Predication-31 笑顔で送り出そう
魔法で準備をしていった事もあって、パーティの会場はあっという間に整った。ルエノがリベロンに加わった歓迎会と、今までの任務の成功を祝う労いの会と、そしてルエノとリードのお別れ会を兼ねているのだ。部屋全体がやけに豪華に彩られているのも無理はない。天井から吊るされたカボチャを模った照明に、窓際に並べられた色取り取りに光る苔――通称“ヒカリゴケ”と、統一感のなさは否めないが、煌びやかさを演出するという点ではあながちずれてもいない飾り付けである。
部屋の中央に置かれた一段と大きなテーブルには、明らかに七匹では食べきれないであろう量の料理が所狭しと並べられていた。どれも木の実を使った料理ばかりで、特に辛い味を主としている木の実の料理からは、食欲をそそるような香りが漂っている。
「それでは改めて。ようこそお疲れさようならーって感じで良いんだっけか?」
「モーノ、欲張り過ぎ」
木の実ジュースの入ったコップを片手に、我先にとモーノが乾杯の音頭を取ろうとするが、あえなく失敗に終わる。だが、それを皮切りにして談笑が始まる。任務について情報を共有した事がなかったため、それぞれがルエノと共にこなした任務について改めて話していく。オスロの時にはエルバも同伴していた事もあって、リード達は一様に羨ましがっていた。
今になって交友を深めるというのもおかしな話ではあるが、基本的に異なる時間帯に任務に当たっている事も多いリベロンの魔道士からすれば、例え新人同士であろうとすれ違いは日常茶飯事なのである。こうして企画して集まる事でもない限り、時間を取って仲良く交流するというのは滅多にない。故に話に花が咲くのも当然であった。
「楽しい雰囲気のところで聞くのは心苦しいんだが、ルエノ君はまずどこへ向かうつもりなのか聞きたいものだ。闇雲に町を回ったところで、そう簡単に魔導書と出会えるものではないだろうからな」
だが、締めるところを締めるのは先輩たるエルバの役目である。普段はあまり見せない砕けた態度と表情を見せていたフライゴンも、本題に移るとなるといつもの落ち着いた雰囲気に戻る。
「最初は町を転々として探していこうと思っていたのですが、つい先日一つの手が浮かびまして。ここから東に行ったところにあるレーゲスという町には、魔力を探知出来る魔法の使い手がいるらしいんです。それも、とても強力らしく、その方に依頼すれば魔導書の手掛かりも掴めるかと思います」
ルエノもリベロンに来て単に任務を手伝っていただけではない。書庫にある本や通りすがりの町のポケモン、リベロンの魔道士達から必死に情報を集めていた。その中でもエルバに答えとして示したものは、中でも有力な情報であった。それがどれだけ信用に足る情報かは分からない点があるが、宛てもなく探すよりはよほど効率的ではある。
「なるほどね。宛てもなしに彷徨うのではないかと思っていたから、それならば安心だ。では、ついでにもう一つ気になる事がある。ここの魔導書はどうするつもりなのか、教えてもらえないか?」
あれから魔導書は元の保管所に無事に戻され、以前よりも厳重に守られるようになった。だが、魔導書を集めるのが使命である以上は、いずれはリベロンの魔導書も必要になってくるという事である。ルエノが魔導書を欲するのが今なのか、平穏な空気の間に聞ける内に聞き出しておこうとの考えの上である。“ついでに”などと口では言っていても、本当に聞きたいのはこちらの方であった。
「“今は”まだここに預けておきます。しかし、その時がくればもしかしたら……」
迂闊な発言は場合によっては、この場で要らぬ問題を引き起こしかねない。ルエノはあえて明言を避けた上で、しかし釘を刺すような事も内包して言葉を濁した。エルバは強引にでも奪っていくのではないかと危惧していたため、一旦は安心する。そうなれば全力で止めねばならぬと考えていたからである。
緊張感を持った質問の時間は、そこで終わりを告げた。後は銘々にまた談話へと戻っていく。別れを惜しんでか、ルエノも今の内に気になっていた事を仲間に聞いていた。その様子を少し離れた位置で見つめるポケモンが一匹――ピチューのポアロがそうであった。俯き加減で寂しそうにしているのは、輪に加われないのが原因ではないようである。
「ポアロくん、どうかしたのかな?」
それに気付いてルエノが真っ先に歩み寄ってきた。いつもはルエノが傍にいると笑顔が絶えなかったポアロも、この時ばかりは瞳の色を濁したまま視線を合わせる。
「ルエノお兄ちゃん、ここを出て行っちゃうんだよね?」
「うん。他に大事な用が出来たからね。そっちを優先しないと」
「それじゃあ、ぼくはやっぱりここでお留守番……って事?」
「皆も外の世界は危ないって言ってるからね。君を連れて行くと、もしもの事があって守れなかった時に、あのマリルリのラピスさんに顔向け出来なくなるというのもあって」
はっきりとルエノに告げられてから、ポアロの表情はより顕著に曇っていった。ポアロの異変は察知できても、その理由までは読めない。もしかしたらここにいるのが嫌なのか、それとも故郷に戻りたくなったのだろうかと考えを巡らす。しかし、殊に他人の“そういった思い”に関して、ルエノはあまりに鈍感であった。
「――ルエノお兄ちゃん、ぼくも連れていって!」
幼さの残る可愛らしい声での、背伸びをしようとする必死の懇願が、部屋中に響き渡った。全員の視線が二匹の方に注がれるが、ポアロは意に介さない。叫び声を受け取る側のルエノは、未だ把握出来ていないようで、ただ立ち尽くすばかりである。
「へっ? 今、なんて?」
耳から声の余韻が抜けたところで、ルエノはらしくない素っ頓狂な声を出した。
「だから、お兄ちゃんの旅に連れて行ってってばあ!」
一瞬張り詰めた空気も、理解の及ばないルエノの一言のお陰で台無しになった。雰囲気をぶち壊しにされたお返しにと、ポアロは小さな手を振り回してポカポカとルエノの胸を叩く。行動こそ茶目っ気があるが、言葉には一切の嘘がない。
「でも、今外の世界は危険って言ったばかりで――」
「じゃあ、ぼく、もっと強くなる! 自分で自分の身を守れるくらい、強くなる!」
「だけど、ポアロくんには帰るべき家も――」
「だったら最初からここまで付いてこないよ! それとも、ルエノお兄ちゃんはぼくの事嫌いになっちゃったの?」
議題の中心が逸らされている気がしないでもないが、そんな理由で本気でぶつかってくるポアロを押し返す事などルエノには出来なかった。抱き付いてきて顔を埋められ、見上げてきたかと思えば瞳一杯に大粒の涙を湛えている。これでは突き放す方が悪者扱いされてしまう。ルエノは助けを求めて仲間達に視線を送るが、皆が皆して微笑みかけてくるだけで、要は自分で考えて対処しろとの事らしい。困ったように小さく溜め息を吐いた後で、ルエノはそっとポアロの頭を撫でた。
「決して楽しい旅路ではないけど、もしかしたらしばらくここには戻って来れないかもしれないけど、それでも、それでもポアロくんが望むと言うなら――」
「行く! あのね、ずっと言えなかったんだけど、ルエノお兄ちゃんを本当のお兄ちゃんみたいに思っていたんだ。だから、どこにでも付いて行きたいって思ったんだよ」
ポアロの眼に宿る光にも、発した言霊にも、微塵も迷いがなかった。ひたすら真っ直ぐで、温かく、痛いくらいに眩しい。いつからだろうか、他者にここまで信頼を置かれる事がここまでこそばゆいものだと忘れていた。どこかで自分を律し、他人と距離を置くように敬語を多用するようになってから、久しくこの感覚を忘れていた。ポアロの実直な思いの告白が、ルエノの頭の片隅の、ずっと取り除こうと思ってもこびりついて取れなかった記憶の欠片を、べりべりと剥がしていく。
――私は、あなたにならば、いつだって、どこだって、お供いたしますよ――。声の一つ一つが今まさに耳に届いてくるかのように、芯まで響いていく。小さな思い出の結晶によって込み上げる熱い何かに揺さぶられ、ルエノの頬には自ずから雫が伝っていった。
「ねえ、どうしたの?」
心配そうに見つめてくるポアロの言葉で我に返り、ルエノは急いで涙を拭う。何故その感情が今湧いてきたのか、自分でも分からなかった。だからこそ、すぐに普段の自分を取り繕うことは容易であった。何でもないよ、とだけ返すと、また仲間の輪に溶け込んでいく。一部始終を見て気に掛けていたリード達も、また食べ物をつまみながら談話に戻っていく。
そして、いつしか楽しく賑やかな時間も終わりを告げる事となる。結局あれだけあった料理をピッピのポリマが平らげた事には誰もが驚いた。綺麗に全てが片付いたところで、いよいよルエノ達を送り出す。と言っても正門から堂々と出て行くのではなく、移動には空間転移の魔法――ドンメルの力を借りる事にする。
その部屋に行くまでも、あまり明るいとは言えない雰囲気が漂っていた。これっきり会えない永遠の別れでもないが、どうしても堅苦しい惜別となってしまいそうである。掲示板のある部屋の扉を開けて中に入るまで、誰も一言も発する事はなかった。別れの言葉を掛ける契機は、エルバが作り出す。
「しっかりと統治されている地域もあるが、もちろんそうでないところもある。特にルエノ君みたいに貴重な物を持っていたら、狙われる危険だってある。くれぐれも気をつけるんだ。何が待ち受けているか分からないから、細心の注意を払うように。リードは何かあったらちゃんとルエノ君とポアロ君を守れるようにな」
「エルバさん、そんな母親みたいな事を言わなくても大丈夫。出来るだけルエノの力になれるように頑張るから」
リードは自信満々に自分の胸を叩く。堅くなっていた一同の表情も、少しずつ緩んでいく。このリベロンを去っていく者はこれまで数多いたが、どれもさめざめと泣くような事無く済ませるものばかりであった。それを知っているエルバは、先陣を切ってそれを見せる。湿っぽい別れなど、リベロンの魔道士として性に合わない。仲間の別れには緊張感を持たせる事よりも、笑顔で送り出す事が大事だ。その信念めいたものを垣間見て、他の仲間達も言葉を紡ぎ出していく。
「くきゃきゃっ! 寂しくなったらいつでも戻って来いよな! オイラはいつでも遊び相手にでもなってやるから!」
いつだって笑顔のエイパムのモーノは、やはり彼らしく快活な笑顔で。自慢の尻尾でのハイタッチを付け加えて。
「あんまり長い事交流できなかったのは残念だけど、一緒に任務をこなせたことは良い経験になったわ。改めてありがとう。また会いましょうね!」
最後の最後で底なしの胃袋を見せたピッピ――ポリマは、生まれ持つ愛らしい顔つきでとびっきりの笑顔を見せ、三匹をそれぞれ順に抱き締めていく。
「任務大変だったけど、楽しかった。また、一緒にやりたい」
基本的な無口な事が多いオスロにしては、これでも頑張って言葉を選んだ方だった。いつもは肌身離さない骨を脇に置いて、堅く握手を交わしていく。
銘々に発せられた別れに向けた思いは、ちょうど出会った頃の自己紹介を髣髴とさせる。だが、その頃とは違う。確かに留まった期間こそ長くはないが、そこには確かな仲間意識――友情とも言い換えられる――が生まれていた。短い間にあった濃密な思い出に浸るのも早々に、今度は旅立つ側の番とばかりに気を引き締める。
「僕は最初ここに来た時は不安しかなかったけど、皆と出会えて良かったと思う。また外の世界の土産話を持って帰ってくるよ」
「えっと、ぼくは魔道士じゃないけど、みんなが遊んでくれて本当に嬉しかった! どーもありがとう!」
「短い間ではありますが、お世話になりました。皆さんと過ごした時間は本当に貴重です。思い出として、絶対に忘れませんから」
こちらも見送り組に負けず劣らずの笑顔を振りまく。ルエノだけやや堅さが残っているが、そんな事に茶々を入れる者はいなかった。幾度となくかようなやり取りを目にしてきた背後のドンメルも、思わず目を細める。そして、そろそろ時間だと言われ、のんびりな気質そのままにゆっくりと詠唱を始めた。
三匹の足元に五芒星の魔法陣が描かれていき、目も眩むような光を放つ。光はやがて壁のように三匹の周りにそびえ立っていって、弾けるようにして閃光を拡散した。一瞬にして消えた三匹の面影を視線でなぞるエルバ達の顔には、潜めていた愁いの色が現れるばかりであった。