W-6
背にある四枚の
大蝙蝠の翼を大きく羽ばたかせ垂直に飛翔。灰と水色の燐光を散らしながら上昇する。
それを追う紅い人型のシルエット。屈み込み一刹那後に跳躍。風を切り裂き飛ぶ彼女へと肉薄する。
そらをとぶ彼女の足先を捉えるバシャーモ。その腕が伸ばされる。
方向を変えることも間に合いそうに無い。逃げられない。
――ならば。立ち向かう。
故に、戦うことを決意した。
「――ッアァアアアアアアアアアアア!!」
叫びと共に反転。回転。空中で縦に回る彼女。細身のジーンズを履いた両脚がバシャーモの腕を躱す。
次瞬、上昇する紅鳥の脳天にスニーカーを履いた両足の踵を落とす彼女。
背の二対の翼が生み出す風切り音。サッカーボールでも蹴ったような鈍い打音。最後にバシャーモの濁ったか細い鳴き声。
自身が上昇する力と彼女が下へと踵を振り下ろす力、更に遠心力が加わった一撃を不意に喰らうのはいかに強靭な異形といえど意識を保つことは出来ないようで、燃えるような瞳が混濁。
そして彼女の纏う灰と薄青の燐光の混ざる豪風が轟と唸りを上げて、そのままバシャーモを勢いよく叩き落とす。
地面へと叩きつけられるソレを見下ろす彼女。二対の蝙蝠の翼を大きく羽ばたかせ灰と水色の光を散し、気圧を操作し気流を操り降りしきる雨粒を細い肢体に被ることを最小限に抑え空に佇む。
青の混じる白濁とした月光を受けながら下界を俯瞰するその視線の先には、砲弾と化したマリルリの直進する姿。ふらつくウインディはそれに対する反応が間に合わない。
「――シッ」
鋭い吐息と共に彼女は右腕を振るう。
手刀の形をとった彼女の右手から放たれるのは微かに灰と水色の光を纏う
空気のように透明な刃。雨の紗幕を切り裂きながら青い光を帯びた水の砲弾へと直撃。しかし、その一部を削ったのみに
止まりその直進は止まらない。だが不意の攻撃にその勢いが僅かに鈍った。
その一瞬を使い手負いの巨犬が動き出す。白い烈光をその身に纏い瞬発力を極限にまで強化。太い四肢が地面を削る勢いで迫る水塊へと向かい迅速果敢の如く直進する。
次瞬、青と白、二つの光がぶつかり合った。
空気が爆ぜるかのような轟音。真正面からの衝突の衝撃により二つの光が弾け飛ぶ。
それによって体勢が崩れたマリルリ。
巨躯故か四足故の安定さが理由かは不明だが、体勢を崩すことなくそれに向かい迫るウインディ。その身に纏うは茶色の激光。疲弊した肉体を限界まで駆使し放つ一撃は正に
きしかいせい。
雄々しく熱烈に激烈に怒涛の如く振るわれた前足の一撃によって、その小さな身体を吹き飛ばされる水兎。水飛沫を上げながら濡れた地面を転がっていく。それが止まった後も立ち上がらない。戦闘不能。
そして、膝を折り崩れ落ちる橙の巨犬。此方も戦闘不能。
その姿を自らの喉が発する淡い白光を伴う音無き音の反響を聞くことによって知覚する彼女。
息はある。死んではいない。倒れ伏す異形の獣の状態を離れた空中に居るにも関わらず
備に把握。しかし直ぐには行動に移れない。
彼女を狙う緑の光弾が迫る。
その刹那、彼女と同じ高度にまで浮かんだ三角帽を被り外套を羽織ったような姿の夜魔が放つ黒い波動がそれを相殺。
「ありがとう。ごめんね、私がいじけてたから傷だらけにしちゃって。でも、もう大丈夫。私も戦うから。だからもう私を気にしないでいいよ」
次射までの僅かな時間の中、盾となるかのように射線を遮り浮かぶ小さな夜魔へと話しかける彼女。
それを聞き振り返ったムウマージ。その口角は僅かに上がっていた――ように彼女には見えた。
直ぐに正面へと向き直り一鳴き長く啼くムウマージ。その周りに展開するのは煌く宝石の弾の群。
射出。地に立つ二体のポケモンめがけ流星の如く撃ちだされる輝石の弾幕。
彼女はその軌跡を見ることなく旋回。目視による現状の把握を行う。尤も、視力の霞んだ視界に意味があるのかは不明だが。しかし、聴覚のみを頼りにすることは危ないとも思う。
放たれたパワージェムは地上からの
タネマシンガンによって撃ち落とされる。それを視線を向けることもなく知覚する彼女。
この場の状況を全周囲、雨粒まで仔細に知覚する聴覚にして視覚というこの能力は無論、今初めて使用している。空を飛ぶのも、本来はポケモンが使用する“
わざ”を発現するのも初体験。だがしかし、身体がその使い方を知っている。彼女はただ「使おう」と選択すれば良い。そうすれば背中の翼は風を生み出し掴み、その身は光を帯びて“
わざ”を発現させる。
この場に存在する人間達、ポケモン達の位置を把握しながら短い黒髪を靡かせ向き直り、今度は左腕を大きく振るう彼女。
五指を揃え鞭のようにしなやかに振るわれたそれを起点に、未だ降り続く雨を断ち割る灰と水色の混じった光を帯びた
飛ぶ斬撃が放たれた。
先程の難視の刃の一.五倍程の大きさのそれは夜闇を両断しながら葉翼を背負う草竜へと迫る。緑光の弾丸が放たれるが、
くさの
わざでは
ひこうの属性を持つこの斬撃は防げない。弾丸を切り裂きながら直進する。
攻撃の結果を待たず彼女は空気を切り裂きながら降下。その軌跡をなぞり灰と水色――
ひこうタイプの燐光が散る。
翼膜の張った二対の翼を大きく広げ、空高く燃え上がる炎の檻へと向かい突き進む。その
最中自分の放った飛翔する斬撃が狙ったトロピウスの傍らに存在した四足の生き物――エネコロロの一撃によって防がれたのを
ちょうおんぱの反響によって知る。
刹那、日中と錯覚するほどの光量の白い閃光が弾けた。
その次瞬、耳を
劈く爆音。発生源はベトベトンとカイリュー。凄まじい破壊力を伴う光線が巨竜の大きく開いた口腔から放たれたほぼ同時、同じく大きくその口を開けた汚泥の異形も同じ
はかいこうせんを放ったことの、その結果。
その音に一瞬耳が聞こえなくなる。だが閃光は直視していないため視覚は機能している。確認のため視線を向ける。
雨と視力の悪さに視界は
煙るが、それによってベトベトンと
思しき粘土のように形が不安定なシルエットが後方へと吹き飛ぶのを確認。辛うじて死んではいない。しかし戦闘はこれ以上出来ないであろう。
――早く終わらせなければ。
これ以上、少年達が傷つくのはもう嫌だ。故に翼に力を込め更に彼女は加速する。
彼女の聴覚が回復する。すぐさま
ちょうおんぱを再開。現状を再認識。
カイリューは倒れていない。いないが流石の巨竜もあの衝撃は無事ではいられなかったようで背の翼を畳み、地面に座り込み動かない。
それを確認しながら滑空する彼女。微かな違和感。寒い。雨に濡れた身体で飛んでいるのだから当たり前なのだが、それにしても寒い。
刹那、その原因を把握する。何時の間にか、降りしきる雨が氷雨へと変わっている。
降りしきる
雪霰。水色の淡い光を帯びたそれを目視した後、反響による察知と操る気流によってそれが身体に当たるのを最小限に抑えつつ、少年と『雑音』を鳥籠状に隙間無く囲う炎壁へと肉薄。これよりも高く飛べば入る隙間もあるかもしれないが、まどろこい。刹那にそう思い、目の前の状況を判断して行動に移る『彼女』。
熱風が皮膚を炙るのを感じながら彼女は大きく口を開き、反響定位に使用していた白光によって強化された
ちょうおんぱを眼前の炎壁へと向け放つ。
次瞬後、炎の一部が消し飛んだ。そうして生まれた空白地帯へと滑りこむ。
瞬時にエコーロケーションを再開。違和感。ユキメノコと思われる存在が増えている?
しかしその違和感について考える間は無かった。
「とっとと、丸焼けになれってーのッ!!」
「ぎゃんッ」
彼女が劫火の壁を突破した刹那、『雑音』の
大音声と共に鈍い打音が。それに続き少年の犬の悲鳴のような苦悶の声。
特殊警棒の一撃を躱した少年。だが、ダメージジーンズを履いた『雑音』の脚がその腹部を捉えた。その結果、後方へと大きく蹴り飛ばされる。
少年が向かう先には燃え盛る炎壁。
加速。一直線に少年へと向かう彼女。火炎に飲み込まれる
既の所でその華奢な身体を抱きかかえる。
そして、もう一度口を開き行く手を阻む炎を散らして離脱。
霰の舞う空へと脱出する彼女達。『雑音』が何やら叫んでいるがそれどころではない。
「痛ってー……わッ、すっげー!! 空飛んでる!!」
「わ、ちょッ暴れないで! もう限界だからしっかり掴っててッ。じゃないと落としちゃうから!」
非力な彼女の腕力では少年の華奢な身体を抱えておくことすら難しい。炎の檻の中に居たためか、汗ばみ顔にセミロングの艶やかな黒い髪を張り付けた少年。楽しそうに腰辺りから生えた黒い毛並みの尻尾を振り「すげー、すげー」と連呼し犬のような獣の耳の付いた頭どころか身体全体でその景色を眺めようとするのを半ば叫びながら彼女は制止する。
「……ごめんね。私なんかの為に痛い思いさせちゃって」
「ん? あぁ、別に気にしなくていいよ。『執事』とやってるのはもっと痛いし。それに、俺も多分お姉さんと
同じような感じだったからほっとけないし。つーか『執事』も色違いのこいつ探しに来たとか言って、お姉さん助けるのも目的なんじゃん。言えば最初から手伝ったのに」
「同じ?」
白い氷雨の吹き荒ぶ空中で、彼女の言葉通りその細い胴に片腕でしがみ付いた少年が自分の腰のベルトに付いた紅白の球を触りながら言った言葉を疑問に思う。頬を軽く膨らませ言った最後の方の言葉は誰に向かって言っているのかわからなかったが。
しかし少年の返答のその刹那前、不自然な勢いで風が動くのを知覚する。
同時、何時の間にかトロピウスとエネコロロに接近していたユキメノコと思われるシルエットが、それに気が付いたエネコロロの尾の一撃に粉砕された。
息を飲む彼女。だが、それはユキメノコが殺されたからではなく、殺されたと思った刹那にシルエットが増えたから。
追撃。また一つそれは砕かれる。しかしそれはまた増え、それらの接近は止まらない。
「ん。俺も売られたか攫われるか拾われるかして変なとこに来たのを、そこの悪党達の中でもどうしようもなく悪党で、どうしようもないクズの中の桁違いにクズだった『執事』になる前の『執事』がそこを裏切って助けてくれたからさ。別に正義の味方になるつもりもないけど、誰かを助けるってのには憧れるんだよね。だからただの自己満足。偽善ってやつ? だから気にしなくていいよー。どっちかっていうと、こんな自分勝手な俺について来てくれてるあいつらにお礼は言ってほしいかも」
少年の言葉の間に、葉竜と耳の大きな異形猫の周囲を白く凍りついた風が取り囲む。その中でトロピウスが放つ攻撃も、エネコロロの一撃も、
雪霰に隠れる氷女に当たっているようで当たっていない。砕かれるのは全て偽物。
「うん。わかった、そうする。でも、ありがとう。……それとそのお話はもうちょっと落ち着いた時に聞きたいかな」
順応したのかそれとも思考が麻痺したのか、自然に口角が上がるのを自覚しながら彼女は少年へと言葉を返す。いじけていたのが遠い昔に感じるほどに気分は清々しい。尤も、状況は良いとは言えないが。
聳え立っていた炎柱が消失する。火の粉を散らし消え去る劫火。その中から現れる金髪を
鬣のように逆立て激昂する若い男――『雑音』。
「殺す、殺すブッ殺す! とっとと降りてこい化け物共ッ!!」
その叫びとほぼ同時、トロピウスとエネコロロの死角からユキメノコが出現。周囲の凍てつく風を束ねて放つ。
圧倒的な風量の
ふぶきによって二匹が轟沈。
それらが地に沈む振動を感じる間もなく状況は止まらない。