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「あれ、どうして着替えてるんデスか?」
 入部して直ぐに辞めて以来、来ることは無いと思っていたバトル部の部室の扉を開ける。すると、先に来て部屋の中心に置かれた鉄製の机に何冊かの本を広げて座る後輩が青い眼を丸くして開口一番尋ねてきた。机の上の小蜘蛛と、両隣から覗き込むようにして本を見ていた後の二体も此方に視線を寄越してくる。
「あ? ああ……用事があって外出たら濡れた」
「なるほどデス。あ、タオルありますけど使いマス?」
「ん、サンキュー。でも自分のあるからいいわ」
 適当極まる俺の返答に、しかし金髪白貌の後輩は「風邪とか気を付けてくださいネー? あと、ボクも着替えといた方がよかったのかな? とか考えちゃいマシた」などと、はにかんだ笑みを浮かべて照れた様子で返してくる。
「んなことよりも、お前のポケモン達のはあったのか?」
 服装が制服だろうが体操着だろうが私服だろうがそんな事はどうでもいい。部活禁止期間にわざわざ鍵を借りてポケモンバトル部の部室に来ているのだから、取り敢えずの情報をこの後輩の頭に叩き込むという目的を果たしたい。
 タオルで髪の水気を拭いながら訊く俺の問いに、『チシュ』はにぱっと笑顔を咲かせながらこう返してきた。
「あ、ハイ! バチュルもタブンネもハハコモリのもありマシた! 他にも先輩達のポケモンのも見ツけたのでヌケニンとテッカニンのを読んでマシた!」
「応。偉いな。ところでお前の手持ちは何時からそのヌケニンとテッカニンとやらになったんだ?」
 今はそいつらの知識は要らない。俺の嫌味の混じった言葉に、しかし天使の様な見目の後輩はきょとんと小首を傾げ、
「ヌケニンとテッカニンは『委員長先輩』の手持ちデスよ?」
 「(うつろ)(おぼろ)デス」なんて返してくる。
「じゃあお前のポケモンの資料開いて、覚える技とかそこらへんをノートにでも写せ。ほれ、開始」
「わわッ、了解デス!」
 頭に痛みを感じながら言う俺の指示に、『チシュ』は慌てた様子で筆記具とルーズリーフを取り出すと当該の本の頁を開いて写し始める。
 勿論、それを眺めているだけなんていう時間の使い方はしない。何が楽しくて後輩がノートに書き込んでいる様を見ていなければならないのか。そして、それは無論自分達が使える技等を調べているトレーナーがペンを走らせているのを凝視する阿呆共にも言える。
 溜息を一つ吐いて、冊子がならぶ棚の隣、大量に並べられたファイル型のディスクケースが詰め込まれた棚から一つを抜き出す。こちらの事も兎渡路に訊いておいたので間違いない筈。
 その中から、一番日付の新しいディスクを取り出す。角ばった字で書き込まれた大会名と、日付を見て目的の物だと確認し、
「お前らが見てても『チシュ』の作業効率も理解度も上がらん。これでも観てろ」
 『チシュ』を囲って見守っている三体の頭をケースで軽く小突く。三体とも可愛らしく悲鳴めいた鳴き声を上げて俺を見る。軽く跳び上がる程驚かれて俺も少し驚いた。その集中力は使い所が可怪しいのでどうにかならないものか。
「ボクのポケモン達、いじめないでくだサイね? 先輩」
「あ? いじめてねえわ。これでいじめになったらバトルなんざ蹂躙になるわ」
 なんて馬鹿みたいな会話をしつつ、いや、集中力と云うよりは視野や注意力の問題か。などと考えながら、古臭いがそこそこ画面の大きいブラウン管テレビに繋がれたプレイヤーに取り出したディスクを入れる。
「直近の大会の動画流すけど、お前は気にせず作業を続けろよ」
「ハイッ。了解デス! ……一番最近の大会だとホウエン地方大会デスか?」
「あ? あーそうそう。つーか、知らなかったけどもう負けてんのな」
「はい……でも三年生も『ピアス先輩』も『委員長先輩』も頑張ったんデスよー?」
「ほう。まあその頑張りとやらを観賞するんだが」
 頑張っていようと頑張っていなかろうと興味は無い。しかしあのふざけた野郎のバトルがどんなものかは少し興味が湧いた。なのでそれを観る事で、バトルの動きの出来ない『チシュ』の手持ち達の参考にでもなれば俺の好奇心も満たされ良いこと尽くめである。が、そういえば。
「……こいつらテレビ画面ちゃんと見えてんのか?」
 操作を終え、再生が始まった所でそんな事に思い至る。『ふたば』は見えているらしいが、昆虫型と獣型のポケモンは画面に映った動画を見られるのだろうか。
「さア? あ、でもママやお姉ちゃん達が好きなアイドルが映るとみんな反応するノデ、多分大丈夫だと思いマス!」
「なら平気かね」
 もし人間(おれたち)のように見えていないとしても、もう雰囲気を感じ取ってくれればそれでいいか。なんて目標を下方修正する。というか俺がこれを観たい。
「……忘れてた。お前も観るだろ『ふたば』」
 ボールの中で静かに待機していた為すっかり失念していた相棒を召喚。腕を組んで長く息を吐きテレビの画面を睨みつけているが、全く普段通りである。何故か『チシュ』の小蜘蛛が頭に乗り、後の二体に左右からしがみつかれた状態で動画を観るはめになっているが、怒ってはいない。目つきは極めて悪いがこれは、画面に集中している結果なので問題ない。俺だったら怒っているので出来たポケモンである。
 そして。画面の中では既に試合は始まっている。
「別にどっちでもいいけど、うちの学校の方が良いか? 負ける試合だけどそれでもお前らより強いから、動き見てろ」
 俺の言葉に、視線は画面を凝視したまま『チシュ』のポケモン達は返事をしてくる。
 一応、集中し過ぎないでいるらしい。これがバトルの時に出来れば文句無しなんだがな。なんて思いながら、『ふたば』達の横に椅子を引いて座る。
 スピーカーから流れる、そこそこの量の応援の歓声やそれを劈くトレーナーの指示の声。哮り声で応じるポケモン。双方の先鋒同士が熱戦を繰り広げている。
 学校対抗の大会のルールは先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五人の勝ち抜き戦で、各々二体まで使用可能で一体が戦闘不能となるとその選手は負けとなるそうだ。
 先鋒は三年のようだが、生憎と名前を覚える前に追い出されたので何となく顔を覚えている程度。レギュラーなので『チシュ』を嬲って笑っていたあの三馬鹿共より強い筈だが、全体的に相手の動きの方が上をいっている。
 指示の下、技を繰り出す。しかし()なされる。体勢が崩れたところに攻撃を食らう。名を呼ぶ声。牽制の攻撃を放ちながら距離を取る、先輩のポケモン。
 そんな攻防が続く。何発かは攻撃も入るが、それ以上に痛打を浴びてしまう。
「ポケモンの交代は」
 ルールを思い出し、思わず呟く。
「その仔がエースなんデス」
 独り言に、ノートに向かう後輩がペンを走らせる手は休めずに声を震わせて返してきた。
「なるほど」
 それではどうしようもない。
 悲しい程に、力の差がある。ボロボロになって呼吸も荒い。だがそれでも動きにも、指示する声にも諦めは滲まない。
 勝ち目が見えない相手に挑む事は楽しい。結果がわかりきっているものに抗う事は面白い。
 俺と『ふたば』がこの状況だったならば。嗚呼それはなんて愉快な事柄だろう。映像を眺めながら、もしもの想像に口元が緩む。視線をずらせば相棒も同様に凶悪な面相を歪めている。
 だが。画面越しのこの名も知らない先輩とそのポケモンは全く楽しそうではない。撮影している場所の問題でトレーナーである先輩の顔は見られないが、フィールドを動き回るポケモンの方は顔も時偶(ときたま)に映る。尾を立て、四肢で確りと踏ん張って、体毛は逆立ち、口吻(こうふん)に皺を寄せて牙を剥くその姿は勇敢そのものだ。だが、その状況は芳しくない。爪も牙も届かず転がされ土に塗れる。
 辛いだろう。苦しいだろう。苦痛は生きている事を実感させてくれる。しかし手段が目的に成り代わりかけている俺ではないのだから、何故こんな痛苦を耐えても尚、折れないのか。
 幾度もの痛打を耐えていた先輩のポケモンだが、一矢報いるという事もなく限界を迎えようとしていた。
 動きの止まる直前。閃光と成って場内から光となってそのポケモンが消える。僅かな間の後に、先程まで戦っていたポケモンの名とは違うものを発しながら先輩はモンスターボールを投げる。光と共に現れる、控えのもう一体。
 ここで交代するのか。手持ちの名前を呼んで発破をかける先輩と、それに吠え声で応えるポケモンの姿に感嘆する。『チシュ』の言う通りならば、今フィールドに出ているポケモンは先に出ていた奴よりも弱いという事になる。ただでさえ歯が立たなかった相手だというのに。しかし微塵も臆した様子は見られない。トレーナーにも、ポケモンにも。
 しかしどんなに士気が高かろうと、当然の帰結として如何ともし難い地力の差は覆らない。数発の技をどうにか叩き込む事には成功したものの、それでも相手を揺るがす事は出来ずに力尽き、地に伏した。
 次鋒の先輩の戦いも、概ね似たようなものだった。圧倒的な性能差とでも云うべき力の差に晒されながらも、地べたを這いずり回ってのたうち回って僅かな隙に技をどうにか叩き込む。
 何度でも言うが勝ち目が見えない。しかし決して相手も無傷ではない。
 そんな攻防を辛うじて続け、次鋒の先輩の二体目が沈む。
 そして、計四体のポケモンを下した対戦相手のポケモンも無視はできない疲労を目に見える形で示していた。それを見てトレーナーが声をかけ、ボールへと戻す。
 これで暫定的だが漸く一体。しかし、未だ先鋒も倒せていない。そして戦闘が出来ないわけでもない。対して我らが学校のバトル部は中堅までノンストップで引き摺り出されている。
「書いてるところ悪い。負けるのはわかってるんだが、このままあっさりいくのか?」
 思わず、机に向かって資料の内容を書き写している後輩に尋ねてしまう。残りのポケモン達(やつら)は画面をじっと凝視したまま動かない。画面の中では中堅の選手がバトルフィールドに丁度立ったところである。姿勢よく立つその姿には覚えはある。
「えっと……『部長さん』までは比較的あっさり、デス」
 嗚呼、俺が辞めた時の副部長だ。当時三年だった部長が引退して次の部長になっていたらしい。……部長が中堅か。どういう順序で決められているのだろうか。
「なるほど。なんかすまん」
 俺の問いに、少し言い難そうに返してくるバトル部の部員である後輩(『チシュ』)。よく考えなくても、所属している人間に無神経な質問だったかもしれない。辛うじて此方やテレビの画面の方は向かずに、しかし書き込む手は止まっているのを視認してそう思う。
「イえ。でも、結果は負けちゃいマシたけど、一致団結して限界まで頑張って、振り絞って戦っている姿は格好良かったデス」
 画面では、部長のポケモンが両腕に生えた葉を刃に変えて相手と斬り結んでいる。エルレイドとしては平均的な体躯の『ふたば』よりも一回り大きい、巨大な爬虫類型のそいつはこれまでの二人の手持ちよりも強いらしく僅かばかり攻撃の入る回数が増えている。
「俺も泥臭くやるのは良いと思うわ」
 それでも。相手の二体目はその遙か上をいく。表情は乏しい部長のポケモンだが動きで理解できる渾身の力を乗せた技も、相手への痛打となり得ない。それでも持ち前の敏捷性と近距離、中距離からの技を駆使しての一撃離脱でどうにか戦闘を維持している。
 戦う場所が木々の生い茂る森等ならばもう少し善戦出来たのだろう。だが悲しいかな其処は何もないまっ平らな土のバトルフィールド。土に塗れて、必死に踊る。
「だけど俺に一致団結とかチームワーク的なのは無理だな。つーか蒼都(あおと)の野郎もその、一致団結とやらに入ってんのか?」
 別段悪いやつでは無いが、正直あいつがこういった雰囲気の中に居る印象がない。もっと飄々(ひょうひょう)と悪く言えばへらへらと戦いそうなものだが。
「『ピアス先輩』は練習とかは気がついたら居なくなってたりしマスけど、バトルについては多分部内で一番真剣だと思いマス」
 そんな俺の印象とは違う、後輩の評。学校では話すし、放課後等でもクラスメイト数人と偶に何処かに行く仲ではあったがそういう面は俺は知らない。
 そうなのか、という生返事に頷いて『チシュ』が続ける。
「『ピアス先輩』みたいには無理かもしれないデスけど、ボク達も他の先輩達みたいにバトル出来るようになりたいデス」
「そうか。なら手を止めさせた俺が悪かったから、そろそろ動かそうぜ」
 実現可能かは置いておいて、しかし素晴らしい目標ではあるものの、歩みが止まってはたどり着けない。
 ハイッと可愛らしく気合いの入ったいい返事と共に書き取りが再開。
 そうこうしている合間。部長の、限界を迎えた一体目と入れ替わり召喚された同種の二体目が、必死に足掻いて足掻き尽くしてそして散る。
 番狂わせも何もなく。無様としか言い表せない有様で。しかし、確かに相手の力を削っていた。
 部長の意地か執念か、そのポケモン達の攻撃は確かなダメージを与えている筈だし、高速戦闘を続けたからか息も荒い。
 諦めるな。まだまだ。等の此方の学校側の疎らな応援が場内に響く。そして、それを掻き消す音と声の塊が場を染める。選手もポケモン達も、応援も。その全てが此方とは違い場馴れしている。
 その様子や、まだ二体しか見れていないがその何方も強力な種族であることからも、強豪校なのだろうな。とは素人ながらも理解する。
 そして何も出来ていないわけでは無いものの、結果としては先鋒に副将まで引きずり出されて居る現状、会場の空気は完全に相手方のものと成っている。
 その重圧的な空気に支配されているだろう空間に、次の選手が登場する。髪を二つに束ねて眼鏡をかけた女子。兎渡路 圭子(ととろ けいこ)が。
「『委員長先輩』のバトル、すっごいデスよ。ボクは真似出来そうにないデスけど……」
 画面の中で兎渡路の名が呼ばれたのに聞いて、『チシュ』が言う。慣れてきたのか手は止まっていない。
「ほう。そりゃあ楽しみだわ」
 そう返して、画面へと集中する。
 録画された映像の中、姿勢良く立つ小柄な彼女が召喚するのは。巨大な蝉。
 抱えるように前に出されたトレーナーの両腕を足場に止まるその昆虫型のポケモンの種族名は。確か『チシュ』が見ていた本に載っていたし言ってもいた。……そう、テッカニン。
 そうして。此方の学校の副将と相手校の先鋒の試合は始まった。
「なんだこりゃ」
 思わず声が出る。
 繰り広げられるバトルは、基本的にはこれまでと変わりない。地力の差がある相手に、劣る方がどうにか一撃を加え、必死に離脱するヒットアンドアウェイを繰り返す。
 食らわせた一打が大したダメージを与えていない事も変わりない。
 だが。一点。ただ一点。
 速さ。
 これ一つだけが相手の動きの上を行く。
 相手選手の指示。応えるポケモンの咆哮。震える大地と空気。それを大蝉の翅音が斬り刻む。
 凛と発せられる兎渡路の(めい)に従って、カメラに捉えきれない速度で飛び掛かるテッカニン。かすり傷を付ける程度の攻撃だが、その速さを相手のポケモンは追い切れずに攻撃を当てられない。
 更に。ただでさえ早い飛翔速度は徐々に徐々に加速している。
 相手が苛立たしげに大振りな一撃を振るう合間に、兎渡路の大蝉は残像すら残す勢いで攻撃を繰り返す。
 一方的ではある。あるがしかし、相手の防御力を悲しい程に突破出来ていない。そしてそれを破る為に、大技などを出そうとすればその隙に痛打を食らうだろう。
 そして、勝手な印象だが一撃でも直撃を食らえば恐らくあの蝉は沈む。
 派手な動きに反した劣勢だが、しかしテッカニンの攻勢は続く。
 しかし、相手もただ斬りつけられるだけではない。見るからに殺傷力の高そうな爪や靭やかで強靭な尾による物理的な攻撃から、火炎を吐いたり衝撃波染みた咆哮といった攻撃範囲のあるものにと変え迎撃を試みる。
 それを既の所で回避する。
 流石に細かい傷は負っている筈だが、その程度ではその飛翔は止まらない。トレーナーの兎渡路共々、止まれば死ぬのではないかとすら思わせる鬼気迫る様相で、斬撃を加える回転数が更に上昇する。
 空気を切り刻む翅音と、画面越しでも耳奥に突き刺さる鳴き声が場内に響き渡り。相手の強固な鱗と擦過する金属めいた残響音が色を添える。
 十重二十重もの斬撃の嵐の中。相手トレーナーの指示が飛ぶ。耳障りな雑音に塗れた空間内だが、それはしっかりとその中心で連続する斬りつけに曝される相手のポケモンへと伝わった。直後にがぱりと大口が開かれる。
「離れて!」
 その動きが終わらない内に、兎渡路の声が場を劈いた。瞬時に声に従った影が一心不乱に距離を取る。
 僅か後。幾度目かの衝撃波を伴った咆哮が炸裂。
 空気を震わす大音響だが、ギリギリで攻撃の有効範囲から兎渡路の大蝉は脱していた。
 しかし、直撃をしていていないだけで無傷では勿論ない。流石に蓄積したダメージはその後の挙動を鈍らせたようで、滞空はしているもののその場から動かない。
「『朧』!」
 名を呼ぶ絶叫じみた声。再動する大蝉(テッカニン)。超加速した飛翔で瞬く間に再接近を果たす。
 しかし。その僅かな間は更なる追撃への予備動作を終えるには足り得たらしい。
 飛び掛かるテッカニンの翅音に混ざり、ジャラリジャラリと金属同士が擦れ合う様な音が鳴る。
 それを見て兎渡路が再度退避するよう指示を出すが、しかしそれは間に合わない。
 全身を覆う鱗を震わせて生じたその音は、直後に先程のエコーボイスとは比較にならない雑音と化して土埃を巻き上げ炸裂した。
 相手の竜型ポケモンを中心に、全方位に放たれた衝撃が会場全体を鳴動させる。切り札めいた大技の行使に観客達が一瞬静まり、直後に沸き上がる。
 この勝負は決まってしまったかのような、そんな歓声がテレビのスピーカーから響いてくる。
 確かにあれを食らえば確実に戦闘続行不能だろう。相手の技と同量以上のエネルギーを放出して防ぐ技である守るを使える間も無かった。
「こノ辺りの『委員長先輩』達、とっても格好良いデス」
 くるりと椅子の上で躰を翻し、背もたれに両手と顎を乗せて画面に向かって座り直した『チシュ』の言葉。
 何がだ、という問う前に、
「テレキネシス!」
 画面の中で兎渡路の声が空気を劈いた。
 直後。音も無く気配も無く、技を使用した光だけが瞬く。
 結果。土埃が薄くなったフィールドで大技を放った竜種が唸り声を上げて身を捩り、宙に浮く。
 尾を含めた全身で抵抗する竜のその背後には、先程まで騒がしく飛び回っていた大蝉とは打って変わって静謐な抜け殻の様な姿をしたポケモンが佇んでいた。
「あのタイミングで回収したのか」
「ハイ。『虚』の入ったのを投ゲテ、その中に『朧』を入れて、っテ感じで入れ替えたそうデス」
 相手のトレーナーの驚きが、定点で撮っている為に小さく映っているにも関わらず理解出来る。慌てた様子で宙に浮かんで固定された自分のポケモンをボールに戻そうと、動く。
 何が起きているのか把握しきれなくとも、立て直すにはそれが最良だろう。交代しても、先の一体はダメージはほぼ無く疲労が蓄積していた程度なので仕切り直すくらいは余裕であろうから。
 それを。
「砂嵐」
 ガスマスクの様な物を装着した抜け殻が巻き起こした砂塵の壁が許さない。
 瞬く間に視界を遮る砂の壁の中に、ボールの回収光線が吸い込まれるがフィールドに居る竜を戻せないようで、焦った様子で何度もモンスターボールを向け直す相手選手。
 本来、砂嵐そのものにポケモンの回収を阻害するような事は無かったはずなのであの抜け殻が何かしているのだろう。……テレキネシスで浮かせた位置を変えているとかその辺りだろうか。
「『虚』! シャドーボール! 撃ち続けて!」
 なんて考えている合間に、逆巻く強風の只中に向かって声を張り上げて指示を出す、兎渡路の声が大きく響く。
 指示に対する応えは、砂と風が乱舞する空間から僅かに透ける幾多の光。先の大蝉の斬撃の回転数には遥かに及ばないがしかしそれでもかなりの数の光弾が連続して放たれている。
 吹き荒ぶ風音の中に混じる着弾する音を、塗り返す様に怒りに塗れた竜の咆哮が轟く。
 それと共に相手のトレーナーの指示。
 テレキネシスは相手を宙に浮かべるが、動き全てを拘束するわけではない。よって、再度金属めいた鱗が擦れ合うあの音がジャラリジャラリと次第次第に大きくなっていく。
 その間にも放たれ続ける影色の光弾。
 その弾幕が。周囲の砂嵐が。纏めて薄紙を破るような容易さで消し飛んだ。
 音が爆ぜた後の一瞬の静寂。その中で何事も無かったかの如く無音で佇む抜け殻の異形。それと。
 テレキネシスによる拘束さえも消し飛ばし地面に降り立って、牙を剥く竜型の異形。
 ゴーグル越しの生気を感じない空ろな眼と怒りに血走った眼が一瞬交錯する。
「ツバメ返し!」
「後退しつつシャドーボール連射!」
 ほぼ同時に両者の指示が飛ぶ。
 言下、竜の姿勢が沈み込む。鋭い爪の生えた脚の筋肉が膨れ上がり、次瞬に爆発的な勢いで距離を詰める。
 言下、抜け殻の周囲に影色の球が幾つも展開。自身は滑るように後退しつつ影球を放ち続ける。
 一直線に向かってくる相手に、抜け殻の異形のシャドーボールはその殆どが直撃するものの悲しいくらいにその速度を毛ほども削れない。
 あ、と云う間に肉薄される。そして速度の乗った一撃が叩き込まれる――
 その直前、抜け殻の姿が光に包まれかき消える。
 目標を見失い空振る竜のその背後を、抜け殻が消えるのと同時に光と共に現れた大蝉が斬りつける。
「いいのか? あれは。つか、ボールどう回収してんだよ。あの位置から出すにはボール投げるしか無いぞ」
 攻撃を受ける前にポケモンをボールに戻してやり過ごし、その隙を交代したポケモンで突いているのだあの眼鏡は。
「交代は自由なのデ、ルール違反はしてないデス。フィールドに二体同時に存在してたり、ボールに戻しテ三秒以上フィールドにポケモンが居ない状態にしちゃうと駄目デスけど」
 『チシュ』の説明の合間にも、怒れる竜種を相手に脆弱な虫ポケモンが立ち回り続ける。掠り傷にもならない程度の攻撃だが、喰らい続ければ流石に強靭な個体でも疲弊する。呼吸が荒くなり始めたそれを、相手が交代しようと試みるが、その度に大蝉が回収光線の軌道上に砂をかけて減衰させたり攻撃を重ねて一歩ずらしたりと妨害。
 そして、相手の竜よりも数倍数十倍動いている蝉の疲労もピークのようで竜の攻撃を避けきれない事が多くなってきている。
 だが、致命的な直撃を食らう前に交代による緊急回避が行われ、ギリギリで戦況が維持されている。
「ボールに『かるかん』の糸を()ったノガ繋がってるんデスよ」
「なるほど」
 いつの間にか、両手にモンスターボールを構えて身構えた兎渡路の後ろ姿が画面に映るのを確認し、後輩の言葉に頷く。
 回収する為の光線が届かなそうなら直接投げつけて回収し、もう片方のボールを相手の死角に投げて召喚。更に回転を加えて投げて跳ねさせて、相手の交換を邪魔さえするなりふりの構わなさ。
 ポケモン達もトレーナーも鬼気さえ感じる程の執念で喰らいつく。ボールに入るのと出てくる僅かな時間は完全な無防備な状態になる。そんな危険を冒し、薄紙を挟み込む様な間を狙って剃刀の刃の上を歩く様なギリギリの交換を繰り返す。
 猛り狂う相手の絶叫染みた咆哮。空気を切り刻む翅音。爪牙や強靭な尾による技の光の軌跡。残像が残る程の加速からの斬撃。驚くべき動きと正確さを見せて回収と召喚を行う兎渡路の投擲。徐々に回数の増えるモンスターボールの開閉音とそれに伴う閃光。竜の尾による強打を受け止め軋む抜け殻の躰。
 全てを絞り出して漸く劣勢を維持出来る必死のフィールドを、決死の覚悟で踏みとどまって戦い続ける兎渡路とそのポケモン達。一体何がこいつらをここまでさせるのか。
 これまでの奴らも喰らいついていたが、これほどまででは無かったと思う。
 というか、俺が居た頃はここまでしつこい戦いをする雰囲気では無かった気もする。そこそこ強いが、そこそこ戦ってそこそこの結果が出れば良いような、そんな緩い空気が流れていたように思う。
 では何が原因で変わったのか。
 なんて、考えた瞬間。何十回目かの交代を終え、兎渡路の手に戻ろうと円弧を描いて紅白の球が宙を舞う途中。パキ、とそこそこ大きな不穏な音を出して軌道を変えて見当違いの方向へ。
 酷使に酷使を重ねた結果、糸の接続部が壊れた。
 映像を観ている俺がそう理解したのとほぼ同時。同様に好機と理解したらしい相手の指示が一際大きく劈く様な勢いで飛ばされる。言下、勢い良く駆け始める竜種。
 場に出ていたのは蝉の抜け殻めいた異形。召喚のボールも器具か操者に何か不具合があったのか、これまでよりも距離を大きく取って繰り出されている。だが、それも疾駆する数歩で詰められるだろう程度の距離。
「――ッ、破壊光線!!」
 相手の指示に僅かに遅れて兎渡路の指示が発せられる。
 その命の下、ガスマスクを装着した顔の眼前に激しい閃光を発する光球を形成する抜け殻の異形。
 だが射出準備が整う前に、フィールドを踏み割る勢いで迫る竜種の爪があと一歩の距離まで肉薄する。
「ヤれ!」
 勝利を確信した相手の発破と、
「撃て!!」
 これでも諦めずに無茶を言う女の声が同時に轟いた。
 明らかに不自然な防御力を発揮する抜け殻の、不思議な守りを突破する力を帯びた爪が咆哮と共に振るわれる。
 明らかな必殺が迫る中、身じろぎせず鳴きもしない抜け殻。代わりにとでも云う様にギィィィンと相棒の大蝉の鳴き声めいた軋んだ音を響かせ光球を圧縮し、無理矢理に放った光線で迎え撃つ。
 結果、生じたのは光線を真正面から受けた竜種の躰との鍔迫り合い。
 準備不足で放たれ、力量も高くない抜け殻の迎撃。
 だが、破壊力のみを追求した一撃は僅かに強靭な竜の勢いを上回った。
 ザリ、と音を立てて竜の脚爪がフィールドを離れ、そのまま光線の勢いに押されて勢い良く後退する。
 そのまま相手の意識までをも吹き飛ばせれば良いのだが、しかしチャージ不足で力不足、更には恐らくこういった技への適性不足なのだろう抜け殻の破壊光線はフィールドの端まで押し戻した所で掻き消える。そして勿論相手は倒れていない。
 万策尽きたであろうところに、再度、相手のトレーナーの指示が飛ぶ。それに猛り狂った様な咆哮で応え駆け出す竜型ポケモン。
 対する兎渡路のポケモンは、無理な攻撃の反動で動けない。迫る脅威を前に行動を起こせない。
 そして、絶体絶命というのにそのトレーナーである女は何故かフィールド外を走っていた。画面の端で、バトルフィールドすら見ずに一心不乱に全力疾走している。
「は?」
 突然の奇行に思わず声が出た。
 それとほぼ同時に。
「え?」
 思考が停止した風な相手選手の声がモニターのスピーカーから妙によく響いた。直後。動きのとれない抜け殻に向かい猛進していた竜がバランスを崩して崩れ落ちる。
 ズザァと、駆けていた勢いのまま地面を転がり、そして立ち上がらない。
 取り乱した相手トレーナーが自分のポケモンの名を叫ぶが、微かに反応するだけで起き上がれない。
 僅かな間の後、審判が戦闘不能と判断を下し勝者として兎渡路の名とそのポケモンである抜け殻の名が高らかに呼ばれた。
 唖然とする雰囲気が録画された映像だというのに、画面越しに感じられる。個人的には、結果も驚愕だがその前の全力疾走に唖然とする。
 あそこまでの瀬戸際に陥って尚も諦めずに、大蝉の入ったボールを回収しに走りやがった。
「……毒々(どくどく)か? あれは」
 真逆(まさか)の勝利を収め、紅白の球を両手に握って小走りで所定の位置に戻る兎渡路の姿が端に映る画面から視線を移し、椅子の背もたれに顎を乗せて食い入る様にモニターを観ている金髪青眼の後輩に問いかける。
 いつ放ったかはわからないが、攻撃が全く通用していない相手が倒れたのだからそれくらいしか思いつかない。
「あ、ハイ。『朧』の斬りつけの何回かに一回は毒々だっタそうデス」
「ふぅん……あ? 何回は?」
「高レベルのドラゴンタイプは頑丈だカらたっぷりと蓄積してヤった、って言ってマシた」
「なるほどねぇ」
 明らかな実力差がある相手と対戦するにあたって、あの女は自陣の前三人を布石に使ったのだろう。致命的に実力差のある戦闘を繰り返した後に似た様な戦法で立ち回られれば、まあ僅かなりとも油断もするだろう。思い返せば先の先輩達は攻撃技ばかり使っていた。
 だが、そう簡単にいくものなのか。手持ちのポケモンの強大さからして、そしてあの場慣れの様子からしてポケモンバトルに慣れ親しんであろうものだが。
「だけど、自分のポケモンが猛毒食らってるのに気がつかないもんか? 動きもおかしくなるぞ」
「苛立たせて怒らせテ、相手のジャラランガ自身にもトレーナーにも気が付くのを遅らせるようにはしてたそうデスけど、最後まで気が付かなカッタのは予想外だったって言ってまシタ。あと、強い学校でも一握りの選手ヲ除くと“強いポケモン”のスペック任せの攻撃技ばっかりみタいで、状態変化とかはあマり気にしないらしいデス」
「そんでなりふり構わず交代も阻止か。交代のタイミングもあるにはあったが、格下相手に苛立って功を焦った結果ああなった、と。しかし、凄いな。そこまでやるか」
「ハイッ。みんなみんなとっても格好いいデス!!」
 俺の方へと顔を向けた『チシュ』が、にぱっと笑みを咲かせて興奮気味に言ってくる。
 格好良いかは知らないが、弱ささえ利用して無いに等しい勝ちを取りに行く姿はこの後輩の心を掴んだらしい。それはまあ、置いておいて。嗚呼、確かに。良いな。この試合に出ている奴らは全員が全員生きている。それを実感しているに違いない。それはとてもとても好ましく、そしてこの上なく羨ましい。
 そして、やはりわからない。この一勝程度を得る為の頑張りではないだろう、この必死さは。強豪校から一勝をもぎ取る為のものとは到底思えない熱がある。
 なんて考えている内に。圧倒的な格下であることを利用して、相手の余裕を油断に自信を慢心に変えて生まれた死角から、猛毒を用いて沈めた副将(兎渡路)が所定の位置に戻っている。相手校の次鋒も同様に用意を終えている。
 そして、次の対戦が開始される。
 繰り出されるのは兎渡路は巨大な蝉の抜け殻。
 対する相手は二足で立つ狐の異形。
 直後、自身のトレーナーの指示に従った狐が腕部に生える炎色の体毛から一本の枝を勢い良く取り出した。
 狐の異形が火の着いた枝を構えた直後。兎渡路の言下放たれた影色の光球がその眼前に。
 大きなダメージにはならないだろうが直撃する。そう予想したが、相手はそれさえも許さない。
 枝先に点った火が瞬く間に大きく燃え上がり、巨大な渦を巻いて膨れ上がる。そして生みだされた炎の渦にシャドーボールは呆気無く飲み込まれ掻き消える。
 更に、フィールド全体を飲み込む勢いで燃え上がる。
「『虚』!」
 既に交代は出来ないほどに火炎が逆巻いている。完全に視界が炎で遮られる前に、兎渡路の指示が飛ぶ。
「ゴーストダイブ!」
 応えは無い。だが、ガスマスクの様な物を装着した生気を感じさせない空蝉の姿が陽炎めいて揺らめき、消えた。
 直後。バトルフィールドが炎の渦に完全に飲み込まれた。
 その後の展開は、視界の外で兎渡路の抜け殻の様な姿のポケモンが悪あがきと変わらない一撃を打ち込んだようだが、その後周囲の火炎に耐え切れず呆気無く倒れて終わった。
 もしもの話として、抜け殻ではなく大蝉の方を出していたとしてもそう展開に差は無かっただろう。広範囲を塗り潰されては高速飛翔も意味は無い。止めに交代までも防がれては為す術はない。
 絶望的に相性の悪い相手。それでも戦意を喪失せず、たったの一撃でも食らわせんとするその気概は凄まじい。
 そして。
「そんで、どうせあの一撃にも猛毒があったんだろう?」
「デス」
 その強かさも。
 だが。それが何になるのか。大番狂わせだが格上を四人がかりで一人に勝ったとしても、まだ四人居る。それに対してもう、後がないのだから。
 そして相手の応援の多い会場ももう終わったという空気が充満する。そんな中で、選手が交代する。
 待機スペースへと戻る、疲弊して肩で息をする兎渡路の頭をすれ違いざまにぐしゃぐしゃと雑に撫でて入れ替わりに出てくる緑色に染められた頭の男。
 追い詰められ、完全にアウェイな衆目に晒されているにも関わらず、全くの自然体で位置につく大将、蒼都 類(あおと るい)
 派手な頭髪。外されていないピアス。ゆるりと下げられた手にはモンスターボールが握られている以外は普段と何ら変わらない。
 だが。何故俺は画面の向こうのこいつに寒気を覚えているのか。
 俺の疑問はそのままに、録画された映像は進む。そうして、相手の次鋒と我が校のバトル部大将の試合は開始された。
「……」
「……」
 思わず魅入る。隣の『チシュ』もポケモン達も画面を食い入る様に見つめている。
 行われている試合の展開は、これまでのものとは全く違う様相を(てい)している。
 急激にバトルのレベルが上がり、そして此方の学校側が優位に。
 流石に相手の力量も高いので、先までの様な圧倒的な差を見せつける、という様なことは無い。だが兎渡路相手に一方的な戦いを見せた相手の動きを上回って主導権を握り続け立ち回る、蒼都とそのポケモン。
 勿論、無傷という事もない。無いが痛打も喰らわない。そして相手の隙を見逃さず痛打を浴びせかける。
 指示を出す際も飄々とした雰囲気はそのままに、しかし不真面目さは一切無い。
 そのまま終始相手を上回ってそのまま危なげなく勝利を収め対中堅戦。
 これも技量も単純な火力も上回って立ち回り勝利。
 そして、副将戦。
「……副将さんは個人戦でモ全国クラスで、大将さんはもっと強くテ個人戦優勝候補の一人デス」
「へえ」
 画面を見つめる後輩の言。それがどれほど強いのかはわからないが、確かにこれまでの三人とは違うらしい。蒼都側の勢いが鈍る。
 巧みに立ち回り、蒼都のポケモンへ攻撃を繰り出す相手の副将。威力も申し分ないものが幾発か入れてくる。
 しかし、蒼都達は止まらない。
 相手も蒼都も頻繁にポケモンを交代し立て直し、主導権を奪い合った結果最終的に蒼都の方が主導権を握って離さず白星をあげる。
 だが。
「相手の動きが変わったな。倒す事よりも削る様な立ち回りになってた。あの海老みたいなの麻痺しただろ」
「ハイ……体力的にも『ドニ』は出せない状態デス」
 ならば後は刃を(よろ)ったあの異形だけか。そいつも無論無傷ではない。
 わかりやすく追い詰められた状況だろう。羨ましい位に危機的状況だ。だが同時に、相手をも追い詰めているのも事実。
 けれど、そのまま大将戦へと臨む蒼都の姿に力みは無い。弛緩しているわけではない。余計な力の抜けた様子で鷹揚(おうよう)に構えている。
 カメラの位置の都合上後ろ姿で、そこに映っているのは尚且つ巫山戯た髪色で細身な背中だが、何故だかそれが大きく見える。
 この辺りで、録画された映像でもわかりやすく会場の空気が変わる。そして少し理解する。こいつが最後に居てくれるのならば。勝ち上がれる希望をもたらしてくれる奴が最後に控えているのならば。無様でも良いから自分も貢献しようと考えるかもしれない。そんな感想を抱く。
 そうして、大将戦。
 万全の状態ならばいざ知れず、既に三人六体と戦い消耗し、繰り出せる二体の内の一体は戦える状態でない不利な状況。しかしそんな事は些事だと云う様に軽やかに指示を出す男の下で、そのポケモンが縦横無礙(じゅうおうむげ)に立ちまわる。
 常の言動の軽さは消え失せて鋭く発せられる緑髪ピアスの指示に従って相手の攻撃を躱し、逸し、受け止め、斬り落とし確実に肉薄していく刃を鎧ったポケモン。
 鋼の表皮を掠める攻撃に火花さえ散るバトルフィールドに、相手選手の指示の声とそれに応える鳴き声が響き、刃鎧の異形の裂帛(れっぱく)の気合いの篭った掛け声がそれを断つ。
 連戦の疲労が蓄積し、交代も出来ない手詰まりとも言えそうな状況で。それでも蒼都とそのポケモンは強かった。被弾を最小に抑え、相手の僅かな綻びを見逃さない。一打一打を確実に刻みつけていく。
 相手は決して弱くない。寧ろかなり強い。立ち回るトレーナーとポケモンの姿を見れば分かる。
 だが。蒼都達に比して良い状態で大将戦へと入ったそいつが徐々に徐々に押され始めているのだから、蒼都 類というトレーナーは本当に強いのだろう。
 恐らくは万全の状態ならば、七体三辺りで勝利するようなそんな力関係。
 だが。
 悲しいかな蒼都達は消耗している。そしてその消耗が形になって現れ始めた。次第に足運びの鈍ってくる蒼都のポケモン。必然、相手の攻撃を捌ききれなくなってくる。
 そして。
 ズシャリと刃魔が片方の膝をつく。
 その致命的な隙を待つような場ではない。接近戦を得意とするらしく、容赦なく重い一撃を繰り出してくる相手選手のポケモン。
 それを。受け止める。だがそれで攻撃の手が緩むわけではない。続く次打。それを受け流す蒼都のポケモン。だが無理に捌いた為に体勢が完全に崩れる。
 続く指示は。
 蒼都の離れろ、というものと。
 相手のインファイトという技を使え、というもので。
 ほぼ同時に発せられた各々のトレーナーの言下に行動へと移す二体。
 使える片足でフィールドを踏み砕く様な勢いで蹴り後方へ離脱する蒼都の刃魔。
 それを追って跳んだ相手のポケモン。その勢いを加算した攻撃のみに専念した乱打が鋼の躰へと炸裂する。
 辛うじてとった防御をも貫いて殺到する大技に流石に為す術なく、刃を鎧った異形姿の蒼都のポケモンはバトルフィールドの外へと殴り飛ばされる。
 土煙を巻き上げる勢いで転がり、(ようや)く止まった直後。蒼都が握ったボールへと回収されていく。そして、審判の判定が行われる前にそのまま(きびす)を返してバトルフィールドを後にする。
 少し遅れ、相手の勝利が告げられる。
 試合は終わった。だが映像はまだ続き、控えスペースへと戻っていく緑色の髪でピアスだらけの男を映し続けている。
 所作はあくまでも自然体。表情も締まりがない。僅か前の雰囲気は何処かに行ってしまった様な普段通りの姿。そんな大将だが、途中で歩みを止めると、ぱんっと両の掌を合わせて軽く頭を下げた。更に、カメラの方を視線を向けるとそちらにも手を合わせて頭を下げてくる。
 そんなポケモンバトル部エースの謝罪を最後に、録画された映像が終わった。
 色々と感想はあるが、とりあえず。
「あいつが謝る事は何も()ぇんじゃねぇか?」
「ハイ。でも一回戦かラあんナに頑張ってイタのに“すまん。負けたッ”っテ言うような『ピアス先輩』だカラ、みんなももっと強くなろうっテなるンだと思いマス」
「なるほど。……あ? これの前からあんな感じだったのか?」
 今見た試合程ではないにしろ、四人掛かりで二人、良くて三人か? その後は全部あいつが倒して準決勝か。嗚呼、それは俺の思ってた以上の疲弊だろう。それでもあそこまで立ち回ったのだから、文字通りにエースなのだろう。格好はふざけ切っているが。
「えっと、ハイ。一回戦から『ピアス先輩』の前の四人で二人か三人倒して、後は、って感じデシた。一応ベスト十六まで決まると、残りの試合は二日目だったんデスけど、みなサンとっても疲れてタと思いマス。それデもあんなに頑張ッテ戦って、すっごく格好良いデス」
 試合に出ていた全員について言っているが、特に蒼都とそのポケモン達を言っているように聞こえる。教師受けは最悪だが、生徒達の中心で騒いでいる奴の人望は思った以上にあったらしい。その影響力も。
「すげえな。それでお前もそんな風にバトルが強くなりたいと」
「ハイっ。あ。ボクだけじゃなくテ、ボク達デスっ」
 少し上気して赤みの増した顔でにぱっと笑う金髪青目の後輩。その言葉に反応して各々鳴き声を上げる『チシュ』の手持ち達。
「前は怖くなっテ尻込みしちゃいマシたけど、またこれヲ観て覚悟が出来マシた! 『先輩』みたいに顔に傷ガ出来ても強くナリたいデスっ!」
「ああ? ……あー。その覚悟は要らないから別の機会に取っておけ?」
 躰中の傷跡は違うとは言ったが、顔の横一文字の傷の方については言っていなかっただろうか。……言ったような気もするんだが。どうだったか。
「とりアえず『千歳(ちとせ)』のシザークロスをボクに放テば良いんデしょうか?」
「取り敢えず話を聞け。後、黄緑色のお前は出番か? みたいに小首傾げて両腕構えるな。お前のポケモンにトラウマ刻んで、お前には傷跡が残るだけだから絶対するな」
 映像のあのピアスだらけの馬鹿にあてられて意気込んでいるのは別に構わないが、おかしな方向へ突っ走ろうとしている後輩を静止する。
「そんな事しても強くならねえから。後、どちらかと言えばこの傷は未熟だったから出来ちまったやつだ」
「……ト言うと?」
 少し、落ち着いてくれたらしい。きょとん、と青い瞳を丸くし首を傾げて問うてくる『チシュ』。しかし、この話は情けないやら恥ずかしいやらであまり話したくないんだが……仕方ない。明日会ったら包帯を巻いていたりしたら寝覚めが悪いこと、この上ない。
「『ふたば』がエルレイドに成りたての時に、肘の()の伸縮の特訓に距離取って立ってる俺に当たらないギリギリで振り抜く、ってのやってたらその内に動きながらやるようになってな。公園でやってたんだが集中し過ぎて、飛んできたサッカーボールに気が付かなくて後頭部に直撃してバランス崩したら、丁度刃を振るうところだった『ふたば』も何故か足滑らせて」
 「ザックリと」顔に走る傷跡を指でなぞりながら恥ずかしい過去を言い終える。流血しながら行った病院で医者に経緯を言ったら「馬鹿なのかこいつは」という眼で見られたを今でも思い出せる。自分を的にしたのはぎりぎりの緊張感で生きている心地にさせてくれるから、だったので実際馬鹿なので恥ずかしい。だが、『ふたば』の刃が顔を斬りつける前後のあの圧縮されたように濃くなった刹那は怖気がする程に素晴らしかった。斬られた冷たさと、直後やってきた熱さ。痛み。飛び散る赤。添えた掌を伝い落ちる不快な感覚。嗚呼。良い。
「それは……えっと、すいませんデシた」
 少し前まで興奮気味だった金髪青目の後輩は、今は青ざめた顔でそう言ってくる。序にその手持ちのポケモン達は『ふたば』にしがみついて震えている。
 因みに『ふたば』はその状態で腕を組んで憮然としている。ただでさえ悪い目つきが更に険しくなっているが、その内に視線だけで弱いポケモンだったら倒せるんじゃなかろうか。
「わかったらお前はポケモンの技を受けようとすんなよ。痛いぞ。そんな自分から当たりに行かなくても流れ弾が当たる時もあるしな」
「ハイ……」
 しゅん、と項垂れる『チシュ』。
「技は受けなくていいから、今日調べたこいつらの技それぞれ四つ五つくらい使いたいやつを決めて、その技の動画でも探して一緒に観とけよ。明日は晴れたらその技使いつつやっから」
「……ッ! ハイっ!!」
 今度はきゅ、と真面目な顔で返事をしてくる。よくもまあころころと表情が変わるものだ。なんて思っていると、更に今度はもじもじとした様子に変わり、小さな唇を震わせて言ってくる。
「アの、ボクの特訓に付き合ってクレてありガとうございマス。デモ、その、『先輩』、テストの勉強は大丈夫デスか?」
「あ? ああ、問題ない。寧ろお前の方は大丈夫なのか?」
「あ、ハイ。良い点は取レないかもしれないデスけど赤点にはナラないと思いマス」
 週明けにはテストが始まるが、俺の方はまあ特に問題は無い。『チシュ』の方もバトル部の顧問に許可を取りに行った時に、教師連中がまあ勉強の方も大丈夫だろう等と話していたからあまり心配はしていなかったが。まあ、言動通りに真面目なのだろうから平気だろう。先の言葉も謙遜であろうし。
「そうか。つーか、部活休みでも蒼都はやばそうだけどな」
「そうなんデスか? でも『委員長先輩』がどうにかスルじゃないデス?」
「あー。そうだな。兎渡路は成績良かった気がするわ。成績上位の貼り出しで見た気がする。なら平気かねぇ」
 なんて、取り留めのない会話を少しして。俺と『チシュ』はバトル部の部室を後にした。
「まだ降ってマスねー。あ、デモ弱まってはいマス」
「だな。んじゃあ、また明日な。風邪引くなよ」
「ハイっ! 明日モよろしくお願いしマス!! 先輩もお気をつけテ!」
 部室棟の外に出ると、まだ雨は降っていたが小雨と言って構わない程度の強さになっていた。
 ポケモン達はボールに戻し、鞄を傘代わり頭に翳して元気よく手を振る後輩と別れ、俺と相棒はいつも通りに走って下校する。
 もっと暴風雨の方が生きている事を実感させてくれて良かったが、纏わりつく様な鬱陶しさと蒸し暑さはこれはこれで良い。不快だという事は生きているという事だ。そう考えると水溜りに沈んで浸水した靴の感触すらも好ましい。
 走りながら、ちら、と空を見る。降り始めた頃に比べて雨はかなり弱まり、既に雲の切れ間から太陽が覗いている。このまま雨が止むのならば。
「今日はバトルでもやるか。久しぶりに」
 並走する目つきの悪い相棒へと提案する。
 これに対する返答は。
 視線を横に向けると、ギシ、と口角を吊り上げて凶悪な笑みを浮かべた『ふたば』の、エルレイドらしからぬ低い鳴き声で短いものが返って来た。
 是認(ぜにん)
 どうやら、髪を緑に染め、カラコンで瞳がピンク色になっていて、目元を黒く化粧したピアスだらけのふざけた男の影響は後輩とその手持ち達だけでなく俺達にも少しだけあったらしい。
 あまり嬉しくはないが。

秋桜 ( 2017/11/16(木) 23:32 )