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 街外れにある、ポケモンバトル向けに整備された公園。その一角で『ふたば』と此処で出会ったトレーナーの男性のポケモンが殴りあっている。
 家に着く前には既に雨も上がっていたので、下校時に思いついた通りに俺と『ふたば』はポケモンバトルを行いに繰り出した。勿論雨が降っていても出ていたが、そうなるとバトル数は酷く少なくなっていただろうから、天気が回復するのは幸いである。いや、荒天の中バトルするのも回数が減る代わりとするならそれはそれで良いか。
 兎も角も、手当たり次第に相手を見つける度にバトルを繰り返し続け、気がつけば既に夕刻となっている。
 しかし、十戦以上してみたが、俺も『ふたば』も満腹にはまだなっていない。まだ。まだ足りない。幾人か、ジムバッジを集めるトレーナーとも戦えたが、そういった者ともっと戦いたい。地方にあるジムに挑み、実力を認められ手に入るバッジを八つ集め、その先のバトルのメッカであるポケモンリーグに挑もうとするトレーナーとポケモン達は、そこらに居る大抵の奴らと比べてやはり強い。何体ものポケモン達を連れ、そのどれもが実力的に俺達よりも上に居る。
 それに挑めば。全力で戦い、全てを振り絞っても尚、倒せないのだから素晴らしい。
 俺も相棒も全力で戦っている。それはつまりは生きていると云うことだ。そして、倒せないのだから、俺達が足掻けば足掻く程にその時間は引き延ばされる。
 そんな生の実感を、今戦っているトレーナーとそのポケモンも長く、長く実感させてくれている。
 そして。勿論負けるつもりも毛頭ない
 藍色に染まり始めた空を太陽が落ちて行く。燃えるように赤々とした射陽が照らす中。二体のポケモン達は双方が各々両の拳に炎や冷気、紫電を纏い休む間も無く殴打し合っている。
 火の粉が散り、空気中の水分が凍りついて煌めいて、放電で火花が咲く。
 三色に光を帯びた拳が風を切る()。ガ、ゴ、と連続する打音。合間に挟まれる短く息を吸う二体の異形の呼吸音。それを彩る空気が燃え、凍てつき、爆ぜる連続音。
 部室の動画で観た大蝉の回転数程ではないが、その代わりに一撃離脱ではなく足を止めての乱打の応酬。
 『ふたば』――エルレイドと同じく人型で、突起状の飾りの着いた帽子を被り、ゆったりとしたシルエットのズボンを履いた様な姿の相手のポケモン……確かチャーレムと云っただろうか。細身な見た目からは想像がつかない重さの拳が『ふたば』の拳を弾き殴りつけてくる。
 辛うじて喰らいついているが、しかし秒毎に『ふたば』の体力が削られている。徐々にだが拳を振るう動きも鈍くなっている。
 このままこの攻防を続ければ明らかにジリ貧に陥る。
 距離を取って仕切り直すか。だが、簡単には退かせてはくれないだろう。その隙に致命的な一撃がくる。
 ならば。
 肉体を酷使して強者と肉薄する相棒に代わり、トレーナーである俺は思考する脳髄と考え指示を出す以外出来ない事に耐える精神を虐使(ぎゃくし)する。
 未だ激しい殴打を繰り返し放ち続ける二体。相手の男性はこの状況を維持することにしたようで、何か指示を出すという事もなく静観している。
 力量差はある。しかしそれは諦める理由には成り得ない。
 幾度か目の拳のぶつかり合い。
 此方が一打放つ間に。
 ゆるりと流れる様な所作でチャーレムの放つ拳がそれを真っ向から受け止め、もう一方の拳がそれを横合いから弾き飛ばす。
 瞬く間の出来事。次瞬に(しな)やかに放たれる剛腕が襲い来るだろう、
「辻斬り!」
 その刹那前。俺の指示の意図を汲んで『ふたば』の弾かれた腕の肘から生える刃が伸びる。
 攻撃へと転じる際の僅かな隙を突く、弾かれる勢いも利用した斬撃。
 重さは無いがその分速い一撃が、袈裟斬りを逆しまにした軌跡を描く。
「ッ!」
 あるか無いかの隙を突く、攻撃する気配の薄い斬りつけ。しかしそれは攻撃を瞬時に中断し、上体だけを僅かに反らした相手(チャーレム)の皮膚を浅く裂いた程度の結果に終わる。
「ッ、『レイリム』! ……思念の頭突き!」
 微かに散った鮮血を見て相手がチャーレムの名らしきものを呼ぶ。次瞬には掠り傷だと判断し、そのまま攻撃の指示が飛ぶ。
 言下。僅かも怯まずに額にエネルギー光を凝縮させたチャーレムが、反らした上体を戻す勢いで飛び上がり頭突きを放ってくる。
「迎え撃て!」
 技の指示は出していないが相手に押し負けなければそれでいい。俺の言葉の直後に、相棒が選択した技は。
 相手と同じ、思念の頭突き。勢い良く迫る相手の頭蓋に合わせて、『ふたば』の放つ渾身の頭突きが放たれる。
 ゴッと生生しく鈍く重い音が一回響く。僅かな間。双方、動かない。戦闘不能ではない。真っ向から頭をぶつけあえば一瞬意識は飛ぶだろう。
「まっじか、『レイリム』――」
 そして。その怯んだ状態からほぼ同時に復帰する二体。
 だが。そこからの動きは不屈の心で動揺等を捩じ伏せる『ふたば』の方が速い。
「インファイト!!」
 言下。足下の土が爆ぜる勢いで大地を踏みつけて白い剣魔が動く。距離を取るのではなく、更に一歩詰めての超至近へ肉薄。沈み込んだ躰が小柄な相手の懐に潜り込む。
「――防御!」
 相手の指示が飛ぶが、チャーレムが再起する前に渾身の力を込めた拳がその細い胴体を打ち抜いた。
 ゴボ、と濁った呼気が吐き出される。無論一打で終わるわけがない。防御を捨てた『ふたば』の猛打の二発目が先の一打と同じ華奢な胴へに突き刺さる。
 だが。それは勢い良く上げられた(ひざ)に蹴り上げられ防がれる。
「距離を取れ!!」
 『ふたば』の追撃が更に放たれる前に、指示通りに片足のみの跳躍で後退するチャーレム。
 さあ。仕切り直せた。
 仕切り直せたのだから次は。
 畳み掛ける。
「追え! 切り裂く!」
 俺の指示に、相棒はエルレイドらしからぬ獣じみた声で短く応えて駆け始める。倒れ込む力を移動の力に変える様な独特な走法は、バックステップで離れた彼我の距離を瞬く間に縮めていく。
「ッ。迎え撃て!」
 予想よりも『ふたば』の足が速かったようで、相手トレーナーの指示が変わる。構わない。寧ろそれでいい。
 立ち止まって臨戦態勢をとるチャーレムへ向かってそのまま猛進。右肘の刃を構え進む相棒。
 右腕に添えられた左の手からは微かな燐光が散る。
「ッ!? 変更! 回避だ跳べ!!」
 ばれた。
「伸ばせ!!」
 僅かに通常状態では攻撃範囲外で気づかれた。咄嗟に『ふたば』へ攻撃のタイミングを早める意味の指示を飛ばす。
 その意図を汲んで、白き剣魔は肘の刃を伸長させて横薙ぎに斬撃を放つ。
 ブォン、と風を両断するそれを。チャーレムは既の所で回避する。
 無論。それで終わるわけがない。
「今!」
 刃を構え疾駆していた時に既に発動準備を終えていた左手のチカラの開放を指示。
「――前方、防御!!」
 ほぼ同時。それを予期していた相手の指示が飛ぶ。
 直後。回避の為に低姿勢で横に跳んだチャーレムのその眼前に、半物質化した念動力が出現。そのまま殺到する。
 向かってくる力も利用して殴りつける様なサイコショックの一撃を、しかし空中で防御姿勢をとって耐えるチャーレム。衝撃に地面を転がるも、瞬時に体勢を整えて立ち上がる。移動先から叩き返された為に『ふたば』との距離はそう離れていない。
 その刹那の間に。
 右の掌をチャーレムへ向け、照準を定める『ふたば』。嗚呼。俺の考えをよく理解している。流石は相棒。
「撃て!!」
 言下。速やかにその掌に強烈な光を放つチカラが凝縮していく。
「それは食らうな(、、、、)!!」
 相手の切羽詰まった声が終わるか終わらない内に、凝縮された光が爆ぜる。
 一連の攻撃を布石に使った有効射程内でのマジカルシャインによる広範囲攻撃。これで沈められるとは思わないが、それでも直撃すれば相当量のダメージは与えられるはず。そこへ更に追撃を叩きこむ。
 なんて、次の展開を思考した瞬間。
「なん――ッ」
 炸裂する光撃を突き破ってチャーレムが驀進(ばくしん)してくる。
 耐えているわけではない。瞬く間もなく射程内を塗り潰す光の攻撃がまだ薄い部分のみを見切ってやがる。
 次の瞬間には有効打になりうるマジカルシャインが攻撃として機能する前に。見切った軌跡をなぞることの出来る身体能力を十全に発揮して。最低限のダメージで『ふたば』に肉薄。
 相手を射殺す様な目つきの相棒の眼が軽く見開かれる。それが限界。それ以上の行動が起こせない。
「『ふた――」
 名を呼ぶ、それすらも間に合わない。
 次瞬。
 動けない『ふたば』の腹部に、それまでの勢いに反して軽く柔らかく掌底が当てられる。
 発剄(はっけい)
 ただそれだけ。しかしそれだけで、まるで感電でもしたように剣魔の白い躰が痙攣して膝から崩れ落ちる。
 膝立ちになったエルレイド(『ふたば』)。無防備なその腹へ。発剄を放った逆の腕に渾身の力が込められて振るわれる。
 爆裂するかの様な勢いで放たれた拳の一撃は木っ端の様に相棒をすっ飛ばす。
 成人女性程度は余裕である体格の人型の異形は、何かの冗談の様に勢いよく殴り飛ばされて少し離れた所に生えた樹の幹にぶち当たって静止。
 ぐったりと、(こうべ)を垂れる『ふたば』。樹に当たった際に切れたのか俯いた顔に一筋ぬらついた赤色が伝って滴る。
 俺が相棒の現状を確認したその直後。それを殴り飛ばしたチャーレムが、ざ、と地面を蹴って駆け出した。
「『レイリム』?! ――嗚呼。そうか、まだ来ると。OK! 跳び膝蹴り!」
 躊躇無く駆け出すチャーレムと、その行動を見て躊躇いなく追撃を指示する対戦相手の男性。容赦というものが無い。
 だが。
 その通り。まだ終わらない。まだ終わっていない。
 しかし、樹に寄り掛かって崩れ落ちた相棒に立ち上がる余裕は無い。迫る(とど)めの一撃をどう対処する。
 驀地(ましくら)に迫って来るチャーレム。
 守るによる防御。
 不可。相手の攻撃を防ぐエネルギーを溜める時間が無い。
 後数歩の距離まで接近。
 テレポートで回避。
 不可。こんな土壇場での使用を想定した訓練はしていない。事故る。
 ず、と小柄な肢体が駆ける勢いを殺さずに片足へ込めて沈み込む。
 マジカルシャイン。
 不可。『ふたば』とタイプが一致しないので溜めが若干かかる。
 ならば、サイコキネシスで迎撃。
 不可。恐らく力負けする。だが横合いに薙ぎ払えば跳び膝蹴りの軌道は逸らせるか?
 思考がまとまらない。その間に尋常ではない音を立て、チャーレムの躰が跳ぶ。
 嗚呼。なんと指示を出す? 脳髄が焼きつく勢いで考える。そのせいか、流れる時間が圧縮された様に目の前の光景が遅くなる。
 撒き散らされる土砂。細かな草や木の葉も混ざる軌跡を残して水平に跳んだチャーレム。その砲弾の如き勢いで向かう先。血に染まった顔を上げた剣魔と目が合った。
 満身創痍で回避も防御も取れない死に体の、絶体絶命とでも云うべき状況。その刹那。相棒は鮮血の滴る顔で、ギシリ、と笑った。
 (いかづち)に貫かれたかの様な理解。そして時間の感覚は元通りに。
「サイコカッターァアアッ!!」
「はあ?!」
 跳び膝蹴りが突き刺さる僅か前に発された、俺の絶叫じみた言葉は届いたらしい。
 まだ僅かも動けない『ふたば』の血塗れの笑みが凶暴に凶悪に深く歪み、真紅の瞳が輝いた。
 直後。跳び込んでくるチャーレムを待ち構える様に念の刃が展開される。
 防御も出来ず。回避も不可能。どうにか凌いで一手を延命するのは、昼間に見たビデオの奴らのように目的があるのなら別だが今この場に、俺達に於いては意味が無い。敵わない戦いでも永く永く戦いたいが、無為に長引かせるのでは意味が無い。今の俺達では意味を生み出せない。意味もなく逃げてはいけない。それは死だ。立ち向かわなければ生きていない。俺も『ふたば』も生きている実感が欲しいのだから。生きていなければならないのだから。
 一瞬の交錯。二体の異形とそのトレーナーの咆哮。嗚呼。確かに俺達は今、生きている。
 そして。硝子を砕く様な鋭い破砕音と鈍い打音が響いて、消える。
 結果としては呆気無く、念を練る時間が足りなかった刃を打ち砕いてチャーレムの膝が『ふたば』の腹に叩きこまれた。
 寄りかかる樹の幹も大きく揺さぶられる一蹴は、完全に相棒の意識を刈り取った。
 攻撃後も臨戦態勢を解かずに身構える相手のチャーレムだが、いくら『ふたば』でも流石にもう戦闘不能である。
「参りました。俺達の負けです」
 そう宣言して、気絶した『ふたば』をボールに回収する。気絶しているので聞こえていないとは思うが小声で労いの言葉をかけ、ボールをベルトのホルダーへ。
「はああー、心臓に悪いバトルだったわー。ありがとう良いバトルが出来たよ」
 それを見て漸く警戒を解くチャーレム。トレーナーの男性も横に来て「お疲れ『レイリム』」なんて声をかけて傷の様子を見ている。
「楽しいバトルでした。良ければこれ、使ってください」
 それを見て、肩にかけていたサコッシュから橙色のボトルの傷薬を取り出して差し出す。しっかりと立つチャーレムだが、打撃はそこまで酷い外傷になっていないものの、刀傷、特に最後に展開したサイコカッターを砕いた膝は深いものではないがまだ出血している。
「おお、ありがとう。では遠慮無く。君のエルレイドもちゃんとポケセンで診てもらいなよ」
「ええ。この後向かいます。流石にあんなに重いの食らってそのままには出来ません」
 しゃがんでチャーレムの傷に薬を噴霧しつつ言ってくる男性に苦笑しながらそう返す。ポケモンは生命力が強いとはいえ、あれだけ傷めつけられれば医者に診せたい。
「……ああ、良かった」
 俺の返答に僅かな沈黙の後、長く息を吐いてそう呟く男性。
「あ? どうしました?」
「いや、エルレイドもバトル中笑ってたしまあ違うとは思ったけど、余裕なくて結構思い切りやってしまったのに君が“楽しいバトルだった”って言うから、ちょっと不安にね」
 なるほど。決着がつく前に俺が負けを宣言したり、ボールに戻そうとしても『ふたば』は動けなかろうとなんだろうと渾身の力で拒否するだろうが、確かに傍から見れば無理やり戦わせているようにも見えるか。
「ああ。あの程度で諦めていたら逆に俺が斬られますよ」
「申し訳ない。けど、それはそれで恐いわ君たち」
 応急処置を終え、チャーレムをボールの中に戻してから頭を下げる男性。そして、俺の返答に苦笑する。目線が俺の顔の傷やらシャツから覗く火傷痕やら向けられているので、何か勘違いされている気もするが、まあ訂正する必要もないか。
「そもそも、あの最後の局面で避ける防ぐではなくて攻撃を選択ってのが恐いわ」
「まあ、守るも間に合いそうになかったんで。見切りも覚えませんし。使えても動けないし。というか、『ふたば』も多分ほぼ意識無かったんで。俺の指示がもっと早ければ展開も少し変わったかもですけど」
「……例えばどうなる感じに?」
「ん、そうですね……サイコカッターであのチャーレムが沈むとは思えないですけど、それでも跳び膝蹴りを不発に出来ればその間に自分にサイコショック当ててでも覚醒してまた殴りあってたかと」
 少し思案して、もしもを想像して質問に返答する。渾身の力で放たれていたあの膝蹴りを殺せたならば、あのチャーレムもそれなりのダメージを負っている筈で、そこからの乱打に持ち込めたならばまだ戦い続けられたかもしれない。
 俺の言葉に、男性トレーナーはまた苦々と笑って、
「うへえ。俺と『レイリム』もゴリ押しするスタイルだけど君たちも相当だな」
 なんて言ってくる。この人の言うとおり、過剰であるという自覚はある。俺が自覚しているのだから恐らくは『ふたば』にもあるだろう。だが、止まれない。停滞は死だ。死ぬわけにはいかない。
「まだまだ弱いですけどね」
 “相当”な俺達を降した男性へ軽く皮肉を込めて返す。
 ただ、あまり効果は無かったのか、男性は軽く笑いながら返してくる。
「いやいや君達強いわ。ただ、なんだろうな、」
 言葉を切って、若干の思案。
「上手く言えないんだけど、勝ち負けにそこまで重きを置いていないような? そんな感じがする」
「……一応、負けようと思って戦ってはいないですよ」
「いや、気に障ったなら謝る。ごめん。直接戦ったんだ、それは確りと理解しているんだけど」

「なんだろう、別にそういうのに執着しないのも構わないと思うんだけど、君達のはなんか危うい感じがしてね」

 す、と真剣な顔をしてそんな事を言ってきた。
 なんと返せばいいか僅かに逡巡(しゅんじゅん)していると、「なんか勝手に感じただけだから、見当違いなお節介だったらごめんなー」と直ぐに表情筋を緩めて言ってくる。
 その後も少し会話をして、宿の方向へと向かう男性を見送った。
 既に太陽も沈んでしまい辺りは暗くなっている。それでも粘着く様な暑さとジジ、と鳴く虫の音に辟易しながら俺もこの公園の入り口近くに建てられたポケモンセンターへと向かう。
 男性に言われた事を反芻しながら歩く。湿度の高い暑さにじっとりと汗をかく。不快だ。故に生きている。まあそれは兎も角、センターに『ふたば』を預けるついでにシャワーを借りようか。等と考えていてふと、気が付く。
 そういえば。
 あの人の名前も何も聞いていない。
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秋桜 ( 2018/08/10(金) 22:48 )