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翌日。早朝。
まだ級友の誰も来ていない教室でノートを広げて暫く経った時、後方の引き戸が乱暴に開かれた。
「五月蝿え」
「うへえ。何で毎日毎日そんな早いん? お前。昨日も訊いたけどさ」
がしゃんと大きな音を上げて入って来た友人が自分の席に荷物を置きながら、欠伸混じりにそう問うてくる。
「昨日どころかここ最近毎回だ。いい加減その見た目からして可怪しな頭に叩き込んどけ。バスが混む時間帯を避けるようにしてるだけだよ」
「んでもよー、去年は満員のに敢えて乗ってたじゃん。あと俺の頭は中身は可怪しいけど見た目は凄くいいから」
「緑に染められたそれがか。とうとう眼球にでもピアスを開けたか? そんなのに乗るよりも、家から走って来て予習でもしてた方が苦痛だと思い至ってな」
「何それ初耳。つーかお前あの距離走って来てんの?! そんで誰も居ない教室で予習してんの?! バカじゃねーの!?」
これは話した事がなかったか。平均よりも高めな身長に見合う長い腕を振り回し、大げさな反応を返してくる緑に染色された髪をした友人。何時の間にやら俺の隣まで近づいている。
「馬鹿はテメーだ。赤点常習が。期末も近いからお前も悪足掻きくらいはしとけ」
「ヒャハッ。そっか、だから部活も今日の朝練やってしばらく休みなのか。……でもそんな暇ならお前もまた来いよポケ部」
軽音部にも居ないだろう派手な頭で耳どころか唇や眉にまでもピアスを幾つも付けた男だが、これでもこいつはポケモンバトル部の部員である。しかも団体戦レギュラー。そんな友人の、黒く縁取るように化粧された瞳が妙に真剣な色を帯びて俺を見る。尤も、瞳の色はカラコンでピンク色になっているが。
「俺はお前んとこの部長さんに追い出されたんだけどな」
「それな。なんで俺がレギュラーなれてお前は追い出されたのかね? いやまあ俺は特待生で実際強いんだけど」
キヒャハと下品に笑う緑髪ピアス。誠に遺憾だがどうも周りの奴らには俺もこいつと同列視されている。別に俺は注意自体はあるもののそれだけという途轍もなく緩いこの学校の服装違反に引っかかる事も、赤点を量産し学年の平均を下げたりもしていないのだが。寧ろ上げている筈なんだが。
そんな奴が追い出されず、俺が拒否られたのは多分バトルのスタイルにあるのだろう。
「それは――」
そう言ってやろうと口を開いた直後。
「その強くて特待生でレギュラーのアンタは何で毎回毎回こんな所で油を売ってるんでしょうねッ?」
「あだだだだッ、ピアス引っ張んな耳が千切れるッ!」
死角から気配なく近寄って来ていた女子が爪先立ちでその問題児な特待生のピアスを思い切り引っ張った。
「うっさい。ッたく、毎朝迎えに行ってあげてんだからそろそろ真面目に朝練来なさいッ」
「いや待て唇も痛いから千切れっから! ああああだからって髪を掴むなハゲる!」
喚く問題児の緑色の髪をむんずと掴んで無理矢理に連れて行く、小柄な女子。細い肩を怒らせてこうやってこの男を引きずって行く毎朝の光景を眺めながら疑問に思う。この女子がこんなにも怒りながらもそれでも毎回何だかんだで一緒に居るのかも謎だがそれよりも、何故この緑髪ピアス男は事ある毎に俺を部活に誘うのか。友人と言える程度には接していたが進級するまでここまで話しかけてくる様な無かったのだが。
わからない。
「あ」
「あ?」
大股でずんずんと進んでいく女子が緑色の髪を掴んだまま、唐突に立ち止まり振り返る。
その勢いで二房にくくられた長い髪が屈む格好で後に続く男の顔に思い切り当たり、また喚き出すが、まあどうでもいい。
「貴方が追い払った三年生達は私達がシメとくから。『チシュ』を助けてくれてありがとう。部活、来るなら夏休み入る前までにした方が良いと思うから早めにね。まあ、来るのなら私も歓迎するから」
半身を此方に向けて見返って、アンダーリムの眼鏡の奥のアーモンド形の瞳を細め悪戯めいた微笑を浮かべそう言ってくる。
「ああ、そうだった。うちのマスコット助けてくれてアリガトな! 気分転換にかるーい感じで部長でもぶっ倒せば後はどうにでもなっから気軽に来いよ!」
何だかんだで小柄な女子の方も俺を部活に誘うのである。何故なのか。
「そこまでして戻りたいとも思えねえんだよなぁ」
これも毎回の俺の応答。
小中とかけてきた負荷が足りなくなってきたので中学の時は無かったそれに入部したが、結果追い出されたわけで。そんな動機なので未練は無いのである。
そして普段ならそれだけだが今日は何やら礼を言われた。……昨日のあれか。別段助けたつもりは無いんだが。というかあいつもバトル部だったのか。
それについて俺が何か返す前に「それじゃ」「また後でな!」と出入り口を出て行ってしまうポケモンバトル部の二人。
「つーわけであいつ今日も暇だから多分平気だぞ!」
「頑張ってね。見た目凶悪そうだけど大丈夫だから。話が終わったら早く来なさいね」
閉められた引き戸の先で、そんな声が聞こえる。誰か他に居るのだろうか。何て思った直後にがらりと音を立てて再度扉が開かれる。半分程の隙間を開けておずおずと入ってきたのは。
「あ?」
昨日の金髪青眼の後輩だった。
「お、おはようございマス!」
今日は土に汚れていない白いシャツよりも色白な顔が強張っている。そんな見て取れるほどに緊張した面持ちで、勢い良く頭が下げられる。
「ん、ああ、おはよう。何の――」
用だと訊こうとした俺の言葉は。
「あの……先輩ッ! ボク達を強くしてくだサイ!」
「お願いシマス!」となだらか曲線を描く輪郭に、垂れ目がちな大きな瞳。小ぶりな鼻に血色の良い唇という、中性的なと言うよりは女子に間違われる方が多そうな顔を真っ直ぐと俺に向けた、真剣な眼をした後輩が発した声に遮られた。