W-10
乾いた破裂音。それは銃声。鼻腔を
擽る火薬の臭い。
しかし、衝撃も痛みも彼女を襲うことはない。
二人の男の息を飲む音。反響定位で視てみれば、何故か拳銃を持った腕が天に向けられている。上げられた腕に巻き付いているのは、細い……糸?
次瞬、黒い光を全身に纏った少年の小さな体躯が彼女の煙る視界を横切った。
それとほぼ同時。影、氷、夢の霊達がトレーナーである少年と対を成すように彼女の背後をすり抜けるのを音で視る。
『雑音』の最早意味を成さない罵詈雑言が雨音に混じる。
それを上書きするかの如く『指揮者』のポケモン達へのよく通る早口な指示が飛ぶ。言下に動く異形達。
だがそれよりも早く黒色――
あくタイプのチカラをその身に帯びたグラエナの少年が、今まで以上の勢いでもって黒服の中年男へと肉薄。
時を同じく、三霊もがなり立てる金髪の青年へと笑い声を伴いながら接近する。
そして。何時の間にか現れた三つの『大きな何か』がバクフーン、ルカリオ、ハッサムの眼前に。
一刹那後、空気を震わせる衝撃音。二人と三匹が濁った呼気を吐き出し、水飛沫を上げながら地面を滑る。
「ノラちゃんッ、大丈夫だった!?」
彼女が状況を把握する前に、現れた『大きな何か』の四つ目。宙に浮かび静止するそれの上から、鈴の音の様な少女の声が響いた。
そちらへと視線を向ければ霞む視界に
勿忘草色の巨大な鉄塊が。次の瞬間、四肢を折り畳み浮遊するそれの平たい頭上から覗く込む様な姿勢で、そのまま頭から落ちてくる、少年と同じ位の年格好のポンチョを羽織った女の子。
「おわッ!? 『姫』?!」
巻いた白いマフラーを靡かせて無防備に落下してくる少女を受け止めるのはグラエナの少年。全身からは噴き出すように黒い光が放出され続けている。
状況は全く掴めないが、そんな中で彼女はふと気が付いた。雨が止んでいる。
「あッ。また怪我してる。大丈夫? 痛くない?」
この場に満ちる緊張感もなんのその。少年の頭から未だ滴る血を見て心配そうに前髪から瞳を覗かせて少女が問う。
それに少年が「ん、ああ大丈夫大丈夫。――ちょ、引っ付くな『姫』ッ。これ出してるから残り時間ヤバイんだからッ」と返し、しがみつくおかっぱ頭の少女を地面へと優しく下ろす。
「そう? 何時も無理するからノラちゃん。頑張りすぎないでね。――それと」
『彼女』の方を向く『少女』。少し頬を膨らませて。
「ノラちゃんこんなに傷だらけにして。“平気平気”とかノラちゃんが言ってても痛いんだからね。後でみっちりお説教です! ……ああ、でも、その翼で空飛んでノラちゃん置いて自分だけで逃げなかった事は褒めたげます」
語気を強めて捲し立てた後、ぷい、と視線を逸らして若干小さな声で付け足すように少女が言う。
「え、あ、ごめんなさい。――ありがとう」
――助けてくれて。
けれどこれを付け足すのは止める。この女の子は彼女を助けるためと言うよりも、少年の手助けをしただけのように思えたから。後で言う事になるのかもしれないが、今は心の中で言っておくことに留めておく。
嗚呼、そして四匹の四脚の鉄塊――メタグロスを従えたこの少女の言葉によって、今更ながら彼女は気が付いた。
そういえば、逃げる。という選択肢もあったのか。一回少年に提案した時とその前、自身にバシャーモが迫った時は“逃げなければ”という言葉が頭の中を占めたたような気もするけれど、その後はすっかり忘れていた。
嗚呼、けれど。ずっと諦め絶望し続けてきたのだから、抗う位が丁度いい。
数秒の間にそんな事を考えていれば、それから現実へと引き戻す破裂音が幾発も響く。
「――蜘蛛の巣にかかったのだから、無駄に動かないで」
夜を砕く銃声の中で、りんと転がる鈴の音の様な少女の声。
ようやくエコーロケーションによる認識を理解する彼女。
撃っているのは『指揮者』。腕に巻き付いていた糸は少年の一撃による衝撃で引き千切られたのか、両の腕は自由になっている。
小さな体躯から放たれたもとは考えられない程に重い少年の一撃を受け切った黒服の中年男の銃弾は、真っ直ぐと狂い無く少女に向かい放たれる。だが、しかしすべて弾かれる。
音で視てみれば、もし彼女の視力が並にあったとしても見えないだろう細い糸が
十重二十重に編まれ盾となり、弾丸を受け止めている。
少女の方に意識を向けると、自然体に佇む小さな身体の、両の指先だけが別の生き物と化したかの如く忙しなく蠢いていた。
連動して踊る糸。刹那もかからず盾が織られていく。
更に、『不協和音』達を囲う形で四方に展開した四匹の生きた鉄塊。
銃は効果がないと判断したのか銃撃を止め、彼女達に向かって動き出す男達。
しかし――
「――ぐッ!?」
「あぁぁあああ? 何だこりゃあ?!」
――動けない。
手持ち達も含めた全ての四肢に幾百幾千の糸が絡みつきその自由を奪う。
その糸が何処から伸びているのか彼女が視てみれば、メタグロス達の脚にそれは繋がっていた。そして、その内の一匹の平らな頭頂部にのそりと何やら動くものが。
その何かに意識を向けるとそれは蜘蛛。巨大な蜘蛛がそこに居た。