酔月狂花
酔月狂花
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酔月狂花

 陽が暮れ始めた頃、急に思い立って花見をすることにした。
 眼が眩む西陽の中を何件かはしごして目当ての酒とつまみを買い揃え、近所の公園へと向かう。
 丈夫なことと容量くらいが自慢のガサガサとしたビニール製の青いエコバックに缶やら瓶やらを詰め込んで、買い過ぎた、独りで消費しきれない、なんて早速後悔しながら、しかしこれを持って家に帰る方が後悔しそうなので歩みを進める。
 アパートからはそこまで離れていないが、酒屋やコンビニに時間をかけ過ぎたようで、到着した頃には赤い太陽がほぼ地平線に沈んだところだった。
 普段から人気はなく、桜並木があったりするような名所でもなく、更には満開はとうに過ぎて花弁も少なくなり始めたこの時期に桜を見ようと思い立つような暇人は居ないようで、公園には誰も居ない。
 薄暗くなり、陽が落ちたことで気温も下がり始めた公園の、一本立派に(そび)える桜の樹の下にあるベンチに腰掛ける。そして地面に置いたガサつくエコバックの中をがちゃがちゃと漁り、チューハイの缶を取り出す。
 紺と銀のパッケージのレモンチューハイ。袋の中には同じものがもう一本。九州の工場のものと関東の工場のものとで味が違うなんて話を聞いたので探し回ってみたのだ。
「では、見頃を過ぎた桜に乾杯」
 丁度良く街灯に照らされた桜の樹に向けて缶を突き出して、その後口をつける。今飲んでいるのがどちらの工場のものかは確認していないので知らないが、まあ美味い。
 薄ぼんやりとした夜に浮かぶ月と、散り際の桜を眺めながら缶を傾ける。閑静な住宅街の死角の様な場所にあるので、音も風で桜の枝が揺れるくらい。レモンチューハイは度数が強めの割に飲みやすく、既に半分以上は飲んだだろうか。また一口、飲んだ後、少し体が震えた。
 日中は春めいてきているが、やはり陽が落ちると肌寒い。少し風も吹いてきたか。
 早速後悔し始めるが、この程度ならば呑んでいれば大丈夫だろうとも思い直す。
 つまみに買ったチーズでも食べようかとベンチ下に置いた袋を漁る。
 途端。
 一段強い風がびゅうと吹き荒れた。残り少ない枝の花弁と散った花弁が逆巻いて、桜吹雪となって吹き付ける。
 眼も開けていられない。慌てて持っていた缶の飲み口を手で塞ぐくらいしか出来ない。
 そんな、一瞬を終えて眼を開けると。
「ん?」
 桜の樹が一本淋しげに聳える寂れた公園から一転。辺り一面桜の樹に囲まれた空間になっていた。
 満開の桜に囲まれていたのならば気の利いた幻覚だが、しかしながら見渡す限りに並び立つ樹々の枝には申し訳程度の花弁しかない。
 だが。しかし。まあ。
「一本だけよりは豪華か」
 散りかけの桜の樹々を眺めてまた一口、口にする。鼻腔には檸檬とアルコールの匂い。唇には缶の感触。口内には液体。味もする。
 周囲を見回しても桜の樹々しか無い。見頃を完全に過ぎていて人の姿は皆無。現在地を確かめてみようとも思ったが、携帯電話が電波もGPSも拾わない役立たずなのでどうしようもない。
 どうしようもないので写真を撮った。光源が足りずノイズ混じりの風景画像が保存される。
 ふむ、と携帯電話をポケットに仕舞い、また一口飲む。すると、何処の言葉か知らないが何か言われながら背後から肩に手がかけられた。
「ああ、どうも。何か?」
 振り返ると小柄な老人が立っていた。……老人、だろうか。筋骨逞しい老人らしきそれの肩には、子供らしき小さいのが乗っている。何故か角材を担いで。
 手に馴染む棒は伝説の剣だし、切れ味抜群の妖刀となりうる。子供……孫だろうか、ともかくそちらが角材を持っているのはなんとなくわかる。
 では。老人のほうが太い混凝土(コンクリート)の円柱を杖にしているのはどういうことなのか。
 筋骨隆々な小柄な老人の言葉は全くわからないが、身振り手振りで伝えようとしてくれるのでなんとなく言いたいことがわかった。
 俺が座っていたベンチが老人の杖にしているのと同じ混凝土製の円柱になっていた。これは老人の場所取りだったらしい。ならば俺の座っていたベンチは何処に行ってしまったのだろう。
「これは失礼しました。すいませんベンチに座っていたはずなのですが……」
 謝罪しつつ立ち上がる。のを老人に制される。
「おっと……?」
 ぐ、っと立ち上がるのを押し止めた逞しい老人は、す、と俺の隣を指差して、その後自身を指差した。
 隣に良いか? ということだろう。
「貴方のようですしどうぞどうぞ。むしろ私がご一緒して良いんですか?」
 に、と相好を崩しドスンと軽やかに混凝土塊に腰を下ろす老人。すると肩に居たの小さいのが、跳び下りて駆け出した。角材を抱えているのに、中々に早い。視線で追うと、木陰からひょこりと現れた友人らしき小さな姿が角材の子供を出迎える。
 これも中々特徴的なシルエットの子供だった。頭に大きな花を二輪飾り、広がるスカートを翻す、大分小柄な子供。
 花の妖精めいた友人とキャキャとじゃれ合いながら駆け回る。
「元気ですねぇ」
 呟く様な感想が漏れた。
 俺の言葉に呵々(かか)と笑う老人。その手にはいつの間にか、掌二つ分くらいの気味の悪い赤い岩が。所々に開く白く縁取られた穴に詰め物をされた得体のしれない岩をむんずと掴んで軽く此方に突き出す老人。
 わけがわからず首を傾げると、俺の手元を示される。そこには飲みかけの缶。
 ……ああ。
「失礼。では、乾杯」
 缶と岩が軽く触れる。
 また一口呷る。老人も、岩の穴に口をつけて、ゴクリゴクリと喉を鳴らす。
 あの中に飲料が入っているらしい。豪快である。気味の悪い岩の器から黄色い触手がうねうねと伸びているが、蛇酒みたいなものなのだろう。豪快である。
 視線を再度、桜の樹の方へ。自然、跳ねるように元気に遊び回る子ども達が視界に入る。いつの間にか、数が増えている。花の妖精めいた子と同じくらいの背丈で、頭頂部を束ねたおかっぱ頭でとたとたと危なっかしく駆ける姿を見て確信する。どうみても人間ではない。
 散りかけた桜の樹の下で遊ぶ子供達。角材をぐるぐると振り回し、それに合わせて花弁の群が自在に蠢く花吹雪が軌跡を作り、三人目の子が吐いた息によってそれが凍りつく。そして次瞬に氷の花弁を角材でもって粉砕。
 月明かりに氷片が燦めいて、花の散りかけた桜の樹を僅かな時間装飾する。
 美しい。そう思う。
 儚い。そうも思う。
 屈強な肉体の老人も同じ方向へと視線を向けているのが視界の端に見える。岩の中身を呑んで、静かに長く息を吐くのが聞こえる。
 しみじみとした雰囲気で呑んでいたら、缶が空になった。
 そんなタイミングで人間の声めいた声がまた後ろからかけられた。
 振り向くと、長い金髪が映える頭に大きな鴉を乗せた、暗い肌の赤いドレスを着た女性が大きな眼を見開いて此方を見ていた。その手には、見たことのない果実が覗く植物の蔓で編まれたバスケットを下げている。
 頭に乗っている鴉もただの鴉ではなく中折れ帽を被り、白い胸の羽毛が犯罪シンジケートのボスめいた威圧感を放っている。何故、この赤いドレスの女性の頭に居るのか等は全く推し量れないが。
 何の用だろうか。
 そう声を発そうとした俺より先に、隣の老人がゲラゲラ笑いながら片手を上げた。それに返すように女性は歌うように何やら返し、両手をフリフリ体の前で振って破顔する。その頭上の鴉も低い鳴き声で短く鳴いた。
 よくわからないが知り合いらしい。
 合点がいった俺は一先ず置いておかれ、老人は近くに置きっぱなしだった混凝土製の円柱()をその重量には見合わないだろう軽い動作で押して、薙ぎ倒す。そして、見た目通りの重い音を響かせて横たわった混凝土塊を指し示した。
 あれに座れ。ということなのだろう。豪快である。
 くねり、と躰を揺らしながらそれに腰を下ろす女性。鴉も女性の頭から降りて混凝土の即席ベンチへと降り立った。
「はじめまして。こちらの御仁とは先程知り合った、通りすがりの者です。お約束があったのですね。お邪魔でしょうし失礼させていただきますね」
 それを見計らって挨拶する。よくわからないが、此処で花見をする約束だったのだろう。ならば部外者は居ないほうが良いだろう。そう判断して立ち上がろうとすると。
「お、っと?」
 またしても老人にぐい、と抑え込まれて阻止された。少なくとも老人にとっては邪魔ではないらしい。
 大鴉は低く短く鳴いただけなのでいまいち真意はわからないが、女性の方は大きな丸い瞳を細めて厚い唇もにぃいとさせて、バスケットの中の果実を一つ放ってくる。
 緩い放物線を描いて投げられた桃色の果実を、無事落とさずに受け取れた。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
 桃色で、桃のような形の、しかし明らかに桃ではない謎の実だが、まあよくわからないが死にはしないだろう。甘い匂いもすることであるし。
 ということで齧り付く。
「ああ、美味い」
 瑞々しい果肉のさっぱりした甘みが口いっぱいに広がる。果実の中に空洞があるので可食部は少ないが、美味い。あっという間に完食する。
「ごちそうさまでした。ではお返しに、と言ってもアルコールしかないんですが……」
 袋の中の瓶や缶を漁り、勝手な印象で見繕う。
「ん? なんですか」
 途中、隣の老人が肩を叩いてくる。袋の中からそちらに視線を向けると。俺が飲み終えた空き缶を指差している。
「あー。ありますよ。どうぞ」
 丁度もう一本あったのでそれを渡す。はて、他は全て違う種類で買ったのに何故このチューハイだけ二本買ったんだったか。
 さておき。女性の方にはスパークリングの日本酒。大鴉には……鴉は酒を飲めるのだろうか? ……どうでもいいか。鴉には――
「うん、これがいい」
 ――カルヴァドス。名前の響きだけで買ったのでどういうものかは知らないがなんだか似合う気がする。
 どちらも瓶入りの酒なので流石に投げることはせず、手渡した。
「あ」
 途端に気がつく。独りで花見をするつもりだったのでコップ類が無い。
「すいません、コップが無いので別ので――」
 言いかけた刹那。
 赤いドレスの女性が一フレーズ歌った。歌では無いのかもしれないが、ともかく短く声を発した。次の瞬間。
 氷のグラスが女性の手の上に二つ現れた。
 切子細工のような精緻な模様の入ったそれに、自分の分と鴉の分を注ぎ、にっこりと破顔する女性。
 隣の鴉も此方へと視線を向けて一鳴きする。ニヤリと笑っているようにも見えたが、鴉の表情など理解できないので実際どうなのかはわからない。
 酒の入った氷のグラスを持って、それを俺の方へと軽く掲げる女性。
「ああ。はい。ちょっと待ってくださいね」
 乾杯しようにも何も持っていない。戻って袋から取り出そう、と振り返ると。
 眼前に赤と白の岩が。老人が呑んでいたものと同じ物の二個目らしいそれを俺にへと差し出している。もう片方の手には俺のあげたレモンチューハイの缶が。
「ありがとうございます」
 礼を言って受け取る。そして老人の缶と俺の岩を軽く当てる。さっきの逆だな、なんて思いつつ、「お待たせしました」と女性と鴉の氷のグラスとも岩の器で乾杯した。。
 そして。岩の器の穴に口をつける。中身が出てくる前に、芳醇な甘い香りが鼻腔をくすぐる。先程食べた謎の果実の匂いも混ざっているような気もする。この中で発酵でもしているのだろうか。
 密造酒だなぁ。
 なんて思いながら、流れ出てきた液体を口に含んだ。ドロリとしたそれは甘く、辛く、渋く、酸っぱく、苦く、様々な味が複雑に混ざり合っていて、美味いは美味いが漢方酒のようだった。
 混凝土塊のベンチに戻って、岩の器を傾けながらまた周りの風景を見る。見ていると、岩の器からうねうねと触手が出てきた。その先に眼と口があったので、「ごちそうさまです」と声をかけると頷くように上下に触手は動き、また引っ込んだ。
 改めて景色に焦点を合わせる。散りかけた桜。樹々の陰から覗く、淡く光る玉桂(たまかつら)。その下を駆け回る子供達。
 近くには、缶を傾ける老人。氷のグラスを両手で持って飲む女性に、グラスに嘴を入れる大鴉。
 独りで花見をするつもりが、全く得体のしれない異形達と花見をしている。この状況は。
「楽しいですね」
 なんて声に出すと、老人も女性も鴉も各々言葉を返してくれる。
 何を言っているのかは微塵もわからない。
 でも、それでいい。
 そんな風にしばらく花と月を見ながらの酒盛りをしていると、突然強い風が吹き付けてきた。
 花弁混じりの突風に思わず目を瞑る。
 風が収まり眼を開けると。
 花の散りかけた桜の樹がポツンと聳える公園に居た。ベンチも混凝土製の円柱ではない。
 そして当然、俺以外には誰も居ない。
「別れの挨拶をしそびれたな」
 そんな事を口に出していた。
 何が起こったのかわからないが、とても楽しい花見をしたことは確かである。
 家に帰るとしよう。地面に置いていた筈の酒類の入ったビニール製のバッグを探すが、何処にも見当たらない。忘れてきたらしい。
 どうしようもないので諦める。どうせ消費しきれなかった。
 人気のない公園を後にして、アパートへと向かう。
 歩きだすその前に、そういえば写真を撮ったことを思い出した。携帯電話を弄って表示するが、

 黒と赤のノイズ塗れの画像があるだけだった。

     酔月狂花 水月鏡花 fin.
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■筆者メッセージ
お花見に遅刻しました。
秋桜 ( 2020/04/11(土) 13:44 )