Predication-30 真実の告白
新緑に包まれた大地。春の到来を告げる芳醇な香り。体を撫でていく暖かなそよ風。のどかな鳥ポケモン達のさえずり。口の中に残る甘美な果実の品々の味。五感を刺激する様々な事象は、記憶の奥底にずっと昔から焼きついている、大好きなものばかりであった。
「坊っちゃん、ぼうっとなさってどうしたんですか?」
――ああ、違う。戻ってきたんだ。懐かしいこの世界に? それとも現実に?
長い間この空間から離れていた気がして、ピカチュウはいまいち感覚が掴めずにいる。目の前にあるはずなのに、全てが遠いもののように感じる。
「なあに寝ぼけてるんですか。今日は大事な継承式だと言いますのに」
ピカチュウがあれこれ考えを巡らせているなどお構いなく、こねずみポケモンは薄黄色の手で野原に寝転がっている彼の頬をぺちぺちと叩く。ピンクの頬を大きく膨らませ、いつまでも起きない事を咎めている。そんな行動は傍から見れば至極可愛らしいが、それを受けている側からすれば面白くはない。
――分かった分かった。今行きますから。そんなに急かさないで。お父様にも準備があるだろうし、式は逃げやしないでしょう。そのせっかちなのをどうにかした方が良いのでは?
「坊っちゃんがのんびり屋なだけですよう! 伝道士一族が集まっているんですから、少しは緊張感を持ってください!」
お得意の説教が始まった。これでは世話係なのか教育係なのか分かったものではない。このまま耳元で騒ぎ散らされては堪らないと、ピカチュウは渋々立ち上がり、ピチューに引っ張られるがままに野原を後にする。会場からは意外と離れた原っぱに来ていたはずであるが、小走りのピチューに合わせている内にあっという間に着いてしまった。
「ほらほら、早速衣装の準備をしませんと」
屋敷に到着するや否や、ピチューは息一つ乱す事無く建物内をピカチュウを連れて駆け回り、ピカチュウの自室へと入った。今度は捲くし立てるようにして肌触りの良い布で作られた式用のマントを身に纏わせる。ピカチュウにはそれに抵抗する暇もなく、まさに達人技であった。魔法も使わずにどうしたら器用で素早く着せる事が可能なのか、ピカチュウも聞きたいものであった。
――そんなに張り切らなくても。これは単なる儀式なんだし、堅苦しいのは怒る時のお父様と同じくらい苦手なんですよ。
「そんな事を言っているからお父上にお咎めを喰らうのです! それで何度とばっちりを喰らった事か……。さあさあ、次はお客様に挨拶回りに行きましょう!」
一度エンジンがかかったら止まらない。ピカチュウもすっかり慣れていたが、やはりこのピチューの素早さには舌を巻くばかりである。異論を唱えたところでまた強引に連れて行かれるのは目に見えているため、ここまで来たらおとなしく従う事にする。会食自体は広い庭で行われているため、二匹はすぐに部屋を出て近くの扉から外へと出た。そこで強烈な光に包まれ――
▽
――ルエノが目を覚ましたのは、以前もお世話になった医務室であった。意識が戻った時には傍らにピチューのポアロの姿があり、ずっと付き添ってくれていたのだとエルバから教えられた。変な夢を見ていたような気がしてしばらく虚ろな目をしていたが、時間が経って頭が覚醒したことで、何とかいつも通りの顔に戻った。ルエノはすぐに礼を述べると、ポアロはとびきりの笑顔を浮かべてルエノに抱き着いた。心配していたのが伝わってきて、ルエノも自然とポアロを優しく抱き締めていた。
医務室にいたのはポアロだけではない。今まで一緒に任務をこなしてきた面々とエルバも傍に控えていた。自分が意識を失った後の事を質問すると、侵入した二匹組の処遇は決まっていないらしいが、今は魔封じの牢に閉じ込めているとの答えが返ってきた。そこに連れて行くまでにリベロンの鐘に仕掛けられていた“逆転魔法”を解除させた事で、眠っていた者達もぞろぞろと覚醒した。既に一個のギルドとして機能し始めており、建物内はいつもと変わらず平常運転らしい。
「ところで、ルエノくんから何か話しておきたい事はないかい?」
伝道士の事に関しては、先の戦いでエルバとオスロには知られている。今更他の仲間に隠していても意味が無い事は、ルエノ自身が一番良く分かっていた。捉えようによっては隠している事を暴露しろと捉えられなくもないが、少なくともルエノは話すためのきっかけを作ってくれたと感じて感謝している。この時点で別に迷いも後悔もない。覚悟を決めて伝えるべき事を話す事にする。
「まずはエルバさん、皆さん、すいませんでした。僕は魔道士ではなく、伝道士と呼ばれる一族だったのです。隠すつもりもなかったのですが、言い出す機会がなくて……」
同じ場に居合わせたエルバやオスロのみならず、これまで行動を共にしてきたリードやモーノ、ポリマにも告げる事になる真実。見聞の無い者にとっては大差の無い事実なのかもしれないが、彼らも伝道士とは何たるかを知っているらしく、銘々に驚いたような素振りを見せる。だが、ルエノもこれしきの事でいちいち躊躇うような事はなかった。自分が常に持ち歩いている魔導書の事を含め、戦闘中に明かされた事を改めて整理した上で話して聞かせた。
「そっか。オイラはルエノの魔法を間近で見た事があったけど、確かにちょっと変わった魔法だとは思ってたんだよなー」
君の勘は信用出来ないよ、などとエルバが茶化す。あえて重苦しい雰囲気を避けるための発言であろうか、緊張感のあった空気が和んだ。心のどこかで追及されるのではないかと危惧していた面もあったが、目の前で笑みさえ見せているメンバーを見ていると、そんな事を考えていた事さえ馬鹿馬鹿しくなった。
「まあ、俺が早とちりしたせいもあるしな。だが、これで皆も納得したなら良かったと思う。が、俺が聞きたいのは、君が伝道士であるかどうかではない。もちろん気になる事ではあるが、過去をいちいち詮索する気もないしね。大事なのは、君がこれからどうしたいかだ」
問い詰める気がないのはルエノにとってもありがたい。ようやくここを訪れた“本来の目的”を果たす時が来たからである。草のベッドから降り、自分の足ですっくと立ち上がって全員の方に向き直る。言う前から既に毅然とした態度を見せている。
「僕は――これからこの世界に散らばっている魔導書を集めて回ります。それが僕に課せられた最大の使命ですから」
場の空気が水を打ったように静まり返る。答えを促したエルバも、回答を示したルエノさえも、誰も言葉を発せずにいた。ぶれる事無く一点を見据える眼からも、その真剣さは十二分に滲み出ている。だが、周りから向けられるのが温かい視線ではない事から、それが決して平坦な道ではない事は嫌でも想像が出来た。
「この世界は、恐らく君が思っている以上に複雑で、そして――歪んでいるんだ」
代表としてエルバが重い口を開いた。冗談を飛ばしてはぐらかすようなモーノとは違う。言葉の一つ一つに重みがある。普段はない先輩の真面目な語りに、全員の視線がその発言主へと注がれる。
「魔法が渦巻くこの世界には、一言では語り尽くせないような厄介事が多く潜んでいる。もちろんこの世にある全てが悪い事ばかりではないが、大抵が逆らう者に牙を剥くような、良からぬ事がほとんどだ。特に魔法を使う者にとっては、生きづらい場所もあったりする。それでもまだ、君には世界を回るという覚悟はあるのか?」
「あります」
ルエノはほとんど間を置かずに即答した。表情や語気からも、並々ならぬ覚悟である事は容易に読み取れる。しかし、周りの仲間の魔道士達は一様に浮かない表情を覗かせる。
「その意志はすごいと思うけど、とても大変そうだよ」
「ぜーったいオススメしないな! ルエノが伝道士なら特に」
「そうね。私も外の世界はあまり知らないけど、良い噂は聞かないし」
「ここ、まだ明るい国。外には暗い国、いっぱいある」
口々に不安を煽るような情報を発していく。無論それはルエノを心配しての事であるが、その結果が芳しくない事は言うまでもない。しかし、ルエノはそれでも先に告げた意志を貫かんとする。
「だから、僕もお手伝いできる事はないだろうか」
真っ先に手助けを申し出たのは他でもなく、いの一番にルエノと任務をこなしたリオルのリードであった。視線を横に滑らせれば、ポリマやモーノも頷いている。エルバ達の引き止めるような発言の数々にも動じなかったルエノも、表情を大きく一変させる。だが、それで自分の意志をこれ以上揺らがせるつもりはない。
「いえ、これ以上迷惑をかけるわけには行きません。僕は自分自身の目的のために、勝手にここを出て行くだけです」
「ここまでリベロンに関わっておいて、迷惑をかけるも何もないでしょ。君が君の勝手にここを出て行くなら、僕は僕の勝手で君に着いて行くだけだ」
ルエノが強情に言い張るのに対して、リードもリードで譲らなかった。同じ論法で返されてしまっては、ルエノに反論の術はない。だからと言って巻き込みたくもない。たった一度ずつ任務を遂行してきただけの相手であっても、ルエノにとってはもう特別な関係を持った“仲間”なのである。
「ダメだ。期待の星である魔道士の君達が一度に抜けたら、リベロンとしても困ってしまうんだよ」
別に喧嘩をしてあれこれ揉めているわけでもないが、どちらも引き下がらないとあれば、この話も埒が明かない。いたちごっこを見るに見かねて、今まで黙っていたエルバが助け舟を出した。
「だから、同伴するとしても誰か一匹だけだ。もちろん誰かは分かっているだろうね?」
――その助け舟は、ルエノではなくリード達に差し出されたものだった。着いてくるなと言っても着いてくるものは仕方ないと諦めるにしても、ルエノにはその決められた一匹とやらが誰なのか予想がつかない。不思議に思って改めてリード達の方に視線を向けると、モーノやポリマが不服そうにしているのが見えた。
「でも、リードだけが着いていけるってずるいなあ。私もルエノ君と一緒に外の世界に行ってみたかったのに」
「オスロとモーノとポリマはクロスクローバーの出身だから、外に興味が湧くのも分かる。任務以外でのルエノと時間が楽しかったのも分かる。だが、リードの事情を知っているお前達なら、温かく送り出せるだろう?」
エルバの説得で三匹は完全におとなしくなった。選抜されたリードは誇らしげであるが、やはりルエノには事情が掴めない。とは言え、これでルエノがリベロンを旅立つ事とリードが同伴する事は決定した。話が纏まったところで、エルバがわざとらしく咳払いをした。
「だが、そう急ぐ事はなかろう。あんまり大規模なものは期待しないで欲しいが、旅立ちを彩るためにもパーティを開こうか」
「賛成賛成! オイラとびっきりの木の実を持って来ちゃうもんね!」
「いえ、魔導書を狙うものがいると分かった以上、急いだ方が良いと思うので。今すぐにでもここを去ろうかと思ってます。でも――」
ふとルエノの脳裏に、大勢の参加者がいる賑やかなパーティの光景が浮かぶ。それは妄想の類ではなく、記憶の引き出しから突如として引き出されたもの。自分の門出を祝おうとして開かれた会食の映像に懐かしさと息苦しさを同時に感じつつも、その楽しかった雰囲気にまた浸りたいとの念が強く募ってくる。この感覚を思い出したいようで思い出したくない、そんな複雑な心境を解消するためにも、ルエノが出すべき答えは一つであった。
「――やっぱりパーティを開いていただいてもよろしいですか? 別れがあっけないのも、僕としても寂しいので」
『もちろん!!』
モーノとポリマ、そしていつもは感情を表に出さないオスロさえも、とびきりの笑顔を弾けさせた。そうして医務室を一目散に飛び出して会場を押さえ、各々に善は急げと忙しなく動き始める。歓迎会さえまともに開いていなかったため、仲間内で催し物をしたくて仕方なかったのである。こんな賑やかで楽しい日常ともお別れだと思うと寂しく感じつつも、ルエノも一緒になって会食の準備を手伝っていくのであった。