W-9
「――でも、だから何?」
次瞬、声の調子をそれまでとは違う冷たいものへと変化させ、少年が問い返した。
それを受けて、『指揮者』は拳銃と旋棍を握る両腕を軽く広げ、ニヤけた口調でこう返してくる。
「ん? でもな、ああは言ったが俺達は弱くはないのよ。一対一なら四天王だろうが何とかなる程度には、な?」
グルン、と、トンファーを旋回させて先端を少年へと向ける黒服の中年男。
「両手両足の指で数えられる死線は疾うに潜り抜けた。だからこそ、この世界で俺達はまだ生きている。じゃあ、お前は何だ餓鬼。俺等に比肩するお前は俺達に匹敵する死線を潜ったのか? その
年齢で? そもそもチャンピオンだろうが四天王だろうがジムリーダーだろうが警官だろうが銃突きつけられて余裕なのは居ねえよ。それだけで普通じゃねえんだ」
グルン、グルン。再び旋棍が回る。何時の間にか、降っていた霰がまた雨へと戻っている。雨粒を砕きながら、トンファの回転は止まらない。
「……まあ、んなのことなんざ、どうでもいいんだ。畢竟、お前の強さはおかしいんだよ、餓鬼。それこそ、化物じみている。嗚呼、お前もな翼付き? 亜人でもそこまでの種類の“
わざ”を発現させるのは少ないらしいぞ? 正直、俺はそんなお前らが恐ろしい。じゃあそんな恐ろしい奴らを化物と言わないで何と言う? そして化物と対峙したら取る行動は二つに一つ。尻尾を巻いて逃げ出すか、――こっちに従うまでぶちのめすか、だ」
付け加えるように呟かれた「グラエナのお前はぶち殺そう。そうすればクロバットの方は諦めが付くだろう?」という言葉を最後に、男が黙る。同時、旋棍の回転も停止した。
そして、黒服の男の屈強な身体が沈む様に低姿勢に。
「ギャハ。俺も怖い。怖いっすよ先輩。まず見た目が違う時点で気持ち悪くて恐ろしい! そんで餓鬼のクセにこんなに強ぇえのも恐ろしい!! ――だからッ! 今まだ、ぶち殺せる内にぶっ殺す!! アァそこんとこオーケィ? グラエナの化物よう!?」
その直ぐ後に発された『雑音』の罅割れ耳障りな叫びが響いた次瞬に、『指揮者』は地面を踏み砕く勢いで此方に向かって動き出す。
それに続く蒼と赤の二体の異形。その後を金髪の青年と炎を猛らす大鼬が追う。
濡れた地面を叩く足音。後数秒もすればまた激突するだろう中で、彼女は彼ら『不協和音』の言葉を頭の中で反芻する。
極限まで回転する思考によって引き延ばされる体感時間。頭の血管が、胸の心臓が脈動するのを感じながら、彼女は考える。
彼らの言葉は理解出来ないこともない。
少年は化物じみた強さかもしれないし、彼女も空を駆け様々な
わざを行使する。嗚呼、確かに人間では無いのかもしれない。
少年は只、少し違うだけの人間だと言っていたが彼女はそこまで楽観的には考えられない。少し前に自分は化物ではない。などと考えたがそれをもう一度考え直す。是正し修正する。
彼我の距離の残りは半分。篠突く雨の中を、凍りついた様に冷たい瞳の中年男とその手持ち、それと烈火の如く騒がしい青年と大鼬が迫ってくる。
もう一度、彼らの言葉を考える。考えるたびに言いようの無い不快感が
澱が如く降り積もる。
迫り来る敵を迎え撃つのか、少年と亡霊達が
徐に動き出すのを感じる。嗚呼、少年には少年なりの理屈があるのだろう。
そして、あの二人にもそれはあるのだろう。
その結果、彼女達を『化物』だと言うのだろう。
『化物』だから売られ、買われる商品として扱うのだろう。
そう思考が行き着いた刹那、自身の心の中に理由も分からずに積もった澱が大きく爆ぜた。
――嗚呼。
底に固まったそれが舞い散って、彼女の停滞した心が動き出す。只、戦う事を決意するのでなく、戦うその理由を渦巻く澱が形作る。
――けれど。
それに連動して、背にある二対の蝙蝠の翼がバサリバサリと小さくしかし力強く
羽撃いた。彼女を守るように前に立つ犬耳の少年の肩に手を伸ばす。力の弱い彼女だが、しかし全霊の力でもってグラエナの少年の肩を引き、自身が前へと進み出る。
――私の人生を、赤の他人の、それもあんな『人で無し』共に決められる筋合いは毛頭ない!
なんてことはない。気に入らないから力尽くで否定する。それが今、彼女が戦うその理由。
え? と声を上げる少年に小さく微笑んで、彼女は真っ直ぐと前を向く。
彼女は思う。私は私だ。背中に翼があろうとも、空を飛び、反響定位を行おうとも、数多のクロバットの
わざを扱おうとも、それは変わらない。
それを化物と呼ぶならば、その悉くを捌いた『指揮者』は何なのだ。もしも才能だとか、努力の結果などと言うのならば、自分のこれも変わらないだろう。スポーツが得意不得意、身長の高低、体型の太い細い。或いは顔の美醜や、胸が小さい大きい? これらの事とどう違う。
ぼやけた視界には迫る人で無し達。
すぅ、と深く息を吸った後、一際大きく背の翼で風を生んで、彼女はふわりと宙へと浮かぶ。
嘆いたってしょうがない。ならば乗り越える。
悪魔の様なあの男に叫んだではないか。“自力でどうにかする”と。それなのに、自分も戦うと言っておきながら心の何処かで守ってくれるこの男の子に、ポケモン達に頼り切っていた。だから自分自身に違和感を覚えたのだろう。それが故に少年の背に声をかけられなかった。
後、十歩も無く男達と彼女達は肉薄する。
――嗚呼、心が軽い。
疾駆し近づいて来るそれらを反響定位によって
備に認識し、翼を大きく羽撃かせる。
――別に、人とは違っていて良いのかもしれない。それこそ『化物』でも。
でなければ、今、此処で、敵意を剥き出して迫る人で無し達の正面に居ることなんて彼女には出来ないだろうから。
ふ、と口角が上がるのを自覚しながら、引き絞られた矢弓の様に彼女は飛ぶ。何時の間にか増えた幾つかのこの反響は何だろうと頭の片隅で考えながら。
だがそれについて考える余裕は無い。真っ直ぐと己の敵へと向かって只々、風を操り
そらをとぶ。
灰と水色の燐光と、辺りの光景が凄まじい勢いで後方へと流れていくのを霞む視界に辛うじて捉えるが、次瞬には完全にエコーロケーションによる知覚にと意識の大半を切り替える。
「――――ァァァァァァッ!!」
声なき声を上げながら直進する彼女。それを見た男達は速度は落とさずにそのまま迎撃の動きに移る。
が、彼女の方が速かった。
まず、肉厚の鋏を持ち上げたハッサムの胴を暴風を纏った細い足が蹴り抜いた。力の弱い彼女だが、しかし纏った豪風が紅い異形を吹き飛ばす。
刹那後、蒼い人狼が灰と藍色の光を帯びた鋼爪で唸り声と共に斬りかかる。
横薙ぎに振るわれるアイアンクロー。だが、彼女はそれをクルリ、と仰向けに宙返り回避。
初撃を躱されたルカリオが、二撃目を繰り出す為に動き出す。
同時、回転し終えた彼女は風を纏って宙を飛んだまま、更にもう一回転。
今度は攻撃を避ける為ではない。犬歯を剥き出して唸りを上げる蒼い異形のその顎先。そこを彼女のスニーカーを履いたつま先が蹴り上げた。
強風によって加速した彼女の蹴りをモロに食らって僅かな時間昏倒するルカリオ。
ひこうの属性である灰と水色の燐光が風に乗って舞い散った。
「……ゼ、ハ。――ッ」
振り続く雨音。彼女の羽音。獣と人と人で無しの声に混じって、荒い呼吸音が。
その発生源はクロバットの彼女。自由に空を飛び、
わざを繰り出し反響定位まで駆使する彼女だが、流石に疲労が見えてきた。
そもそも体力は並以下の彼女がここまで動けたことは最早、火事場の何とやらとしか言いようがない。それも、そろそろ尽き欠けてきていた。
が、それでも彼女は止まらない。軋む身体で無理矢理に、歯を食いしばってこのアクロバットめいた攻撃を続行する。
目標は。
冷たい眼をした中年――
けれど。風に乗った彼女の足が動き出す前に、中年男と青年の迎撃の初動は完了していた。
風を吹き散らしながら旋回する彼女に突きつけられる二つの銃口。
「ギャハッ! これだけ近けりゃ外しようが無いぜぇぇい!?」
背後で彼女の肩に拳銃を向ける金髪の男が吠え。
「五月蝿え。叫ぶな。……可能な限りは殺すなよ。このままじゃもう売れないが。まぁ、まだ使いようはある」
彼女の正面で同じく肩に銃を向けた黒髪の男が冷たくそう返す。
そして引かれる銃爪。彼女がそれに反応し動く前に。
軽薄な笑い声。喘鳴混じりの荒い吐息。篠突く雨の音。獣の咆哮。硬質な虫の
音。早鐘を打つ心音。亡霊達の哄笑。足音。少年の雄叫び。羽音。唸る風。
一瞬に様々な音が彼女の耳奥に渦巻いた。
「うふふ。嗚呼、そういう風に真正面に突っ込んでいくのを見るの、あたしは好きよ。何を言われても、もう揺らがない何かを見つけたのかしらん?」
凛。と、その混沌とした音の中に、どこか楽しそうに笑いを孕んだ女性の声が混じる。