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――私は、化物だ。
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視界は闇に包まれている。空気は埃の臭いが充満している。冷たく硬い地面の感触が頬に伝わる。そして、反響する男たちの話し声。それが彼女が今感じられる全てだった。
「何でコイツだけこっちの部屋なんすか?」
「あっちは商品の臭いが酷いからな。臭いが移って値切られたら困る。なんたって久々の亜人だからな」
聞きたくも無いのに聞こえてくる会話。その内容は彼女をモノとしか見ていないことを思い知らされる。
眼を覆われている為周りに何人、どんな者が居るかもわからず、猿轡を噛まされている故に罵声を浴びせることもできない。服を着ている事は僅かな救いか、などと彼女は思う。一五歳の女の子が、見知らぬ男たちに肌を晒すなど発狂ものだ。
リーダー格らしい男が低い声で「極力傷を付けるな。付けたら殺す。寧ろ触れるな」と男たちに言っているのを聞いているので現状、これ以上何かをされる可能性は低い。とは思う。
しかし、両手両足を縛られて横たわり、堅気の者ではないであろう男たちに商品として扱われている、もうこれで彼女の心は絶望が支配している。あるいは、虚無とも言って構わないかもしれない。
こういう運命なのだと諦める。彼女の人生の大半は絶望と失望の連続であったのだから。
「俺は見るの初めてなんすけど、やっぱ気味悪いっすね。背中に蝙蝠の羽が生えた人間なんて」
「だから『亜人』だ。人に似た人でない生き物って意味で」
反響するのか妙に遠く感じる男の声。その言葉の一つ一つが彼女に突き刺さる。
自分の背にある忌まわしいモノ。通称、ポケットモンスター――ポケモンと呼ばれる異形の獣たち。その一種である巨大な蝙蝠のような『クロバット』の翼に良く似たモノが、彼女の背には存在していた。
四枚の翼膜の張った大きな翼。肩甲骨の辺りから生えたそれは飾りではなく、彼女の意思で動かし空を舞うこともできる。
だが、そんな異常なことを、それが在るというだけで普通でないと言われ続けてきた彼女はする気はない。
ポケモンの特徴を有して生まれてくる者が彼女以外は皆無、というわけではない。どういったわけか、極稀にそういった者が産まれるらしい。しかし彼女にはそんなことはどうでもいい。
母親と父親は生まれたばかりの彼女を施設の前に捨て行方をくらました。施設で暮らしていても好奇の視線が付きまとう。その理由であるこの翼が心の底から憎かった。
「幾ら位になるんすかね。あの施設の息子のやつ結構吹っかけてきましたし、元取れるんすか?」
「お前なんかが心配してんじゃねぇよ。……あっちの商品の確認行くぞ」
カツカツという足音を響かせて男たちの気配が遠ざかる。喋っていたのは二人だが足音はそれ以上であったようで、揃わぬ靴音が何重にもなって彼女の耳に残響した。
唯一、彼女を好奇の眼で見ず、優しい微笑みを浮かべながら接してくれた人がいた。彼女が預けられた施設の老いた男、別に特別優しく接してもらったわけではない。しかし、他の者が彼女を見るときにその眼に浮かぶ嫌悪の色が見えなかっただけで幾分か心が軽くなった。他の子と同じように穏やかに、ときに窘めるように、隔たりなく接してくれたおじいちゃん。
しかし、もう居ない。病魔に侵された彼はつい先日彼岸へと旅立った。
最期の言葉が頭の中で幾度も再生される。世界は絶望するほど悲惨なものではない。私が死んだら私の友人が現れる、彼を頼りなさい。エトセトラエトセトラ。
だが世界は相変わらず優しくないし、そんな者は現れなかった。いや、彼の義息子にその日のうちにあの男たちへと売られたので現れたのかは彼女が知る術は無い、というのが正しいか。
あの脂ぎった小太りの男。緩んだ頬の肉を上げてニヤつく顔、昏倒し朦朧とした視界に入ってきた彼女を男たちに売り飛ばした男が最後に見せた表情が脳裏に浮かび血が沸き立つ。
しかし手足を縛られ、眼も、口も封じられた状態で何ができるというのか。
じっとしている事に耐えられなくなる。身をよじる。
だが、もぞもぞと身体を動かすと鈍い痛みが走った。背の翼が引きつり、痛む。
「ふふふ……あははははは、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
何かが一時的に切れた。狂ったように笑いの漏れる頭の中で経験的に彼女はそう思う。
壊れたような笑い声。しかしその狂笑は、猿轡に阻まれて響くことはない。
只々、諦観だけが彼女を支配する。
化け物である自分は、こうなる運命なのだ。……ならばあの人でなし共にもそれ相応の運命が下るのか? 闇に覆われた世界の中で、彼女は混濁とした思考を続ける。
しかしそれも長くは続かない。
もうどうでもいい。満ちる虚無感。
諦め受け入れる、そんな言葉が浮かんで増えていく。後は只、何も無い、何も考えなくていい奈落の底のような暗闇へとその意識を沈めていくだけ。
ざらざらとした硬い地面を根元を縛られ束ねられた四枚の翼で力なく、箒をかけるように数度動かしてから彼女は考えることを放棄した。目隠しをされた瞳を閉じる。眼が熱いように思えるが確認するのも面倒くさい。
肌寒い空間。コンクリートの地面の上で彼女は一人眠る。助けに来てくれる王子様は存在しない。そんなことは知っている。でも、どこかで期待している自分が嫌で、それからも逃げるため彼女はひと時のまどろみに身を任せる。