも、風見杯の拓哉(裏)のように対戦に負けると能力が失われたらしい。
続く準決勝では拓哉は怪我のために棄権し、なんと風見を打ち負かした恭介と俺が対戦することになった。……のだが、先の山本のバトルで疲弊した俺は対戦途中に倒れてしまい、棄権。
偶然もあり、決勝まで進んだ恭介だったが決勝戦では対戦相手の中西さんに一枚上手の戦法をとられ、敗北してしまった。
いろいろあっても終わってしまえばなんてことはない想い出だ。
たまにはこうやって振り返ってみるのもいいかもしれない。振り返ることでまた新しい発見が生まれるかもしれないしね。
この振り返る過程で、やっぱり引っ掛かるのは能力に関することだ。
一体なんなんだ。今俺たちが知っていることは、能力は基本的にポケモンカードを通して発生し、そして対戦で敗北すると能力は消える。
能力は負の感情と連動しているようで、負の感情が高まると能力もその力を増す場合があるらしい。山本は対戦に勝てば勝つほど能力はより力を発揮すると言っていた。
きっとまだこの能力と俺たちは立ち向かわなければならないかもしれない。辛いことがあるかもしれないけど、絶対に負けられない。ポケモンカードは娯楽だ。遊びだ。そんな人を傷つけたり苦しめたりするものじゃあない。
結局能力とは一体何なのか。……いつかその全貌が明らかになる日が来るのだろうか。
「もしもし、一之瀬です」
『PCC以来だね』
「有瀬さん。何か用でも」
今の時期は新商品が発売するわけでもなく、仕事は忙しくない。お陰で早めに上がれて今は帰路だ。
家の最寄駅に着き舗装された道を歩いていると携帯電話が鳴りだし、それに応じると有瀬悠介の声が聞こえた。この男は僕を友人と言っているが、僕からするとどうも得意ではない。
『前々から言っていた「例の件」だが、日にちを決めたから連絡するよ』
「……いつです」
『七月二十四日、日曜日』
「丁度夏休みといった日程ですね」
『この日程の方が私としても楽なのでね。それで、そのための準備がある』
「それを僕に手伝えと」
『素晴らしい察しの良さだ』
この男は知っている。誰が何をできる力量を持っているのか。有瀬は僕のキャパシティを越すような頼みは決してしてこない。
『君にはWebサイトを作ってもらう』
「Webサイト……」
『来る七月二十四日、「アルセウスジム」主催のポケモンカードの対戦イベント! そのためのWebサイトだ。頼まれてくれるかな』
「……いいですよ」
どうせ僕に断る術はないのだ。
『そのページを作るにあたっての必要事項はまた後で連絡しよう』
「僕はいいんですけど有瀬さん、そっちはどうなんですか?」
『WW(ダブルダブリュー)のテストは進んでいるよ。ありとあらゆるシチュエーションを試し、欠陥がないかを探っている』
「貴方でも欠陥とかを気にするんですね」
皮肉のような一言でもあるが、自身が感じた事をそのまま伝えた。この男でも失敗は恐れるのか。向こうは僕の事を知りすぎているが、僕は有瀬のことをどれだけ知っているだろうか。
『ははは。不具合は怖いからね。万全を期す程良いことはない』
「そうだね」
『一之瀬、君にもまだまだ手伝ってもらわなければいけないことがある。なんたって、君は私の友だからね』
「分かっていますよ」
と、言ってからこちらから通話を切る。君は私の友、だと。どこまで信用すればいいのか。
しかし有瀬を信用するしか出来ない。事実彼の力は凄まじい。僕には出来ないことを何でもこなして見せる。
……全てはポケモンカードのため。今は何も考えずに有瀬から与えられた仕事をこなしていくだけだ。
翔「今回のキーカードはダブル無色エネルギー!
このカード一枚でなんと二個分の働きをするぞ。
これで勝負のスピードを上げていこう!」
ダブル無色エネルギー(L1) 特殊エネルギー
このカードは無色エネルギー2個ぶんとしてはたらく。