Predication-29 一族の意思
ポケモンが生来持っている炎や水といったタイプと呼ばれる属性は、それぞれが繰り出すワザの効きにも影響する事があって、ポケモン達も種族ごとに持つタイプを記憶している場合が多い。例えば、リオル族ならば格闘を、ピカチュウ族ならば電気を主に扱うというように、種族と属性を結び付けている。これらは一般に隠されている情報ではなく、ワザの効力と共に大体が公の事実なのである。しかし、これが魔法の属性となると少し話は変わってくる。
本来ならば習得し得ないワザを稀に覚える事があるが、魔法も原理としてはその特殊な手段で覚えるワザに相似している。努力次第では自らが苦手とするタイプのワザでさえ扱えるようにもなるように、必ずしもポケモンとしてのタイプと被る属性を司るとは限らないのである。初見で見破られる事は滅多になく、隠し玉として戦いの終盤まで温存している魔法使いも少なくない。故に戦う前から知られている事は、その時点で不利な状況にたたされた事を意味する。
そんな特異な性質を持つ魔法の中でも、さらに一線を画したところに位置するのが、“エンシェント・チャーム”と呼ばれる種類である。一般に短い詠唱で発動出来る現代魔法――“リーセント・チャーム”は手軽さが長所で、誰にでもどの属性でも操れる事が魅力でもある。それに対して、“エンシェント・チャーム”は選ばれし者しか扱えない代物である。生まれが大きく影響する特殊性の高い魔法とも言っても過言ではない。だからこそ、その力を使える者は必然的に怪しまれるのである。
敵からの的確な言葉で真実を射抜かれたルエノは、本の入ったリュックを隠すように反射的に後退りした。その怪しげな行動から自分達の言った事が図星だったと確信したブーピッグとカモネギは、口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。
「やはりか。あのピッピと任務をこなしている最中、何やら特殊な魔法を使うのは見ていたが、それが本当にエンシェント・チャームによるものだったとはな。様子見が思わぬ収穫となった」
「似たような“匂い”がするとは思っていたんだよ。この魔法を使える仲間って言うべきか。この魔法は特に使用者が限られているのでね。しかし、魔導書を持っている者などそうはいない。これは当たりを引いちゃったね」
自分の迂闊な発言のせいで、素性が割れてしまったのではないかと危惧していた。しかし、伝道士だと言い当てられたわけではないのは唯一の救いであった。魔導書を持っているのを見破られた事自体は、ルエノにとっても大した問題ではない。しかし一方で、それ以上にここにはいられなくなってしまうのではないか、もしくは今この時点で味方であるはずのエルバ達から異分子扱いされ、見限られてしまうのではないか――内心不安で仕方なかった。
「――魔導書を持っていたらどうするって言うんですか」
「そりゃあもちろん奪うに決まってるじゃないの。それが揃えば望みも叶うってもんだからね」
じりじりと詰め寄る二匹の前に、渡すまいとしてエルバ達が立ちはだかる。魔導書の一つが相手の手にわたってしまった以上は、もう一つは死守せねばならない。何故ルエノが魔導書を持っているかよりも、そちらの方が優先事項であった。
「必死に守ろうとするのは良いけどよ、そいつが持ってたって何の価値もないんだぞ? 俺達が役に立ててやるから、こっちによこしな」
「素直に応じるとでも思うか。魂胆が分かっているのに、みすみす渡すわけがないだろう。そっちも置いておとなしくお帰りいただこう」
エルバの合図と共に、オスロも攻撃に打って出る。棍棒のような骨を振り回しながらブーピッグに飛び掛かった。何の隙も作らない大振りな攻撃は、大柄な相手にもひらりと身をかわされてしまう。オスロとてそれを想定していないわけではなかった。着地と同時に姿勢を低くし、今度は留守になっている足元を狙い打つ。
しかし、ブーピッグは片足に体重が乗った状態で、軽々と跳躍を決めた。そのまま落下の勢いを利用して、オスロにのしかからんとする。下で待ち受けているカラカラもあらかじめ予想していたかのような動きを見せた。地に落ちてくる前に後ろ跳びで“とびはねる”攻撃をかわし、続いて近距離から骨を投げつける。
確実に捉えたかに見えた“ホネブーメラン”による攻撃も、いつしか肉薄していたカモネギによってすんでのところで弾かれた。今度はオスロに隙が生まれたところをカバーするように、エルバが空気魔法で援護する。一進一退の攻防が繰り広げられる。
「むう、さすがに
魔導士クラスとなると、一筋縄では行かないようで。面白いよキミ達。余興には持って来いだ」
「余興とは我々も舐められたものだ」
「褒めているつもりだとは思ってもらえないのだろうか。せっかく面白い情報を教えようと言うのに」
「時間稼ぎは程々にしておいてもらおう」
「そう釣れない事を言わないでってば。そこのピカチュウくんも一枚噛んでるかもしれないんだからさ」
またしても話題に挙げられ、ルエノの胸の高鳴りは最高潮になる。すぐにでも唱えられる魔法ならば、危険が及ぶ前に敵を黙らせる事が出来る。しかし、ルエノの扱う魔法は長い詠唱を伴うものであり、下手に動けないのが大きな欠点であった。
「さっきの続きになるのだけど、この魔導書に書かれているのが、“エンシェント・チャーム”という特殊なものだというのは説明したわね。元々これって、それを生み出した種族しか読んで扱えないような
防護魔法がかけられているのよ。私を含めた私達の仲間は、これを一部強引に解読した事で、現代の魔導士でも扱えるようになったってわけ。でも、私達以外にこの魔法を扱えるのは、残るはその生み出した種族だけのはず。じゃあ、そこのピカチュウくんは何だって話になるわよね?」
じわじわと追い詰められていくような感覚は、決して心地良いものではない。ルエノは恐怖をおくびにも出さないように必死に堪えてはいるが、エルバやオスロの前で“エンシェント・チャーム”を使用している以上、この流れで怪しまれても致し方ないと半ば覚悟を決めていた。
「実はね、それこそが伝道士と呼ばれた存在なのよ。本来は魔法を伝え歩いて、魔法でポケモン達を導いたと言われる者達ね。もっとも、彼らは最後には悪い魔法使いとして吊るし上げられる事になったんだけど」
悪い魔法使い――そのフレーズを聞いた瞬間に、現れる時に前口上のように語っていた話が脳裏を過ぎる。
「もう分かったかしらね。彼らこそが古代の強大な魔法を持て余し、この世界を恐怖のどん底に陥れようとしていた伝道士だよ! あははっ、まさかこうして、この時代に本物の伝道士一族に巡り会えるとは思ってもみなかったけどね」
だが、最後の淡い期待と望みも容易く打ち砕かれた。高らかな嘲笑と共に正体を明かすブーピッグを睨みつけるが、それで今さら事実が修正されるわけでもない。案の定その言葉に引っかかったエルバは、交戦の意思を抑えて質問を投げかける。
「伝道士だと? 俺も伝説上の存在としてしか聞いた事がないぞ。迫害されたとは聞いていたが、そんな目論見があったなどという事実には根拠など――」
「根拠? そんなの、伝道士の一族たる彼ら自身が葬り去ったんだよ! 事実と共に、遠い昔に全滅してね! あーあ、かわいそうに」
リベロン陣営の三匹は絶句した。エルバとオスロの二匹は驚きから、咄嗟に対象たる背後のピカチュウへと視線を移す。ルエノは怒りと絶望の入り混じった感情から、口を真一文字にして頑として認めようとしない。ただ、普段は押さえ込むはずの負の感情が顕わになっていた。半信半疑であった二匹も、認めたも同然のルエノの素振りを見て信じざるを得なくなる。
「実に滑稽なものだ。自らが守り通そうとした魔法で身を滅ぼすことになろうとは――」
「黙れ」
今までになく低くどすの利いた声を響かせる。そこにいるのはいつもの穏やかな顔を見せるピカチュウではない。目の前にいる二匹を完全なる敵と認め、殲滅せんとする事だけを第一に考えている。
「うーん? なーにを言っているのか聞こえないなあ」
「黙れ……それ以上仲間を侮辱するなああ!!」
ブーピッグの挑発など耳に届かない。頭が真っ白になって何も考えられなくなっていた。冷静さを保つはずの思考が全て沸騰して煮え滾っている。考えるより先に動け。感情の奔流と共に全身から魔力が噴き出し、裂帛の叫びが木霊する。互いに魔法を撃つ準備を整えている間にも、通路が激しく振動し始めた。
「【風と嵐を操りしエンリルよ。あらゆるものを容赦なく飲み込み、引き裂き捩曲げる不可避の竜巻を巻き起こさん――“フィエーヤ・ベーチェル”】!」
「【雷を司りし戦神トールよ。最強の鎚を地に振り下ろし、万物を貫く光明と雷鳴を轟かせたまえ――“アクティス・レランパゴ”】」
ルエノから発せられた風の魔法と、ブーピッグから放たれた雷の魔法が、中央で轟音を上げながら激突する。両者共に“エンシェント・チャーム”とあれば、魔法の違いで差は生まれない。純粋な力比べである。濃密な魔力の競り合いによって、建物の壁には大きな亀裂が入っていく程である。通路一杯に広がる竜巻と光線状の雷のぶつかり合いの軍配は、辛うじてブーピッグの方に上がった。
迸る一閃の雷光は、ルエノの体を的確に捉えた。幾らか軽減された雷の魔法が直撃した瞬間、小さなピカチュウの体は宙に浮き、電気の類に耐えうるはずの皮膚にあちこち火傷を負わせる。それでも甚大なダメージには及ばなかったらしく、ルエノも怒りの形相を失わぬままに立ち上がる。顔にまで表出している感情と意志は微塵も衰えていない。
「お前は許さない……絶対に捕らえてやる……」
恨みを全て吐き出しているようなルエノの挙動には、エルバやオスロさえも背筋が凍るほどだった。今や第三者が飛び込んでこようと眼中にないだろう。それだけ憎悪の念をブーピッグ達に向けて飛ばしている。味方である二匹はおろか、本人にでさえこの感情の爆発は止められないようであった。
「ほらほら。いくら伝道士とは言え、キミを捻るくらい造作もないんだよ。もっと楽しませて欲しいものだったけど、もう目的は果たしたから良いか」
「これだけ知って逃がすと思うか。魔法を使った悪事を未然に防ぐのが我々リベロンの使命でもあるからな」
ルエノを庇うようにしてエルバが再度前に出る。だが、ブーピッグは相変わらずせせら笑いを浮かべている。
「我々の計画を何にも知らない癖にさ。何年もの間こんな魔法を野放しにして悠長に暮らしてきただろうけど、その時代はもう終わりを告げる。全ての魔導書を集めて我々の目的は果たされるんだよ。【天を支配する雷神タラニスよ――】」
「させない。“ビブラシオ”」
短い簡単な呪文の詠唱と共に、オスロは骨で床を鋭く叩いた。骨と床がぶつかり合う音が鳴るのと同時に、衝撃波が可視のものとなって現れ、地面を走ってブーピッグ達に向かっていく。その間にエルバも魔法を唱えきり、通路いっぱいの風の刃を放つ。地と空の両方から攻める事で、どちらか一方でも直撃させようとの作戦であった。
「おっと、俺がいるのを忘れてやしないかい」
カモネギはブーピッグの前に颯爽と飛び出し、詠唱を途切れさせる事はなかった。既に魔法で力を纏わせていた葱の刀を振り抜き、鮮やかに両者の魔法を掻き消した。中断される障害が無くなった事もあり、ブーピッグは悠々と唱えきる。
「【――変幻自在なる雷光を以ってして、責め苦を与える滅ぼしの雷を呼び起こさん――“スティリオ・ブリストール”】」
魔法陣から細い雷が迸り、蛇の如く地を這って突き進む。凄まじい速度で迫り来る雷光は、エルバとオスロに鋭い牙を剥いた。地面タイプという優位をあっさりと覆し、二匹に拷問のような電撃を与え続ける。いわば雷の牢獄のようなものであった。苦痛に歪むエルバとオスロを見て、怒りにばかりに囚われていたルエノも正気に戻った。
「させない。そうはさせるものか。僕がここにいるのは……そのためなんだ。お前らみたいな奴から魔導書を守り、悪用されないようにする事が僕の使命なんだ」
「おやおや、随分とかっこいい事を並べ立てているようだけど、私に魔法で適わないような意味がなくてよ。もう一度焼け焦げるが良い――【雷を司りし戦神トールよ。最強の鎚を地に振り下ろし、万物を貫く光明と雷鳴を轟かせたまえ――“アクティス・レランパゴ”】」
先の雷撃を受けた事で、不思議と思考が落ち着いて頭も冴えていた。余計な雑念を振り払って、魔法に純粋な力を注ぎこめる。今ならそんな気がした。だからこそ、ブーピッグの挑発も何ら響いてこなかった。神経を研ぎ澄まし、相手の魔法に真っ向から立ち向かう。余波となる微かな電流がルエノの体を走っていっても、身動ぎさえしなかった。
「【西風を司りしゼピュロスよ。その春の訪れを告げる豊穣の力を以ってして、立ちはだかるものを打ち消し賜え――“ティテリアー・ヴェント”】」
ルエノの体から蒸気のように噴き出し始めた淡い光の膜が、防護しているようにも見える。焦りを微塵も感じさせないルエノの手から、素早い詠唱と共に迫り来る雷砲に向けて放たれたのは、ただ怒りに任せた魔法ではなかった。穏やかな思いを乗せた防御の優しい風は、ルエノに噛み付かんとする獰猛な雷を見事に手なずけた。今回は冷静さが伴っているため、充分に魔力が練り込まれている。魔法の錬度が高ければ、魔法の基礎威力にかかわらず打ち消す事も可能なのである。
「こいつッ……ここに来て魔力が跳ね上がっただと? 何の小細工をしたんだ」
「何もしていないですよ。ただ、自分の使命を思い出して、頭が冷えただけです。【風を司りし四精霊のシルフよ。我が名の下に旋風の力を解き放て。不可視の力を以って束縛せよ。禁断の力を今ここに顕現させん――“アウラ・フラトゥス・ベンタロン”】」
ルエノの足元に描かれた五芒星の魔法陣は、今までになく輝きを放っていた。その傍らを駆け抜けていったのは、荒々しくとも穏やかとも取れる珍妙な風であった。その風は鎖のようにブーピッグの周りにからみついていく。ただの風だと侮っていたブーピッグ達も、身を締め付けられる感覚でようやく憂慮すべき事態に陥った事を身を以って思い知らされた。
「禁断の力とか言ったようだけど、まさかキミ――」
「ええ、“禁呪”ですよ。それがどうか致しましたか?」
「どうもこうも、何故そんな危険なものを使う……! しかも平然とした顔で……!」
「こうすればあなた達もこの魔導書が如何に集めるべからざるものか分かると思いまして。なるほど、禁呪まではあなたでも扱えないようですね」
ルエノの笑みの裏には底知れぬ冷たい何かが潜んでいる。ただし、それを追究しようとは到底思えなかった。それは敵側も味方側も同じらしく、禁呪の威力にただ圧倒されるばかりである。
「束縛の風の支配下にあっては、身動きも取れないでしょう。おとなしく魔導書を返していただきましょう」
「誰が『はいそうですか』って渡すもんですか。【雷を司りし戦神トールよ――】」
現状を打破する策としてブーピッグが打って出たのは、魔法による禁呪の相殺であった。強力な雷の魔法を以って風の束縛を打ち破らんとする。しかし、詠唱の途中で首元に風の鎖が巻きついて、声を発する事が叶わなくなる。呪文が唱えられなければ、魔法など意味を成さない。
「既に禁呪の効果範囲内にいるのですよ。いかなる抵抗も無駄です」
ルエノの秘策によって、形勢は一瞬して逆転した。何が起こったか分からぬままに手玉に取られ、ブーピッグ達も憤りと戸惑いを隠しきれないようである。雷の魔法から解放されていたエルバとオスロも、ルエノが放つ異様な雰囲気に声を掛け辛く感じていた。だが、振り向きざまに見せた穏やかな微笑を見て、ルエノを避けようとしていた事を恥じた。
「ルエノくん、何と言って良いのか分からないが――とにかくありがとう。体の方は大丈夫かい?」
「ええ、その……すいません。そろそろ限界が来たようです」
微笑はほんの表面的なものに過ぎなかった。エルバに視線を移したルエノの顔色は決して良いとは言えず、ルエノ自身の言葉も嘘ではないのは一目瞭然であった。足元は覚束なく、支えがなければ今にも倒れてしまいそうなほどである。
「魔法の効果は残りますから、後はよろしくお願いします――」
ブーピッグとカモネギに背を向けてもなお、ルエノは最後まで苦痛に満ちた表情を見せようとはせず、そのまま床に突っ伏してしまうのであった――。