W-4
空に展開するのは二種の球体。月光を受け闇を照らす輝石。それが一〇近く。影よりも暗い球体。これも一〇近く。合わせて二〇程の拳大の弾丸が、銃を構える男へと撃ち放たれる。
広げた布の如く展開した弾幕は黒服の男へと向かい収束。声を上げる間も無く、地面を転がるリーダー格の中年男。
「ちょッ!? 先輩、大丈夫っすかぁあ?! ――がぁああ、ウザってえぇ。とっとと死ねやッ餓鬼!!」
叫びながら鉄製の特殊警棒を振るう軽薄な男。逆立った金髪が鬣のように靡く。
荒々しく振るわれる鉄の棒をある時は片腕で受け流し、ある時は靴の裏で受け止め、男の態勢が崩れた所に蹴りを叩き込む少年。腰に巻いた大きな布がはためく。
しかし男もこめかみに向かい放たれるそれを、得物を持つ手とは逆の腕で防ぐ。
鈍い打音。華奢な少年の力とは思えぬその一撃。歯を食いしばり受け止め防御する軽薄な男の顔からは弛緩した表情は消え失せている。
体重を乗せた蹴りを防がれ少年の姿勢が崩れる。
刹那、軽薄な男の顔に笑みが戻る。
短い笑声。少年が態勢を整える前に、男の握る特殊警棒が頭を狙い振るわれる。
頭蓋を陥没させる威力を帯びた鉄の棒。風切り音をさせながら迫るそれを紙一重で躱す少年。被っていたニット帽が特殊警棒の先に引っ掛かり空を舞う。
「はぁ!? おま、それ――ぎッ」
空振り、そして何かを見て驚き、絶対的な隙を作った男。そこに、着地した少年が両手を大地へとつけ四足獣のような態勢から飛び上がり、下方から男の鳩尾を蹴り抜いた。後方へと飛ばされる瞬間に、少年の腰の布を掴む男。布の裂ける音が響く。
男が何に驚いたのか、彼女の視力ではわからない。
主人達が吹き飛んだ場所へと駆け寄る異形達。故に一時の休戦状態。少年とその手持ち達も、彼女の周辺へと寄って来る。
この隙に逃走は――無理か。此方に向かい唸りを上げ、今にも距離を詰め肉薄してきそうな雰囲気をさせている男達のポケモンの姿を見て彼女はそう思う。
「サンキュー、『
詠華』に『
氷華』。皆とあいつ等見張っといて。――お姉さん、怪我とか無いよね?」
小走りで彼女の近くへと来て手持ちのポケモン達へ指示した後、訊いてくる少年。その問いに首肯した後、軽薄な男が驚いた理由を知る。肩まである長めの黒髪が靡く少年の頭、そこに三角形に近い形の獣の耳が存在していた。更に、破れた腰布から獣が持つような尾が覗いている。
「ん? ……ああ、これ? お姉さんのと
同じだよ。俺のはグラエナだけどッ」
彼女の視線に気が付いたのか、小首を傾げた少年。少しの間の後に、自身の耳を指差しながらそう答えた。
「……同じ?」
同じ、化物? そう口にしそうになる。
しかし、少年の答えはそうではなく――
「そ。
同じ。俺は犬耳と尻尾、お姉さんは羽があるだけの只の人間ッ!」
――彼女にとっては考えた事も無い、言葉。犬歯を覗かせ笑う少年の顔を見つめ、動けない。何故この少年はこんなにも真っ直ぐなのだろう。
黒狼の耳と尾を持つ少年の言葉を受けて考える。
自分はどんなに歪んでいるのだろう。どんな世界を生きればこの少年のようになれただろうか。少なくとも私の世界はそのようになれる程優しくなかった。そう彼女はこれまでを振り返り、思った。
彼女の思考が一段落ついた丁度その時、
雷が落ちたかのような轟音が響く。至近距離ならば、先程のカイリューの咆哮が子犬のそれに思える程に凶暴な破壊音。地を揺らす程の音。それが断続的に鳴り響く。
それに加わるように硬い何かの崩れ落ちる音。そちらに視線を向ければ彼女の霞む視界を更に霞ませる、濛々とした粉塵が漂っている。そしてその先へと視力の弱い目を凝らすと、彼女が囚われていた無機質な倉庫群の一棟、それが半壊していた。
「……え?」
「あー、本気で
戦ってんなぁ『執事』のやつ。流石化物――ん? まだ続いてるってことは、相手のオッサンも化物か」
彼女の発した疑問符に重なるように継続して響く破壊音。それを聞きながら、驚嘆を欠片も滲ませない平然とした声で少年は呟いた。
――化物。自身と彼女を化物ではない、只の人間だ、と言い切った少年の口から出た言葉。
「君の化物の基準って何なの? 私は化物じゃなくて、倉庫に残ってる方は化物っていうのには、何か意味があるの?」
疑問は自然と口から零れた。
「あー、何て言うか多い……いや、足りない? ……まぁ要するに――」
「なぁぁぁァあにくっちゃべってんだバケモン共が! 餓鬼!! 手前ぇも亜人だったんだな! バケモンがバケモン助けに来たってかぁぁぁぁああ?」
少年の言葉を掻き消す怒鳴り声。その中に含まれる亜人という単語。亜――意味は上位や主たるものに次ぐ、或いは良く似ているけど違う。それに人。亜人、即ち人間に似た何か別のモノ。
「だから俺達は人間だって
言ってんだろ? おっさん達、耳聞こえないの?」
溜息を吐きながら小首を傾げ、そして自分の犬耳を指差し男達へと言い返す少年。それを聞いた軽薄そうな男の怒声は更に大きく、濁流のように響く。
「
五月蝿い。黙れ
雑音。餓鬼相手にキレてんじゃねぇ。――あぁそうだ。相手は餓鬼だ。何餓鬼相手に梃子摺ってる上に挑発までされて熱くなってるんだ俺達。……いや、餓鬼は餓鬼だが手持ちのウィンディとゲンガー、ヨノワールは俺達のより強いか? ……おい
雑音、最後の一匹出せ。出し惜しみしたら足を掬われるぞ」
銃を持たない掌で顔を覆い、ぼそぼそと呟きなにかしらの結論に至ったらしく軽薄な男へと指示を出す黒服の男。
「りょーかいっス。俺はあの犬耳の方の餓鬼
殺るんで指示は任せますねー先輩。……
指揮者さんて呼んだ方が良いっすか?」
『
雑音』と呼ばれた金髪の男の言葉に「どっちでも構わねぇから黙れ」と低く返す黒服を着たリーダー格の男――『
指揮者』。それとほぼ同時に二人の片手が腰に着けられた紅白の球へと伸びる。そしてモンスターボールのロックを開錠。閃光が瞬く。
「ギャハハッ!! 第二ラウゥンド開始だぜぇぇぃ!?」
その閃光が収束する前に駆け出す金髪。『雑音』の呼び名の通り、耳障りな笑いを響かせながら、肉食獣が獲物へと迫るが如く疾駆する。
「しつこいっつーの! しつこい男は嫌われッ――ッぞ!!」
それを迎え撃つように、飛び出す少年。
それとほぼ同時、半壊した倉庫の方向からまたもや崩落音が重く響いた。破壊音が絶え間なく轟く。
そして動き出す『指揮者』とポケモンたちに対応し、各々行動を開始する少年の手持ち達。
一人、何をしたら良いのか分からずに立ち尽くす彼女の頬に水滴が当たった。雨? そう思い視線を空へと向ける彼女。しかし、漆黒の空には冷たい光を煌々と満たした月が欠片程の雲にも隠れることなく存在していた。
だが、疎らだった水滴は次第に密になる。バケツを引っ繰り返した、とはいかないまでも断続的に降りしきる水滴は紛いも無い雨だった。微かな青色の燐光を夜の闇に散らす雨。その燐光はポケモン達が放つ“
わざ”が纏う光に良く似ている。
しかしそれが何故雲ひとつ無い今降り注ぐのか彼女には分からない。冬の寒さを増大させ身を切るような雨に打たれながら、その冷たさに両の腕で自身を抱き小さく身を震わせる。
「カイリュー、ベトベトンを抑えろ! トロピウスはマジカルリーフ! 狙いはムウマージとユキメノコ! エネコロロはシャドーボール連射! トロピウスにそいつら近づけるな! 近づいてきたらアイアンテールで薙ぎ払え! バシャーモは『
雑音』と餓鬼殺せ! 雨降らせてるから炎は使うなッ! バクフーン、手前ぇもだ! 接近戦でウィンディ抑えろ! ルカリオとマリルリが援護する! アブソル! 手前ぇはヨノワールとゲンガーの相手だ!」
視線を移せば、黒服の男が早口で絶叫するように八匹の獣達へと指示を出している。八匹。先程までの六匹に加え、つい先程に召喚した二匹の異形が増えていた。
それは、咆哮を上げながら太い
腕を用いて
菫色の汚泥と殴り合う巨竜へと、横合いから冷気を孕んだ拳を打ち込もうと振り被るヨノワール、その背後から頭の鎌のような角に黒光を纏い斬りかかる四足の獣。白い体毛に包まれた美麗なポケモン――アブソル。それが一匹目。その弧状の鋭利な角による斬撃を背中に受け、滑るように距離を取る一ツ眼の亡霊。血液の代わりに噴出した黒い霧が空に溶けていく。
追い討ちをかける為か、反転し四肢に力を込め地面を蹴る白獣。
異変。月に照らされ出来た、アブソルの足下の影が蠢く。
次瞬、それに気が付いたのか視線を足下へと巡らすアブソル。しかしそれが行動へと繋がる前に、嘲るような笑い声と共に影より亡霊が出現。白毛に覆われたがら空きの胴体へと両手を押し当て黒い光――悪タイプ――の奔流を叩き込む。
犬や猫が蹴られた際に発するような短い悲鳴と共に吹き飛ばされるアブソル。その先には背より吹き出る影霧をそのままに拳を振りかぶるヨノワールが。その
巨きな拳に纏う光は茶――格闘タイプ。紅色の一ツ眼は真っ直ぐと飛んでくるアブソルへと向けられている。
そして振るわれる豪腕。巨霊の拳が突き刺さる
瞬息前、黒面の獣は態勢を崩したままゲンガーが放ったのと同質の光の奔流を放つ。狙いはヨノワールでは無い。首を捻り上空に向け放出。反動で地面に向かい軌道が変わる。
しかし、間に合わない。圧倒的な暴力を内包した拳が茶色の烈光を纏いてアブソルの身体を抉――らなかった。
何故というのならば。白光を纏い
しんそくというべき他無い速度で現れたルカリオが左甲でそれを受け止めたから。犬歯を剥き出し唸りを上げながら左腕一本でヨノワールの拳と拮抗する青狼。受け止めると同時、もう一方の腕でアブソルの脚の一本を掴み、投げた。投げられた白獣は水飛沫を上げ地面を滑りながら、どうにか態勢を立て直す。
降りしきる雨量が増した気がする。水の滴る短い髪をかきあげ、そして彼女は思う。私は何をすれば良い?
しかし一向に答えは出ない。少年に声援でも送る? 否。意味があるとは思えない。それに、何を言ったら良いのかわからない。頑張って? 少年は彼女のために戦っているのに、そんなことは口が裂けても言えない。ならば少年と一緒に戦うか? それも否。非力な彼女の手足をもって何が出来る? 足手まといになるだけ――いや、既に足手まといか。
そんなことを思った刹那、淡い七色の光を帯びた葉状の緑光が彼女を庇うかのように存在する二体の亡霊を狙い殺到する。それを背筋の凍る
微笑い声を上げひらりと回るユキメノコが雨粒すらも氷結させる風をもって相殺。ダイヤモンドダストが散る。
この仔たちも私が居なかったらもっと楽に戦えるのに。彼女を攻撃に巻き込まないよう細心の注意を払って技を繰り出しているのを嫌というほどに感じ取る。
他に何か彼女に出来ることと言えば……。ある、と言えばあった。しかし、それをすれば彼女は真正の『化物』となるだろう。故に手段としては存在するが彼女は絶対にそれへと手を伸ばさない。
雨音に混じり咆哮が。彼女がそちらに眼を向けるとウインディがその身に炎を纏い二匹のポケモンを相手にしていた。
その身にかかる雨粒を水蒸気へと変えながら、自身を殴打する二体の異形の獣達とその太い脚を、その先の爪を、そして刃物のような牙を駆使し奮戦するウインディ。
更に雨脚は強くなる。
それに伴って強くなる青い燐光。反比例するように巨犬の纏う炎の勢いが弱くなっていく。
後ろ足で立ち上がり、帯電させた前足で殴りつけるバクフーン。その首元から勢いよく噴出している炎も少しばかり小さくなっているように見える。
ウインディとバクフーンの咆哮に混じり甲高い鳴き声が。発しているのは青い楕円の身体に兎のように長い耳――マリルリ。これが男達の召喚したもう一匹。可愛らしい外見とは裏腹に、その短い腕でウインディの白光を纏った太い前足の一撃を受け止める。上から押し潰し地面を割る巨犬の
かいりきと、それを受け止める水兎の
かいりき。双方にダメージは見られずに、地面のみが悲鳴を上げて罅割れる。
そこへ、手刀のように伸ばされた炎鼬の前足先が巨犬の横腹を狙い放たれる。茶色の光を帯びた突きのその鋭さは、瓦はおろか鉄板さえも穿ち、割るだろう。
刹那、彼女の脳裏に刺し貫かれるウインディの姿が浮かぶ。