天気が悪いので生きることにした。
俺達には才能の無いことをそれはもう痛いくらいに思い知った。
一〇は歳が違うであろう女の子に手も足も出ないくらい、笑えるくらい呆気無く負けたのだから。しかも、地方毎に八つあるジムを制覇したことを示す八バッジホルダーのその少女が五つのバッジホルダーだった頃に、ジムに挑戦したことの無いトレーナーに完勝された事があると笑顔で語られた日にはもう、なけなしの自信というやつも砕け散る。
俺達だって一応バッジを三個持っているのに。
ポケモンリーグ制覇を目指し旅に出たのは良いが、そもそも街に居た頃から俺達は弱かった訳でもないがだからといって強くもなかった。そんな奴が大それた幻想抱いて旅立ったもんだ。
ポケモンセンターの広いロビーにあるソファに腰掛けて俺の只一体のポケモンの回復が終わるのを待ちながら、点きっぱなしの大画面テレビをぼぅと眺めながらそんな事を考える。
流れる番組は丁度、数カ月後に行われる今期ポケモンリーグ本戦への無条件出場権を得たバッジの八つ保有者の特集が組まれたワイドショー。
もう期間もそんなに無いのに現時点で八つのジムを制覇したトレーナーは少ない様で――と言ってもそもそも実力者揃いのジムリーダー八人全てに認められる様な奴は少ないが――その少ない実力者共の中年のオッサンとか二〇代後半の女とかがキメ顔の紹介映像と共に解説されている。手持ちポケモンまで紹介されてるが、良いのかこれ。
そんな中で俺に圧勝しやがった少女も紹介されていた。歳は一二? 旅立って一年? なんだそれ。才能の塊め。愛らしい顔で快活に笑みながらインタビューに応える少女。小柄なその身には似合わない厳つい手持ちの六体――レントラー・ムクホーク・ルカリオ・ブーバーン・ユキノオー・カビゴン――がバトルの映像と共に紹介される。
目を逸らす。まだ昼時を少し過ぎただけの時間だ。窓越しに強い陽射しが差し込んでくる。
今日も、自分が矮小に思える位に広々とした空が広がっている。雲一つない、青く広大な。
嗚呼。天気がいい。快晴だ。
だから。
死ぬことにした。
「いやぁ天気が良い。よし。死のう」
生きてても何の希望も無い。だから死ぬ。
何事も、思い立ったが吉日。早速立ち上がり適当に死に場所を探しに行こうとした刹那。
雨が降ってきた。
雲一つ無いのに雨が降ってきた。
何処までも落ちて行けそうな澄み切った青空が広がっているのに雨が降ってきた。
バケツをひっくり返したとかいう比喩では足りない滝のような雨が降ってきた。
「……いや待て。ふざけんな」
天気が良いから死ぬことにした訳で、こんな篠突く雨の中で死ぬ気にはならないぞ俺。
「いや待て。何だお前ら。ちょ、押すな引っ張んな今は外に出たくないから!」
みるみるうちに萎んでいく俺の中の自殺衝動。そんな事は知ったことかと言いたいのか、輝かしい程の笑みを浮かべた三体のポケモン達が俺の両手を引っ張り、背中を押してくる。
三体。両眼が宝石の濃紫色の小人。口にファスナーの付いた黒いぬいぐるみ。なんかバチバチ放電してる得体のしれない小さな何か。ヤミラミ、ジュペッタ、ロトムの三匹。全部ゴーストタイプのポケモン達。
あれか? 死のうとか言ったから連れて行かれるのか俺。雨の中を。
「いやホント、雨の中わざわざ外に出るほどアクティブな自殺志願者じゃないから俺。晴れたら逝くから」
雨の中外に出たくない俺の言葉に、俺の手を引っ張るジュペッタとヤミラミが上目遣いで小首を傾げる。
そして。にやぁと口元を歪めて俺の手を掴んでいない方の腕を出入り口である自動ドア――即ち外――へと向けると。
「おお。晴れた。日本晴れか?」
勢い良く降り注いでいた天気雨がピタリと止む。天候操作技の日本晴れだろう。強い陽射しが雨の代わりに降り注ぐ。
さあこれでどうだ。と言わんばかりにいい笑顔の前方の二体と、陽気な笑声じみた鳴き声を上げながら背中を押してくるもう一体。どうでも良いが静電気がぱちぱち爆ぜて背中が痛い。
まぁ晴れてるなら良いか。と歩み出すと。
雨が降ってきた。
さっきよりも殺気立った豪雨が地面へと降り注いでいる。
何で? という感じで此方を見上げ首を傾げるジュペッタとヤミラミ。さあ? というニュアンスで鳴くロトム。
そこに。
「いや、アンタ達何してるの?」
呆れの混じったハスキーボイスの女声と――
「ッぎ?! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
――左腿に激痛が飛来してきた。ズプリと鋭い何かが肉を突き破っている。マジで痛い。痛みを通り越して吐き気までしてくる。
「うわあ……。ハピナス、新規の患者発生よ。適当に運んで」
余りの痛みに倒れ込む。ぬるりとした感触が脚を伝わっていくのを感じる。
視界が霞む。なんだか周りが騒がしい。それはそうか俺、騒いだし。いやしかし、何でそんなに楽しそうに笑い声上げてるのかねこの亡霊共は。
そして俺は意識を手放した。
暗転。
@@@@@
微睡む意識に、微かなノイズが注がれる。
今期注目のトレーナー? 悪い意味で? 何で制覇できたのか分からない? そもそもトレーナー失格?
ああ、見ていたワイドショーの続きか。
胸糞悪い内容に、目が覚めた。
途端に頭を思い切り噛られた。
「おおおおおぅ?! 痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「はいはい痴話喧嘩はそこまで。というか折角治療したのだからまた怪我を増やさないでくれる? わかった? ――しっかし噛み癖の酷いオーダイルね? なんとかならないの? その内胴体とか喰い千切られるわよ」
薬品臭い部屋の中、ベッドの上でのたうち回る俺に、心配など皆無の呆れしか篭っていない声がかけられる。何だか最後に怖いことを言われた。
取り敢えず噛み付くのを止めてくれた俺の相棒――水色鱗の大鰐オーダイル。因みに雌である。
噛み付かれた頭に手をやるとぬるりとした赤が指に付く。まぁよくあることなのでそれはいい。
「ああ、まぁ小さな頃からこんななんで。幸いまだ何処かを喰い千切られたことも無いんでまあ」
何で居るのか知らないが、ベッドの縁に腰掛けてにやりと笑っているヤミラミとジュペッタ。その近くでふわりと浮かぶロトム。一番近かったジュペッタの柔らかい頭で指の血を拭う。
すると、必死になって付いた汚れを落とそうと両腕で頭をこすり続けている。なんだか可愛らしい気もする。
そんなどうでもいい事を考えているとサバサバとした女医さんの声が飛んで来た。
「ま、どうでもいいんだけどねそんな事は。それで? 君は何をしようとしてたのかしら?」
「え? ああ、天気が良かったので死のうかと」
俺がそう言うと、その白衣の女医さんは片手で顔を覆って長く長く息を吐いた。小さく首まで振っている。
そして気が付くが、窓から見える情景は先程と変わらず天気雨。水煙の烟る激しいものが続いている。
「はぁ……。何なのかしら、此処ってそういう輩が惹かれる何か電波とか出してるの?」
「どういうことです?」
「前にも『天気が良いから死のうとした』のが居るのよ。その時はそのトレーナーの手持ちのバシャーモと知り合いが、殺される前に助けたけど」
「死にに行ったのに殺されそうに?」
意味が分からない。
「ちょっと行った所の山に住んでたゴーストポケモン達がね。迷い込んだりした人間とかを襲ってたらしいわ」
それは怖いな。
「その三匹のゴーストポケモンをバシャーモが叩きのめして、最後は手持ちに加えて行ったけどねそのトレーナー」
「何それ怖い」
しかし、三体のゴーストポケモンか。
「やっぱり、コイツらも? 俺を殺そうとか?」
三霊の方を見やる。
ゴシゴシと頭の汚れを擦っているジュペッタ。
それを心配そうに見ながらあわあわしているヤミラミ。
それを宙から眺めて陽気に笑っているロトム。
殺意も悪意も敵意も感じない。楽しそう。
「ああ、その仔らは違うわ。才能が無いとかいう理由でトレーナーに捨てられたらしくて、居着いちゃったのよ。外に出ていこうとしてる人見つけると一緒に行こうとするから人を嫌っては無いみたいだけど。――面白半分本気半分で殺しにかかってくるのはアレよアレ」
そう言って示されるのは、テレビ? そのトレーナーが結局殺されてニュースで報道でもされてるのか?
などと思ってそちらに視線を向けると――
「はぁ?」
気の抜けた声が俺の口から漏れて溢れる。
俺と同い年位の男がインタビューを受けている映像が流れている。勿論それだけでは驚かない。俺が驚いたのは、インタビュー中に三体の影がその男へ向けて中々に本気で斬りかかったり殴りつけたり、氷の礫が投げつけられたりするのを平然と受け答えしながら紙一重で躱すその姿にだ。技の勢い、強度や動きから見てかなり高位レベルのゲンガー、ヨノワールにユキメノコ。それを鋭い啼き声を哮らせて叩き伏せる赤い鳥人――バシャーモ。目を回して沈む三霊。それをボールへと戻す男。俺と同じ様に驚き言葉を失うインタビュアー。それに対してその頼りなさ気な雰囲気の男は小さく微笑みながら「いつもの事なので気にしないでください」とのたまった。
「可笑しいでしょう? でもジムバッジ八つのホルダーになっちゃってるのよね」
「そんな才能溢れた奴が死のうと?」
「まぁね。あんまり詳しく言えないけど、この子の評判聞いてない? 大体それが理由。知らないならいいわ」
「ああ……」
思い出した。何処かで聞いたことがある。確か――
手持ちのポケモンはとてつもなく強い。
だが、バトル中殆んど指示を出すことは無く、出したとしても一言二言。出さない事もよくあることらしい。
只、立っているだけのトレーナー。ポケモンの強さに頼ったトレーナー失格者。とかなんとか言われていたような記憶がある。
けれど、
「でも頼り切っているのは確かでも、バシャーモには異様に愛されてますよね。これ見る限り。ゲンガーとかも阻止されるのも楽しみの内みたいな感じだし。好きで力を貸してる感じだ」
更に。あのバシャーモ、異様な強さだが俺の嫌いな才能に頼った感じが無い。努力に努力を重ねて骨を粉に、身を砕く勢いで強くなった匂いがする。勿論勝手な印象だが。
そういえばあの少女も才能はあるんだろうが、手持ちのポケモン達も彼女を慕っていた。
要するに、必要なのは才能じゃないのかもしれない。只、一緒に頑張れるかどうか。それだけの信頼を築けるか。
「そうね。ポケモンとトレーナーの関係は千差万別で千変万化なのだから、周りがとやかく言うもんでも無いと私は思う。まぁ、勝つ為にポケモンを選別するトレーナーとかは好きじゃないけど。けれどまぁ、それもまた一つの在り方だし」
「でも結局『それだけ』のトレーナーって上位には行っても頂点には行かないですよね」
「あはは。そうね。幸いなことに」
サバけた笑い声を上げてその女医さんはにやりと笑う。
「それで? まだ死にたい?」
「ああ、そういえば死にたいんでしたっけ俺。積極的に死のうとしなくても何かその内、胴体喰い千切られて死にそうなんでいいやって思ってきました」
にやりと口角を上げてそう返し、その内俺の身体を噛み砕いてきそうな大きな鰐であるオーダイルである彼女の鼻先に手を翳す。
「ぎゃ?! いや待って! 嘘です! 死にたいとか考えた事無いし、喰い千切られるとも思ってません! だから止めて! 肉に喰い込んでるから! 骨軋んでるから! 血ぃ流れてるから止めて牙子(きばこ)さんッ!」
そうしたらがぶりといかれました。痛い。
「あははははッ。仲良しね君達。君がその仔置いてジュペッタ達と何処かに行こうとしてたらボールから飛び出てかぶり、だし」
ケラケラと笑う白衣の女性。
「じゃ、元気そうだし私は行くわね。可能な限り喰い千切られないでねー。後処理面倒だから」
そう言って俺達を残して行ってしまう。いや待て。絶好調流血中だぞおい。良いのかお医者さん。痛い痛い痛い。
でも、嗚呼。女医さんの言葉に思い至る。
「あ。そうか。ごめん牙子。置いて行くのはダメだよなぁ。ごめんなさい。もう二度と置いては行かないから。出来たら俺の手を喰い千切らないで」
最後は痛みで涙声になってる気がする。
でも、幼い頃から一緒に居て、一緒に戦って、ジムリーダーを倒したりもしているのに、勢いで死のうとしたり置いて逝こうとか屑だよなぁ。反省しろ俺。
取り敢えず、許してくれたようで、大きな顎が開かれてそこに並んだ鋭い牙が俺の手から抜かれてぬるりと光る。
痛い。
でもまぁ、いつもの事か。俺が何かダメになってると彼女はいつも牙を喰い込ませてくる。これは何だ。悪意か。善意か。敵意か。好意か。……まぁいいか。
ともかく、才能がどうたら言うのは一先止めて、先ずは自分が頑張ろう。なんだかんだで彼女は頑張ってくれてるわけだし。言っちゃあ悪いが彼女もそんなに才能があるわけで無いし。
「さて。腐るのは止めてジム制覇に向けて頑張りますかッ。なぁ牙子?」
そういうわけで気合を入れ直してそう声をかけてみたんだが。
「いや待って。何でこっちも見ないで勝手に部屋を出て行くのかな牙子さんッッ」
のそり、と四つん這いで逞しい尾を揺らして部屋の出入り口へと進んでいく大鰐――牙子。俺が置いていった事に対する仕返しか。腕を噛み貫いただけでは足らないのか。
ああもう。
急いでベッドを降りて追いかける。
あ、その前に。
もう一度ベッドに振り返り、
「お前らも来るなら来いよ。歓迎するぜ」
ベッドの上で三体集まっていた亡霊共に声をかける。才能なんざ俺にも無いのでそんなものの有無は俺は気にしないし。そもそも手持ちのポケモンが牙子だけでは頑張っても中々辛い気がするので。
打算の混じった俺の言葉に、彼――もしかしたら彼女――らは一瞬目を見開いて、そして三体でひそひそと相談し、数秒後。
黒いぬいぐるみと宝石眼の小人はぴょんとベッドを飛び降りて、宙に浮かぶ一本角の球体はハイテンションにぐるぐる空を舞う。
立ち止まっている俺の足元にとてとて歩み寄る二体の亡霊。上目遣いで俺の服の袖を掴んで軽く振ってくる。可愛い。ロトムは頭の上を回り続けている。鬱陶しい。
付いて来るらしい。ゲットだぜ。名前は後で考える。
そうして先に部屋を出て行ってしまった彼女を追って駆け出す俺。
出入り口に向き直る際に視界に入った窓の外では未だ雨が降っていた。
@@@@
通路を駆ければ結構直ぐに追いついた。ポケモンセンター内では走ってはいけません。ごめんなさい。
等間隔にある窓の向こうでは未だ激しい天気雨は降り続いている。
「追いついたーッ!! そして喜べ仲間が増えたぞ!」
三霊を引き連れた俺を一瞥して彼女――牙子は眼を細めて長い吐息のような声で鳴いた。殺気立ってはいないので多分「よろしくね」的なものだろう。
三霊も各々ハイテンションに応えているし。
「というわけでちょっと本気でポケモンリーグ目指すから俺の心が揺らいだら容赦なく噛み付いてくれや牙子! ……いや待って! 未だ揺らいでない! だからその立派な顎向けないで開かないで牙見せつけないで!」
俺と牙子のやり取りを見て陽気に笑う三霊共。一回噛み付かれて見やがれ俺の気持ちが分かるから。
嗚呼、あと。
「あ、それともう『天気が良いから死のう』とか言わないから雨止めていいぞ?」
そう俺が言うと、ふいっとそっぽを向くオーダイルの牙子。
次瞬。外で水煙を上げる雲も無いのに降り注いでいた豪雨がピタリと止んだ。
その後にギロリと眼だけを俺へと向けてグルルと唸る牙子さん。多分、「今度あんな戯言(たわごと)を吐いたらお前の血で雨を降らせるぞ」といった感じの事を言われてる。
ぶんぶんと首が痛くなる勢いで頷いて返す俺。
ふ、と鼻から息の抜けるような鳴き声がそれを見た彼女から発せられた。満足したらしい。
「それじゃ、行きますか。一番近いジムは何処だっけか」
牙子・ジュペッタ・ヤミラミ・ロトムを引き連れてロビーへと進軍する。幸先の良さを示すように、窓の外では虹の橋が架かっていた。
@@@@
頭と腕から血を流してうろついてたらあのサバけた女医さんとそのハピナスではない別の医者やら看護師やらハピナスやらラッキーやらに騒がれて囲まれて大分拘束された。
全く幸先は良くなかった。
が、まぁこんなもんだろ。才能があればもっとスマートに行くのかもしれないが、生憎俺にはそんなものは無い。でも、どれだけ無様に泥にまみれようが盛大に血を流そうが絶望的な状況に心が折れようが、立って進めればきっとどうにかなるに違いない。
そして。才能は持っていないけれど、牙が肉を突き破って血を流してもどうにか生きてられる丈夫な身体を持っていて、脆い心を支えてくれる頼もしい奴が傍に居て、陽気な奴らが背中を押してくれるから、もう俺は止まらない。だから死のう何て考えない。
……多分。
fin.