W-13
「ギャハッ! じゃあその自慢の糸ごと燃やし尽くしてやんよッ!! バクフーン!
かえんほうしゃあああああああッ!!」
癇走った咆哮。同時、猛々しい炎の鬣を盛らせる大鼬のその口腔に、橙色の激光を帯びた炎が満ちる。
「――ッりゃあッ! ふぅ、死ぬかと思った! ――おわ。『氷華』、
みずのはどう!」
その中途、少年が無事復帰する。黒い光を迸らせて、メタグロスを片手で一匹ずつ持ち上げながら。
その次瞬に状況を把握したのか、最もバクフーンに近い小さな雪女へと少年の指示が飛ぶ。
「くくく、やっぱり化物じゃねえか。――おらッハッサムはそのままゲンガー相手にしてろ! 距離は取らせるなッ。カイリュー、バシャーモは近くの蜘蛛屠っとけ! マリルリはムウマージ落とせ!! そんで『雑音』は餓鬼に止め刺してこい!」
それとほぼ同時、『指揮者』のよく通り滑舌のよい、途轍もない早口での指示が発せられた。メタグロスを二体持ち上げ、更に脚で後の二体の直撃を防いだ少年を見て呟いた乾いた笑いを漏らしながら。
「ふふふ、流石ねおチビちゃん。――そして、さっきも言ったけれど、その金髪のばかはどうせ聞いてなかったのだろうからもう一回言ったげる。蜘蛛は単眼の節足動物。獲物を目で追うのは難しいのだけども、強靭な糸を鋭敏な感覚を用いて捕食するの」
「あァん? 聞いてたっつーの!! だから、その糸も感覚も纏めて獲物を追えねえ弱っちい蜘蛛ごと焼き払ってやる
言ってんだろーがッ!!」
主人である『姫』の命令を守り、戻ってきたアリアドス。『彼女』達を正面の敵から庇う形で牙を鳴らすその背中を、屈んで撫ぜながら『女郎蜘蛛』は明朗と響く声で唄うように言葉を投げる。
投げかけられた言葉に、怒りと嘲笑を混ぜた様な歪で凶悪な面相と化した『雑音』は、少年へと
驀地に突き進みながらも罅割れた大声で更に言葉を投げ返す。
「バァァァァクフーン!! テメエ遅ぇえんだよ何やって――」
続き、ギラついた瞳で少年を見据えたままに手持ちの炎鼬に理不尽な言葉を発する『雑音』。
だがそれを言い終える前に、ユキメノコの放つ青色の光の奔流がバクフーンの顔面に直撃した。
苦手な
みずタイプの攻撃を喰らい、悶絶する大鼬。しかし、強い陽射しに弱められた
みずのはどうは炎獣を倒す程の威力を得られなかった。
更に、まさに冷や水を浴びせられたその一撃により、バクフーンの怒りが最高潮に。背で燃え盛る炎の鬣が更に五割程増して燃え上がる。
結果、触れたモノ全てを燃え上がらせるとさえ言われるその体温が熱した空気中の水分に
みずのはどうが加わり、更にそれによって水蒸気が冷やされ凝結。辺り一帯に白い蒸気を撒き散らした。
「チッ。あの馬鹿共が――」
視界を遮る水蒸気の靄を生み出した原因である軽薄な男とそのポケモンに毒を吐きながら、黒服の『指揮者』が自陣のポケモン達へと指示をし直そうと息を大きく吸ったその刹那。
男の目前、靄の中で辛うじて目視出来る距離で、笑みを浮かべた亡霊と斬り結んでいた紅い鋼虫の動きが突如止まる。次瞬、山吹色の燐光を散らしてハッサムが痙攣。
バチバチと爆ぜる電光。金属質の鳴き声で呻く紅い異形だがしかし動けない。粘着質の糸と帯電する糸の二種類の蜘蛛糸が絡みつき、全ての動きを封じているが故に。
「ああぁ鬱陶しい!! ハッサム、
すなあらしッ、カイリュー、バシャーモ、バクフーン!! 視界を確保したら
かえんほうしゃ!! 俺らごとで構わん蜘蛛と亡霊共を焼き尽くせッ! マリルリは俺とハッサム、ルカリオにバブル
こうせん!! 『雑音』!! 手前ぇはもう指示出すな殺すぞ!!!」
最早絶叫に近しい『指揮者』の声が響き轟く。指示を出しながら、自身は靄の密度が疎となった一瞬に『彼女』には当たらぬ様に『滅びの紡ぎ手』と『女郎蜘蛛』を向けて発砲。
連続する銃声。しかし、アリアドスとバチュルの吐く糸を指先の動きだけで撚り合わせ紡ぎ織られる母娘の盾によって、その悉くは届かない。
「そんな蜘蛛なのだけれども、じゃあもしも――」
指だけを忙しなく蠢かせながら世間話でもする様にコートの合間からスーツを覗かせ女は言う。
その中途、極彩色の
くもの
すと電気蜘蛛のエレキネットに苛まれるハッサムから薄茶の燐光が散る。そしてそれは次第に渦を巻き始める。
次瞬、けたたましい笑い声と共にゲンガーが幾多もの影色の球を生成。通電されるハッサムに向け放たれた。
至近で撃ち出された、砲弾とも言える圧力で迫るシャドーボールが被弾する瞬間前。紅い鋼虫から発される光が急速に渦を巻き、更に薄茶の光は細かな砂粒へと変化。身体を覆う程度の極小の砂嵐が発現。
それが影球の威力を極限まで削りとる。
霧散するゲンガーの攻撃と共にハッサムを苦しめていた蜘蛛糸が引き千切られ、紅い身体が開放。更に空気を掻き回した
すなあらしによって、視界を遮る水蒸気の靄が晴れていく。
消失していく白い靄。そして指示通りの状況となった『不協和音』のポケモン達が動く。
瀕死の状態から羽を休めて戦線復帰したカイリュー。クロバットの『彼女』の不意を突く一撃により昏倒していたバシャーモも意識を取り戻している。そして憤激を周囲の空気が歪む程の熱に変えて吠え猛るバクフーン。
三匹の異形達のそれぞれの口元に
赫々とした劫火が漏れて溢れる。
「ん。『いと』、『とと』、『まる』は戻りなさい」
三匹が蜘蛛達と少年の手持ちを味方ごと燃やし尽くす勢いで炎を吐き出すその前に、片手で赤みを帯びた茶色い髪を掻き上げながら呟く女。呟きながら動くもう一方の手指に繋がる蜘蛛糸が、勢い良く手首を引くのと同期してたぐり寄せられる。
『女郎蜘蛛』と繋がった
栞糸を引かれ、それを合図に辿り戻る極彩色の大蜘蛛三匹。後を追う火炎からぎりぎりで逃げきる。
それと同時に極小展開した
すなあらしが収束。靄と砂粒に遮られていた擬似太陽の陽射しがもう一度降り注ぐその下で、再びハッサムと斬り結ぶゲンガー。
その隣でひらひらと浮遊するムウマージをルカリオが狙い跳びかかる。が、周囲に蠢く電気蜘蛛の一匹が放つ玉虫色に色味を変える光線によって阻まれる。
その近くで、電撃を受けた身体で滑らかに、影霊のシャドークローを打ち払う紅い鋼虫。
おにびによる火傷も物ともせずに両腕を大きく広げて牙を剥き出し唸る人狼。
そこへ炎が迫る。
その熱と圧力に、亡霊二匹が後退。時を同じくしてユキメノコも後退。しかし地面を舐める様に広がる炎はそれを上回る勢いで襲い来る。
『指揮者』とその手持ちであるルカリオとハッサム。それらを包囲していた三匹の雷蜘蛛達と三匹の亡霊達。その全てを諸共に燃やし尽くさんと放射される劫火。
その火勢に黒服の『指揮者』と二匹の手持ちが飲み込まれる少し前。水で出来たヴェールの輪を数個自身の周囲に浮かべた水兎が勢い良く、青い光を散らす細かな泡を吐き出した。
放たれたバブル
こうせんの照準は、主人と仲間である中年男と二匹の異形。しかし常とは違い、圧力で押し流すことも、泡の破裂の衝撃波を攻撃に転じることもせず、その一人と二匹の全身を微細な泡が包みこむ。
その直後、三方向から放たれている紅蓮の炎が、『指揮者』の指示通りに広範囲を埋め尽くした。
「ああ、熱い。しかし流石に元『楽団』。
にほんばれで火力が上がると手のつけようが無いくらいの威力ねぇ」
「ギャハハハハハハハハッ! 『指揮者』さんのはともかく、俺のバクフーンは加減が出来ねえから基本
あまごいでのマリルリメインだけどな!!」
しかしその炎も『彼女』達の居る場所までは届かない。デンチュラやゲンガー、ムウマージにユキメノコの飲み込まれた火勢を見ながらも、焦る様子の微塵もない『女郎蜘蛛』がパタパタと片手で扇ぐ真似をしながら呟いた。
それが聞こえたのか、直ぐ後ろで燃え上がる火炎を気にすることはなく走り続ける『雑音』が、目線はメタグロスの巨体を地面へと下ろしている少年へと向けたまま女の言葉に応える。
「ふぅん。さて、と、何処まで言ったのだったかしら。……あぁ、そうだ。そう、単眼の節足動物である蜘蛛なのだけれども、じゃあもしも複眼を有していたならば。どうなると思う?」
熱波と熱風の中で、凛。と涼しい言葉で問いかける『女郎蜘蛛』。
「それがどうしたッ知らねえよ! うっざってえから黙ってろこのアバズレ!!」
滔々と捲し立てる女に大きく怒鳴る、金髪の
軽佻浮薄な長身の男。口は閉じられる事は無く、しかしその間も足は強く大地を踏み駈ける。
背景に劫火を背負い、とうとう少年まで後数歩。
三体の異形の放つ炎の範囲外で、メタグロスを地面へと下ろし終えた少年は、迫る男を真っ直ぐと見据える。黒い光が迸る。生きた巨大な鉄塊達を受け止め持ち上げる、けれど小さなその両の手を強く強く握りしめ胸の辺りに持ちあげて、膝は軽く曲げての臨戦態勢。
それを見た『雑音』は凶暴な笑みを浮かべてその手の鈍器を構え更に加速。
迎え撃つ少年も大地を蹴って動き出す。
その様子をアリアドス達と蜘蛛使いの母娘に守られながら見るしか無い彼女は、思った。あの子は一体どんな理由を抱いてあれ程迄に力を
得、何を思い、どうして私の為に戦ってくれるのか。
あの戦い全てが生まれつきの能力一つで説明されるならば、それは確かに化物染みているかもしれない。だけれども、もし、そうではないのなら。『彼女』同様、『普通の人間』では出来ない何かが出来るのだろうが、あの少年はどんな思いをもってその力をあそこまで磨き上げ、その力で何故『彼女』を救おうと戦ってくれるのか。
それを知りたい。と彼女は思う。背に翼が在る自分を嫌う事に精一杯で、他人の事なぞそれこそ唯一近くに居てくれた『おじいちゃん』にすら興味を向けられなかった彼女が、そう思う。
だから。勝って。痛みと疲労と恐怖に烟る頭の中でそう祈る。
「ま、要するに生粋の
捕食者になるのよん? 強靭な糸と鋭敏な感覚、単眼に勝る複眼での視認。それと電撃。そして、あの仔達の
すばやさ、舐めないでもらえる?」
男と少年。二人が激突するその刹那前。
少し、落ち着きを取り戻した『彼女』が、「それと、あたしは結構身持ちは良い方よ?」と続ける炎に照らされ橙に染まる女の凛とした美貌に、不敵な笑みが浮かぶのを霞んだ視界に捉えた。その次瞬。
夜を燃やし尽くす勢いで盛る炎を吐く異形達それぞれに、夜闇も光炎も塗り潰す光を放つ
雷が落とされた。
僅かに遅れて雷鳴が割れ響く。そして、
かみなりの直撃を受けた三匹のポケモンが紫電を散らして崩れ落ちた。
「あははははははッ! まさか三匹全部に当たるとは思わなかったッ! 流石よ『ばち』、『ゆゆ』、『るる』!!」
落雷の爆音に耳鳴りのする彼女でも聞き取れる、片手の中指を立てて呵々と笑う『女郎蜘蛛』の凛とした声。
「ママ、下品だからそれ止めて……」
少女のそんな苦い響きの混じる呟きが転がった丁度その時。
グラエナの少年と金髪の男が肉薄した。
『指揮者』の手持ち達はおろか、手持ちであるバクフーンの安否を気遣う素振りも見せず、只眼前の少年へと右手の特殊警棒を振り下ろす『雑音』。
黒い光を身に纏う少年は、風を砕きながら迫る鈍器を左の手の甲で受け、流す。
『雑音』の姿勢が崩れる。そこに少年が右脚で蹴りを放つ。
風を斬りながら繰り出されるハイキック。身長差からそれは男の腰上辺りに直撃――
「ギ。ッグ。……だからッ餓鬼の見た目でその力はおかしいつーのッ!!」
「うるっさい! それ受け止めてるお前は何だ自称人間!」
――しない。左腕でそれを凌ぐ『雑音』。だが、腕をひねり掌で受け止めた為に、ボギンと鈍い音が左肩から響いた。
絶叫に近しい咆哮が眼を血走らせた男の口から発せられる。
肩が外れ、動きが止まる男に追撃を加えようと動く少年。
だが、
「ぁ、――」
その中途、少年から迸る黒い光が掻き消える。霧散する
あくタイプのポケモンの力。それと共に少年の身体の力も抜けてしまうのか、ふらついた果てに地面へと膝をついてしまう。
時間切れ。
少年が“残り時間”がどうとか言っていたのを、記憶の隅に留めていたクロバットの彼女の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
彼女や少女が何か言葉を発する前に肩を脱臼した金髪の軽薄な男が動く。
「グ、ガ。アァァァァァァアッ!!」
まず。外れた肩を自力で元に戻す。ゴリ、と石を石で削る様な鈍い音と『雑音』の叫喚が混ざる。
次いで。脱力し弛緩して、地面へと倒れていく少年の髪を左手で掴み固定すると、思い切り蹴り上げる。
「――ッ」
腹へとめり込む爪先。悲鳴は無く、只肺に溜まった息を意思に反して吐き出す音だけ。少年の小さな身体が宙へと上がる。
更に。右手に握る特殊警棒が少年の犬耳のある頭を目掛けて振り抜かれる。
「『ノラ』ちゃんッ!!」
少女の叫びに呼応して、手持ちのアリアドスが凶悪な笑みを浮かべ鈍器を振るう『雑音』へと、数本の
どくばりを勢い良く放つ。
音なく飛来し『雑音』の身体へと突き刺さる極細の毒の針。しかしそれを食らっても男の動きが止まらない。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! 死ねやバケモン!!」
甲高く耳障りで軽薄な響きを孕んだ大笑を発しながら、凶器を打ち据える『雑音』。少年の頭を無慈悲に砕き割るだろうその結果を知りたくなくて『彼女』は目を瞑る。
だけれども、次の瞬間に聞こえたのは
頭蓋を砕く音ではなく、少年の苦悶の声でもない。それは、
「……あアァん?」
一瞬前の大笑いとは打って変わって不機嫌そうな男の声。
何が起きたのか分からない。恐る恐る『彼女』が閉じていた瞼を開くと、視力の弱い、靄のかかった視界に映ったものは。
「失礼。当家の使用人見習いが何か粗相を致したのでしょうか? 蹴り上げられて、そのような物で殴りつけられる程の」
燕尾服を着た老年の男が、金髪の男の振るう特殊警棒を受け止め掴む姿だった。もう一方の腕に抱きとめられているのは、ぐったりと項垂れたグラエナの少年。