Predication-32 法の国
ドンメルの空間魔法を以ってすれば、移動に要した時間はほんの一瞬であった。空を飛んだり地を走ったりといった移動に比べて景色を眺める余裕などもなく、感動もへったくれもないが、利便性という点においてはこれ以上の手段はない。とにもかくにも無事に目的地に降り立つことが出来て、三匹は顔を見合わせて安堵の表情を浮かべる。
砂漠地帯には変わりないが、クロスクローバーに比べると幾分か景色と気候の変化が見られる。身を焼かれそうな暑さと見渡す限りの熱砂ばかりだったあの町とは違い、水が湧いて樹木が生えている地帯――オアシスのような場所がところどころにある。生命の営みに欠かせない水という資源が豊富なためか、ポケモン達の往来も多いようである。
そして何と言っても、とりわけ町並みに顕著な違いが見受けられる。クロスクローバーには城という見かけだけの建物こそあれ、町全体を統治するものが存在しなかったのだが、こちらは町というよりは国と表すのが正しいほどに広大で、中央には王宮が建っている。遠目に見てもポケモン達の行き来が激しい辺りからも、そこは立派な王宮としての役割を果たしているようである。
「それで、あっさり辿り着いたのは良いとして、何か宛てはあるの?」
「正直に言うとないんです。そのポケモンに関する情報はあるのですが、居所ばかりは虱潰しに探していかないといけないかもしれませんね」
最初に共にした任務で敬語を使わなくて良いと伝えたはずなのに、いつの間にか元通り。これがルエノの平生なのだと半ば諦め、リードは小さく溜め息を吐く。じりじりと差す強烈な日光は相変わらずであるが、肌が焼けるように痛くなるほどのものではない。とは言え、クロスクローバーに比べて少し和らいでいるというだけで、暑い事に変わりはないのだ。バッグに入れた水筒で水分補給を欠かさないようにしつつ、三匹は検問を軽く済ませて広い町へと繰り出した。
「手間は掛かりそうだけど、それしか手段がないなら仕方ないか」
「ですが、一つ、別の手段がありますよ」
ルエノとて体力を削られるだけで無駄足に終わる事だけは勘弁願いたい。そこで提示した別案というのが、町に設けられている“案内所”なるところへ真っ先に赴く事であった。案内所とはその名の示すとおり、余所から来た旅人向けに主に地理に関する町の情報を教えるべく、町の入り口付近に配置されている施設である。誰でも気軽に立ち寄る事が出来て、観光地や名所などについても事細かに教えてくれるというのが売りである。外からの来訪者でなくとも、利用する機会は多い。
「その魔力探知のやつが有名なやつなら、その情報もここでヒットするってわけだ」
「そういう事です。上手く行けば、の話なので、ここにも無ければやはり聞いて回るしかありませんが――」
情報がある事を祈って、案内所の大きな扉にルエノが手を掛けた時だった。空に閃光が瞬き、鋭い何かが衝撃を以って近くの大地を叩いた。爆音のせいで耳に超音波のような余韻が残るが、その発生源は聴覚に頼らずとも何となく分かる。その方角――案内所から西にある大通りの方に振り返ると、そこには全身に火傷を負って倒れているポケモンの姿があった。姿かたちから種族は確認できるが、あまりにも痛々しくて目も当てられない。
「あ……あぁっ……た、すけて……」
ボロボロに焼け焦げた姿で、酷く掠れた声を発しながら手を伸ばすが、人混みは増える一方で、警戒するようにポケモンの足は徐々に遠退いていく。だからこそ、その逆方向――痛みに喘いでいるポケモンへと歩みを進める集団には四方から視線が注がれる。大通りの道の脇や王宮周辺にいくつも掲げられている、盾に十字架が描かれたデザインの旗を掲げ、足並みを揃えて行進してくる様は、まさに軍隊といった様子である。
「えー、皆さん、もうご安心を。法と国家に逆らう輩はかように処罰いたしましたゆえ、市民の皆さんは今まで通りの生活に戻ってください」
集団の先頭にいて宙に浮いているポケモンは、頭部は兜、両手が赤と白の槍状になっており、脚の部分はカタツムリの殻のような容姿をしている。どうやら集団の代表らしく、明朗かつはきはきとした一声で、ざわつく野次馬達を鎮めた。その丁寧な言葉遣いの裏に秘められた力強さを感じてか、全身から漂う威圧感に気圧されてか、ともかく周囲のポケモン達は何事もなかったかのように元の日常へと溶け込んでいく。そうして上手い具合に邪魔者達が続々と消えていくのを見計らって、集団は罰を受けたポケモンを連行していった。
ルエノは現場からは離れた位置で呆然と立ち尽くし、体を震わせていた。何が起こったか詳細までは把握できないが、何かの手段によってあのポケモンが罰せられたという事実は確かである。衝撃的なのはそれ以上に、その光景をさも当然であるかのように振る舞っている町の住民であった。
「これは一体、どういう事なんです……。こんな暴虐めいた事が
罷り通るなどあって良いのですか……」
「ルエノ、押さえといた方が良いよ。ここで何の事情も知らない僕等が動いたところで、状況が好転するとは思えない。何より身の危険が及ぶのは自分だけじゃないって事を忘れないように」
ハッとして背中にくっついているピチューのポアロを見遣る。目の前の惨劇に怯えているようであるが、頼もしい背中に寄り添って幾分か平気そうではある。つい怒りのあまり我を忘れて攻撃的な態度を取ろうとしてしまうが、守るべき者がいると分かった途端に、内側で沸きあがっていた怒りを何とか静める事が出来た。
「あ、ありがとうございます。しかし、一体この国はどうなっているのでしょう。法で守られている国なのでは? ここに住むポケモン達は法の下で安心して暮らしているのではないのですか?」
「いや、今のが法による裁きだよ。そして、法に守られているってのは間違い。正確には法に縛られている国だよ」
指し示すところに大差がないとはいえ、誰のための法かという点で話は変わってくる。言葉の意味を良く咀嚼して理解した上で、ルエノはリードの話の続きに耳を傾ける。
「確かに犯罪件数は減ってるんだ。ゴミのポイ捨てから窃盗、傷害事件まで、罪の大小に関わらず“断罪の光”は必ず落ちるからね。その恐怖に怯え、ここの住民も下手な事はしなくなったってわけ」
「それはつまり、恐怖で支配している事に他ならないのではないでしょうか。魔法の使い方として正しいのか、僕には疑問でなりません」
誰かを助けるために魔法を教え歩くのがルエノの――伝道士の役割である以上、この魔法の使い方は決して見過ごせない。だが、すぐに行動に及ばなかったのは、ポアロの事があるからだけではない。ルエノ自身にも迷いがあったのだ。それは“疑問”という言葉に全て集約されていた。
「もしかしたらですが、これに“エンシェント・チャーム”が絡んでいるかもしれないとなると、僕としては放っておけないんです。いえ、僕の責任と言いましょうか」
「どうしてルエノの責任になるの? 君はそれが書かれた魔導書を探し求めているだけでしょ? だったらこの国の事は関係ないんじゃないの」
「それが、そうも言ってられないんです。ともかく、まずはこの魔法の出所を探ってみない事には始まりません」
「良いのか? 魔力を探知するってやつを先に捜さなくても」
「寄り道にはなるかもしれませんが、魔導書を集める事だけが僕の使命ではありませんので。ここばかりは僕のわがままになってしまいますが……」
神妙な面持ちになるルエノの前に、リードはさらに一歩歩み寄った。自分より身の丈が高いリオルの方を見上げると、優しい笑みが視界に入ってきた。何故あなたは笑っているんですか、と問おうとしたところで、リードは両手でルエノの体を掴んで持ち上げた。
「こんなちっこい体してるのに、あんなにすごい魔法が使えるの、尊敬してるんだ」
「リードくん? 一体何を――」
「だから、君の力になりたいって思って付いてきた。君がそれを望むなら、僕はその手伝いをするだけだ」
こんなに柔らかい表情を見せるリードを、ルエノは初めて見た。呆気に取られて、思わず返す言葉を忘れてしまう。軽々と持ち上げられる事など、本来なら恥ずかしいと思って然るべきなのだが、そう思う思考すら凍結していた。一方で、リードの両手から温もりが伝わってきて、妙な安心感と頼もしさが何故か胸を刺す。
どうしてあなたは、僕にそんな笑顔を向けるのか。優しくしても、何かお返し出来るわけではないのに。考えても仕方ない事が、ぐるぐると頭の中を忙しなく駆け巡る。無償の好意に等しいものを、手放しで受け入れがたかった。ルエノの反応が芳しくない事もあってか、リードは察したようにルエノを地面に下ろす。
「まあ、何が言いたいかと言うと、僕に遠慮しなくて良いって事。この国の法を探るのはルエノに任せるとして、僕は単独で魔力を探知出来るポケモンを捜した方が効率が良いと思うんだけど、どうだろう」
「え、ええ。そうしてもらえると助かります。出来れば、ポアロくんも連れて行ってはもらえませんか? 僕の傍にいると危険かもしれませんし」
一瞬何か言いかけたポアロであったが、口を閉ざして飲み込んだ。わがまま言って付いてきたのは自分であり、ルエノの邪魔にならないためにはそうするのが一番だと悟ったからであった。聞き分けが良い事にルエノは笑顔で感謝の意を示す。
「そうだ。これ、身に着けておいてくれないかな」
「これは、何ですか?」
「一種のお守りだよ」
リードが肩掛け鞄から取り出して放って寄越したのは、いわゆるミサンガと呼ばれる腕に巻きつけておく装飾品であった。青い下地に水色の波紋の模様が描かれているそれを、ルエノは喜んで左腕に着けた。もう一度微笑を湛えてリードとポアロと視線を交わすと、ルエノは角を曲がって王宮の方へと駆けていく。
「ねえ、ルエノお兄ちゃん、大丈夫かなあ。ぼくなんかじゃ何も出来ないのは分かってるけど、やっぱり何かあったらと思うと怖いよう……」
「大丈夫だよ。いざという時のためにお守りを渡したんだから」
黄色く小さな背中を最後まで見送ったところで、ポアロが抑え込んでいた不安を口にした。ルエノには心配かけまいと別れ際には口を噤んだのだが、溢れ出て来る思いを留められるのは、まだまだ子供であるポアロには不可能であった。それを少しでも和らげてあげようと、リードが頭を優しく撫でる。
「ほんとの、本当に?」
「ああ、本当の本当さ。だから、僕たちは僕たちに出来る事をやりに行こう」
「うんっ!」
リードの宥めるような言葉に不安に凍りかけた心を溶かされ、ポアロはここぞとばかりに強く頷いた。別行動するルエノに少しでも協力出来ればと決心を新たに、二匹は一度入りそびれた案内所の門を潜るのであった。