W-11
「そのまま。そのままよ。『
鉄皇』、『
磁王』、『マグネ』、『ネオジム』、『ウェブ』。『ちょび』はまだ、
いとをはき続けておいて」
りりんと鈴の音の様に可愛らしいソプラノで自分の手持ちである四匹のメタグロス、巨大な蜘蛛――アリアドス、それと白いマフラーにしがみつく様にして肩に乗る小蜘蛛のバチュルに語りかける少女。状況が理解出来ていないのではと思えるくらいに、その口調は落ち着いている。
「でも何で『姫』と『かーちゃん』がここに?」
「あ、えっとね、『セバスチャン』さんから“『ノラ』ちゃんと『執事』さんと連絡がつかないのだけれど何処に居るか知りませんか?”って電話が来てね。ママが“ああ、やっぱり行くのねーあのばかは”とか言いながらお話しした後で“じゃあ、迎えに行きましょうか。多分大変な事になってるから”って。迷いなくここに来て、そしたらホントに大変な事になってた」
「『かーちゃん』色々すげえな……」
「ねー?」
突然の来訪者に驚く『彼女』は置き去りにして、少年と現れた少女は会話し始める。
そんな愛らしい声を掻き消すかの如く割れ響くのは、封じられていない口で喚き散らす『
雑音』と哮る異形達の
雑音。意味を成さず、只々
憤激の音を
響もしている。
「……ああ、うるさい。ポケモンはトレーナーに似る、とか言うけれど、本当なのね。ノラちゃんのポケモン達の方が百倍素敵なお話ができるよ?」
「うふふ。そうねぇ、『
執事』の
亡霊達だってもう少しはお利口よねぇ?」
黒いチカラを迸らせるグラエナの耳と尻尾のある少年と話しながら、蜘蛛糸と鉄蜘蛛や大蜘蛛に黄色い小蜘蛛を繰る少女の呟きに応えるのは、笑いの混じった女の声。
しかし、これが楽しくスポーツとしてのポケモンバトルをしているのでは無いのは理解し尽くしているようである。砕けた口調であるにも関わらず、そこに一切の緩みは感ぜられない。理解したうえで、ピンと張った糸の様な緊張感の中を自然体に居られる程に慣れている、のだろうか。或いはそれほどまでに強い精神力を備えているのか。はたまたその両方か。
雨は降り止んだがまだ濡れた地面のにおいが漂っているのを、未だ整わない呼吸の最中に『彼女』は感じる。
「けッ、『滅びの紡ぎ手』が餓鬼に任せて自分は傍観してるだけ、ってのはどういう心境の変化だ? 全て自分で絡めとる。が心情だったろう?」
「あら。情報が古いのねぇ。あたしは情報屋の『女郎蜘蛛』よん? 今はあっちのちっちゃい、昔のあたしみたいに可愛らしいのが『滅びの紡ぎ手』。尤も、あたしみたいになるのかは知らないけれど。ああ、あたしみたいな美人にはなるわよ?」
動きが取れず、しかしそれに対する怯みは一切なく、唯一動く口で嘲りの混じる言葉を発する『指揮者』。それに対して『女郎蜘蛛』のふざけた口調であるにも関わらず凛とした声が返す。
「ノラちゃん。今のうち」
「サンキュッ! あ、『姫』、そのお姉さん守っといて」
コソリ、と小さな声で『姫』と呼ばれた少女――『滅びの紡ぎ手』が少年へと耳打つ。
身動きを封じたから今のうちに。ということなのだろう。短い礼とそんな言葉を言い残し駆けていく、全身から
あくタイプのチカラを迸らせた犬耳犬尾の小さな体躯を眺めながらそう考える。
あまり好かれていない感じだったので、少年の言葉は無視されるのだろうか? それならそれでも別に構わない。自分で自分の身は守るから。と思いつつ彼女が少女へと視線を向けると、「頼まれてしまったので、お姉さんは私が守りぬきます。あんまり離れないでくださいね?」と丁度目元を隠す前髪から覗く目と合い、そう言われた。
そして、すゝと身体を寄せてくる女の子。
その姿を見て、何だか口元が緩んでしまう。
「ああ、そんな黴臭い情報しか手に入らないから、悪名高かった『
楽団』様が、こんな事してるのかしら? 情報は鮮度が命よ? あ、組織ごと瓦解したから今は『不協和音』だっけ? 【
愚鈍な街々を支配しろ。
殺し尽くせ。
悪と禁忌達よ。。】とか何とか言ってたけれど、今じゃ『指揮者』と『雑音』だけで『不協和音』しか奏でられないのよねぇ? 首領も何処かに雲隠れだし。うふふふふふ。それに――」
冷笑の混ざった声で軽快に紡がれる女の言が止まらないその中で、綻び
咲う『彼女』に少女が問う。
「どうしました?」
見上げながら小首を傾げて訊いてくるその姿を見て彼女は、
「ううん。大した事じゃないの。ただ、私を助けてくれたり、守ってくれる人なんて今まで一人しか居なかったから、なんだか、嬉しい……のかな? 自分でもよくわからないのだけれど」
と返し、「ああ、その一人も私に何かしてくれた、というわけでもないか。只々傍に居てくれた。それでも充分に嬉しかったのだけれども」と付け加え、
「でも『姫』ちゃん、だっけ、私を守るのは成り行きで仕方なくなのだろうし、私ももうちょっと頑張るから別に守ってくれなくてもいいよ?」
と締めくくる。
彼女の言葉を受けた少女は視線をふいと何処かへ向けてこう返した。
「別に、仕方なくとかじゃないです。でも、そう簡単に人を信じるのは良くないですよ? 悪い人が何かを助けないとは言い切れないし」
少し
突慳貪な物言いになった『姫』の頬が色づいて見えるのは彼女の眼が悪いからか、それとも先程までの霰と雨で気温が下がっているからか。
「ふふ。それなら大丈夫。だって――」
自然と音になるくらいの笑いと共に、彼女は視線を少女から移す。糸に括られた屈強な中年男と軽薄な若い男、それに従う三体の異形へと今まさに肉薄せんとする亡霊を引き連れた少年へと。
「――あんなに格好良い子が悪人のはずないじゃない。もしも億に一つ、あの子と一緒に着いた先が地獄の底だったとしても、そこは多分どんな楽園よりも楽園でしょう?」
背の翼をバサリと震わせ彼女は言う。多分、生まれ育った一五年の歳月の中で一番の笑顔が浮かんでいるだろう。
「……ふふ、あはははッ。あはははははははッ! そっか、そうだね。うん。その通り。よしッ、お姉さんはこの『二代目・滅びの紡ぎ手』が全力で守ります! 成り行きでなく、私自身の意図と糸でッ」
愛らしい顔を破顔させて少女『二代目・滅びの紡ぎ手』が高らかに宣言する。
それとほぼ同時、黒い激光を放ちながら疾駆する少年が『不協和音』の眼前に辿り着いた。
ポンチョを羽織った少女の言葉を聞いて不意に、カクンと膝から崩れ落ちるクロバットの彼女。立ち直ることも出来ず倒れこみそうになるのを、慌てた様子の少女が抱き抱える。
「わ、ちょ、大丈夫!? 何処か怪我してたの?!」
「……そういえば、蹴られたり、あの紅い虫の
わざとか食らってたかも。ちょっと気を抜いたら急に痛い。……あと、怖い」
ぎゅ、と少女の小さな身体にしがみつく。果敢に飛んで風を纏い光剣を振るったのが嘘のように、彼女は歯の根が合わない位に震えていた。
「大丈夫です。『ノラ』ちゃんは負けないし、わたしがお姉さんを守りぬくから。ママだって居るし。……あと強過ぎるくらいに強い『
執事』さんもあっちに居るんでしょう? だから、大丈夫」
燃え上がる衝動に身を任せていた彼女だが、ふと安堵した刹那にそれが消え、今更ながら経験したことのない状況を理解して恐怖が顔を覗かせた。
雨に打たれて凍えた子犬の様に、震え続ける彼女に対し優しく語りかける幼い少女。泪に滲んだ彼女の目には光を背負った聖母にすら見える。仄かに身体も温かく――
「ん、どうしたの『ちょび』。え?
にほんばれとマリル――」
「このばか娘! 修羅場の
最中に気を抜くな!!」
「ガアァアアアアアアアアァァァァアアアアアアアァッ!! バクフゥゥンッッ!!!」
――否。少女に後光が射しているのではなく、橙色の燐光を散らす白光球がこの夜を書き換える太陽の様に燦然と浮かんでいる。
急速に、湿った地面と空気を乾かしていくそれが何なのか。と彼女が思案する前に少女が小さく呟いた。
触れれば折れてしまいそうに華奢な肩に乗った、
掌大の黄色い小蜘蛛。そのか細い鳴き声を聞いて、何やら首を傾げながら。
そこへ、切迫した女の叫び声が突き刺さる。
それに僅か遅れ甲高い声で吠え猛る『雑音』の
大音声。