W-22
桃色に光る結晶によって腹を突き破られてゲンガーが真っ直ぐと地へと落とされる。血の代わりに黒い霧を噴き出しながら落ちるその先にはモノクルを掛けたサーナイトが。
撃ち落とす事は勿論、避ける事も選べなかったらしい。勢い良く落ちてくるその身体を抱きかかえるように受け止め、その勢いを制し切れず後方へと素っ飛ばされるモノクルのサーナイト『天地』。
それを、犬耳犬尾を生やした疲労困憊の少年と蜘蛛使いの少女を抱えていない方の腕で支えて止める二体のホワイトブリムを着けたサーナイト、『右鏡』と『左鏡』。
「ぅぐ。だい、じょうぶか?」
「わ。どっちも大丈夫?」
女中姿の異形に抱えられた少年少女の声が、地面を滑って受け止められた二体にへと向けられる。同じ声音で鳴きながら、受け止めたホワイトブリムのサーナイト達も心配そうに視線を向けた。
支えられた状態から自力で態勢を直す片眼鏡のサーナイト。二人と二体の声に視線を向けて頷き返す。此方は戦闘続行可能。
それに抱きかかえられたもう一方、ゲンガーは。掛けられた声に掠れて小さくケケ……と笑い返して、沈黙した。
「ぅ、あ、やばい。俺は大丈夫、だから、
いやしのはどうを、『
笑華』に、頼む」
「……『ちょび』『ウェブ』、こっちに戻って! 『磁王』達はそのまま頑張って!」
少年の言葉に頷いて二体のサーナイトは、深傷を負い気を失った影霊に向かい空いた掌を翳し桃色の光を放つ。柔く温か気なその波動の効果によってか、ずんぐりとした身体から噴き出す闇が徐々にと勢いを弱め、突き破られた腹の傷が塞がっていく。
そして他方、少女の指示の下に跳躍するアリアドスとそれにしがみつくバチュル。未だ四羽の異形達はそれを追う程には回復しておらず、同様に老執事の『
天地』のシャドーボールの直撃を受けて転がった二体の剣魔も態勢を整え切れていない為に、その行く手を阻む者は――
影霊を叩き落とし、ふわりと白い足元をはためかせ地面へと向かって降りてくる黒縁眼鏡を掛けたサーナイトの『
天地』。この一体のみ。
まるで綿羽の軽やかさでゆるりと降りてくる白き異形と地面のその合間。そこを這う様に跳ぶ小さな電気蜘蛛を付けた極彩色の大蜘蛛が抜けて行く。
そして、二体の蜘蛛が天から降りてくるサーナイトの真下を通り抜けるその刹那。
下へと向けられる視線と翳される黄緑色の細腕。そして
三度眼鏡の奥の血色の瞳が輝いた。
続き、瞬くよりも早く放たれる攻撃よりもしかし早く、アリアドスの背に張り付いたバチュルが動く。
『
天地』が
わざを放つ刹那の隙を
ふいうち気味に劈く鳴き声と共に鋭い針が幾本も射出。
突如の事に集中力を乱されたのか下へと向けられた細腕からは何も発せられない。迫る
ミサイルばり。
だがその動揺も一呼吸で正される。もう一度見開かれ輝くサーナイトの瞳。
そして放たれた不気味で怪しい紫色の炎によって焼き払われる針の群。
その間に、脇目も振らず跳びはねて、一目散に距離を取る小蜘蛛と大蜘蛛。
それに対して未だ天に留まる黒縁眼鏡のサーナイトは両手を静かに向けて、これまでよりも強い光をその大きな瞳に宿らせ放つ、桃色の燐光を散らす強大な念力――サイコキネシス。
先のどのポケモンが放ったサイコキネシスよりも大きく強いチカラの塊が、懸命に跳ぶ蜘蛛目掛けて迫る。
「――ッ」
その様子を見た『姫』と呼ばれる少女が声を発そうとしたその前に。
低く短い鳴き声と共に、『
天地』の念に拮抗する大きさの念が放たれた。
天より放たれたサイコキネシスを、地より放たれたサイコキネシスが押し止める。
桃色の激光が爆ぜ、空間さえも歪んで見える静かで激しい鍔迫り合い。
バチュルとアリアドスを黒縁眼鏡のサーナイト『
天地』の攻撃が圧し潰す寸前で『
天地』の迎撃。
結果、無事に蜘蛛達が少女の元へと戻ってきた。
「良かったぁ、お帰りなさい。傷は大丈夫? ……そう、じゃあもう少しお願いね。後、『
天地』もありがとね。『右鏡』も『左鏡』もありがとう。『ノラ』ちゃん達よろしくね。後、降ろしてもらっていい?」
ギチギチと顎を鳴らす蜘蛛達や囲い守る三体のサーナイト達へと言葉をかけて、そして抱えられた状態から優しく地面へと降ろされる蜘蛛使いの少女――『滅びの紡ぎ手』。
同時。煙火が咲く破裂音めいた音と、桃色をした強大な念の残光が弾け散る。
その衝撃が波になり辺りに拡がり、ぶわ、と巻き上がる塵埃やサーナイト達の足元。それに煽られて乱れた髪を押さえつける『滅びの紡ぎ手』。しかし視線は逸らさない。
少年以外は同様に、片眼鏡の白き異形と二体の蜘蛛はその他の者を庇い守る様に相手を見据え、後の二体は倒れたゲンガーへと
いやしのはどうを送りながら流し見る。
その視線を僅かの怯みも無く受け止めて、あくまで優美に黒縁眼鏡の白き異形は舞い降りた。それに少し遅れて二体の剣魔が態勢を整え終える。
「ねえ、おチビちゃんと私の娘の様子、教えてもらっていい?」
「あ、はい。えぇと、『ノラ』、くん? の方は、ぐったりとはしてて、呼吸とかはちょっと、荒いですけどまぁ、それ以外は、大丈夫に視えます。『姫』ちゃんの方は、無傷で、傍にいる蜘蛛の方が、傷ついて、ます。白いの三体は、特に何かありそうでは、なくて、あの気味の悪い幽霊は、気を失ってますけど、生きてます」
「亡霊が生きてるってのも変な表現よねぇ。まぁあれらは殺しても死なないけど。兎も角ありがと。おチビちゃんはエネルギー切れか。流石にまだ短い」
「あ、ところで、あの子は、どうしていきなり、ああなったん、ですか?」
「ん、貴女あんまりポケモンに詳しくなさそうだから知らないかもだけど、ポケモンが
わざを使うのにパワーポイントとか呼ばれる生命エネルギーが必要なの。それを色々と精製して
わざっていう現象を発現してるんだけど、それが切れるともう命を燃やして
わるあがきでもするしかならなくなるのよ」
「え、じゃあ、死にそう、なんですか? あの子」
「いや、あれはその手前。只のパワーポイント切れだから安心して。おチビちゃんは
わざになるまで精製出来なくて、パワーポイントをそのまま無理矢理に身体能力の強化に使うから、空になるとその反動で動けなくなるの。一旦出すと止められないし。……メタグロス受け止めたりしなきゃならなかったんだし仕方ないけど」
「よか、った」
「因みに『蝙蝠少女』さんも今絶賛パワーポイント放出中だから気をつけなさい? まぁその前に体力の方が心配だけど」
に、と笑いそう言ってくる。理解しきれず返事が遅れると、
「クロスポイズンやアクロバットに
そらをとぶ。後はエアカッターとかも使った? そして特に、反響定位に
ちょうおんぱは使いっぱなしでしょ?」
「ああ、なる、ほど。気を、つけます。……すいません。そういえば、あの、白いポケモン、は、空間移動、出来るんですよね? 出て来る時に、そんな感じ、でしたし」
その様子をぼやけた視界でしか見てはいなかった『蝙蝠少女』だが、それでも見えた『
天地』達が空間から滲み出る様に現れた光景を脳裏で思い返し、引かずに強まる痛みと熱によって所々でつっかえながら隣の『女郎蜘蛛』へと問い掛けた。心の具合はこれ以上ない程に最高だが、身体は限界が近いらしい。
そんな『彼女』の問いに赤味がかった茶色の髪の女は――
「え? ……ああ、まあテレポートは出来るけれども、それで此処から逃げるっていうのは多分に無理よ?」
――静かに睨み合う形で静止した少女達とそれを狙う敵へと巡らした視線を切って、『彼女』へと顔を向けてそう返してきた。
「どうして、ですか?」
考えていた事を言い当てられ、更に不可だと言われ、思わずそう返す。
「あっちもテレポートが使えるから。何をどうすれば失敗させられるか知り尽くしてるから干渉されて、無効化されるわ」
「結構、制御とかに神経使うみたいだしね。突く点知ってれば意外と簡単らしいわよ? 『セバスチャン』曰く」とスカートスーツの蜘蛛使いの言葉が続く。
そういうものなのか。『彼女』の抱いていた漠然とした印象よりも繊細なものらしい。
だが。そうなのならば。
「じゃあ、つまり――」
「そ。現状として“逃げられない。”……あっちの、主に『妹様』に諦めて貰わない限りはね。……たくッ、こんなに入り乱れるんなら警察に通報しとけばよかったわよ。ミスったわホント」
『蝙蝠少女』たる『彼女』が言わんとする事を汲み取り応える『女郎蜘蛛』。
それを聞いて、そんな事は出来るのだろうか。と考える。
非日常の中で開花したのか慣れたのか、兎も角高速で回転する思考。そして『妹様』と女に呼ばれる、さらりと長い栗色の髪を二つ結びにした少女と、蜘蛛使いの『姫』とのやり取りを思い出す。
“「何度でも言います! 私も『ノラ』ちゃんも貴女の所に行く気はありません!!」”。確か少女はそう言った。
“何度でも”。
それに『妹様』とやらは何と答えた? “「あら残念。また振られちゃった」”。
“また”。
つまり、このようなやり取りは既に何度も起きている?
そして、繰り返されているという事は、結果は全て『妹様』の欲するものでは無いという事になる。
もう一つ。此処には『不協和音』の二人を目当てにやって来たと言っていた。それはつまり、今行われているこの戦闘はあくまで序で。
何度でも諦めないようなのでしつこい事は自明だが、何か切っ掛けさえあれば少なくともこの場は引き上げてくれるのでは。
そう、例えば――
ばさりと背中の翼を震わせて、姿勢良く立ち愛らしい笑みを湛えた少女の方へと身体を向ける『蝙蝠少女』。
だがしかし、『彼女』が行動を起こす前。
鋼の蜘蛛達と二人の執事が打ち合う打音や、続き過ぎて最早意識していなかった『真性の化物』と『真性の怪物』の戦闘音。それに混ざり、
「――『カルメぇン』。
ちょうのまいぃ。『白刃』・『鷹』・『鷲』・『雀』、それに『蠍』はぁ、あの仔達をこっちに戻して『カルメン』を守ってちょうだぁい?」
今までと同じ甘ったるく間延びした口調でしかし今までとは雰囲気の異なる、桃色と緑色の髪の女が発した指示が響く。
その指示を口にするよりも若干早く、煙草を挟んでいない方の豪奢に飾られた爪の指で器用に球を掴み、それを空へと投げていた『レディ・バタフライ』。月明かりの下、長身で派手な装いの女が靭やかに腕を振り上げるその姿は、何処までも現実離れしたものだった。しゃらんとこれまた派手な腕輪が小さく鳴る。それだけが現実であるかの様に。
そしてこれも豪奢な球からの閃光が形となり、夜空へと現れた異形は。
三対の翅から火の粉を鱗粉の様に散らし空を飛ぶ、巨大な蛾の姿をしていた。
橙色の翅を羽撃かせ、白い体毛に覆われた巨躯で空にと君臨する、太陽ポケモンのウルガモス。
「ああもう何でこのタイミングでッ。あの蝶女!」
夜闇を照らす炎粉を振り撒いて
絢爛驕奢に天を舞う焔蛾の出現に、『女郎蜘蛛』の苛立ちの声が発せられる。
そして空で轟、と風と火の粉を散らして乱舞する、焔蛾へと突き向けられる右手。指示の言葉は無い。しかし傍らの大蜘蛛達は次瞬に幾多もの汚泥の塊を投げつけた。
放たれた
ヘドロばくだんが放物線を描いてウルガモスへと迫る。
が、しかしそれは続き瞬く五つの閃光から飛び出た、巨大な
鳳蝶達が生み出した風によって軌道が逸らされ着弾しない。
明後日の方向に吹き飛ばされるそれを見て舌打ち毒づく『女郎蜘蛛』。
「あらあらぁ? 蜘蛛女のおばさんが何か言ってるかしらぁ? ――まぁそれよりもぉ、『お嬢様』? アタシ達が雇われてる理由を確認してもいいかしらぁ」
「え。何で今? ……まぁいいわ。それは貴女達の情報収集力と、何よりも派手で見ていて楽しいから、かしら?」
「ギャハッ! そんで派手にやられまくってんのかッ!? ギャハハハハハハハハハハハハッ」
「あら。貴方達のやられっぷりもなかなか派手で良かったわよ?」
「莫迦共と一括りに纏めるな。……死にたくなる」
「きゃははッ。まぁでもぉ? その駄犬さんの言う通りぃ、やられっぱなしでアタシ達、良いとこ無しじゃなぁい」
そう言って一旦言葉を切る『レディ・バタフライ』。ばさりと翅を動かし天を舞う焔蛾から落ちてくる火の鱗粉が、その派手に彩られた肢体へ更に橙色を加えていく。
桃と緑の頭髪に薄紫に染められた唇、巻かれた黒いマフラー。純白の革のジャケットとミニスカート。それからすらりと伸びる脚は青と黄色のタイツと紅いブーツをはいている。それに瞬き煌めく火の鱗粉を降り浴びて、何処までも現実味の無い異装で姿勢よく佇むその若い女は、蠱惑的に笑みながら更に言葉を続ける。
「だからぁ、少ぉし名誉挽回しとかないとなぁって思うわけ」
「あら、素敵。具体的には? 『レディ』?」
火の粉が闇夜に散る幽玄な空間の中でころころと笑いながらそう問う少女。
頭上ではウルガモスが空で舞い続けている。これで丁度六往復目。
それを流し見ながら紫煙を燻らせる女は蕩ける笑みでこう答えた。
「六回繰り返した
ちょうのまいが上乗せられたオーバーヒートを連射限度の八発分纏めて放つ! よろしくッ『カルメン』! 当たらなくても炭にしちゃうかもしれないので『オジサマ』達は欲しいモノ手に入れてとっとと逃げちゃってくださーい!」
今までの間延びした口調と打って変わった速い口調でしかし孕んだ甘さはそのままに、宣言とも指示とも云える言が発せられる。
同時に、己の力を強化する
ちょうのまいを六回舞い終えた焔蛾は、そのまま極限まで高めた炎熱を放つ態勢に移行。空気が熱せられてウルガモスの周囲の景色が歪む。
ぶわと拡がる肌を焼かれる様な熱気と、背筋が冷たくなる命の危機を同時に感じ身震いする『蝙蝠少女』。
「え、ちょ」
「ふざっけるなッ――」
「ふむ」
「ぅ、ヤバい、な」
「――『磁王』『鉄皇』はこっちに戻って! 『マグネ』『ネオジム』はママ達の方に!」
「この派手さ、流石ね素敵よ『レディ』。面白いわ! ――『
家令』。あたしは炭の塊は欲しくないから宜しくね」
「御意」
「ギャハハッ意味わかんねえッ! 何だコイツらッ。あと熱っちい!」
「何をしようとどうでもいいが、巻き込むなよ」
各々が『レディ・バタフライ』の行動に反応を示したその合間。翼を動かし起き上がった異形が飛び上がる。
『てふてふ』達の声に従い、先の指示の通りにウルガモスの元へと嘴を向けて加速。
が。そこに細氷を纏い煌めく二本の光が奔る。
それが飛び上がった二羽――オニドリルとウォーグルにと直撃。その水色の光線によって翼を凍らされて撃ち落された。
ずしゃりと地面に墜落する大鳥と大鷲。急所に当たったのかそのまま動かない。戦闘不能。
どよめく白服黒仮面の男達。
それを成したのは。地に倒れ罅割れた小さな氷女。
僅かに動く手の先から二条の
れいとうビームを撃ち放ったユキメノコは自身の成果を見届けて、ふ、と空気の抜けるような笑いを浮かべそのまま瞳を閉じる。辛うじて死んではいない。戦闘不能。
「あ、『右鏡』も、『左鏡』も、サンキュ。もう大丈夫そうだからこいつ、戻してくれる? 後、あいつも」
撃墜された二羽の後を飛んでいた残りの二羽――ムクホークとエアームドが加速したその少し後に、手持ちの影霊を治療中のサーナイト達にそう頼む『ノラ』と呼ばれる少年。
二体の女中姿の異形はコクリと小さく頷いて少年の腰に付いた球を持ち操作する。
そうしてモンスターボールから放たれた閃光が二体の亡霊を包み込みそのまま内部へと引き摺り込んだ。
その直後。
紫色の夢魔と交戦していたグライオンが叩き落される。ずさりと地面へと叩きつけられ苦鳴を漏らして動かない。戦闘不能。
牙蠍を打ち倒したムウマージも無傷でなく、その身を抉られ深傷を負っていた。闇色の血飛沫を噴き出しながらしかし宙へと踏み留まるその視線の先は。
束ねた灼熱の塊を放つ準備を今将に完了しようかというウルガモスが。
掠れて震えた鳴き声で、しかしニタリと浮かべた笑みはそのままに唄う様に唱える様に紡ぎ夢魔が自分の周りにと展開するは数多の輝石。パワージェム。
にぃ。と瀕死に近いにも関わらず浮かべた笑みが更に深くなったのを
銃爪に、輝く弾丸が空を奔る。
火の粉の降る闇に薄茶の光の軌跡を残し真っ直ぐと、焔蛾へと殺到する輝石の弾幕。
むしと
ほのおの属性を持つウルガモスに
こうかはばつぐんな、
いわ属性のその攻撃。
しかし。それは焔蛾の周囲をふわりと舞う五体の異形の鳳蝶によって全てが受け止められてしまう。
ウルガモスと同じ舞を踊り強化された飛翔速度と身体で光の弾を受けきった大鳳蝶達。
鈍い打音と断末魔を残して、文字通りにその身を盾にしたアゲハント達は落ちていく。
「はぁいお疲れさまぁ。ありがとぉ『カッサンドル』『デルフィーヌ』『アデライード』『セレスティーヌ』『ディアマンティーナ』」
戦闘不能となった異形の蝶達をボールへと戻す、場違いに甘い『レディ・バタフライ』の声。
それと同じくして、空気を切り裂き
そらをとぶエアームドの
はがねのつばさが、半ば意識を失い不安定に宙へと浮かぶムウマージを背後から斬りつけた。
鋼鳥の軋んだ劈き。空気ごとムウマージの身体を斬り裂く鋭利で濁った斬撃音。
朦朧としていながらも辛うじて身体を捻ったことにより、両断されることは無かったが深傷を負ったその身で耐え切れる筈はなく、意識を断たれ落下していく魔女帽の夢魔。しかし地面へと落ちることはなく即座に閃光に包まれて少年の元へと戻される。
「くそ、戻すの遅れたッ……。――あ、いや、『左鏡』と『右鏡』が、悪いわけじゃない、からな?」
悔しげに
独り
言ちた少年だったが、申しなさげに小さく鳴き声を向けてきたレース生地の髪留めを着けた二体のサーナイトに気がついて、それに対してバツの悪そうに弁明する。
そんな光景の外では。
「――ッ。そろそろ諦めてはどうでしょう?」
「ふ――ッ。そのまま返します。流石にアレを受けきる事は難しいので早々に諦めて頂ければ私も楽になるのですが。例えばこのようなやり取りが無くなったり」
「それは余計な労力を使わずに済んで素晴らしい。なので貴方方が諦めてください」
「それは出来ない相談ですね」
「でしょうね」
等と軽口を叩く『家令』と『セバスチャン』の豪腕と鉄腕、剛拳と金属製鈍器が唸りを上げてぶつかり合う。
技量は相手の拳をいなしつつ特殊警棒を振るう老執事に軍配が上がるが、しかして単純な腕力と体力では壮年の執事が上のよう。
互角に打ち合う両者だが、その強さの違いが徐々に徐々にと天秤を傾ける。
段々と防御と回避の比率が多くなっていく老執事『セバスチャン』。少し前まで『家令』との力と体力差を補っていた金属生命体達は、しかし今は主である少女の言葉に従って離れている。
そして。『滅びの紡ぎ手』たる少女の指示の通りに
こうそくいどうしたメタグロス達が駆けつけた先は。
四体の内『磁王』と『鉄皇』は少女達の元へ。
残りの『マグネ』と『ネオジム』は少女の母と大蝙蝠の翼を生やした彼女の元に。
二体ずつ鉄塊達がそれぞれ到着したその直後。
勿忘草色の巨体を、両肘から刃を伸ばした剣魔によって斬りつけられた。空気を震わす、ぎいん、という残響音。硬度故に致命傷と云う程の深さでは無いが確かに刻まれる刀傷。
斬りつけられたメタグロス達の咆哮が割れ響く。それと間を置かず放たれる鋼の拳を、生やした刃の
鎬で受けてそのまま軌道を逸らし受け流す剣魔――エルレイド。
火花でも散るのではないのかという程の擦過音と共に反撃を躱されたメタグロス達。だが、もう片方の鉄の前脚による鋼の拳の第二撃を即座に放つ。
しかし。その暴圧的な勢いで迫るその殴打を、薄紙さえも挟めない程に引き付けた後に、剣魔はひらりと身を捻り宙へと舞って回避。
空振った二体の太い鉄柱の様な前脚が交差する。
そしてそのまま止まること無く鋼の巨躯同士がぶつかり合い、鐘の音でも響かせたかの如き低い残響が辺りを震わせる。
そこに。跳んだ空で態勢を整えたエルレイドの、肘の刃を元の何倍にも伸ばした斬撃が振るわれる。
防御を捨てた剣魔が放つ、茶色の激光を纏う刃の闇も風も断ち割り迫るその一撃が、二体の鉄蜘蛛に肉迫。
そこへ。
「
てっぺきッ!!」
少女の声がりりんと響く。
言下。声に従ったメタグロス達に変化が。灰と藍色――
はがねの光がその身を覆う。
更に。
触れたものを容赦なく断ち斬るだろう勢いで、剣魔が両の刃で放つインファイト。その強力な刃の一撃が狙うメタグロスの関節部。
鋼の強度の異形の身体で最も脆弱であろうその部位に、刃が振り下ろされるより早く、十重二十重もの白い糸が巻きつけられた。
蜘蛛糸の束を鎧った鉄の脚に喰い込む鋭利で苛烈な剣魔の斬撃。
けれどもブツリと繊維の束を斬り裂いたのみで刃の進みが止まる。その奥の、鋼の身体にも衝撃は届いたのかギシリとメタグロスの身体が軋むが、だがそれだけ。
自身の斬撃の結果に、苦々しげにエルレイドの顔が顰められる。
「蜘蛛の糸は自然界最強の繊維よ? 同じ太さなら鉄より丈夫なそれを何度も斬って落として、可能な限り太くして分厚く巻いた鎧すら大半を斬り裂いたのだから、そんな顔をしないでほしいわね」
そんな白い剣魔に、凛と響いた女の言葉が投げかけられた。
それと共に、二方に別れて同様に斬りかかり仕損じた、『家令』のエルレイド達に向かい蜘蛛達が襲い掛かる。
一方には『滅びの紡ぎ手』の大毒蜘蛛と放電する黄色い子蜘蛛が。
もう一方には『女郎蜘蛛』の三体の極彩色の大毒蜘蛛達が。
牙を剥き跳びかかるそれらの異形の蜘蛛達の攻撃を、喰い込んだ刃を支点に反動をつけて跳び上がり躱すエルレイド。頭を下にした状態で空を舞う。
空中で逆立ちの姿勢となった剣魔は肘から刃を伸ばした緑色の腕を地に居る蜘蛛達へと向け、桃色の燐光を散らす念動力を放つ――
「てぃッ!」
「させないわよッ」
――が。しかし、サイコキネシスを放つ僅か前に母娘が気炎と共に脚へと巻き付けた蜘蛛糸を引く。体勢を崩されて叩き落されるエルレイド。
勢い良く地面へと叩きつけられたがしかし剣魔は即座に絡まる蜘蛛糸を切り刻んで立ち上がり動きだす。
「ああもう! とっとと諦めるかやられなさい時間ないんだから!! 『いと』『とと』『まる』――イカサマ!!」
「『磁王』達は皆が斬られないように守って!! 後、ウルガモスの方にも注意して! 『ちょび』は
一〇まんボルトッ。『ウェブ』はイカサマ!」
動きの鈍らぬ
剣の異形達。それに対応しながらも焦りの混じる母娘の声が夜闇に突き刺さった。
刹那の遅れも無く母娘の異形達はそれに従って行動に移る。剣魔の刃と毒蜘蛛の身体が接触するその瞬間、その一瞬のみ互いの力が拮抗。本来なら力負けするアリアドスがエルレイドの膂力に匹敵する。僅かに動きの止まるそこ目掛け残りの毒蜘蛛達やバチュルやメタグロス達が動き、それを援護するのは女中姿のサーナイトが二体と蜘蛛糸を繰る母娘の二人。抱えられた少年は動けない。
それとは別。片眼鏡と黒縁眼鏡のサーナイトが静かに、しかし激烈な念の応酬を繰り広げている。
白い異形達のトレーナーである執事達も止まる気配は無い。
「充填完了かしらぁ? 『カルメン』ぅ?」
「うふふ。夏の真昼間の陽射しみたいね。肌がジリジリと焼かれてるみたい」
「チッ。――マリルリ。アクアリング」
「あら、ありがとう気が利くのね。少し楽になったわ」
「あ、先輩なんで俺だけ入れてくれないんすかッ?!」
「
みずでっぽう」
「ちょ――ゴブブブッ」
「
れいとうビーム」
「――――!?」
「癪に障るが『お嬢様』の方は言われた通りに守ってやる。後は勝手にやれ」
「きゃは。ありがとぉ。後でビーフジャーキーとか恵んだげるわぁ」
そして高められ束ねられ纏められた極大の熱の塊を自身の大きな身体の前方に展開し終えた焔蛾が、六枚の翅から細かな火の粉を撒きながら分かれている『滅びの紡ぎ手』と『蝙蝠少女』のその合間の空間へと向きを整える。照準を定める様に。
ウルガモスの成人女性並の巨躯を覆い隠すほど巨大な熱の塊が、景色を歪めて辺りの夜闇を潰し尽くす。もしもそのままの大きさで放たれれば、『レディ・バタフライ』の言葉通りに直撃せずとも炭になるかは知らないが、伴う熱風によって大火傷を負いそうな事は間違いない熱量のそれ。
その熱源の御蔭で凍結されかけた『雑音』が復活して喚いているが、同じく翼を凍らされ落とされた異形の鳥達は、ユキメノコの最後の一撃で立ち上がる体力を削がれていた様で動きはない。
現状把握。
要するに、焔蛾の攻撃をどうにかするために動けるのは『彼女』のみ。
様々な音の融ける
坩堝の中でも反響する音無き音による定位によって、それを理解したクロバットの翼を背負った『彼女』は。
黒服の『指揮者』が再度喚び出した水兎、マリルリが生み出した
水の紗幕の陰で微笑む少女へと視線を向け直す。
アクアリングと更に
ひかりのかべまで作り出した水兎の頭を撫でながら、間近で炎熱が揺らめいているのを楽しそうに眺め口元を綻ばせている栗色の髪の少女。
その姿と、傍らで長い耳を揺らすマリルリが少女に頭を撫でられながらも周囲へと視線を巡らせているのをぼやけた視界と鮮明な反響によって見て取って――
――あれ相手では通らない。此方は諦める。
視線を切って向け直した先には、派手な異装の『レディ・バタフライ』。此方もその傍には女王を守る兵士の壁の様に白服黒仮面の男達『てふてふ』達が居る。
――多すぎる。不可。これも諦める。
故に。狙うは二羽の異形を侍らせ熱線の発射体制へと移り終えたウルガモスそれ自体。
秒に満たない合間にそう判断した『蝙蝠少女』たる彼女。そして刹那の間も無く動き出すその肢体。
感じる熱波が温度を上げて肌を刺す。ぶわりと噴き出す汗が伝う。軋む痛みは引きもしない。
――邪魔。
それらの感覚を意識の外に吹き飛ばす。
更に。
――周りの事も今はどうでもいい。
広域に展開していた
ちょうおんぱを止める。結果、反響定位が停止。周囲の様子を伝えるのは音と霞む視界によるもののみ。
――知りたいのは。
視力の弱いが故の霞んだ視界。しかし確かに映る橙の翅と白い巨躯。そこへと目掛け
ちょうおんぱを発する『蝙蝠少女』。
大きく開いた口から白い光を伴って発せられる無音の音。範囲は先より狭まった、しかし指向性を持ち強力な音の波。返ってくる反響もその分強く、情報量はこれまでよりも詳細に。
――あれとの距離と角度。
そして音無き音に揺さぶられた、ウルガモスを守る為に周囲を飛んでいる異形の二体。巨大な猛禽と鋼の鳥が、尾を引くか細い鳴き声を上げてよろよろと藻掻く様な飛び方をし始めた。
発し続ける
ちょうおんぱによる反響定位によってそれを子細にと視る『彼女』。強度を上げたそれを直に浴びて
こんらんする二羽の異形。『てふてふ』の男達の大声が響く。しかしそれもどうでもいい。この一瞬を無効化出来ればそれで良い。
「――ん?」
……しかし。ぼやけてはいる視界でも、視認はしていたので気にしていなかったが、何故気にしなかったのか分からぬ程にウルガモスへと当たっている筈の反響が弱い。今までよりも強いものを放っているにも関わらず返ってくるのは弱々しく不鮮明なエコー。火の粉を散らす巨大蛾の確かな位置が分からない。
――それなら。
六徳の内に狙いを変える『蝙蝠少女』。
ウルガモスとは違いその位置を把握する異形の鳥達へと向かい両腕を振るう。軋み痛む身体を鞭の様に
撓らせて放つ二つの飛ぶ斬撃が空を裂く。
無論
ちょうおんぱは維持。
――さあ、どう動く。
そして、エアスラッシュが無防備な鳥ポケモン達へと突き刺さる。パキリと罅割れた音とぞぷ、と肉の裂ける音。断末魔めいた鳴き声等の不快音と共に鮮血が咲いて二羽の異形が落ちていく。
同時。前後不覚に陥ったムクホークとエアームドとは裏腹に無傷の筈のウルガモスまでもが背中の六枚の翅を動かすのを止めて落下。但し、充填し終えた熱の塊は湛えたままに。
「ちょっと『カルメン』ー? どうしたのぉ?」
手持ちの奇行に『レディ・バタフライ』が声を掛けるが、それでもその落下は止まらない。まるで死んだ様に動かずに落ちていく。
流石にトレーナーである派手な女やその仲間達の元へと落ちる事はなく、数メートル横へとずれた場所目掛けて落下していくウルガモス。
その巨体が地面へと接触する、その刹那前。
警笛の様な鋭く甲高い鳴き声を上げて、動きを止めた焔蛾が再動。太陽色の翅から細かな火の粉を降り撒いて、大蝙蝠の翼を背負った彼女を向いて体勢を正す。よって、巨体の前方に展開した炎熱の塊も自然同じ方向へと向けられた。
「あらら『カルメン』ってば、あの女の子のこと完全に敵に思っちゃったみたいねぇ?」
「悉く言うことが実行されないなお前ら。全滅した『てふてふ』込みで」
「あらぁ? ポケモンは使えないけどまだいけるから全滅じゃないわよぅ? 主に盾と囮にだけれど」
「いや、マジでお前らそれで良いのかッ!? 先輩より非道いぞコイツ!! ……いや、よく考えるとそう違わないか?」
そんな外野のざわめきは聞いただけで認識せずに聞き流し、強めの
ちょうおんぱによる定位と目視で捉えたウルガモスからは意識を逸らさない。逸らせない。もう次の瞬きの合間に強大な熱線が放たれてもおかしくない故に。
ちょうおんぱと仲間を討たれた直後の急降下と立て直し。空中戦であったなら見失いその間にやられていたかもしれない。
けれど『彼女』は地上に居て、距離もかなりあった。驚きはしたが今の『彼女』にはそれにも対応出来る。
『レディ・バタフライ』の指示は『蝙蝠少女』達目標には狙いを向けないというものだったが既にそれは彼方に忘れ去られているらしい。
――それなら。
背中の翼にチカラを流す。蝙蝠の翼は前肢であり、それは『彼女』のものにも当てはまる。両腕は別にしっかりとあり、前肢と云っても飛ぶ事に特化している為に自在に動くわけではないが、翌膜の張った翼の中程には小さく手指が存在する。
――先にこっちが撃ち放つ。
翼へと流したチカラが左右対で在るその小さな指へと収束。
白い強烈な光を放ち、凝縮されていくノーマルタイプのチカラの奔流。
しかしそれを見たウルガモスが、振り切れて甲高い、文字に起こせば半濁音の付きそうな鳴き声で哮りをあげる。
今までよりも更に激しく六枚の翅を震わせ、大量の火の粉を天から振り撒くその姿を見た『彼女』は。
「ッ!?」
――間に合わない。
空気に粘度すら感じる程に圧縮された時間の中でそう判断を下した。
事実、一呼吸終わらぬ内に焔蛾のオーバーヒートは満を持して放たれる。見えぬし聞こえぬ何かでそう悟る。
迎え撃っての相殺は不可能。『蝙蝠少女』が一度に放つ事が出来るのは二条が限界。強化され更には八射分纏めて放つ熱線には流石に威力が及ばない。
――まだ。まだ!
だがそれは諦める理由足り得ない。束ねたチカラはそのままに深く大きく息を吸う。
そして。吐けばその間に放たれるそれより早く。
呼気と共に最大威力で
ちょうおんぱを放つ『蝙蝠少女』。
限界を越えた身体が悲鳴を上げて、全身が砕け散りそうな痛みが襲う。しかしこの後の動きを止めることは僅かも出来ない。止めれば影も残さず蒸発させられる。
炎熱による熱風がちりりと肌を焼く。しかしそれだけ。熱線は撃たれない。
熱の塊を湛えたままにウルガモスが硬直しているが故に。
巨体を覆う純白の体毛が吸収するその許容量を超えた
ちょうおんぱを浴びたが為に。音無き音を聞き分ける感度が仇となる。強力な音波に揺さぶられ極僅かな間動きが止まる焔を纏う巨大な蛾。
「――喰、ら、えぇぇええええ!!」
その合間。肺が焼き付く様な熱気を大きく吸い込んで、『蝙蝠少女』が吼え哮る。前傾姿勢となり、ばさりと大きく広がる蝙蝠の翼。
翼の指先にと集まった光の塊が『彼女』の叫びを銃爪に、二条の光の線となって放たれた。
只々破壊力のみを宿した光線が、愚直なまでな真直さで闇夜を貫き純白の軌跡を残して奔る。
手持ちの巨大蛾へと迫る二条の
はかいこうせん。
「あ。『カルメン』。危ないわよぉ? ……あらぁ? 動けないのぅ?」
「ギャハハハハ!
はかいこうせんまで撃てるのかあのバケモン!」
「直撃してもその蛾は死にはしないだろうが、その厄介なもんは暴発させるなよ」
「ふふ。面白い」
その光景を見ながらも、黒服の男以外は緊張感無く喋っているのみ。そして、色々と気にしている黒服の『指揮者』も他の者達と同様に、動かない。
よって。『蝙蝠少女』の放った
はかいこうせんは何の妨害も無しに炎熱の塊を突き破り、その陰のウルガモスへと直撃した。
巨きな身体の胸元辺りに二本の光線は突き刺さる。耳奥に響く鋭い悲鳴めいた鳴き声と共に仰向けに体勢が傾く異形の巨大蛾。
そこで、そのウルガモスの硬直が回復した。
その結果。
硬直させられるその前に撃ち放とうとされていたのであろう炎熱の塊。それが身体の自由を取り戻した弾みに暴発した。
「あららぁ」
「ギャハハハハ! やられてやんの!!」
「言った側から暴発させるな。……何だ。喧嘩売っているのか」
月まで届くのではないかと思える程の勢いと高さにまで到達する、橙色の極大の熱線。薄い月光などは吹き飛ばされて、辺りが明るく照らされる。
その余波として巻き起こった激しい熱風に曝されて、二条の光線を撃った反動で動けない『彼女』は姿勢を崩しそのまま地面へと倒れてしまう。
「あら、あなた達は私のものなのだから喧嘩はだめよ? ……あの子達が欲しかったのに何故か焼き殺してしまいそうだったけどまあ、派手で楽しかったし。『レディ』、ありがとう。『番犬』の貴方とマリルリもありがとう。お陰でステーキにならずにすんだわ。ところで、『駄犬』の貴方は……何をしていたの?」
「きゃはッ。喚いてぇ、殴られていたわよぉ?」
「ぶっ殺――ゴブッ?!」
「よくやったマリルリ」
「……ちょっとあんたら、コントは家に帰ってやってくれない? あんな目立つもん打ち上げておいてまだ続けるの?」
弛緩した雰囲気そのままの『妹様』『レディ・バタフライ』『雑音』『てふてふ』達と、緩んではいないものの既にこの状況への興味を失っている『指揮者』。それらへと棘を含んだ声色で『女郎蜘蛛』が問いかける。
ウルガモスのオーバーヒートが明後日の方向に放たれた為に交戦の勢いは減じていたようで、既に『家令』とその手持ちである黒縁眼鏡のサーナイトと二体のエルレイド達は戦闘を止めて距離を取っている。
「お嬢様。流石にこれ以上は無理かと。普段
人気の無い場所ではありますが、少々騒ぎ過ぎました」
「そうね。楽しかったし一応の目的は果たしたたことだし。――楽しかったよッ『ノラ』ちゃんに『姫』ちゃん、それにクロバットのお姉さんと『姫』ちゃんのお母様も。またお会いしましょう? 後『セバスチャン』、『お姉様』によろしく伝えておいて」
「ええ。畏まりました。しかし私はセバスチャンでは――」
「二度と会いたくありません!!」
「『姫』……耳元で叫ぶのは、止めてくれ……」
蜘蛛使いの少女のそんな強い拒絶にも『妹様』はふわりとした笑声をあげた後に、
「あらあら嫌われちゃってるのね。でも大丈夫。あたしは大好きだから」
だからまた会いましょう? と、とても楽しげに言の葉を紡ぐ。
威圧的なわけではないのに有無を言わせない雰囲気の無邪気なその言葉を聞きながら、地に倒れたままの『彼女』は霞んでぼやける意識の中でそれらを聞く。反動だけでなく、痛みと疲労と達成感が混ざり合ってよくわからない脱力感で身体がピクリとも動かない。或いはこれが例の“パワーポイント切れ”なのだろうか。
――そういえば反響定位も行えない。
故に『彼女』には周囲の様子は分からない。
けれど、少し前まで充満していた危険な感じは消え去った。そう感じる。……未だ続く轟音を生み出している離れた場所の『化物』と『怪物』以外は。
――化物と怪物、か。
「さあ、『家令』は『レディ』達と『番犬』と『駄犬』を連れて先に帰っておいて」
「お嬢様はどうなさるので?」
「あたしはちょっと
彼処の『怪物』とやらに会ってくるわ。お姉様の『執事』は無理そうだけれどそっちはフリーなのでしょう?」
「今は雇われているがな。というか、一人で行くのか? あ? 『お嬢様』?」
「粗野な問いかけをありがとう。大丈夫。同じ雇われていた貴方達が来てくれたのだから。それに、一人だけれど独りではないわ」
ねえ? 『ウェルギリウス』、『ベアトリーチェ』、『ダンテ』? という声に従ってこの夜に何度も聞いたモンスターボールの開く音が響く。
「……ああホント、そいつらが出てこなくて良かったわよ。『姫』? あれらと互角にならないと何時かおチビちゃん盗られるわよ」
「では、
私共は先に屋敷へ。お気をつけて。時間もありませんのでお急ぎを」
「おおう?! 先輩ッ フーディン以外の二匹ってあれ俺見たことある気がするんすけど。激レアじゃなかったでしたっけ」
「……奇遇だな。俺も見たことがある。培養槽の中のをな。常識外な奴だと思っていたがここまでとんでもないもんを持ってたとは……」
「それでは、此方もお
暇しましょうか。『執事』の音にまぎれてサイレンの音が聞こえてきましたし」
「そーねー。アタシも朝からお仕事だし。帰るわよ。あんたはそのままおチビちゃん抱きしめときなさい。そんでマグネでもネオジムでも誰でも良いから岩の下の『ばち』達助け出してくれる?」
それと――、と凛と響く『女郎蜘蛛』の声が一旦切れる。
カツカツとした硬質な足音が近づいてくるのを辛うじて聞き取る『蝙蝠少女』。そして、それが彼女のすぐ傍で止まり、
「大丈夫? 生きてる? それとありがとう。貴女があの蛾どうにかしてくれて助かったわ」
と語りかけられ、そしてグイ、と持ち上げられる。
「よっと。貴女アタシより背ぇ高いのに軽いわねえ。羨ましい」
「あ、ママー。救出完了! “遅い!”ってー」
「ありがとう。……じゃあ埋もれるんじゃないわよ。もう。でもありがと。そんであんたらも戻りなさい」
「『セバスチャーン』、終わったみたいだからお願いねー」
「セバスチャンではないのですがねぇ……」
等というやり取りを聞きながら、抱きかかえられた『彼女』の意識はすぅと沈んでいく。
その混濁した思考の中で、最早遙か前にさえ感じる出会った当初の少年の言葉が浮き上がってきた。
“「背中に羽が生えてるだけで化物にはならねぇよ。その程度じゃ化物じゃない。――まだ足りない。ん? まだ多い、か?」”
これの意味。
聞いた時は意味が分からなかったが、これは。
つまり。
“足りない”――人の身には起こせない程の力を持って。
“多い”――それを抑える力を持たぬ者。
そういう、意味だろうか。
反響定位を行い周りを視ることが出来て。
背中の翼で風を生み出し掴んで空を飛び。
毒光の刃や飛ぶ斬撃、果ては光線まで放った。
そんな異形の翼を背負った『蝙蝠少女』は考える。
それらを行える事は別に何でもないと思う。出来る事を只行っただけだから。あのグラエナの少年もその力を使って助けてくれた。
蜘蛛使いの少女も然り。
けれど。
だけれども。
そこまで考えて、彼女の意識は闇へと落ちた。
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――一瞬だろうがなんだろうが、無防備なあの少女を
はかいこうせんで狙おうとした私は人間か?