ムカつく天気なので磨り潰すことにした。
ムカつく天気なので磨り潰すことにした。
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 その人間の雄は影霊(ゲンガー)である彼にとってなんてことはない、取るに足らない、暇潰しにもならない遊びの玩具だった。そのはずだった。彼らの縄張りの山中を一人軽装でふらふらと歩く姿に覇気はなく、それどころか生気すら薄い死相を浮かべた陰気な若い人間。獲物としては物足りないが、使い捨ての玩具としてならば刹那の愉悦は得られるだろうと、妹分の氷女(ユキメノコ)に指示して雪を降らさせて自身はその若い人間の影へと潜み見かけ通りに枯れきっていて量も少ない生気を吸った。
 勘だけは良いようで吸いきって衰弱させる前に気が付かれた。しかしそんなことは些事である。彼も、妹分の氷女も、そして弟分の一つ目の巨霊ヨノワールも姿を現して、いつものようにゲラゲラクスクス笑いながら目の前の哀れな玩具を壊してしまおうとした瞬間。
 尋常ではない熱が彼を掠め、抗うこともなかった人間の肉体を叩き潰さんと(まさ)に拳を振るっていた巨霊に直撃した。そのまま倒れる弟分。
「グ……ォ」
「『坊』――」
 大丈夫か。と言葉を続ける前に、
「『カズヤ』に! 何をしている貴様らッ!!」
 火山が噴火した。
 そう錯覚する程の凄まじい怒号が飛んでくる。緊急事態にそちらを向けば。
 周囲の景色が歪む程の劫火を纏った見知らぬ奴が立っていた。明らかな敵意と突き刺してくるような殺意が籠もった瞳で睨みつけて、そして間髪入れずに疾駆してくる。
 周囲の氷雪を撒き散らし蒸発させて急駛(きゅうし)してくる闖入者。
「『兄様(あにさま)』。わたし、あれから壊したい」
「俺たちに喧嘩売るたぁとんでもねえ身の程知らずだ。『お嬢』、俺が体勢を崩す。いつものように囲って削れ。『坊』はそのまま倒れてろ。そんで動けるなら背中から殴って潰せ。んで、仕上げは任せろ」
「はいな」
「応、無茶苦茶痛いが動けないことはないぞ『兄者』」
 それを見ても彼らの自信は揺るがない。事実、この山を根城にする害悪極まりない三悪霊達に敵はなく、これまでに彼らは相手にした者を例外なく精神はズタズタに引き裂いて、肉片として叩き潰し、氷片と化して撒き散らしてきた。
 これまでも。そしてこれからも。遊び半分に。もう半分には悪意を込めて。哄笑を響かせて惰弱な遊び道具共を壊して壊して壊して笑って暮らしていく。
 その慢心を。地面が爆ぜる勢いで迫る鳥人――バシャーモの圧倒的な力によって粉砕された。
 ユキメノコの幻惑めいた波状攻撃もヨノワールの豪腕も露を払うような気軽さでいなされた。
 完全な死角の筈だった彼――ゲンガーの奇襲は、なんということか半死人のような人間の、雪霰の吹き荒ぶ音に掻き消されそうな小さな小さな呟きにもならないような言葉を聞いた刹那に反応し迎撃せしめてみせられた。
「散れ」
 一度立ち止まり、彼ら三霊達を一瞥したバシャーモが己から吹き出す火炎の熱とは対象的な冷たい声で言う。
「「「ぶち殺すッ!」」」
 彼を含めた全員の返答を聞く前に、劫火を纏う鳥人は再度驀進(ばくしん)。今度はしっかりと彼らを打倒する為に。
 そして。
 彼らは終ぞ彼女に一撃でも痛打を食らわす事すら出来ずに敗北した。
 その後、人間の方が何を思ったのか彼らを治療施設に連れていった。治療を施され全快した彼らはお礼に人間とバシャーモを殺してしんぜようと、姿を眩まして潜んでいたところを人間の雄が看破。再度バシャーモに叩きのめされた。
 結果として彼ら三悪霊達は。なんてことはない、取るに足らない、暇潰しにもならない遊びの玩具だと断じた人間の雄と彼らを圧倒的な力で捻じ伏せた雌のバシャーモと共に【ジムバッジ】なる物を得るための旅に付き合わされる事となったのだった。

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 彼は不満だった。不服だった。苛立っていた。自分が【ジム】なるよくわからない建物の開けた場に居ることには勿論苛ついているし、弱々しい人間の下僕のような事になっている現状にも腹を立てていた。
 尋常ならざる強さの忌々しきバシャーモに、幾度も瀕死まで叩きのめされて叩き込まれた【ポケモンバトル】なる人間の遊びの規則。規定。
 そんなものは知ったことではないし、そんなものに縛られるつもりもない。ないが今ここでそれを破ると、劫火を纏った化物が跳び出て来て彼を打ちのめす事は自明。負けるつもりも毛頭ないがしかし、まだ勝てない。そう理解もしている。
 なので。目の前に居て己を舐めた眼で見ている、【ジムトレーナー】なのだという人間とそれと共に居る名も知らぬ異形(マニューラ)へその憤懣(ふんまん)をぶつける事にした。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
 弱々しい人間が頭を下げる。それに答える自信に満ちた【ジムトレーナー】。
「お前、どこぞの山で調子にノッてた所をあの人間に捕まったらしいなぁ。だっせぇ」
「ああ? 誰から聞いた」
 間違ってはいないがだからこそ苛つくので吹聴した奴は殺す。勿論こいつも殺す。そう彼は決意して問う。
「以前に来た、人間のガキだよ。雌の。『ボス』達に、絶対に甘く見るななんて連絡してきたんだけどよ、でもお前もその人間も別に強くなさそうだがねぇ?」
 ニタニタとそう返してくる。
「ああ、そうかい。じゃあ、お強いお前にお前を壊してもらうよ」
 彼も大きな口を三日月の様に歪ませてニタリと笑い返す。
 そうこうしているうちに、「試合開始!」という誰ぞの掛け声により【ポケモンバトル】は開始された。
 嗚呼。なんという不遜。だから、彼は。躰は勿論、心までもをぶち壊すことにした。
 彼の眼が妖しく光る。

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「影分身は維持して! ――今! 凍える風!」
 室内だと云うのに霰が吹き荒ぶ中で声を張り上げる人間の若い雌。言下、幾多にも姿を投影して雪霰の中を駆ける氷獣は、虚実全てが顎門(あぎと)を開いて凍てつく烈風を放ってくる。
 不遜なマニューラを含め、その後出てきた者達を全て蹂躙した彼の前に最後に出てきた【ジムリーダー】なる若い人間の雌。
 それが()る氷雪を司る四足獣は、それまでの者達よりも格別に強かった。
 今までの者達は彼の放つ妖しい光に尽く惑乱し、彼の見せる幻に錯乱して自傷の果てに戦闘不能にまで陥っていたがこの人間と獣は巧みに回避し、食らっても瞬きよりも短く立て直してくる。
「――ッ」
 自在に宙を浮かび舞う彼だが、視界も体力さえも削り取る勢いで吹き荒れる霰の中を紛れるグレイシアの本体を捉える事は難しい。
 結果。逆巻く凍てつく風は彼を直撃した。パキ、と彼の躰が凍結し動きが鈍る。
 そこに。
「吹雪!」
 人間の雌が放つ追撃の指示。僅かの間もなく言下に遂行するグレイシア。
 場に吹き荒れる霰の中、放たれる大技が不可避の必殺となって彼へと襲いくる。
 それを。
「舐めるなッ!」
 全霊の力を込めた念動力でもって力尽くで霧散させる。
「お前もな!」
 弾け飛ぶ、絶大な質量を伴って吹き荒ぶ氷雪。それが周囲に撒き散らされる中、氷獣の声と共に氷の礫が飛んでくる。
「ああん?」
 中々の速度だが撃ち落とせないこともない。影色の光球で相殺。
 影色と氷塊が双方砕けて残滓が煌めく。その中を。
「行っけー!」
 電光石火の勢いで向かってくるグレイシア。
 だが彼我の距離は瞬く間に詰められる程度のものではなく、真っ直ぐに向かってくる的なぞ眼を瞑っていても当てられる。
 そこそこ強かった相手の自棄になっての突撃に、嘲笑しながら彼は周囲に影球を数多展開。次瞬にはそれら全てを哀れな的に放たんと意識を向けた。
それ(、、)は駄目だ」
 そこに。
 今の今まで彼の戦いに一切の口を挟んでこなかった奴がボソリと呟いた。
 意味がわからない。わからないがしかし、「戦いの最中に『カズヤ』が何か言ったら絶対に聞け。私達が気が付かない事が見えているから」と事あるごとに行ってくるいけ好かない奴の言葉と、弟分と妹分が「聞こえた時は防御が間に合った」やら「聞こえづらいけど聞こえたら避けられた」等とわけのわからない事を言っていたのが脳裏をよぎる。
 更に。彼へと肉薄せんと地を蹴る獣の体表の光沢が今までとは若干違う、ような気がする。
 それが何を意味するのかはわからない。気の所為だと云えばそれまでの微妙な違和感。しかし癪に障るがこのまま攻撃することは、相手の思惑通りである可能性が高いと彼の勘が言う。
 よって。彼は瞬時の思考で展開していた影球による攻撃を中止する。そして即座に迫る氷雪の獣へと向けて飛ぶ。
「ミラーコート解除! 氷の牙!」
 そんな彼の挙動を見て、相手の人間の雌が叫ぶ。
「遅えよ」
 グレイシアの攻撃よりも早く。拳に炎を纏った彼の一撃がその顔面を捉えた。
「ギャ――」
 ゴ。と鈍い音を響かせて、素っ飛ぶ四足獣。そのまま倒れ伏して動かない。
「グレイシア戦闘不能! 勝者、チャレンジャー!」
 そんな宣言を誰かがしている。
「お疲れ様。ありがとう『がが』」
 どよめく周囲に消し飛ばされそうな声で、勝手に付けた呼び名で彼を呼ぶ人間の雄。頼りなく、弱々しく、意志も薄弱そうな奴が軽く微笑みながら礼を言ってくる。
 それを見た彼は、只々苛つくので先程放とうとした影球を倍程の数で展開して放ったが、その致命の掃射を涼しい顔をされて避けきられ、突如として現れたバシャーモに殺されかけた。
 因みに、三悪霊の残り二体も同じようなことをして各々返り討ちにあっている。弟分は【バトル】とやらが始まる前に仕掛けて避けられ、現れた守護者によって瀕死の状態でその後を戦う事になった。そして妹分は戦いの最中に仕掛けたそうだがいとも容易く避け、(ついで)とばかりに例の聞き取りづらい言葉で彼女への痛打を回避させたらしい。勿論彼女もその後に虫の息にされた。
 昼夜を問わず、食事中、入浴中、排泄中に眠っている最中に至るまで殺してやろうと襲い続けたが、どうもこの人間の危機察知能力及び回避能力を著しく成長させる結果になっているらしい事実に、彼の頭は痛くなる。先日は完全に寝入っているのを狙って仕掛けたら寝たままに見切られた。
 何なんだいったいこの状況は。
「そろそろ諦めろ『雑魚』が」
 敵意と殺意に冷え冷えとした忌まわしい声が、地面に伏した彼の上から降ってくる。
五月蝿(うるせ)え。絶対にお前ら殺してやるよ『クソ鳥』共」
 苛立ちと痛みに苛まれながら憎まれ口を絞り出した彼は、そこで意識を失った。
「ああ、早くポケモンセンターへ行かないとね」
 落ちていく意識の中、感情の起伏の少ない人間の雄の言葉が聞こえた気がした。

@@@

 彼が【ジム】なるもので完勝した後にバシャーモに叩きのめされた数日後。
「バッジ六個目おめでとう!」
「ありがとう。そっちも八つ目おめでとう」
 当日中に治療を終えた彼を連れて次の目的地へと向けて出立したので、今居るのは彼が治療を受けたのとは場所違いの、人間共やそれに連れられた異形達が治療や宿泊をする施設である。
 その、食事の出来る場所の一角に彼らは居た。不服な事に。
 更に苦々しい事に、此処は彼ら三悪霊達が人間『カズヤ』を襲い、バシャーモの『ちゃちゃ』に討ち取られ最初に運ばれてきた所でもある。
 そして極めて不快な事に、机に置かれた物体から甲高く響く人間の雌ガキの声は、あの日に瀕死に陥った彼らを、同じく死にかけの人の雄に言われて【モンスターボール】なる物に収容した奴である。
 時折、こうやって連絡を取り合っている。【ポケギア】なるそれを通じて遠方の雌ガキと話しているようなので、それを通して呪いが飛んで行かないかと試した事があるが何度か試行錯誤が必要なようで失敗した。勿論彼は殴り殺されかけた。
「お待たせしました」
「ああ、ごめん頼んだ物が来たからちょっと待って。――ありがとうございます」
「はーい。またカレー?」
「ああ、うん。――えぇと、激甘モモンカレーはヨノワール、氷タイプ用シャーベットカレー甘口はユキメノコ、ヤドンのしっぽカレーの甘口はバシャーモ、しっぽカレーの激辛は僕とゲンガーです」
「はい、かしこまりました。あら、ありがとうねヨノワールちゃん」
 率先して食事を運んできた人の雌から皿を受け取り、配膳する弟分。その姿を見咎めて彼は声をかける。
「おい『坊』」
「すまない『兄者』。でも俺は早く食いたいんだ。ほれ、『お姫様』と……これは『怪物』お前か」
「あらありがとう『小兄様(しょうあにさま)』」
「ああ、ありがとう」
「礼なんぞ言えたんだな」
 弟分の大きな手から素直に皿を受け取り、礼まで口にした忌み嫌う化物に思わずそんな事を口走る。
「以前の様に皿ごと殴りかかって来たり、猛毒を仕込んだりしなければ、礼も言うよ」
 前者は最小限の攻撃で料理は皿から溢れる事無く殺されかけ、後者は何故か露呈して毒の効かない彼を除く二体が完食させられて死にかけた。
 どうにも食事中に襲うと他の時よりも苛烈に迎撃される上に、食べ物を没収されるので最近は控えている。癪だが、今まで彼らが食していた物よりも人間共の作った物の方が断然美味いので仕方ない。
 なので、人を襲って略奪しようとした事もあったが、『カズヤ』とバシャーモに呼ばれる人の雄を襲った時よりも速く鋭く重い一撃によって消滅しかけたのでこれも彼らは控えている。腹立たしい。
「では。ごゆっくりお過ごしください」
 持ってきた皿を配り終えると、そう言い残して食事を運んできた人の雌は踵を返す。
 人の雄は「ありがとうございます。『よの』もありがとう」と雌と弟分に礼を言い、
「それでは。いただきます――お待たせ『アヤカ』ちゃん」
 と食事を開始し会話も再開する。
「いえいえ。改めまして、おめでとう『カズヤ』くん。ジムに来たらどうだったか教えてって伝えておいたから、どんなバトルだったか知ってるけど暴れまくったみたいだねぇ!」
「ん? ああ、でも暴れていたのは大体相手のポケモン達だったような?」
 香辛料の香りの効いたカレーを頬張りつつ、人の雄は首を傾げ、そう返す。
「それはキッサキのバトルでしょ! ナギサのジムでも大暴れだったって聞いたよー! デンジさん居ないのに『ちゃちゃ』ちゃんが扉を蹴破って入ってきたって。デンジさんのやる気が無くてバッジはご自由にどうぞって入り口前に置いてあったにも関わらずに!」
「ああ、あれは『ちゃちゃ』の腕試しのつもりで行ったら閉まってて、でも何だか中に人は居るみたいだったから」
 「バッジはありがたく貰ったけどね。でもこれって本当に所持数にカウントしてもいいのかな」などと人の雄は続けながら、いつの間にか取り出した小瓶の中身をドバドバと自分の激辛カレーにかける。
 真っ赤なそれをかける様子を彼が眺めていると、「ああ、『がが』も使う?」とそれを渡してくる。
 眼にでもかけてやれば失明するような様々な使い方を彼ならば思いつくだろう素敵な液体だが、それを実行しようとすると小さな人の頭骨の飾りの付いた新品までも開封されて眼窩に流し込まれるので止めておく。それに、これは彼の好物のマトマの実よりも美味なので勿体無い。
 素直に受け取り、彼も自分のカレーにドポドポとかける。
「お前ら、かけ過ぎじゃないか……?」
「そこの雌と同じ意見なのはいけ好かないけど、それよりも『兄様』達の方がありえない。それは食べ物じゃない」
「『兄者』もうそれは味ではなく痛みがするのでは?」
「五月蝿え軟弱者共」
「ん、どうかした? ――ああ、美味しいね」
「なんか問題にはなってるみたいだけど、バッジ自体は本物だし大丈夫なはず――それにしても、なんだかんだであのゲンガー、ヨノワール、ユキメノコを手持ちに加えて平和にやってるんだねぇ」
 「ふむふむ」と機械の先の小娘が何やら感慨深く唸っていると。
「何をもって平和なのよ」
 ため息交じりにそう言って、会話に入ってきたのは人の雄よりも年上だろう雌。顔に手を当てて苦み走りきった顔で彼ら三悪霊を睥睨する。傍らには同じく悪霊達を汚物でも見るような眼で見てくるハピナス。彼の記憶にはその存在の何もかもが特に残っていないが、
「ああ、お久しぶりです」
「えー? 順調にジムバッジも手に入れてるし、特に怪我もしてないし平和じゃない?」
 人間達には知己らしい。
「ナギサの一件は『低姿勢な道場破り』とか言われてジムトレーナーのトラウマになってて、直近のキッサキでのバトルは内容が悪辣過ぎてセンターの方にまで噂になってんのよ」
「ああ、それは申し訳ない」
「ええー! でも『ちゃちゃ』ちゃんの調教のおかげで【ポケモンバトル】の範疇には収まってるんでしょ」
 「ナギサの方は相手が強すぎたからショックって感じでなんか論外」等と機械越しの雌ガキが続けるが、そんな事は彼にはどうでもいい。
 問題は【調教】と聞いたハピナスがくすりと嘲笑った事。
 だから。その眼球を潰してやる事にした。
 激辛ソースをかけた激辛カレーを食べながら、食卓下の影を操作し獣爪とする。更にそれに毒を付与。練り上げられた技巧によって予兆も遅れも無く、その影爪による毒突きは(まど)かな異形の(つぶら)な瞳を抉る。
 筈だった。
「『がが』。止めないとカレー没収だよ」
 人の雌達の会話に混ざりながら彼と同じく激辛のカレーを口にしていた雄が、ボソリと呟いた。彼の方を向いてもいない。
 代わりに。その零れ出たような小さな声を聞き取って『化物(バシャーモ)』が彼を見る。感情の感じられない瞳が彼を見据えている。
 機先を制された時点でこの奇襲は失敗している。このまま続行しても構わないが、ならば最大火力をハピナスではなくバシャーモとその相方の人の雄に叩き込みたい。
 そしてそうすると今食べているカレーが食べられなくなる。ならば、食べ終わった後にすればいい。そう彼は考える。
 いいが、そこまでして今攻撃する意味もない。何より、この程度の事に思考を割いている事が馬鹿馬鹿しい。
「はぁ。白けた」
 そこまで考えたところで彼は一気にどうでも良くなった。深く長く息を吐いて、影の爪を解く。
「ん、何かあった?」
「ああ、『がが』がハピナスを攻撃しようとしていたから」
「うへぇ、全然気が付かなかったわよ」
 人間の雌達が何やらざわつくのを気にせず、彼は食事を続行する。
「え、ちょ。私狙われてたんですか?!」
「その小せえ目ン玉が無事で良かったな」
「そうなったら、わたしが素敵で溶けない氷の瞳をあげる」
「数日後には全身凍って『お姫様』のコレクションの仲間入りか。砕いた時の破片は桃色で綺麗だろうなぁ」
 それぞれカレーを食べながら、今更に慌てふためくハピナスをゲラゲラクスクスクツクツと嘲謔(ちょうぎゃく)する彼ら三悪霊達。
「馬鹿共が申し訳ない。次危害を加えようとしたら半殺しに、万が一危害を加えてしまったら責任を持って私が殺すので」
 傍らに立つ人の雌に隠れるようにしがみついたハピナスへ、バシャーモが虫酸が走る物言いで頭を下げる。
「あ? 舐めんのもいい加減にしろよ。返り討ちにしてやんよ」
「舐めるのはお前の専売だろう。その大きな口は飾りなのか? カレーがあまり減っていないぞ早くその長い舌で綺麗に舐めとれ」
 彼が噛み付くと、返す刀でバシャーモが言い返してくる。愉しそうに嘲笑っていた残りの二霊も静かになり、張り詰めた一触即発の空気が充満する。
「ちょっと、何か険呑な事になってるけど」
「ああ、いつもの事なので大丈夫です」
 そんな中を、全く意に介さずにさらりと返して食事を続ける人の雄。
 その様子に、得体の知れないモノを見るように顔を顔を顰める人の雌。
「順調に薄氷の上に埋め込まれた剃刀の刃の上を歩くような関係を築いているようで不安しかないわね」
「ああ、ご心配ありがとうございます……?」
「でも、自分から死のうとはしなさそうだよね今の『カズヤ』くん」
 「安心安心ッ」と機械越しの雌ガキがケラケラ笑う。
「弱りきった人間にとどめを刺しに現れた害霊達は相変わらずみたいだけどね。気を付けなさいよ? あれからその仔らの縄張りの調査があったんだけど、貴方以外に襲われた痕跡が何一つ見つからなかったんだから」
「実は僕が一人目だったとかではなく?」
「詳しく調べてみたら、結構な数のトレーナーがその周辺で消息不明になってる。ただ、目撃者も遺留品も何もかもが無いからその内のどれくらいがその被害にあったのかは不明」
 軽く肩をすくめて首を振る人の雌。
「いやぁほんと『ちゃちゃ』ちゃんが間に合って良かったわぁ。……あ、そうだ。なんか最近、トレーナーを襲ってポケモンを奪い取る山賊みたいなのが出るらしいから気を付けてね『カズヤ』くん」
「ああ、それは凄く困るから気を付けるよ。ありがとう。『アヤカ』ちゃんも気を付けてね」
「そっちはそこそこ目撃者も居るんだけどまだ捕まってないのよねぇ。ジムバッチ七個所有のトレーナーも襲われて手持ちのポケモン奪われたりしてるから、人の心配してないで貴女も気を付けなさいよ『天才少女』さん」
 「というか一〇近く歳の離れた女の子に心配されるんじゃない」と白衣を着た人の雌に呆れられるが、「物騒だねぇ」とどこか他人事のように返しカレーを食べる雄に嘆息する人の雌。
 人間達の会話を聞いて、
「そいつと囲んじまえば、こいつら殺れるか……?」
「そんなに使えない可能性もあるぞ『兄者』」
「そんときゃ盾にでもすればいい」
「どちらにしても全員蹴散らしてやるよ」
「言ってろ。まあ、んな何処に居るかも知れねえの探すより俺らで囲んだ方が手っ取り早いか」
「まとめて土を舐める事になるがな」
「死ね。でも、あの人間って回避能力は極まってしまったけども、ぼんやりしてるから明日にでもそれに出会いそう。わたし達の領域にもふらふら這入(はい)ってきたことだし」
「あー」
「確かに」
「それは、否定できないな……」
 彼ら三悪霊達と抑止力の化身(バシャーモ)が取り留めのない会話をしていると。
「『ちゃちゃ』? どうしたの頭痛?」
 話題の矛先になった雄が、鋭い爪の生えた三本指の左手を頭にやって唸るバシャーモに気が付き声をかけてくる。
 心配してくる人の雄に、何でも無いと素振りで返すバシャーモ。
 その様子を彼が眺めていると、人の雌がその視線に気が付いた。
「ちょっと、なんかその仔達貴方のことを凄い哀れんだ眼で見てるけど本当に大丈夫?」
 全然大丈夫ではない。心の底から彼はそう思う。
 何故、こんな奴らを未だに殺せていないのか。
「ああ、はい。いつもの事なので」
 感情の薄い声で人の雄が返す。機器の向こう側の雌ガキが、それ越しでもわかる程に楽しそうにケラケラ笑う。
 嗚呼、何なんだこの人間共は。苛つきと、微かな悍ましさを感じながら、彼はそう思った。

@@@

 翌日の夕暮れ時。彼らは次の【ジム】を目指して歩いていた。
 冬の寒さも少し和らぎ日照時間も延びたが、それでもまだ鬱蒼と樹木の茂る山間の街道には雪が残る。人気も無く、外灯も無い道をぞろぞろと、人間の雄が一人に赤い羽毛を纏う長身の鳥人が一体、そして三体の亡霊達が進んでいく。
 別に、人間の雄以外が外に出ている意味はあまりない。鳥人バシャーモは、人の雄の荷物を運ぶのを手伝っているが、彼ら悪霊達はそんな事をする義理はない。
 寧ろ、
「美味いは美味いが辛さが足りねぇ」
「『兄様(あにさま)』の味覚は死んでしまっていると思うの。それはとても辛いのよ」
「『兄者』もチョコを喰おう」
 先頭を歩く人の背嚢(はいのう)を勝手に漁って、激辛のスナック菓子やら、飴玉やら、チョコレートやらを取り出して食べ始めているので出てこない方が邪魔でないし騒々しくもないだろう。勿論彼らの知ったことではないが。
「勝手に食べて文句を垂れるな。そもそもそれは『カズヤ』のだ」
 荷物を肩にかけたバシャーモが彼の言葉を聞き咎める。
「てめえも喰ってんだろうが『クソ鳥』」
 もぐもぐと、竹の皮に包まれた羊羹を一本丸ごと食べながら「これは私のだ」と更に返してくる彼女に苛つく彼だが、
「ああ、それ(、、)あんまり辛くないんだよね。こっちも食べる? 『がが』」
 と、彼らのやり取りを知ってか知らずか、恐らくは知らぬまま先頭の人の雄が振り返り、自身が食べていた煎餅を一枚差し出して来たのでそちらに視線を移す。
 全面に真っ赤な粉末のかかったそれは、とても(うま)そうだった。拒否する理由も拒絶する必要も無いので、ふわりと宙に浮かぶ彼は素直に煎餅を受け取る。
「美味しいよ、フエン煎餅の一味唐辛子味。『ちゃちゃ』は甘党だから、『がが』が辛いものが好きなのは少し嬉しいね。『よの』と『ゆき』は『ちゃちゃ』と同じく甘党みたいだけども」
 そう言って、小さく笑む、人の雄。
 その顔が、なんだか苛ついたので影の砲弾を数百発叩き込んでやろうと彼が考えた、刹那。
「おい」
「五月蝿えわかってるわ『クソ鳥』。『坊』『お嬢』、身の程を知らねえ馬鹿が居る。全周警戒」
 微かな、然し確かな悪意の籠もった視線が彼らに注がれている。いち早く気がついたバシャーモが、声をかけてくるが同じくして察知していた彼はそれを制し、弟分と妹分へと注意を促す。
「はいな」
「応。『お姫様』の言ったことが当たってしまったか」
「俺らに来なけりゃスルーだ。便乗してこいつら殺す」
「……先に殺すか」
「ん? どうかした?」
 唯一、緊急事態に気がついていない人の雄が、持っていた荷物を地面に放り臨戦態勢に入ったバシャーモに気が付き、呑気に訊ねてくる。この人間の危機察知能力の発揮されるタイミングはわからないが、距離もあり未だ攻撃も開始されていないので何も気がついていないらしい。
 誰も人の言葉など話せないし、もしも彼らが話せたとしても教えてやる義理も無いので詳細は人の雄に伝えられることはない。
 バシャーモも身振りで動かないように伝えることしか出来ていない。
 畢竟(ひっきょう)。態勢を整える事など出来ぬまま、彼らに向いた悪意が動き出した。
 ざわり、と風が吹き始める。瞬きの間にそれは砂塵を孕んで彼らを取り囲む様に逆巻き始める。
 次の瞬きを終える頃には、肌を削り取る様な勢いで吹き荒ぶ砂嵐が彼らを完全に飲み込んでいた。
「うわ。みんな大丈夫?」
 漸く、事態に気がついた人の雄が声を上げる。律儀にバシャーモは風音に負けない大音声で応えているが、彼らにそんな面倒な事をする気は微塵もない。
「……。『お嬢』!」
 前言通り、いけ好かないバシャーモとぼんやりとした人の雄だけを狙うのならば相手をする気は彼に無かった。しかしこの狩場は明らかに彼ら三悪霊達をも獲物として展開されている。
 ならば叩き潰す。
 手っ取り早く、この砂嵐を妹分の雪霰(ゆきあられ)で塗り替えてしまえばいいと彼が指示を出そうと呼ぶと、意図を汲んだユキメノコは砂塵から眼を小さな手で守りながら返してくる。
「ちょっとこれは塗り替えるのは無理よ『兄様』。多分、複数居る」
「了解。警戒を――」
 怠るな。そう彼が言い終わる前に。
「『よの』『ゆき』、そこ(、、)は危ない」
 今の今まで呆けていた人の雄が、呟くように、零れるように小さな小さな声でそう言った。
 音すらも削り取る砂嵐の中、彼がそれを聞き取れたのは偶然でしかない。そして、その言葉の意味を咀嚼して即座に理解出来る程の信頼も彼と人の間には存在しない。
「――ッ。横に跳べ!!」
 だから砂嵐の中でもよく通るバシャーモの切羽詰まった叫びを聞くまで、それが警告なのだと気が付かなかった。彼の想定以上の速さで、既に悪意ある視線を発していた何者かは肉薄していた。
「はぁ?」
「むお?!」
 忌み嫌う相手の命令にユキメノコは怪訝な反応を示し、同じく忌み嫌うが妹分よりも聞き分けの良い弟分(ヨノワール)は反射的にその場を跳び退いた。
 その反応の違いが明暗を分ける。
 直後。吹き荒れる砂塵を凄まじい速度で切り裂いて何かが飛来。現れた計三つの流線型の影は、人の雄、ヨノワール、ユキメノコをそれぞれ狙いすれ違いざまに斬りつける。
 大型の生物とは思えぬ超高速の斬撃。
「おっと」
「ぐ、ぉ――」
「え――ギャ」
 それを。
 人の雄は何事もなかったように回避し。
 弟分は寸前に横合いに跳んだお陰で直撃を免れた。
 しかし妹分は完全に反応が遅れ直撃を喰らう。振り袖を着た童女めいた小さな躰に深く鋭く斬撃が喰い込んで、氷女(ユキメノコ)は木っ端のように素っ飛んだ。
 受け身も何もなく、地面を転がるユキメノコ。
 その間に、現れた三つの影は砂嵐の中に消えてしまう。
「『お嬢』!」
「『お姫様』! 大丈夫か?!」
 彼ら兄達の呼びかけに反応は無い。直ぐにでも傍に行きたいが、それを阻むように砂混じりの暴風に紛れた敵が再度強襲。不意を突かれた初撃ほど対処は難しくないが、意識を妹分へ向けていたら痛打を喰らいかねない状況。
 そして『化物(バシャーモ)』も対応しきれてはいない。
 そんな状況の中、軽率という他ない動きを見せる者が一人。
「『ゆき』。大丈夫?」
 そう、一人。人の雄が砂塵に煽られ蹌踉(よろ)めきながら倒れ伏すユキメノコの元へと駆けている。
 勿論、それを狙い高速の斬撃は幾度も繰り出されるが、既のところで躱す人の雄。躱しきれないものは守護者たるバシャーモが辛うじて逸らしている。
「ありがとう『ちゃちゃ』。そしてごめん、応急処置が終わるまで動けない」
 倒れ転がるユキメノコの元に辿り着き荷物の中身をぶちまけながら膝をつくと、傍らで周囲を警戒するバシャーモへとそう伝える人間。
「わかった」
 僅かの逡巡もなく短く応えるバシャーモ。足を止め、己と人の雄へと襲い来る超高速の連撃を捌き始める。音さえも置き去りにする攻撃に合わせ拳を当てて()なし、蹴りでもって無理矢理に軌道を捻じ曲げて、衝撃波はその身を盾に足下の人の雄と氷女に攻撃が及ぶのを防ぎ切る。
「何なんですの此奴(こいつ)は!?」
 バシャーモ達を標的とした幾度かの攻撃の後、仕留めきれなかった事に苛立ったのか三つの影の内の一つが甲高い声で喚いた。
 直後。
「『化物』だよ」
「ぐぁ?!」
 ヨノワールが口を挟んだのと同時に、高速飛行する影の一つに攻撃が直撃。予期せぬ自体に体勢を崩し地面へ向けて勢いよく落下する。
「何してますのこの『愚兄』!」
(うるせ)え!」
「そっちを気にし過ぎだろうお前達。置いた(、、、)のは一つだけじゃないぞ」
 ヨノワールのその言葉通りに、落下した一体へ向けて先程と同様の攻撃が殺到。
「ぐわあ?!」
 落ちていく軌道が予めわかっていたかのように配置され、吸い込まれるかの如く叩き込まれる念力の塊。敵の目がバシャーモ達へと向いた間に視た未来予測を用いた一つ目の巨霊による攻撃は、しかしあまりこういった攻撃が得意ではないせいもあり致命傷を与えるまでには至らない。
 だから。
「よう。お代わりをやるよ」
 彼がその後を引き継ぐ。刹那の合間に幾多もの影球を展開。そして射出。
 勢いよく落下しのたうつそれに向かって放たれたシャドーボールは、最初の数発が直撃し二メートル近い巨躯を弾き飛ばす。
「ぐが?!」
 そのまま体勢を戻せない的に向かい残りの影色の光球が更に殺到する――
 前に。
「世話の焼ける『兄貴』だな!」
 無事な敵の内の一体がその間に立ち塞がって盾となった。
「グウゥ」
 両腕を交差させそこに生えた翼を前面に出しての防御姿勢をとり、彼の放つ高威力の集中砲火に曝される二体目の影。
 否、砂嵐の中での高速飛行を止めてしまえば影などでは最早ない。強靭な肉体を持ち、その埒外の力で全てを蹂躙する竜種――ガブリアス。
 そんな強大な力を有する種族であるそれが、しかし彼の攻撃に耐える以外の行動に移れない。息継ぎの間すら無いほどの連射がその強固であるはずの肉体をみるみるうちに削り取っていく。
「調子に、乗るんじゃありませんの!!」
 その様子を見てか未だ砂嵐の中を飛行している最後の一体が、怒気の孕んだ猛り声と共に彼へと吶喊(とっかん)
 砂嵐すら切り刻む勢いで迫るその竜爪(ドラゴンクロー)を、
手前(てめ)ぇがな」
 彼は右の手に瞬時に作り出した影爪(シャドークロー)で受け止める。
 そしてぐるりと反転。じゃりんと両者の爪が擦過して耳障りな音が響く。
 超高速で迫る斬撃の受け流し。更に彼はもう片方の手にも生み出した影爪でもって斬りつける。
「ギャッ」
 甲高い悲鳴と共に鱗と血潮が飛び散るが、だがそのガブリアスは体勢を崩すことなく飛行を続行。再び砂嵐の中に姿を消した。
「『愚兄』共! 態勢を整えます! 『愚弟』達! もっと強めなさい!!」
 そしてそのガブリアスが残りの二体に指示を飛ばす。
「煩え指図すんな」
 憎まれ口を叩きながら、しかしその通りに離脱するガブリアスと、
「早く退いてくれるかい『兄貴』。グゥ……この、デカブツッ! ……でもあいつがリーダーだからね従わないとね」
 彼から再び攻撃を引き継いで肉薄した巨霊の殴打を防ぎつつ、後ろのもう一体が離脱したのを確認して自分も砂嵐の中へと隠れる様に退散するもう一体。
 その間に、状態を知るべく彼ら影霊(ゲンガー)巨霊(ヨノワール)は人間の治療を受けている妹分の元へと駆けつける。
 その直後。
 ズオォと砂塵の吹き荒ぶ勢いが更に強く激しくそして濃くなった。最早視界は至近距離ですら視認は危うい。
 そんな中を、鮫竜(ガブリアス)達は的確に彼らの位置を把握して襲いかかってくる。
 だが。剣舞でも舞うかの様に飛びかかってくるその尽くをバシャーモは防ぎ切る。その余波による衝撃は不本意ながらゲンガーたる彼が行使する強力な念動力が抑え込む。
 瀕死の妹分にとどめを刺されてはたまらない。弟分も倒れた彼女とそれを治療する人の雄を庇うように傍に立つ。
 詳しい状態はわからないが、とりあえずはユキメノコは死んではいないらしい事に彼は安堵する。それと同時、この状況でバシャーモを攻撃すれば殺せるのでは? とも考える。
 砂嵐の中を縦横無尽に飛び回り強襲してくるこの竜種達は、彼が思っていたよりも数段強い。攻撃の回数が増える毎に、爪牙による攻撃の威力は増しているし、時折放ってくる恵体による体当たりは彼にして威圧感を覚える程の殺気と威力を持っている。
 更に。
「いい加減に、しろやぁッ!!」
 苛立たしげに吠える三体のガブリアスの内の一。言下、吹き荒れる砂嵐を貫いて鋭利に尖った岩が出現。ユキメノコの処置を続ける人の雄へと途轍もない速度で襲いかかる。
 己の肉体以外を用いる技の練度も総じて高い。状況把握も悪くない。バシャーモは人の雄を決して見捨てない。その身に降りかかる攻撃は何よりも優先して撃滅する。
 だから。
()った!」
 そちらの迎撃に意識を割いた別の鮫竜が隙を突く。そんな事が出来るのもそれぞれの実力が高い事に加え、連携がずば抜けているが故。
 だが。
「何をだ?」
 その程度でこの化物(バシャーモ)を殺せるのならば、とうの昔に彼ら悪霊達が殺し尽くしている。
 一直線に人の雄を貫かんと迫るストーンエッジの(きっさき)を、容易く横合いから手を伸ばして掴み取り旋回。その岩塊でもって、死角から肉薄していた筈のガブリアスを打ち据える。
 砕け散る岩塊。くぐもった声を上げて素っ飛んでいく鮫竜。砂嵐の中へとまた消える。それを視線で追っているバシャーモ。
 その隙を。全霊の力でもって攻撃を叩き込めば不意をつけそうだと刹那よりも短い間に彼は思案する。
「ん、ぅ」
 そしてその害意を表出させる直前。意識を失っていた妹分が目を覚ました。
「大丈夫かい? 『ゆき』。えーと、ボールは……ああ、何処かにいったな」
 彼ら兄貴分より早く、それに気が付き、襲撃されている現状を理解していないのでは無いかと思える程に穏やかに声をかける人の雄。【モンスターボール】へと匿おうとするものの、そのボールが何処かにいったらしい。
「『ちゃちゃ』、ありがとう。そしてごめん、『ゆき』の傷が深い。ここから逃げるよ。『がが』も『よの』もありがとう。そして『ゆき』の怪我が酷いんだ。出来れば逃げるのを手伝ってほしい」
 直ぐに『妹分』の収納を諦めた人の雄は、童女の様に小さなその躰を抱きかかえてそう言ってくる。脆弱な人の身には耐えきれる筈のない程の冷気を宿した異形の躰を抱いて。皮膚を削る勢いで吹く砂が口へと入り込んで咳き込みながら。この状況の中で逃げると、そう言ってくる。
 意味がわからない。
 思わぬ事を人の雄が言ってきた衝撃で彼のそれまでの思考は吹き飛んだ。思わず呆然とする彼に、ガブリアス達の攻撃が襲いかかるが、それを半ば反射で捌いて防ぎきる。しかし視線はわけの分からない事を宣った人間から逸らさない。
「『兄者』?」
「聞こえたか?」
 戸惑い気味な弟分の声掛けにも無反応な彼に、人の雄の言葉を受けて既に逃走へと意識を向けているらしいバシャーモが「逃げるぞ」と言葉を続けようとした瞬間。
「いたい」
 砂嵐の轟音の中。氷が軋む様な微かな声が彼へと届いた。
「……『坊』」
「応。これは、やばいな『兄者』」
「いたい。いたい。いたい」
 か細く震えて周囲の雑音に掻き消される程度の声量なのに何故か聞こえる不思議な声は、彼らの妹分の声である。意識を取り戻した彼女が人の腕の中でぶつぶつと呟き続けている。
「おい『クソ鳥』」
「何だ『雑魚浮遊霊』」
 ユキメノコの状態に未だ気がついていないバシャーモの反応は無視して彼は続ける。
「この身の程知らず共は此処で擦り潰す。妹分を両断しかけた輩を俺達が、何よりやられた当事者(、、、、、、、)が許すわけがねえ」
 何故ここまで虚仮にされて逃げ出せるのか。欠片はおろか微塵もわからない。
 彼の言葉に、バシャーモが言い返そうとするが、それを遮るように人に抱きかかえられたユキメノコの声が段々大きく、そして色を帯びてくる。
「いたい。いたいいたい痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「……おいお前ら。此奴は大丈夫なのか?」
 ガブリアス達の追撃を捌きつつ、小さな氷女の様子に気が付いたバシャーモがそう彼らに問うてくる。
「勿論全く一切合切何一つとして大丈夫じゃねえ。大事な大事な『カズヤ』を氷像にされたくなけりゃ『お嬢』をこっちに寄越せ」
「『お姫様』の癇癪だ。ここら一帯が有象無象も敵味方の区別もなく凍りつく」
 彼らの返答と、それと同時に影霊と巨霊の躰を紫色の焔が包み込むのを見たバシャーモの行動は早かった。
「え。『ちゃちゃ』?」
 残像が残るくらいに素早く、迅速に人の雄『カズヤ』の腕から彼ら悪霊達の妹分を引っ剥がす。放られた小柄な異形は、彼の念力によって受け止められて、そのまま宙に浮く。
 困惑する人の雄をそのまま抱き寄せたバシャーモへ、
「よう『ちゃちゃ』。『カズヤ』にも俺の火は必要かい?」
 全身を鬼火で炎上させてケケケと笑いながら彼は訊く。
「要らん」
 その問いかけを一言で蹴り飛ばすバシャーモ。そして、彼女は地面に両手をついて逆立ちの姿勢になると開脚し、そのまま地面を掴んで回転し始めた。
 状況を理解出来ていない棒立ちの『カズヤ』を避けて、劫火を纏った長い脚が旋回する。猛然と吹き付ける砂嵐の中を回る風車の如き円転は、瞬く間に火炎を巻き上げて渦を作り上げその中心にと人の雄を匿った。
 直後。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛いッ痛いッ痛いッ! ――殺す」
 激痛に苛まれていたユキメノコが一頻り悶え苦しんだ後にそう一言呟いた。
「何を――」
 様子を窺っていたらしいガブリアスが「していますの!」と再度砂嵐の中から突撃してくる前に、周囲の景色は一変した。
 一帯を吹き荒れていた砂嵐は刹那の内に塗り替えられて、何もかもが凍りつき一転静寂な氷の世界が顕現。
「何が……ッ?!」
「『姉ちゃん』!? 何が起きた?!」
 瞬く間に砂塵の紗幕を剥ぎ取られた鮫竜達の動揺と、かなり離れた地点からであろう咆哮めいた声が響く。それに続いて、急速に凍結させられた樹々が膨張した自らの水分によって爆ぜる銃声めいた音が鳴り響く。
 一瞬前の情景からは何もかもが変わり果てた異様に困惑し、更に急激な気温低下に躰の動きの鈍る鮫竜達。
「何が? ――お前達に、死が」
「ギャ?!」
 彼のテレキネシスの効果が切れて、凍りついた地面へと降り立った小柄な氷女が、くすりと冷たく嘲笑ってそう返す。直後、空中で動きの止まったガブリアスの一体の両の瞳に鋭く尖った氷柱が幾本も突き刺さった。
 突然の出来事に、何の対処も出来ずにもんどり打って墜落する鮫竜だが、攻撃は眼球だけでは終わらずに全身を覆う強固な鱗すらも貫いて、ユキメノコの氷柱針が頑強な竜の躰を蹂躙する。
「『兄貴』?! ――ぉグ、あ」
 凍りついて一面一色銀世界と化した中に鮮やかな赤を撒き散らして襤褸屑のように成ったそれを見て、もう一体が声を上げるがそんな余裕なぞは三悪霊の末妹は許さない。その直上に巨大で鋭い氷柱を生成。それを、念動力でもって加速して射出する。
 予想外の状況に陥り、死角からの攻撃に反応が遅れ、更に一気に下がった気温に動きを鈍らせたガブリアスにそれを避ける事は出来なかった。天から一気に突き落とされて、巨大な氷の杭によって地面へと縫い留められる。
 背中から氷柱に貫かれ痙攣する様を、(ごみ)でも見るような眼でユキメノコは見た後に、小さな手をそれへと向ける。そして放たれたのは光芒。その超低温の光線が直撃し竜種は完全に凍りつく。
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 嗚呼! いい気味ね!」
 『カズヤ』に処置された包帯にじわりと生命を滲ませながら瀕死の重傷の状態でゆらりと立って、壊れた様に笑うユキメノコ。
「俺の火も消し飛ばすたぁ(たが)が外れてやがんなぁ」
「熱いわ寒いわで勘弁してほしい」
「だが、もう一回は無理だろう。あちらはまた来るぞ」
「ああ、凄いけど無理はやめよう『ゆき』」
 そんな彼女の様子を、一帯に吹き荒れていた砂嵐を打ち消して塗り替える程の凄まじい冷気を鬼火で凌いだ兄貴分達と、炎の渦で耐えきったバシャーモと『カズヤ』がそんな感想を言い合う。
「――ッ。『愚弟』達! 再展開!」
「まあ、そうなるだろうな。だが、二度目は無い」
 唯一生き残ったガブリアスが、ユキメノコの狂笑と共に放たれる冷凍ビームや氷の礫に果ては吹雪による猛攻を避けながら叫ぶ。
 地の利を強引に作り出し、連携しての一撃離脱。彼ら三悪霊はおろか化物じみた強さを誇るバシャーモが対応しかねる唯一の武器であったそれが瓦解した状況では逃げることすらままならない。せめてもう一度自身達の有利な場を作らなければ。
 と考えているのを理解している彼は、ガブリアスの絶叫じみた指示が発せられるのとほぼ同時にそう言って力を周囲に展開する。
 彼の力を注ぎ込まれた影が総て彼の眼と化す。広範囲へと展開しギョロリと視線を巡らせる黒い眼差しは汎ゆる逃走の術を見逃さない。
「うざってえ砂埃が無いからよく視える。でかい雑魚が二に、マシなでかいのが一。奥に人間二。その周囲に小さいのが……八。『坊』、」
「応、『兄者』。強い方は任せろ」
「話が早い。雑魚の序に動きは止めとく。あっちだ。走れ」
 彼の言下、すぐさまに行動へと移す弟分(ヨノワール)
「あれ、『よの』何処へ?」
「おい。『ゆき』はどうすればいい?」
「あ? あの雑魚仕留めりゃ多分止まるから『カズヤ』に持たせてろ」
 そして彼も手近な影の中へと、とぷんと沈んだ。
 影から影へ超高速で渡りながら、彼は自嘲する。人間なぞ区別する必要などは無い。だが、何故あの人間の雄の事を名前で呼んだのか。そしてその人間と忌々しいバシャーモに大事な妹分の身を任せたのか。
 辺りを砂埃舞うムカつく天気にした苛つく馬鹿共を磨り潰すことにした。ただそれだけな気もするが、それこそ砂粒一つ程度だが違う何かが混ざり込んでいるような気もする。
 わからない。
 わからないが、どうでもいい。
 確かなのは。喧嘩を売ってきたこの馬鹿共への、この殺意。
「よう」
「は?」
 一瞬の内に、彼は肉眼では捉えられない程に離れた距離に居た一体の眼前に出現する。
 自身の影から現れた彼を見て唖然とする巨躯の怪獣バンギラス。それが動き出す前に、思い切り殴りつけ、更にそこから念波を叩き込んで動きを阻害。
 先の鮫竜よりも更に強固な外皮をもつそれを流石に一打で仕留めきれない。が、放射状に鎧めいた外皮に罅が入る程度には痛打を食らわせ、その巨体が数歩後退したたらを踏む。
「この!?」
 そしてバンギラスが復帰するその合間に。彼は再び影の中へととぷんと沈んだ。思った通りにタフ過ぎる。苦戦はしないが仕留めきるのに時間はかかる。その合間に遥か後方に陣取る人間達が逃走する。だから彼は金縛りによって砂嵐の使用を妨害するに留めて弟分に後は任せる。
「――?!」
 そして次の瞬間には、また別の敵の影から出現し殴りつけ、止めに砂をその巨体から吐き出していた相手の生命力を吸いきって殺害。そして直様にまた影へと潜る。
 そしてまた、ゴーストダイブ(奇襲)からのギガドレイン(追撃)によって再度砂嵐を展開しようとしていた二体目のカバルドンを屠った彼は、未だ進撃を止めずに影から影へと驀進する。
 そして。
 彼は最奥に位置取っていた人間達の眼前へと出現した。
 不意を突いても良かったが、喧嘩を売ってきた身の程知らずの馬鹿(人間)共の顔を見てもみたかったので、手近な影から飛び出した彼は宙に浮かんで自身を見上げるそれらを吟味する。
 四輪で駆動する【車】と云うらしい金属と樹脂の塊にはめ込まれた硝子越しに、目と口を丸く広げた二匹の人間の雄をしげしげと眺める彼。
 それらがどんな格好をしていて、どんな顔をしているのか等は彼にとってはどうでもいい。どうでもいいが、『カズヤ』とは比べ物にならないほどに生気に満ち満ちていて瞳には覇気が溢れているな。とそう思った。
 そんなどうでもいい事を彼が考えている合間に、車内の人間の片方が何やら叫ぶ。
 言下に、宙を浮かぶ彼を中心に円を描く様に人間の下僕と化した異形達が陣形を展開する。
「『ピカチュウ』、ボルテッカー! 『ミミッキュ』、シャドークロー!」
 そしてその内の二つの影が一つは紫電を纏いて、もう一つは影色の獣爪を作り出して襲いかかってくる。
 ユキメノコの自身を顧みない冷気の放出は至近での極寒程ではないがここまでも影響を及ぼしており、地面は凍りついている。それを電気鼠は踏み割って跳び上がった。もう片方の姿を似せた異形は凍りついた樹木を足場に彼へと跳躍し肉薄する。
 尋常ならざる勢いで突撃してくるピカチュウ。その反対方向からは、相方の電気鼠に姿を似せた何かが周囲の影を分厚く鋭い爪へと変えたものを構えてふわりと来襲。
 それを。
 先ず、眼が潰れるのではと思える電光を纏って突撃してくる電気鼠をそれ以上の紫電を纏った拳で迎撃。鈍い打音と共に肉が潰れ骨が砕ける音が辺りに響く。真っ向から打ち据えられたピカチュウは、一瞬前の軌跡を逆再生でもする様に真っ逆さまに墜落する。
 視線は地面へと激突したそちらへ向けたまま、逆の手に生やしたシャドークローが同じく影色の獣爪で彼を引き裂こうと迫るミミッキュの躰を貫いた。衝撃でその人形めいた首が飛ぶ。
 それで終わりではない。彼は大きな口を三日月の様に大きく歪めながら拳を振るった方の腕を天に挙げ、そして地面のピカチュウへ向けて振り下ろす。そうして放たれた落雷めいた電撃は、既に瀕死のそれへと直撃。断末魔すら許さずにオゾン臭と肉の焦げた臭い、それと所々炭化した肉塊のみを残してその他一切生命と呼ばれるものを欠片も残さず消し飛ばす。
「――――――――ッ!!」
 その蹂躙の直後。躰を鋭く長い爪に貫かれている、頭部も千切れ飛んだ筈のもう一体が言葉にならない絶叫を上げながら下半身から鋭い影の爪を生やした触手を勢いよく伸ばしてくる。
「嗚呼。手応えが薄いと思ったら。そっちが本体か」
 超至近での決死の反撃を。彼は鼻で笑いながら、シャドークロー越しに電撃を流し込んで沈黙させた。
 展開した爪を解いて、動かなくなったミミッキュを地面へと落とすと同時に、彼はその他六体が円陣を敷いたその中心へとふわりと舞い戻る。
「それで? お前らは何もしないのか? ……嗚呼、後ろの人間の指示が無いと動けないのか」
 「良いぜ。お前達の御主人様が何か言うのを待っててやるよ」なんてケラケラと笑いながら、くるりと回転し六体の赤い角を生やした球体状の躰に盾でも構えた様な姿の異形達総てに視線を回して彼は言う。

「だが流れ弾に気をつけろ? ――妹分の癇癪がまだ収まってねぇらしい」

 「地面に根を張っているんじゃなけりゃちゃんと避けろよ?」と彼が言い終わる前に、遥か彼方から乱射されたらしい極低温の光線の一つが、空気を凍てつかせて細氷を散らしながら飛んできた。
「げ?! 『ヘイチョー』後ろだ避け――」
 予想外の所からの冷凍ビームは、六体の内で最も角の大きな個体の背後から飛んでくる。それを見た人間が驚愕と共に叫ぶ。
「嗚呼、何か言ったな?」
 宣言どおりにそれの御主人様が指示を出すのを待ってやった彼は、『ヘイチョー』と呼ばれた個体を念動力でその場に固定した。
 結果。触れたものを凍てつかせる光はその円かな躰に直撃し、凍結。そしてそれを彼はサイコキネシスで握り潰した。グシャリと凍った果実でも潰す様に簡単に凍った丸い躰が凍った肉塊に変貌する。
 ざわめく配下の五体達。陣形も保てず狼狽していると。
「落ち着け『タイレーツ』!」
「そうだ落ち着け? ――直ぐに同じところに送ってやるから」
 その様子を見て車の中から叫ぶ人間。その言葉を真似てニタリと笑った彼は、両腕を広げ、開いた掌を軽く握った。
 その動作に同期する様に、五体の異形達は周囲に展開された強力な念動力によってグチャリと握り潰された。
「――ッ」
「ッひぃ」
 『タイレーツ』と呼ばれた異形達の赤い飛沫が、人間達の乗る車に嵌められた硝子にビチャリと付着する。一瞬で辺りには鉄錆(てつさび)と生き物の焼けた臭いが充満する。
 薄紙でも突き破るかのように容易く下僕を屠られた人間達は、顔を引き攣らせながらもどうにか動き出す。唸りを上げて動き出す車。
 それと。
「『ドラパルト』! ドラゴンアロー! そいつをどうにかしろッ!!」
 車を操作していない方の人間が金切り声で絶叫する。
 直後に。
「イヤッホォォオオオウ!」
「キャッハァァァァアア!」
「あ?」
 形振り構わず今更の逃走を図る人間達を目で追っていた彼へ向かい、場違いな位に陽気な叫びを置き去りにしながら超高速で何かが迫る。
 凍りついた樹々の合間を縦に横に縫う様な複雑怪奇な軌道を描いて、そして速度は一切落とさずに瞬く間に肉薄してくる二つのそれは、小型の竜種――ドラメシヤ。別種であるガブリアスとは比べ物にならない程に非力な異形(ドラゴン)だが、しかし空を音を超えた速度で縦横無尽に飛び回り迫る飛翔体と化したこれは、驚異である。
 人間達から視線を切り、ち、と舌を打つ彼。ふわりと宙へと浮かび瞬時に生み出した数多の影球で全方位へと迎撃を図る。
 彼を中心に数百数千に及ぶシャドーボールによる弾幕が放たれる中。
「ハッハァア! フゥウウウウウウッ!」
「キャハハハハハハハハハハハハハハ!」
 二体の小霊竜は狂った様な笑いを置き去りにしながらその間隙を突破して影霊たる彼に突撃。大型の弩砲の放つ矢の如く、彼の躰を貫かんと小さな竜種が肉薄してくる。
 だが。一つ一つが致命傷を与えられる威力のシャドーボールが空間を埋め尽くす程の斉射を避けきる事は出来る筈がなく、片方のドラメシヤの腹に直撃。ぼ、と外も中身も弾け飛んで二つに小さな躰が分割させられる。
「ハハハハッ! 愉しかったぜじゃあな『ママ』! 『きょうだい』!!」
 苦悶の声も表情も無く、笑いながらそう言い残して怒涛の如く押し寄せる影の砲弾に飲み込まれて塵一つ残さず消え去った。
 残るもう一体は。
「キャハハハッハハハハハハッ! 最ッ高!!」
 『きょうだい』の死も正気も狂笑も何もかもを置き去りにして、驀地(ましくら)に彼へと突き刺さるという矢としての役目のみを全うする為に更に加速した小さな竜は、致死の弾幕を遂に突き破った。
 無論無事であるはずはなく、頭の半分は消し飛んで、両の前脚も千切れて飛んだ満身創痍。しかし微塵も速度は鈍ること無く矢と化した竜(ドラゴンアロー)が飛んでくる。
 瞬きよりも速く。眼前に迫る一矢。
「最高に気持ちが(わり)い」
 それを彼は。
 左右から展開した強力な念動力で叩き潰した。
 「ピギャ」という声というよりは音に近いものを残して二体目のドラメシヤが絶命する。
 襤褸(ぼろ)の様になった小霊竜の死骸には目もくれず、再び彼は車に乗って逃げていった人間達の方向へと視線を向ける。その内の片方の男が指示を出した『ドラパルト』と、今屠った『ドラメシヤ』が別の個体だとは外来の異形をあまり見たことのない上に人間達が呼ぶ種族名など知らない彼には知る由もなかった。
 だから。宙に浮かぶ彼の足下の空間が歪んだ事にも気が付かない。
「『がが』!! 下だ!!」
 遠く離れている筈なのによく通る、忌々しい異形の雌(バシャーモ)の声。常とは違う切羽詰まったような声色のそれに、思考を回すよりも早く彼の躰が反応する。
「あら?」
 奇襲を察知された事に驚きながら、宙に浮遊する彼の真下の空間からずるりと現れる異形。先のドラメシヤは勿論、ガブリアスよりも巨躯の竜種、霊竜ドラパルト。
「まあいいか」
 気が付かれた事を気にする事もなく、爬虫類めいた躰から生えた長く太い尾をくねらせながら異様な不気味さを纏った霊竜が真下から突撃してくる。
「――――ッ」
 彼は気がついた。反応した。だが距離が近すぎて、そのゴーストダイブの速度が速すぎた。
 ドラパルトの特徴的な鋭利な翼めいた頭の突起の先端が彼の躰にめり込んで、そのまま躰を切り裂いて飛び去って――
「待てや。何処行くんだ手前(てめ)ぇ」
 ――行こうとするのを尾を掴んで阻止する。浅くない傷から血飛沫のように闇色の霧が噴き出すのもそのままに、ぐん、と力づくで巨躯の竜種を引き寄せる彼。
「そりゃあ、あたしの愛らしくて可愛らしい、か弱くて愚かな『トレーナー』の元にだよ。あんたが他のを全部()っちまって、あの子にはあたししか居なくなったからね。とても良い顔をしていると思うんだ。だから放してくれるかい? 道を踏み外して、襲った相手の力量も見誤って足をすくわれた愛しい愛しい滑稽な莫迦の泣いている顔を早く見たいから。それに、致命傷じゃなくとも深手だよそれ。あんたも自分の『トレーナー』に手当してもらうといい」
 彼のギョロリとした眼で睨まれても、じっとりとした目つきで笑いながらそうドラパルトは返してくる。
「趣味が悪いな」
 己とは別の方向に壊れている目の前の雌の言葉に、思わず彼が零すと、
「おや、あんたは趣味が良いのかい?」
「お前よりはな」
 ふぅん? とねっとりとした雰囲気で睨め付ける様に彼を見やるドラパルトに心底苛ついたので、彼は掴んでいた尾をそのままに大量の影球を自身の周りに展開した。
「まあいいや。死ね」
「それは嫌だね」
 間髪入れずにその全てを射出する彼と、ニヤリと笑って掴まれた尾をくねらせて拘束を解き脱兎の如く逃走を図るドラパルト。
「残念だが勝てそうにないから、あんたみたいのを連れている趣味の良い人間の顔を拝んでおさらばさせてもらうかね!」
 そう言い残して、『カズヤ』の居る方向へとシャドーボールの直撃を避けつつ凄まじい速度で飛んでいく。
「ああそうかい。その隣には『化物』が居るからよろしく伝えてくれ」
 影色の砲弾の掃射を止めた彼は、伝える相手が消えた言葉を独りごちてそれを見送る。
 己に弓を引き、言動も苛つかせる相手だったがそれを追うよりも逃げた人間達を追いかけたい。そう思っている事に彼自身、困惑する。一体何をその人間達に求めているのか。何であってほしいのか。或いは何であってほしくないのか。わからない。わからないが、今はこれを優先する事にする。そう決めた。
 よって、彼は再び辺りの影に力を注ぎ込んで己の眼として、追跡を開始する。
 そしてそれは呆気ない程に簡単に見つかった。唸りを上げて四輪を駆動させて転がるように山道を走るそれを確認し、そちらに飛ぼうとした彼の黒い眼差しに思わぬ者が映る。
「あ?」
「『がが』、無事だな」
 それは忌々しい鳥人バシャーモの『ちゃちゃ』。そこそこ離れた地点を彼へと向ける駆けている姿を見つけた数秒後には、その強靭な脚で彼我の距離を走破して眼前に現れた。
 見てわかる程に深い傷を負っている彼を一瞥してそう言ってきた怨敵の三本爪の手には、上下が紅白に分かれた球体――モンスターボールが握られており、肩からは何かが包まれているらしい布を背負っている。
 そして、上半分が透けている球体の中には見覚えがある竜が収められていた。
「ああん? そいつどうした? 『カズヤ』の顔拝みに飛んでった筈なんだが」
 そう。収められていたのは先程逃げていったドラパルトである。早すぎる再会に理解が追いつかず彼は問う。
「ん? 何の用が? まあいい。『カズヤ』の指示でな、生き残りが居たら治療してもらうからと回収を頼まれたので此方に向かっていたら、此奴が飛んできて攻撃してきたから迎撃した。『ゆき』と『よの』が倒した奴らも回収済みだ。お前が相手をしたカバルドンは既に事切れていたが、こっちで生き残りは居るか?」
「あーそうかい。……ああ? 何でお前が俺が殺した雑魚の居場所把握してんだ?」
「『カズヤ』が双眼鏡で見つけてたぞ。そういうのを見つけるのは大得意だ彼は。こいつのゴーストダイブに気がついたのも『カズヤ』だぞ。伝えたのは私だが。そして避けられなかったのはお前だが」
 何処か誇らしげに胸を張ってなにやら言ってくる、忌々しい化物の話を聞き流しつつも、
「あの小せえ声を山ん中で聞き取ったと。……まあいい。何だっけ生き残りだっけか? 居るのかね?」
 思わず言葉が漏れる。やはり『カズヤ』も目の前のバシャーモも意味がわからない。とうんざりした彼は話を戻し、死臭を放つ周囲の死骸に鬼火を点けた。
 充満する死臭に生き物の焼ける臭いが更に増す。
「ぅぁ」
 そんな虐殺の後の地獄の様な光景の中で紫色の炎に炙られた小さな異形が、小さく呻いた。
「ほう。雑魚のわりにしぶといな。おい『クソ鳥』居たぞ」
「あれか」
 頭部が千切れ飛び躰を貫かれて電撃を流し込まれたにも関わらず、それでも辛うじて生きていたそれを見つけ感心する彼と、特に何も思わないのか無感動な声で返し、背負った布の中から霊竜の入った物とは違う球を取り出して投げつける『ちゃちゃ』。
 不気味な炎に焼かれるほぼ死体と言っても変わりない『ミミッキュ』と呼ばれていた異形が、閃光と共にその中へと収められる。抵抗する力も残っていないようで一揺れもすること無く、カチとモンスターボールのロックが掛かる音が、その他の死骸が燃えて爆ぜる音に混じって空虚に響いた。
「うん。……ああ。『カズヤ』からだ。使え」
 『ミミッキュ』の収められた球を回収した『ちゃちゃ』がそう言ってまた背負った布の中に手を入れて取り出した物を彼へと放ってくる。
 受け取った白と桃色の容器に液体の入った人工物を彼がしげしげと眺めていると。
「【すごい傷薬】と云う。穴の開いている部分を傷口に向けて、その突起を引け」
 既に踵を返して歩き始めているバシャーモが彼の方を見ることも無く補足してくる。
「ふぅん? つーか、大事な大事な『カズヤ』を置いてきて良いのか? 『坊』と『お嬢』がこの隙にあいつを殺してるかもしれないぜ」
 傷薬の容器をくるくると弄びながら、彼女には見えないだろうがニヤリと笑って彼がそう言うと、
「『ゆき』は最後のガブリアスを倒して止めを刺そうとした寸前で力尽きて昏睡した。『よの』は【氷漬けにして粉砕したいから持ってきた】と瀕死のバンギラスを引き摺って戻ってきたから、先に『カズヤ』と一緒にポケモンセンターに向かっている。『カズヤ』に何かあると『ゆき』が死ぬと言ったから寧ろ彼を守って一緒に走ってるよ」
 振り返る事も足も止める事もなく、そう返してきたので彼は顔を(しか)めて、ち、と舌を打つ。
「私は、飛び散った荷物を回収してから『カズヤ』達を追うが、お前はどうせこいつらのトレーナーを追うんだろう? あまり遅くなるなよ」
 「ボール優先でかき集めたから、それ以外はほぼ手つかずでな」なんて続ける『ちゃちゃ』に、彼は噴霧式の傷薬を自身に掛けながら「俺の行動に一々指図すんじゃねえ」と吐き捨てて、手近な影へ、とぷんと沈み始める。
「……殺すのか」
 半ば以上が影の中へと沈んだ彼に、そんな言葉が飛んでくる。それには嫌悪も非難も憤怒も感じられなかったが、しかし真剣な色をしたものであった。
 だから。彼も正直に返す。
「わからん」
 ムカつくから追いかけて追い詰めて追い込んで殺す。その為に逃げた人間達を追う筈なのに、どうもそうでもないような気もする。牙を剥いた事に対する殺意も、逃げ出した弱者を蹂躙する悪意も満ち満ちてはち切れんばかりに己の内には詰まっている。だが、自分が何故、逃走を図った人間達を追おうとしているのか彼にはわからなくなっていた。呼吸する様に殺してきたのに、何故呼吸する(殺す)のか疑問に思ってしまったように。だから、彼にしては珍しく、素直に答えた。
「そうか」
 彼がそう返して影にとぷんと完全に沈む直前。忌々しい強さのバシャーモの雌がそう言ったのを彼は聞いた。
 彼女が何を思ったのかは彼には知る由もないし、何を思おうとどうでもいいのに、何故か耳奥に残響した。

@@@

 そして。影を渡って逃げた人間達へと瞬く間に追いついた彼は、唸りを上げて山道を走破する車を念動力で持ち上げると、中にいる人間(獲物)を凝視する。
 顔を引き攣らせた二人は彼に向かって何か言っているがそんな事には興味がない。
 こんな状態にも関わらず、やはり『カズヤ』と比べると感情も生気も此方の方が明らかに溢れているなと彼は思った。あの人間は己を殺そうとした彼とその弟分と妹分の三悪霊を前にしても、薄っすらと微笑むくらいしかしない。イカれている。壊れている。気持ちが悪い。理解が出来ない。恐ろしい。だから殺す。
 人間は生態系の頂点である。だから殺す。得体の知れない技術を用いて山を森を削り取って人工物へと塗り替える。だからそれを利用して殺す。異形達を率いて異形を狩ったりもする。だからその異形ごと殺す。
 だが、牙も爪も無い。炎も毒も吐かず雷も発さない。力も弱く肉体も脆弱。
 更に。この人間の雄達は彼の攻撃を避けることも出来そうにない。

 嗚呼。殺しても何も面白くないなこいつら。

 宙に固定された車の中で喚き散らす人間達を()っと観察して、彼はそう思った。
 彼の中の殺意が急速に萎んでいく。
 だから、車を浮かべていたテレキネシスを解除する。超常の支えを失い当たり前の結果として車は墜落する。
 重い音を響かせて落下し、転がり、横転してこれ以上の走行は出来そうにない。車体が(ひしゃ)げて、硝子の割れた窓から呻きながら虫の様に這い出てきた人間達のもとへ、彼は降り立つ。
 この獲物に対して抱いていた殺意は消えた。そう彼は自覚する。否。獲物ではなかったのだ。そして、刹那の愉悦に浸るための玩具にもなりえない。そう、理解する。
 明らかな恐怖に震える人間の瞳を影霊(ゲンガー)たる彼が覗き込む。
 別に彼が改心しただとか、生命の大切さに目覚めたとかそういうことでは決して無い。彼はこれまで通りの彼であり、今後も殺意も悪意も害意も周囲に撒き散らす存在であり続ける。
 これはただ、この人間達を殺す事が、あの意味のわからない人間(、、、、、、、、、、)を殺す事よりも優先してやるほどの事ではない、というだけ。そしてこれも、以降あのふざけた人間『カズヤ』を殺すまで人間を殺さないというわけでもない。そこまで彼は我慢強くないし、拘らない。只々、今この瞬間に気分が乗らなくなったというだけのこと。
 呼吸するように眼に映るものを殺してきた彼なのだから、気紛れに何故呼吸(殺害)するのかと考えてみたりしたとしても、それが治まる事なんて事はありえない。これからも息をするように殺していくし害していく。
 だから。目の前の弱者を殺す気は失せた代わりに溢れんばかりの悪意を込めて、ニタリと歪んだ彼の眼が妖しく光る。

@@@

「『工藤 一哉(くどうかずや)』さん、貴方のポケモンの治療が終わりました。どうぞ――で、なんなの? そう云う星の下に生まれたの?」
 ポケットモンスターと呼ばれる異形達の治療施設である、ポケモンセンターの職員である彼女は、傷を負ったポケモンの治療を終えて、そのポケモンの主であるトレーナーの名前を呼んだ。彼女は受け取りに現れた青年へとモンスターボールを渡すとそう言いながら溜息を吐く。不本意ながら知り合いでありこのポケモンセンターを拠点気味に利用しているその男は、朝にはこのポケモンセンターを()って次に挑戦するジムのある街へと向かった筈だった。それを見送ったという早番だった同僚との雑談をして「これでしばらくは彼が手持ちのポケモンに殺される場面に出会う可能性は無くなるのだな」と胸を撫で下ろした筈なのに、その日の夜には228番道路行ったわけでもでもあるまいに全身砂塗れで戻ってきた。深手を負った手持ちのユキメノコと、それ以上に死にかけた数体のポケモン達をモンスターボールに収めて。
「ああ、そうなのかもしれません。また縄張りに侵入(はい)ってしまったみたいで。あ。ありがとうございました」
 なにやら黄色い布を裁縫しながらカウンターに置いたボールを受け取る青年。
「歩きながら針仕事は止めなさい危ないから。……何作ってるの?」
「ああ、すいません。ミミッキュの被っていた物を『がが』がボロボロにしてしまったようなので代わりの物を、と」
「なるほど。意外と上手ね」
「旅を始めて何だかんだで長いので。大体の事は出来ます」
 苦笑しながら「ポケモンバトルは苦手ですが」なんて続ける彼に、どんな顔をしてどう返せばいいかわからず彼女は少し困ってしまう。
 特級クラスの害獣であったゲンガー、ヨノワール、ユキメノコを単身で降す事のできる相棒(バシャーモ)を連れていて、今回更にガブリアス、バンギラス、ドラパルト、ミミッキュと総じて見ただけで分かる程に力量(レベル)の高いポケモン達を捕まえてきたトレーナーの何処がバトルが苦手だと云うのか。
「はいはい。あー、そうだ。まあ怪我とかは大体治ってるけど、ユキメノコ、ガブリアス、バンギラス、ミミッキュはまだバトルさせないようにね。怪我が酷すぎるから。……というか六体超えてるけど全員連れてくの貴方」
 ポケモンバトルでトレーナーが使用できる最大は六体であり、基本的にトレーナーが連れているのもその数に合わせての六体。だが、青年は今回捕まえてきた四体を加えると八体になる。しかし、治療後も特に預けるような事もしない様子も無いので老婆心ながら尋ねてしまう。
「ああ、はい。ずっと『ちゃちゃ』とだけで旅をしていましたが、『がが』達が加わって賑やかで楽しいので」
 「ああ、でも僕達と一緒に行くのが嫌なら無理強いはしないですよ」と続ける青年の顔を彼女は少し見つめて、はあ、と息を吐く。
「安心しなさい貴方が捕まえてきた仔達は全員まとめてゲンガー達の時と同じで、貴方が【おや】にならないと殺処分行きよ」
「ああ、そうでしたか。わかりました」
 軽く会釈をして青年は、治療の必要がなかったバシャーモや、先に治療を終えたヨノワールやドラパルト、そしてゲンガーの居る待ち合いのスペースへと向かう。
 その頼りない後ろ姿を眺めていたら、
「ゲンガー達の時よりも厄介でしょうに。なーんであんなに余裕なのかしらねー?」
 傍らに寄って来たハピナスが背を軽く叩いてきて、「どうかした?」とでも云うように上目遣いで見てくるので、思った事を言葉にしてワシャワシャと桃色の相棒の頭をナース帽ごと撫でてやる。
 そう。何故かあの青年は気がついていないようだが、ゲンガー達の時とは違い、今回捕まえてきたポケモン達は明らかにトレーナーが育てたもの達である。野生だったものを捕まえて慣らすのと、他人が育てたものを慣らし直してバトルが出来るようにするのは別次元に難しいという。トレーナーのバトルのスタイルはそれぞれ違う。以前のトレーナーのそれに合わせていたのを修正するのだから当然か、なんてバトルには詳しくない彼女はそう思う。
 まあしかし。
「スタイルも何も無いんだから意外と厄介ではないのかしらん」
 彼のバトルはポケモンが勝手に戦うらしいので、そういう事は問題ないのかもしれない。
 しかしもう一つの厄介事。どちらかと云えば、彼女にとって、だが。こんな事なら詳細を聞かなければよかった。と心底に彼女は思う。そして、まだ、彼女は誰にもその事は話していない。面倒くさいから。
 それは。彼の捕まえてきたポケモン達がトレーナーに育てられたもの達であったとして、それが何らかの理由で捨てられたり逃げ出してきた結果、彼らを襲って捕獲された、というのならばまあ別に彼女としては構わない。しかし、そのポケモン達にはトレーナーが存在していて、そのトレーナーが悪意を持って彼らを襲い、返り討ちになったという場合。
 というか恐らくは後者なのだろう。
 青年の語った様な手口でトレーナーを襲い、そのポケモンを奪っていた犯罪者も思い浮かぶ。最近よく被害が出ていた。昨日、この青年とその友人の少女の会話に混じった際に話題にも出した。真逆(まさか)、昨日の今日でそんな事になるとは彼女も思っていなかったけれども。
 十中八九それに使われていたポケモン達。ならば然るべき機関へと通報するべきなのだろう。
 だが。
 と、彼女が思考を巡らせていると、待合スペースに設置されたテレビの辺りから大きな笑い声が響いてくる。
 何がそんなに面白いのかと思える程に楽しげな笑声を上げているのは、人ではない。(おお)きな躰に長い尾をくねらせて宙をもんどり打つ様に笑い転げる、ドラゴンタイプのポケモン――ドラパルト。件の青年が捕まえてきたポケモンの一体である。
 何がそんなに面白いのか、そのドラパルトの視線を向ける先を目を凝らして追ってみる。
 巨躯に邪魔されてよく見えないが、恐らくは設置されている大型テレビの画面を見て大笑いしている。そんなに面白い番組でもやっていただろうか、と彼女は考える。が、彼女自身あまりテレビは観ないし、ポケモンの、それもゴーストとドラゴンの複合タイプのものと感性が一致する気もしないので五秒もしないで止めてしまう。というか、
「今の時間帯ってニュースに合わせてなかったっけチャンネル」
 という事に思い至る。別に、利用者がチャンネルを変えても構わないのだが、わざわざ変える者も少ないので大体は職員が好みで合わせたものになっている。そして、今の時間帯は同僚が民放の報道番組に合わせていることが多い。ドラパルトや他の誰かがチャンネルを変えたわけでもなければ恐らくは今はニュース番組が映っているはずである。
 ならば、ニュース番組を観て面白がっているのか? そんな面白い報道がやっていそうな番組ではない。
 寧ろ――
「今日の午後――頃、逮捕――ポケ――強奪――連続――」
 ――恐らくは大笑いしているドラパルトのトレーナだったであろう連続強奪犯達が捕まったという報道を繰り返し流している。というか、青年達がこのポケモンセンターに戻ってきてしばらくした後に、その強奪犯が逮捕されたという一報が入ってから今日はそればかりである。
 誤認逮捕などでなければこれ以上そいつらによる被害が出ることはなくなるので、彼女としても良かった、とは思う。だが、別に犯人の生い立ち等は興味がない。
 しかし世間はそう思わないのか、捕まった二人組はエリートトレーナーとホープトレーナー等と呼ばれるような人間だったとか、道を踏み外したのは何故かだとか、ポケモントレーナーの闇などと色々な知らない知識人達が好き勝手言っている。
 そして。更に、逮捕された際の犯人達の様子がおかしかったようで、そちらについても頻りに報道されている。
 彼女も休憩時間に点いていたテレビを流し見したので、まあ確かにどういうことだろうかとは思ったが、しかし娯楽のように扱う様子は、あまり好ましくない。そうも思う。
 さて、どんな様子だったんだったか、と彼女はアナウンサーが語った内容や、繰り返し流される目撃者の撮影したという動画を思い出す。曰く。
 歩くことも出来ず這うのがやっとのぼろぼろの状態で発見、というか不審に思った警官に職務質問される。心配されるよりも怪しまれる異様な状態だったらしい。
 錯乱し、「みんな死んだ。殺された。あいつが追ってくる。逃げても逃げても追ってくる。走っても走っても進まない。すぐ後ろに居る。足下に居る。影の中からあいつが覗いている。何日も何年も走っているのにあそこから抜けられなかった。此処は何処だ。今は何時(いつ)だ。あいつは追ってきているのか。俺達は逃げられたのか。お前は生きているのか。俺達を殺すのか。あいつらのように。あいつらのように!」など意味不明な言動を繰り返す。
 薬物の使用の疑いで連行され、反応は出なかったがポケモン連続強奪の犯人だと発覚し逮捕。家宅捜索で奪われたポケモン達の一部が無事救出されたが、売買ルートに流れたものも多く行方などを捜査中。男達の手持ちのポケモンは一体も発見できず、男達が繰り返す「殺された」は手持ちのポケモン達のことではないか。
 まあ、話題にしたくもなる状態ではある。そして、ここからが特に彼女にはよくわからない。
 恐らくはあの青年『工藤 一哉』一行を襲い返り討ちにされた筈なのに、彼らが向かった方向とかなり離れた場所で発見されている。このポケモンセンターはハクタイシティが一番近い。そして彼らはハクタイシティを通り過ぎてシンオウ地方の西にある残り二つのジムへ向かっていた。
 しかし、男達が現れたのは東に位置する街であるトバリシティ。反対方向だし、此処からですら遠すぎる。移動手段無しの徒歩だけで彼らを襲った後に逃げ出して、今日の内にトバリに到着出来るとは思えない。、
 自らの躰を顧みずに限界を超えて全速力で走り続ければ距離も時間も矛盾なく辿り着けるのかも知れないが、そこまでして走り続けるなんて正気ではない。まあ確かに発見された男達の状態は、正気は欠片も残さず一掃されたようなものだったようだが。一体何が起きて、或いは何をされて彼らにそこまでさせてでも【逃げよう】と思わせたのか。
 と、ここまで考えて彼女は面倒くさくなって、ふ、と考えを改める。
 あの青年も。その相棒のバシャーモも。害悪極まりない悪霊(ゴーストタイプのポケモン)達も。この件とは関係が無かった。偶然、手練のポケモントレーナーに育てられたのであろう凶暴なポケモン達が野に放たれ、共謀して彼らを襲ったのだ。
 と、彼女はそういう事にした。面倒くさいから。
 彼の話を全面的に信じるならば、通りすがりの人間を連携して狩りに来る、危険極まりない野生のポケモンは彼が捕獲してきたもの達以外は絶命している。これは彼を守護するバシャーモと、喧嘩を売られたら容赦無く擦り潰すだろう悪霊達が一体も逃がす筈がないので、そうなのだろう。よって、危険な害獣は先んじて駆除された。生き残った方も、今の所、害悪極まった悪霊達を従えて五体満足にジムバッジを集めている彼なので、手に負えなくなって野に逃がすなんて無責任な事はしないだろう。と彼女は考える。
 うん。それでいい。と、色々と思考した彼女はそう結論づけた。だって面倒くさいから。
 捕まった男達の方も、チャンピオンロードでトレーナーを襲おうと侵入して潜んでいたところを、其処に生息する野生のポケモン達に襲われたのだろうという見解で進んでいるらしい。それはそれで危険なポケモンがチャンピオンロードに居る可能性があるという事になるが、そもそもチャンピオンロードは高レベルのポケモンが生息している危険地帯なので自己責任ということなのだろうか。其処の管理不足がどうのとかに発展しそうだな。なんて名も知らぬ担当者を憐れみつつ、彼女は仕事からの一時の逃避を切り上げる。
 なので、彼の捕まえてきたドラパルトが、何故ニュース番組を観て笑い転げているのかは彼女には(つい)にわからなかった。
 向けていた視線を切って、「何をぼーっと考えているんだ。仕事しろ」とでも言いたげなハピナスに「はいはいごめんなさいね」なんて謝りながら業務に戻ろうとした彼女に、
「すいませーん!」
「……すいませーん」
 元気いっぱいな少年と、控えめな声量の少女から声が掛けられる。
「はいはい何でしょう。ポケモンの治療ならあっちで受付よ?」
 ポケモンを貰いたて、或いは捕まえたてだろう子供だったのでどうせ治療の受付だろうと、場所を示した彼女だったが、
「違うよ! おれ達のポケモンの事を教えてくれるって聞いたから来ました! 教えて下さい!」
「お兄ちゃんの『紅蓮華(ぐれんげ)』くんと、わたしの『よあそび』ちゃんのこと教えて下さい……!」
 と、いうことらしい。身近にポケモンに詳しい人間が居ない場合もあるので、ポケモンセンターやトレーナー用品を売るフレンドリィショップ等には様々なポケモン達の簡易的なデータベースシステムが備わっている。それを彼らは見せて欲しいということだった。
「ああ、なるほど。でも『紅蓮華』と『よあそび』が何てポケモンか教えてくれないとちょっと無理かな。というかもう夜遅いんだけど、君たちだけ?」
 もう二三時を過ぎている。件の青年の友人の天才少女『西園寺 彩華(さいおんじあやか)』の様に十代前半で旅に出るような者も居るには居るが少数派であるし、そもそもこの子供達はそれよりも更に幼い。保護者が付いていてもいいものだが、と彼女は周囲を窺うもそれらしき姿はない。
「パパは外の車で待ってるの。【将来、旅に出る練習な】って……」
「おばあちゃんちから家に帰る途中のラジオで言ってたから寄ってもらったんだ! あ、『紅蓮華』はこいつ!」
「『よあそび』ちゃんはこの子です……!」
 ということらしい。そして小さい手で持たれたモンスターボールから、それぞれのポケモンが呼び出される。妹の方は何処から取り出したのか厳ついガスマスクを装備している。
「おーけぃ。『アチャモ』と『ゴース』ね。ちょっと待ってなさい。というわけだからハピナス(あんた)はあっちの仕事を先によろしく」
 その姿を確認して、彼女は奥の棚にしまわれた端末を取り出してきて子供達に画面を見せながら操作する。
 別に、システムにアクセス出来る端末を貸し出してしまえばいいが、サボる良い口実なので彼女は子供達の相手をすることにした。相棒(ハピナス)不承不承(ふしょうぶしょう)な様子で仕事に戻っていく。
「じゃあ、まずは『アチャモ』……『紅蓮華』ね。えぇと――」
 曰く。
 トレーナーに、くっついてちょこちょこ歩く。口から飛ばす炎は摂氏千度。相手を黒コゲにする灼熱の玉。体内に炎を燃やす場所があるので、抱きしめるとぽかぽかとっても暖かい。全身ふかふかの羽毛に覆われている。周りが見えなくなる暗闇は苦手。等など。
「だってさ。覚える事が出来そうな技はこれね」
「へー。フレアドライブとか、カッコいい! 覚えられるように頑張ろうぜ『紅蓮華』!」
「がんばれー。それで、強くなるとワカシャモに、更に強くなるとバシャーモに進化します。丁度あの男の人が連れてるアレね。あの背の高いの」
 ちょうど良く、実物が居るのでそれを指す。少年と、その相棒のアチャモはそれを見て眼をキラキラさせている。
「それで、次は『ゴース』、『よあそび』ね」
 そちらから一旦視線を移して、次は妹の方。
 曰く。薄いガスのような体でどこにでも忍びこむが、風が吹くと吹きとばされる。ガスでできた薄い体は、どんな大きさの相手も包みこみ息の根を止める。強風を受けるとガス状の体はみるみる吹き飛ばされ小さくなってしまう。風を避けたゴースが軒下に集まる。毒を含んだガスの体に包まれるとだれでも気絶する。等など。
「ゴースの時点で物騒な事しか書いてないわね……」
「『よあそび』ちゃんはブリーダーさんから【危ないって云われる仔だけど、愛情たっぷりに育てれば大丈夫】って言ってたから大丈夫です! ガスマスクもあるし!」
 ぐ、と力を込めてそう言われてしまった。野生の状態だと述べられているような生態をしている事が多いが、ブリードされた個体ならばそれも薄まる、こともある、らしい。取り敢えず、当の『よあそび』と名付けられたゴースはガスマスクをした少女にも、その隣の兄とアチャモにも襲いかかる事もなく自身のガス状の躰を制御して適切な距離を取っている事からも大分人馴れしているのだろう。
 ……というか、ゴース種のブリーダーなんか居るんだな。と彼女は人知れず感心する。
「なら良かったわ。末永く仲良くね。後、あまり聞いたこと無いけど『紅蓮華』の火の粉でガスに引火とかあるかも知れないから気をつけてね。……それで、覚えそうな技はこれね」
「はい……! シャドーボール、覚えられたら良いね『よあそび』ちゃん」
「がんばれー。それで、この仔も二回進化する可能性があります。まずはゴースト。これね。それで、その後にゲンガー。……あー、それもバシャーモを連れたあの男の人が連れてるのよね……。あの大きな一ツ目のや爬虫類ぽい大きいのじゃないやつ。丁度、男の人にシャドークローで襲いかかって――バシャーモに叩きのめされてるやつ」
 兄同様に自分の相棒の最終進化系を見れるとガスマスク越しでも嬉しげに、そちらを向いた少女が続く彼女の言葉と視線の先の光景に「え?」と固まる。序でに人懐っこそうなゴースも口をあんぐりと広げて動きが止まった。
「まああれは野生でいた期間が長かったぽいのと、それ以上にそういう性格だと言う他ないのよねぇ。進化したら貴女の『よあそび』がああなるというわけではないから安心して、あれ見てショックを受けるゴースなら大丈夫よ」
 取り敢えずフォローを入れておく。適当に言っているわけではなく、『よあそび』の様子が本当に毒気の無い、悪意も殺意も宿していないものだから故に彼女は言っている。
「大丈夫だよ。『よあそび』めっちゃ優しいじゃん。――ありがとうございましたお姉さん! ……ねえ、あの人にバシャーモとかゲンガー近くで見せてって言ったら見せてくれるかな?」
「ありがとうございました……。うん。『よあそび』ちゃんとあの人のゲンガーは別ポケなんだから性格も違うよね……! ――私もゲンガーのお話聞きたい! シャドーボール見たい……!」
 正直知ったことではないので、
「まー見せてくれるんじゃない? あー、でもバシャーモから見える方から声をかけながら行きなさい。それで、バシャーモから離れないこと。ゲンガーには近づかない。離れて見る。あと、シャドーボールは危ないから見せてもらわない。おーけぃ?」
 後はあの青年に丸投げする。しかし何かあっても困るので、害悪極まった悪霊には近づかないように強めに注意しておく。
「「はーい!」」
 そして相棒のポケモン達と共に、青年一行の元に駆け出していく兄妹。
 元気一杯に声をかけてきた年少の初心者トレーナー兄妹とその相棒の二体に、困惑しつつも頼りない笑みを浮かべて相手をし始めた青年の様子を遠目に見て、彼女は微笑しながら使用していた端末を回収する。
 画面には最後に見ていた影霊ゲンガーの情報が表示されている。
 曰く。
 山で遭難したとき、命を奪いに暗闇から現れることがあるという。
 満月の夜、影が勝手に動きだして笑うのはゲンガーの仕業に違いない。
 生命を奪おうと決めた獲物の影に潜り込みじっとチャンスを狙っている。
 夜中、人の影に潜り込み少しずつ体温を奪う。狙われると寒気が止まらない。
 部屋の隅に出来たくらがりで生命を奪うタイミングをひっそりと窺っている。
 暗闇に浮かぶ笑顔の正体は、人に呪いをかけて喜ぶゲンガーだ。
 突然寒気に襲われたら、ゲンガーに狙われた証拠。逃げる術はないので諦めろ。
 全てのものの生命を狙う。主であるトレーナーにさえ呪いをかけようと狙っている。

 ゲンガーの絆は(いびつ)。ゲンガーが獲物として狙う相手としか芽生えないとも。

 fin.
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秋桜 ( 2021/08/29(日) 18:18 )