Predication-33 王宮の花姫様
町は大して入り組んだ構造になっているわけではなく、主要な大通りを真っ直ぐに進めば必ず王宮まで行き着くようになっていた。お陰でこのレーゲスにやって来たばかりのルエノでも、目的地が視界から消えて迷う事もなく、町の中心部へと辿り着いたのである。
だが、王宮の前までやって来るのはあくまでも第一段階で、本番はむしろここからであった。さすがに警備が厳重な上、あくまでも中に入れるのは王族を含めた限られた者だけとの事である。たった今訪れたばかりのルエノがその“限られた者”の枠に入る可能性は極めて低いが、ここで何か試す前から引き下がるわけにも行かない。
強行突破は最終手段に取って置く事にして、まずは堂々と正門から仕掛ける事にする。仕掛けると言っても決して攻撃を、という事ではなく、あくまでも中の調査を目的として王宮への入る事が可能か否かを確かめるという事である。訪問といえば呑気に聞こえるかもしれないが、来訪者に対して歓迎ムードではない国では、下手したら捕まるといった事態が待ち受けているかもしれない。ある意味では妙な緊張感の伴う作戦なのである。
結果だけ先に挙げるならば、壮麗な館に入る事は叶わなかった。王族以外が容易く入れるものではない、と守衛に念を押された。幸いにもここの住民でないのは理解してくれたらしく、怒られる事もなく丁寧に諭される程度で済んだ。しかし、いくら扱いが丁重だとは言っても、ルエノとしては門前払いでは困る。中には入れなければ調査も何もないのだ。こうなったら意地でも入れないかと交渉に移る。だが、梃子でも動かない守衛を動かすのは至難の業である。特に理由を付けられるような手札がなく、沈黙が続いて駄目かと諦め掛けた時、一か八かの起死回生のアイデアが浮かんだ。
「あの、もしやこの国は優秀な魔道士を募集している、などという事はないでしょうか?」
パニック状態に陥ると、冷静な判断が出来なくなるのは良くある事。言い終えてから、しまった、と心の中でひとりごちた。魔道士という名を口に出してしまえば、自分がそうだと名乗り出ているようなものである。失言に自ら毒づきたくなるが、今は表の顔を平生に保つので手一杯であった。守衛の舐め回すような視線に、逃げ出したくなる気持ちを抑えて直立を決め込む。
「おお、お前も応募者だったのか! 済まない済まない。正門から入るとは伝えてあるが、専用口があっても分からない事もあるものだな」
守衛を任せられているヘルガーは、その怖い見た目に反して甘いところがあるのだろうか。意外にもすんなり通してくれた。口からでまかせを言ってみるものだと思いかけたところで、今回は偶然にも当たっただけだと浮かれるのを止める事にする。――何故か単独行動になってからというもの、やけに気が軽かった。誰かが隣にいるのが常であった状況からの反動なのだろう。軽率な行動は犯さないようにと内なる自分に釘を刺し、門を潜って王宮へと歩みを進めていく。
意外と広い、というのがルエノが第一印象で感じたことであった。建物に至るまでの砂漠地帯とは思えない花や噴水の庭園はもちろん豪華絢爛文句なしの広大さであるのだが、ルエノが驚いたのはむしろ王宮の中の方であった。外から見てもそれなりの高さがあるのは分かるが、入り口を通ってすぐに広がる色鮮やかな絵画の描かれた天井とその高さ、そしてそのやや下方にずらりと並んだ大きな窓は壮観なものである。窓から差し込む日差しによって、床面に装飾された複数の円と星の紋様がきらきらと光を放って輝きを放っているようにも見える。
内装に圧倒されるがあまり、あちこち視線を泳がせながらふらふらと歩いていると、思いがけず何かにぶつかってしまった。自分より大きな相手ゆえにルエノが倒れると同時に、向こうも同じく倒れたような音がした。前に向き直ってみれば、頭部に朱色の花と王冠のような飾りを着け、ドレスのような葉っぱで全身を包んでいるという容姿をしているポケモンがいた。パッと見は気品漂うお嬢様のようである。ルエノには見覚えのない種族であるがために、一瞬見惚れたように動きを止めてしまうが、すぐに我に返って立ち上がった。
「いったーい。ちょっと、どこ見て歩いてんのよー」
「あっ、申し訳ありません。この建物に気を取られていて、前方不注意となっていました」
「あっそう。ところであなた、見たところこの王宮の者ではないようねえ。さしずめ御触れにあった魔道士募集のを見てやって来たのかしらね?」
美しい姿に惑わされそうになるが、口振りは随分と高飛車で独特な雰囲気を持っており、何気に勘が鋭い。この王宮の者に隠す必要はないと思い、ルエノは素直に白状する。あくまで、調査が目的だと言うのは伏せた上で。頻りに勘繰るような視線を送ってくるが、問い詰めたところで口を割りそうにないと判断したのか、それっきり別段怪しむような素振りは見せてこない。
「あなた、面白そうね。何か隠している風だけど、まあ良いわ。もし良かったら、私が王宮内を案内してあげても良いんだけど」
これはルエノにとっては願ってもない事である。こそこそと忍び込んで調べるのでは怪しい事この上ないが、王宮の者が同伴という事であれば全く状況は違ってくる。二つ返事で了承しようとしたところで、わざとらしく手を突き出して「ただし」と付け加えた。油断出来ないと構えるも、時既に遅し。
「案内し終わったら、一日私に付き合ってくれません事? 最近退屈していたから、良い気晴らしになる相手がいなくて」
気晴らしという言い回しに若干嫌な予感を覚えたルエノであったが、ここでみすみす王宮を調べる機会を逃すわけにはいかないと、快くその取り引きに応じる。ルエノの反応を見るや否な、そこで初めて、目の前にいるドレディアは喜色満面の笑みを零した。気品漂う身のこなしや口振りとは異なり、弾けて満開になった笑顔は無邪気な子供のようで、ルエノも一瞬呆気にとられてしまう。
「なーにしてますの。早く行きましょ?」
ドレディアのペースにルエノもすっかり乗せられ始めていた。だが、そこに不思議と嫌な感じはなく、ルエノも従者のような気分でその後に付いていく。大した作戦もなく乗り込んだ割には好都合な展開に運べて、心底安心していた。
「ところで、あなたはどこからおいでになったのかしら? 出自みたいな事まであれこれ聞く気はないけれども、せめてここに来るより前にいたところくらいは教えてくださらない?」
大広間の両脇に設けられた階段をゆっくりと上っていく最中、ドレディアの口を衝いて出てきたのは、猜疑心から来る詰問ではなく、単に純粋な好奇心からくる問いかけであった。その証拠に、ドレディアの声色にも表情にも、訝しむような様子は一切感じられない。別段隠しておく必要もないと判断した上で、これには応じないわけにはいかないと、ルエノは先に最上段を上りきって遅れてくる少女へと視線を向ける。
「クロスクローバーという町から来ました。元々はあてもなく旅を続けていたのですが、この国ならより有力な情報を得られると思って、こちらに赴いたのです」
「へえ。名前は耳にした事がありますけど、実際に窺った事はないので、非常に興味深いですわね。あなたがいたという事は、そこそこ魔法関係にも明るい町だったのかしら?」
魔法という存在が住民達の間にも浸透しているとは言え、それが広く普及しているか否かは自治体毎に異なってくる。この国のように大っぴらに魔法を認めている場所もあれば、あくまで魔法を使う団体が存在するという認識の場所もある。悪いところだと、魔法そのものを受け付けないような地域も存在するのである。ルエノがしばらく滞在したクロスクローバーも、この国ほど魔法の事情に明るいわけではないが、決して居心地の悪い町ではなかったのは確かだった。話したところで差し障りはないだろうと思い、リベロンでの任務の事を交えて話していく。
「それじゃあ、王宮そのものに目的があるってわけではないですのね。その、この国にいるって噂の、魔力を探知する事に長けた魔法の使い手を捜しているってわけで」
「そうですね。この王宮にはそのついでに立ち寄ったといったところでして。少しでも多くの情報を得られそうですし」
「ふうん、その話が本当なら、私としては願ったり叶ったりですわね。この変わり映えしない王宮での暮らしにも飽き飽きしていた事ですし」
城内の庭を一望出来るテラスまで来たところで、ドレディアは溜め息混じりに零した。ついさっきまで明るく振舞っていたはずの少女の変わり様に、ルエノも気にかかってしまう。さりとて、そう簡単に少女の心に踏み込んで良いものかと迷いが生じてしまい、出しかけていた一歩を引っ込めてしまう。
「どう? 素敵な庭でしょう? 私が丹精込めて育てているのよ。もちろん、これ全部を私だけで面倒を見ているわけではないんだけどね」
庭一面に広がる黄色やピンクの花々は、王国の王宮という場にいながらにして突如花園に迷い込んだかのように錯覚させられるほど美しく咲き乱れており、外の賑やかな町に比べるとここだけ異空間のようにさえ感じる。今しがた見せた俯きがちな暗い表情とは打って変わって、初対面の相手に見せるとは思えない程の嬉しそうで誇らしげな様子に、ルエノも知らず微笑んでいた。そして、広大な黄土色一色の砂漠や、せいぜい緑の草くらいしか目にしてこなかったルエノにとっては、感嘆に値するほどの光景であった。
「何と言うかその、素晴らしいですね。これだけの美しい花々を育て続けるなんて、余程の努力が必要だと思いますし。それだけあなたの心が清らかで美しいのでしょうか――と、あれ……。こ、これは失礼しましたっ」
すっかり庭に見惚れている内に、心の底からの感想が口を衝いて出てきた。別段悪い事を口走ってしまったわけではないのだが、いきなり清らかだの美しいだのと平然とのたまってしまった事に徐々に羞恥心と申し訳なさが募ってきた。訂正する事も取り消す事も出来ないが、せめて出過ぎた事を言ってしまった事を詫びようと必死になり始めたルエノを見て、ドレディアが甲高い声でけらけらと笑い出した。
「今のは確かにうっかり口を滑らせた私が悪いですが、な、何も笑う事ないじゃないですか!?」
「あっはは!! ごめんなさい。あなたが余りにも誠実なものだから、おかしくなっちゃって。悪気はないですのよ。ただ、あなたみたいな方とこうやって話をするのも貴重なものですから」
涙が出るくらい笑った後で、ドレディアは苦笑に近い複雑そうな色を浮かべた。恥ずかしさも波が引くようにすうっと収まって落ち着いたところで、ルエノは好機が来たのではないかと悟った。ドレディアの方はどうやら少し心を許してくれたらしい。そこに付け込むと言うと聞こえは悪いが、この歩み寄りを無駄にするのももったいないと思い立った。
「不躾かもしれませんが、この国で何か良からぬ事が起きているのでしょうか? 王国にはお抱えの魔道士というものが多く存在するはずなのに、突然御触れを出して魔道士を募集するなんて、ちょっと異常なはずですよね」
「さすがに気付かれてますわよね。まあ、ご明察よ。実は、いかがわしい輩がいるという噂を耳にしているんですのよ。この国――と言うか王宮に代々伝わる
絶対魔法域を我が物にしようとしている、不届き者な魔道士がいるってね」
絶対魔法域――名前を耳にするのは初めてだが、直感的に先程大通りで目撃したあれがその一つなのだという事はルエノも分かっていた。ここであえて突っ込んだ事を聞くべきか決めあぐねていると、ドレディアの方からその続きを提供してくれた。
「もう知ってるかもしれないけど、この魔法は範囲内で定められたルールを破ると肉体的に罰を与える、フィールドタイプの魔法なのよ。それも、半永久的に残る強力な魔法なのですのよ。これは本来、特にルールもなく無法地帯だったのを改善して、皆が平等で平和に暮らせるようにと設置したらしくて。それがここ最近になって、少し異常な効果を発揮し始めたのですわ」
「なるほど。しかし、それならば何故わざわざ新たな魔道士を招き入れるような事をしているのですか? これではさらに誰が犯人なのか検討が付かなくなってしまうのはないでしょうか」
「――だから、これは一か八かの賭けってわけ。あなたの言うとおり、失敗すれば魔道士がたくさんいる中でどさくさに紛れて事を済まされてしまって、余計に犯人が分かりにくくなる。最初から身内に犯人がいるって確証もないですもの。でも、上手くいけば、集めた魔道士で連携を取って追い詰める事も出来る。どちらにしろ、魔法の事はあまり精通していない私達には、今はこうするしかないのですわ」
これで町中で見た軍隊が妙にピリピリしていたのにも合点が行く。どこまでこの話が行き渡っているのかは分からないが、王国全体に展開されている魔法が安全に機能する状態にあるのか分からないとなれば、常に警戒を怠らないようにするのも無理はない。それも、王国内のどこかに魔法による悪事を企てるけしからぬ者がいるとなればなおさらである。しかし、ここで新たな疑問も生じてきた。
「一つ、よろしいでしょうか。もしかしたら私が旅人を装った犯人である可能性だってあるはずなのに、どうしてそこまで打ち明けてくれたのですか?」
「うーん、何ででしょうね。私にも分からないのよねえ。でも、あなたが自分でそんな事を言っちゃうくらい馬鹿正直だから、自然と信頼して言っちゃったのかしら」
言うなれば、この短い会話の間にドレディアの心を掴んだと言っても過言ではない。だが、ルエノがこの王宮に訪れた目的は違う。それを偽った上で、今の自分も仮面を被って接しているに過ぎないという事実が、さらにルエノの胸を締め付けた。それで信頼を置かれるなど、いくら嬉しいとは言っても、申し訳なくて仕方がないのだ。
「あの、ドレディアさん、ちょっと良いですか」
「ん? どうかしまして?」
「その、実はあなたにまだ話してない事が――」
「――メイア様! ここにおられたのですか!」
勇気を振り絞って話そうとする決心をふいにするように、階下から新たな声が割り込んできた。ドレディアに釣られるようにして視線を落とすと、そこにいたのは町で見かけた軍団のリーダー格に見えた存在――種族はシュバルゴという者であった。どうやらメイアというのが今隣にいるドレディアの名前らしく、当の本人はというと物ぐさそうに手すりに寄りかかっていた。
「何ですの? せっかく静かに時を過ごしていたと言うのに」
「今は大事な時だと言いますのに、無断で部屋を抜け出して散歩などなさるからです。ところで、そちらのピカチュウは何者でしょう?」
「こちらは私の客人です。丁重にもてなしなさい」
最初はルエノに訝しげな視線を投げかけていたシュバルゴも、メイアにとって大事な来客だと伝えられると、急に鋭かった目つきを穏やかにする。
「それは失礼しました。では、某が案内致しましょう」
「いいえ、結構です。私がこのまま案内しますわ」
「しかし、メイア様にはお部屋に戻っていただかないと――」
「良いから、あなたはお目付け役としてではなく、本来の任務に戻るのです! これは私からの命令ですわ!」
シュバルゴも負けじと反論しようにも、命令として下された以上は口を噤んで引き下がるしかないようであった。様を付けて呼んだりしていた辺りからもメイアの方が立場は上らしい。やれやれと言った様子でその場を離れるシュバルゴの背中を見送ると、ドレディア――メイアはルエノの方へと向き直って手を差し伸べた。
「さあ、邪魔者もいなくなった事だし、王宮の散歩の続きを再開しますわよ」
「本当に良かったんです? あんな風にあしらってしまって」
「良いんですわよ! せっかくならもっと、あなたと話していたいですもの」
思わず頬を赤く染めてしまうくらい、明るくて美しい笑顔を向けられた。身長差がある故、どう頑張ってもちょうど良い位置には届かないが、せめてフリだけでもとルエノは向けられた手に自分の手を伸ばした。握手の代わりだろうか、その思いを汲み取るようにして軽く手を添えると、メイアは城の中央部を指し、ルエノを案内すべく歩き出した。ルエノの方もこの状況に改めて不思議な感覚を抱きながらも、その美しい後姿を追うのであった。