W-12
「え? あ――」
一瞬の間の後に少女が気が付く。
少し遅れて彼女が焼けつく様な熱を帯びる腹部の痛みに耐えながら、白い燐光を散らす音無き音を発したその刹那。腹部の熱とは又違う、肌を炙る熱気が襲ってきた。
辺りを探る反響と霞んだ視界が、何があったかを細部まで彼女に知覚させる。
糸に縛られた異形の内の一体。バクフーンが、自身の主人に似た甲高い咆哮と共にその襟首から炎の
鬣を噴出させて蜘蛛糸の緊縛の悉くを焼き払ったのだ。
「――ちッ。――りゃあッ」
後数歩まで肉薄していた少年が舌を打ち、しかしそのまま殴りかかる。
「『ウェブ』は戻って! 他の仔はサイコキネシス!」
「うわ熱ッちい火傷した! テメェバクフーン!! ……ギィヤハハハハハハハ!! 残念だったな化物よぅ!」
状況を把握した少女が自身の手持ち達に指示を出すのと、炎鼬の火炎によって糸より逃れた『雑音』が哄笑するのが同時に響く。
少年と共に宙を駆けていた三体の亡霊の内、ゲンガーのみがそのまま直進。後の二体が急制動の後に左右に散る。
「『雑音』は餓鬼、ハッサムはゲンガーを迎撃。ルカリオは後の二体の亡霊を警戒。後の奴らはメタグロス沈めろ!」
少年が一歩進まぬ間に、『雑音』と同じく糸より逃れた『指揮者』が自由となったポケモン達に指示を飛ばす。
言下に動き出す『不協和音』の手持ち達。
苦手な炎の直撃こそ無かったが、余波の熱風を食らったのか僅かに動き出すのが遅れる『滅びの紡ぎ手』のポケモン達。
それを反響定位で認識しながら、彼女は中年男のその指示に違和感を覚えた。
あれ――
しかしその違和感が形になる前に状況は目まぐるしく変わっていく。
距離を詰め、黒い激光を纏う少年の拳が迎え撃つ金髪の特殊警棒とぶつかり合って鈍く重い音が大気を揺らした。
何故――
三日月を思わせる笑みを浮かべた影霊は、その短い両腕に禍々しく歪んだ爪を生み出して紅の鋼虫と斬り結ぶ。
鋼の鋏と影の爪が斬りつけあい、空気を切り裂く鋭い音の中、回り込む様に左右に飛んだ二体の亡霊。左方ムウマージが宝石が如く煌めく石群を、右方ユキメノコが闇より暗い影の球を『指揮者』に向かい撃ち放つ。
だがそれも、己が主を背にして仁王立つ、蒼き人狼が左右の腕から放つ
みずと
あくの
はどうがなぎ払ってしまった。青と黒の光の奔流がパワージェムとシャドーボールを余すこと無く喰らい尽くす。
その合間。『雑音』と衝突し合った少年だが、幾手かの格闘戦の結果、沈めることは出来ず態勢を整えるために後退。黒い光の軌跡を空に残しながら着地した。
次瞬。
劫火を纏う車輪となった大鼬がメタグロスの内の一体に肉薄。
――後の『奴ら』なのだろう。指示をされていない男達の手持ちは後バクフーン一匹の筈なのに。
そこでようやく彼女の感じた違和感が形になる。
「『鉄皇』ッ?! ッ、リフレクター! ――ッ、『ネオジム』後ろ!!」
少女も気が付いた。念動力よりも早く迫る異形の獣達の攻撃を防ぐ為、物理障壁を出すよう叫ぶ。
けれど、少し足りない。反響定位で知覚した事象の意味をようやく彼女は理解する。
「後の二体も! 倒れてたのが動いてる!!」
それを補足する為に彼女は声を張り上げる。
だが。間に合わない。
少女と彼女の声に反応し動く鉄塊達。
しかしそれよりも早く、迫る四体の異形達の一撃が鋼の巨体を激しく打ち据える。
四体。
バクフーンの
かえんぐるま。
マリルリの放つ全霊の
きあいの宿った
剛拳。
バシャーモの火炎を纏った強靭な脚によって放たれる回し蹴り。
カイリューが太い腕に全身の力を込めて打ち抜くその拳にも、空気を炙る
赫耀とした炎が宿っている。
それらの攻撃がまるで測ったかの如く同時にメタグロス達を襲う。
轟音。金属質な苦悶の声。辛うじて張った桃色の物理障壁もその衝撃は突き抜けて、それを食らった大きく重い身体が素っ飛んだ。
「いッ!?」
真っ直ぐと、メタグロス達が行き着く先には態勢を立てなおしていた少年が。
不意の事に目を見張り、直ぐに長めの黒い髪と尾を靡かせて横跳びに避けようと動く。だがその間もなく、グラエナの少年へと四匹の鉄塊が直撃した。
地面を抉る激突音。鈍く長く響く金属同士の衝突音。朦々と粉塵が舞う光景を見て息を飲む少女。
彼女も同様に言葉を失くし、反響で少年がどうなったか探ろうと試みるが、秒ごとに腹部の痛みが増していて上手く
ちょうおんぱを発せられない。
「――ッ、皆ッ、ノラちゃ――」
「――く、ぁ、大丈夫、なの?」
「こら。あんた達の
騎士な王子様でしょう? 信じなさいな」
気が付くと傍らに立っていた、ダッフルコートを羽織った女の凛とした響きの言葉が発せられたその直後。
空に浮かんだ擬似太陽よりも凄まじい閃光が、男達に向かってまるで大きく開いた掌の様に幾筋にも枝分かれしながら落ちてきた。
僅かに遅れてそれ以外の音を薙ぎ払い、打ち消す程の雷音が轟く。
幾多もの
かみなりが落とされたそこには、山吹色の燐光と紫電が散る。が、
「あー、やっぱり当たらないか。ホント、天候次第で当たる当たらないのムラが大きいわよねぇ。
かみなりとは上手いこと言ったもんだわ」
「アァアアアアァァッビビったじゃねえかこのくそ女!! 蜘蛛なら蜘蛛らしく、ちんけな巣でも張って根暗に引き篭もってろ!!!」
その全ては『不協和音』達に当たる事はなく、間髪入れずに『雑音』が吠え立てる。
「あら。そのちんけな巣の糸に絡め取られたのは誰だったかしらん? それと、蜘蛛は捕食性の肉食動物よ? 確かに、単眼だから獲物を目で追う事は難しいけれど、その代わりに糸と感覚を研ぎ澄まして獲物を狩るのだから――」
「――そう。だから、感覚を研ぎ澄まし過ぎて外に出られなくなった引き篭りも案外そうなのかもね? 自分に対する餌を運ぶナニかは捕らえているのだから」と続ける『女郎蜘蛛』。「それに、知らないだろうけど巣を張らないで徘徊するタイプの蜘蛛も居るのよん?」と更に続ける。
その言語に
迎合を打っているのか、気が付かぬ間に展開していた大蜘蛛達がギチギチと軋むような鳴き声を上げて蠢いた。
大蜘蛛――極彩色の体色をしたアリアドスが三匹と、黄色い体毛を纏ったデンチュラ三匹。計六体の大蜘蛛達が男達の周囲を取り囲む。