闇夜の決闘
※流血表現があると明記しておくのを忘れてしまいました。それが大丈夫だという方は◆から先にお進みくださいませ。
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他者を好きになるとは、時に残酷なものである。愛の向きが双方向なら全て丸く収まるのであるが、この向きや数が違うだけで一気に全てが狂い出す。そして、ポケモンと言う生き物には種族の違いが確かに存在し、そのせいで子孫たるタマゴが生まれない組み合わせというのがあるのだ。例え愛が双方向であっても、生物の本能に従おうとも、その点では報われない愛となる。だが、そんな種族の違いなど忘れ、ただただ異性に一目惚れしてしまったザングースには、そんな事は些細な要素でしかなかった。
彼が運命の出会いを果たしたのは、宿敵であるハブネークとの死闘を終え、体を引きずるようにして花畑に辿り着いた時の事だった。太陽の恵みを全身に受けながら踊る花の精のようなキレイハナに、一瞬にして心を奪われてしまったのだ。傷だらけのザングースの姿を認めたキレイハナは一切の警戒心を持つ事無く近づいてきて、近くにある薬草で治療を施してくれた。その無償の優しさが、ザングースの心をより惹きつけたのだ。熱心に介抱される間に薬草の知識も教えてもらい、一方で執拗に傷の原因を聞いてくるものだから、ザングースは自分の経歴を話し始めた。別段自慢したがりと言うわけでもなかったが、不思議と彼女の前だとありのままでいられた。どれも受け入れるには覚悟のいる、血に塗れた過去ばかり語ったが、キレイハナは嫌な顔ひとつしなかった。むしろ終始哀しげな色を浮かべながら、拒む事無く興味津々で聞き続けてくれた。純粋なる好意をキレイハナの方からも寄せていたのだ。そこから本格的に、お互いに想い始める事となる。
宿敵に襲われる事のなくなったザングースは、時間を見つけては定期的にキレイハナの元に足を運んだ。キレイハナに教えてもらった植物の知識を活かし、自分でも似合わないと思いつつも、木の実や花束を持ち寄ってプレゼントする事が多かった。中でも細かい作業をするには不向きな手で、不器用ながらも完成させた花の冠を見せた時は、嘲る思いの一切篭っていない、純粋な喜びを示す満面の笑みを見せてくれた。共に過ごす一時は夢見心地で、時間が過ぎるのさえ忘れるほどに幸せなものだった。
だがそこで突如として、二匹の関係を壊すように思わぬ恋敵が現れる事となった。その相手は、鋭い爪と目付きは似ているが、体色が正反対の夜型のポケモンだった。キレイハナとは何から何まで対照的であったが、そこに魅力を感じたのだろうか、闇に蠢く猫は求愛を始めたのだ。拒む術を持たぬキレイハナは、それを受け入れざるを得なかった。それは同時に、ザングースの逆鱗に触れる事となる。
あんなに好きだった相手を、易々と奪われてたまるものか。ボクが介抱されながら彼女と育んだものは、お前ごとき単純なやつに分かりっこないものだ。だから、彼女を守るためにも、ボクはあいつに命懸けの決闘を挑む――。ザングースの決意は揺らぐ事無く、愛する相手から離れたのを見計らい、すぐさま大事な二つを懸けた奪い合いを始めたのだった。
闇夜に紛れて動く二つの影は、時折交差して金属同士がぶつかり合うような小気味良い音を度々上げていた。がさがさと頻りに茂みを揺らすのは、不穏な空気を纏って戦闘の場を吹きぬける疾風か、月光に照らされながら動き回る彼らのどちらかであった。
長く続いた林地帯を抜けたところで、次は平原に躍り出て、幾分か視界の開けた場での戦いに移る。片方が暗闇に同化しそうな体色に血のように赤い扇状の飾り羽を頭部につけた猫のような姿なら、相対するのは月明かりに照らされて目立つ真っ白の体毛と紅の体毛の二種類を持つ鼬のような姿をしている。体格的に大差のないこの二匹は、お互いに夜目が利くというところまで似通っている。故に漆黒の中では一際目を引く白い鼬の方が、この時間帯においては不利を強いられていた。
だが、体色による差などどちらも意に介さない。一刻も早く決着を着けたくてうずうずしているのだ。最初は両者ともじりじりと詰め寄って間合いを計っていたが、マニューラが対峙し続けるのに飽き、素早く地を蹴って肉薄、鈍い光を放つ鋭利な鉤爪を振り下ろす。ザングースに後ろに身を引かれて爪が空を切るのは想定の範囲内である。こちらはあくまでも囮。本命は後ろ手に形成していた微小な氷の粒の方だった。これを隙と見たザングースの反撃が到達するよりも早く、溜めていたもう片手を解放して煌く水晶のような弾丸を撃ち出す。間一髪のところで“みきり”を発動したザングースだったが、予想外の軌道に一撃もらってしまった。頬を掠めて白が赤に染まるより前に、今度こそがら空きのマニューラの腹部を蹴り飛ばす。体勢が悪くて急所に上手く決まらなかったが、少なくとも距離を置く事には成功する。マニューラも片手で腹部を押さえ、つまらなさそうに舌打ちをする。
脚力と攻撃の鋭さではマニューラの方が一枚上手であった。代わりにザングースに分があるのは、剛腕による力強さと頑丈さ。故に貰っている傷の数であればザングースの方が多いのであるが、体力的には拮抗していた。どちらも良い具合に息を切らして興奮状態にありながらも、まだまだ戦意は衰えておらず、体も自分の意志に十二分に従うだけの余裕を維持している。
不意に風がおとなしくなり、完全なる静寂が場を支配した。何にも邪魔されない、最高の舞台。薄雲に隠れた月が放つ淡い光が情趣をもたらすが、それも状況が変わればの話である。凛とした眼差し同士がぶつかり、爪戟の嵐が始まった。
マニューラが右腕を突き出せば、ザングースは左腕で以って受け流す。腕に掠り傷が付くのはこの際気に留めていられない。すぐさま空いた方の腕で攻撃を叩き込もうとするが、マニューラも余裕のある腕で横に薙ぐ。今のでザングースの爪が上手い事マニューラの左腕を掠めた。肉を削ぐまでには至らないが、それを望むのは贅沢というものだと割り切る。何しろ体勢を崩されたのはザングースの方だ。伸びきっていたはずのマニューラの腕が既に次を放つための位置に戻っており、すかさず次の一手が飛んで来る。攻撃の軌道を前以って読めたお陰か、すんでのところで身をかわしたところで、息を吐く暇も与えず爪が迫り来るのが視界の端に映る。咄嗟に身を捩じながら空いている腕で庇おうとするが、気がつけばザッと腹部を裂く音が耳に届いていた。
理解するよりも本能のままに、後ろに素早く跳んだ。距離を取って熟考する時間を得たところで、今のは“だましうち”だという結論に至る。幸いにも体の角度が傾いていた事もあってか、深い傷には及んでいない。マニューラは決まったと思った一撃の予想以上の浅さに、不服そうにしながら爪に付着した赤い液を一舐めする。
技の多彩さでもマニューラの方が一歩上を行く。だが、一撃が致命的になると悟っているマニューラは、攻撃を受ける側に回る時は必要以上に慎重になっていた。付け入る隙を見せるまいと気を取られているせいで、攻撃を仕掛けるまでに聊か臆病になっている節がある。故に判断さえ誤らなければ、今のように深手を負わずに済むのであった。だが、今のは見過ごせない類の一撃であるのも事実。傷に染みるのを覚悟で、口に含んで柔らかくしていた薬草を傷口に塗り込む。一瞬苦痛に顔を歪めるが、一時の激痛よりも、この傷が後に響かないようにするのが優先だと言い聞かせて堪える。まだ、一部を赤く濡らした程度である。音を上げるにはまだ早い。
「お前、名前は?」
戦いを始めてから初めてマニューラの声を聞いた。最初は答えるのも馬鹿馬鹿しいと思ったが、名前くらいは告げておいても損はないと判断してザングースも応じる。
「ビャクヤ。お前の方は?」
「俺はオウマ。ビャクヤ、か。名前くらいは覚えておいてやるよ」
どうも倒す気満々だというのはビャクヤにも伝わってくる。冗談じゃない、とぼやきつつ、応急処置と休んだ事で体力が僅かばかり回復した事に期待し、再び爪を構える。まだまだ希望が潰えたわけではない。“あいつ”のためにも、ここは意地でも勝たねば。ビャクヤの内なる静かな闘志が燃え上がっていく。
かかって来いと待ち構えるビャクヤを尻目に、マニューラのオウマは火打石でも鳴らすように自分の爪と爪を打ちつける動作をした。最初はふざけているのかといぶかしむ程度であったが、直後に真意に気付いた時にはもう遅かった。金属同士を擦り合わせたような不快な音が、無音状態の空間に木霊する。堪らず耳を塞いで聞くまいとするが、それも後手に回ったが故の選択ミスだった。構えを解いて無防備なところへのオウマの一振りが、ビャクヤの体を袈裟懸けに切り裂いた。
痛みに喘いだ事による判断の遅れが、さらなる隙を招く。のけぞって回避行動が間に合わないところへ、追撃とばかりに抉るような軌道の一撃。次は横一文字に皮膚を引き裂かれ、受けてはいけないレベルの損傷を負ってしまった。生憎傷の治癒を手助けしてくれる薬草も今持ち合わせていない。尻尾を巻いて逃げるつもりはさらさらないが、このままではじり貧になるのは火を見るよりも明らかである。ここは一旦草むらへと飛び込み、薬草を探して回復を図る事にする。流れ出た血の量が多いせいか、自分の体から発せられる鉄錆のような臭いで嗅覚を阻害され、薬草の匂いを探すことすら困難になっていた。いくら暗闇に目が慣れているとは言え、植物を一目で判断するのは容易ではない。加えて失血のせいで集中力が維持しづらくなっており、あまり時間をかけて探せないのも苦しいところだ。
そして、最大の問題は、敵もおとなしく待っていてはくれない事である。弱っているこの機を逃すまいとするのかと思いきや、じりじりと炙り出すつもりなのだろうか。空を切るように爪を振ったところから、冷気を纏った風が飛んでくる。ザングースは横っ飛びで木の裏に隠れ、“こごえるかぜ”の奇襲をやり過ごす。当たりこそしなかったが、背中に嫌な汗が滲み出て来る。相手には遠距離攻撃の手段がある以上、距離を取って戦うのは自分にとって不利だと言うのは嫌というほど分かっていたのだが、こんな状況になっては仕方ない。相手の攻撃を掻い潜りつつ、薬草を見つけるのが最優先課題だった。
浅い呼吸を繰り返し、傷口を押さえながら体を休める。次にどこから来るかは分からないため、最大限の緊張の糸を張り巡らせて。さながら蜘蛛の糸のように研ぎ澄ませた神経の及ぶ範囲に触れたのを感じた直後に、背もたれにしていた樹木から離れ、さらに茂みの奥へと分け入っていく。今しがた自分が寄り掛かっていた木が倒れていく音が聞こえたが、いちいち振り返ってなどいられない。少しでも足止めになればと、小休止中に溜め込んでいた力――“かまいたち”を解き放ち、いくらか植物を薙ぎ倒して背後の道を塞いだ。傷の痛みを根性で捻じ伏せ、四足に移行して木々の間を縫って素早く駆け抜けていく。この辺に探している薬草がない事は、周辺の地理と植物について知り尽くしているザングースにも分かっている。今は脇目も振らず、マニューラを引き離して傷を癒す時間を確保する事を目的としてある場所を目指した。
そして幾許も経たずして、見覚えのある景色に辿り着いた。太陽が照っている時間帯ならば、それは鮮やかな花々と若草の織り成す壮麗な絨毯をお目にかかれたであろう。月影の下では妖しさが際立っているが、これはこれで一見の価値がある。しかし、今はその光景に見惚れている余裕などない。一帯の草を掻き分けて、一心不乱に目的の品を探す。そしてその姿を認めるや否や、すぐさま爪で刈り取って噛み砕き、赤黒く染まった部位に塗りたくる。
薬草を無事手にする事が出来た一瞬の安堵から、警戒を怠っていた。背中に迫る殺意をぎりぎりまで感じ取る事が出来ず、前方に無様に転がって避けるのが関の山だった。もう追いついたのか――ぎりっと嫌な音が鳴るまでザングースは歯を食いしばった。実力が拮抗していたからこそ、大きな傷はその均衡を崩すものになりかねない。それを頭では分かっていたはずなのに、油断から甘んじて受けてしまった。こうなった結果を今更嘆くつもりはないが、歯噛みしたいほど悔しいのも確かである。だが、ここで退くわけには行かない――否、退くに退けないところまで来たのだ。あの笑顔を守るためにも、自分のものにするためにも、逃げは許されない。敵方も同じ考えらしい。真っ向から迎え撃とうと覚悟を決めた、その時であった。
「止めてっ! 二人が戦うの、見たくないの!」
後ろの花畑の中から、フラワーポケモンのキレイハナが飛び出してきた。何故こんなところにいる――そう怒鳴りつけたかったが、今はその暇もない。自分よりも数段足の速いやつの速攻が、すぐそこに迫っているのだから。気付いたキレイハナが悲鳴を上げるより先か、ビャクヤが前に向き直るが先か。
「ご……ふっ……」
金縛りにでも遭ったように足が地面に張り付いていた彼に出来たのは、両腕を目一杯広げて庇う事だった。自分の身をではなく、背後にいる愛しい者を。オウマの鋭い爪は、幾度となく傷つけられて耐久の落ちた腹部に容赦なく突き刺さった。溢れ出す赤い液体がマニューラの腕全体を、続いて色とりどりの自然がはびこった大地を、死の匂いを纏わせて染め上げていく。ゆっくりと爪を引き抜くと、ビャクヤは口腔に溜まっていた命の源を力なく吐き出す。もはや抵抗する力も、意識すらもあるまい――勝利を確信して油断したマニューラの懐に、真っ赤な拳が鋭くめり込んだ。オウマが自分の身に何が起こったかを感じるより先に、左右から続けざまに鈍い衝撃が走る。土壇場で発動させたビャクヤの捨て身の秘策――“カウンター”からの“インファイト”が見事に炸裂した。隙だらけの急所に連撃を喰らい、体がばらばらになる感覚を味わいながら体を飛ばされ、オウマは木に背中から叩きつけられる。それっきり電池の切れた機械のように反応もなくなり、ぐったりとして動かなくなった。
限界を超えて呼吸する事すらも忘れ、ビャクヤは最後の反撃に全てを賭けた。直立する力の失った、もはや白とは呼べぬ色に全身の体毛を塗りたくられた猫鼬は、為す術なくぼろ人形のようにばったりと倒れ伏す。慌てて花の踊り子が駆けつけるが、何度呼びかけようともビャクヤの瞳から光が失われていくのを止める事は不可能であった。体温を失って冷え切ったビャクヤの頬に、キレイハナが零す宝石のような雫が当たる。温かい。まるで太陽のようだ。薄れゆく意識の中、空が徐々に白んで本物の陽光が現れてきた事に気付いた。ああ、ボクは遂に望んだものを手にする事が出来た――出来たというのに、こんな結末なんて。この温もりがあと少ししか感じられないなんて、そりゃあないよ。ちくしょうめ――
最後に残された暗闇から忍び寄る死神の気配を振り払う事は、ビャクヤには到底出来なかった。闇の彼方から呼びに来た足音がそこまで迫り、大地が夜の帳から解放されると同時に、愛する者のために死闘を繰り広げた者達も、この世界のしがらみから解き放たれていくのであった。