Predication-28 魔導書と古代の魔法
下調べと入念な計画の下で堂々と乗り込んできたカモネギたちの狙いは、リベロンに隠されていると言われる魔導書だった。その事実を知らされて、衝撃を受けている者がこの場に二匹いた。一方は、魔導士で構成されているこのリベロンという名の組織において、そこそこの地位を持つフライゴン――エルバで、よそ者に秘密が漏洩しているという事もあって当然の反応である。もう一方は、ここに魔導書なる物が保管されているなど知るはずもないピカチュウ――ルエノであった。心の内の揺らぎは表出しないように堪えつつ、カモネギから目を離さないでいる。
「何故魔導書の存在を知っている。そしてどうしてここにあると推測を立てた」
「推測などではない。確信があっての事だ。情報は意外なところから手に入るものでね」
詳しい情報の入手経路は語るつもりはないらしい。その尻尾を掴んでおけば或いはと思ったエルバであるが、ここはぐっと堪えて意地悪そうに笑うカモネギを見据える。仇を為す相手とあらば排除する準備は既に万全であった。手の中に溜めていた空気の塊を砲弾のようにして瞬時に撃ち出す。隙も前振りも見せない速攻――カモネギはそれを携えた武器による一振りで薙ぎ払った。
「ちったあ落ち着いて話をしようや。大事な事を話そうって時に殺気立っちゃっていけねえな」
決して手加減したわけではない一撃をあしらわれたのは、エルバにとっても衝撃であった。へらへらして構えを解いているカモネギには腹を据えかねるが、相手方が真相を話す素振りを見せる以上はそれに乗っかる他なかった。この場では唯一魔導書が何たるかを知らないらしいカラカラのオスロは、無言を貫いたままルエノの隣に控える。
「こっちとしちゃああんな代物に埃を被せて隠していたのが不思議なくらいだ。お前なんかは特にこの価値を知らないわけではないだろう」
「ああ、知っているとも。この世界に存在する数々の魔法を書き収めたものだろう。それも、一般に知られているようなレベルの魔法ばかりではなく、中には禁忌と呼ばれる魔法さえ綴られているとも言われている。何篇も存在する事も承知済みだ」
「そこまで知っていれば充分だ。だったら、何故これを眠らせておくのかって話だ。こういうのはじゃんじゃん使ってこそ意味があるんじゃねーのか」
明らかな見解の相違である。エルバからすればそんな危険かつ重要なものは厳重に保管しておくべきであり、カモネギからすれば魔法の宝庫たるそれを有効活用しない手はないとの考えであった。互いに譲れない事実を改めて突きつけられ、臨戦の心持ちをより強固にする。その中でも未だ現状全ての把握に至っていない者がいた。
「あの、話、見えてこない。その魔導書が、どうしてリベロンにあるのか」
ルエノにとってもそれは大きな疑問であった。自分が口にする前にオスロの方が先に聞いたことで、胸を撫で下ろしてしまう。そんな心中を悟られぬように平生の態度を装い、目の前で行われるやり取りに耳を傾ける。
「知らないのか? こいつらここの魔導士達は、これを所持する事で魔導士集団として威厳と他に対する抑止力を保ってるんだよ。いずれはこれを使って世界征服でもしたりしてな」
「それは貴様の下らぬ妄想か、はたまた自分自身の計画だろう。我々にはそんな卑しい考えなどない。戯言で弟子達を惑わすのは止めてもらおう」
これ以上話すことはないとばかりに、エルバは躊躇いなく空気砲を放つ。カモネギは手持ちの武器であっさりと薙いで見せるが、その隙にエルバは敵の懐へと飛び込んだ。建物に被害を出さない事を考えると、“だいちのちから”のような力は使えない。得意とする形に持ち込んでの接近戦に打って出る。先に菱形の飾りの付いた尻尾全体に濃紫のオーラを纏わせ、敵を打ち据えんと振り回す。カモネギは葱の切っ先――らしき箇所に当たる面を翻し、“つばめがえし”の要領で弾いた。
エルバは攻撃を防がれて体勢を崩しつつも、口腔に溜めていた息吹を吐き出した。これにはカモネギも対応が間に合わなかった。懐に竜族の力を込めた吐息が直撃し、通路最奥の壁に強く叩きつけられる。だが、カモネギは苦痛に顔を歪める事も無く悠々と立ち上がった。
「魔法に頼りっきりで本来の技の鍛錬がおろそかになってるんじゃないか? 随分と生温い攻撃だな」
「なるほど。これではさすがに効き目は薄いか。少数で乗り込んでくるだけあるようだ」
あくまで相手は単独ではなく少数である。背後に迫る気配を察知している上で、エルバは堅く鋭い爪でストライクの斬撃を受け止めた。エルバも一方的に押されているわけでもなく、二匹を相手に余裕を持って立ち回って相手の実力を測っているといったところである。ルエノとオスロも加勢したかったが、下手に飛び込んで迷惑を掛ける事を考えると、今は静観するのが最善だと考えていた。特にルエノとしては、魔法の詠唱に欠かせない本を取り出すのに躊躇しているのが最大の理由であった。
「どう足掻こうとも魔導書を渡すわけにはいかない。ましてや邪念を持つものの手に渡るなど以ての外。ここで捕らえさせてもらおう」
幸いにもエルバが助けを必要としていないため、ルエノは余計な魔力を使う事も変に勘繰られる事もなく敵を監視していられる。既にカモネギの力の片鱗を見て、真っ向からぶつかっても勝てないと判断したルエノ達には好都合ではあるが、エルバと対峙している間は単に気が回らないだけかもしれない。そう考えるといつ攻撃の目が向いても良いように、気を張っている必要があった。
張り詰めた空気が一体をじわじわと侵食していく、そんな折だった。
そのむかし いいまほうつかいとわるいまほうつかいが いました。
いいまほうつかいは まほうでみなをたすけ ときにはまほうをおしえあるきました。
わるいまほうつかいは いいまほうつかいがきにいらず おおぜいでおさえこみました。
いいまほうつかいは ひっしににげましたが かずではかなわなかったのです。
そのせいで いいまほうつかいは いつしかわるいまほうつかいとよばれ せかいからおいだされてしまいました。
それは滞った雰囲気には似つかわしくない、子供が絵本でも読んでいるような楽しげな調子であった。ルエノ側でもカモネギ側でもない。良く通る明快な別の声が響き渡る。新たな敵の登場を察知して身構えるルエノやエルバ、オスロに対して、カモネギ達の方はむしろ構えを解くくらいの余裕を見せていた。
重厚感のある焦げ茶色の背表紙をした書物を抱えている何かが、カモネギの脇に入り口がある部屋から姿を現した。耳と足回りは濃い、それ以外は薄い紫の体色をしており、頭部と腹部には合わせて三つの黒真珠を備えている。豚のような体躯をしている二足歩行のそれは、のっしのっしと両者の間まで歩いていった。
「なんか、今の聞いた事ある。だけど、どういう意味か良く分からなかった」
「くふふふ、お馬鹿さんばっかり揃ってるのかな、リベロンの諸君は。全く以って知識不足ってところだね。そんなだから適当に保管しているこの魔導書をまんまと我々に奪われる事になるんじゃないの」
悪戯っぽく笑うブーピッグは、手にした魔導書をルエノ達の目の前にちらつかせてからかっていた。目当ての物をすんなり手中に収める事が出来て、ご機嫌な様子である。敵陣に乗り込んできたというのにやけに余裕綽々でいるのが気に入らないエルバだが、今は攻撃の構えを保って鋭い視線だけを投げ掛けるに留める。
「その昔話めいたものが魔導書と何か関係があるとでも言いたいのか」
「あるに決まってんじゃーん。“いいまほうつかい”とやらが何で追放されたと思う? これ、ありとあらゆる魔法が載っている魔導書を独占していたからだよ。他の魔法使いにとっては垂涎の品であり、また同時にその情報量故に脅威となりうるものをある一族が全て所有しているなんて正気の沙汰じゃないと思った事だろう」
「適当な事を並べないでください。あなたみたいな輩が私利私欲の為に奪ったのではありませんか」
怒りを極力抑えた低い声ですかさずルエノが噛み付いた。目つきと言い体勢と言い今にも飛び掛らんとしている。だが、理性等は辛うじて残っているらしく、下手に魔法の本を取り出して臨戦に移ろうとまではしていなかった。ブーピッグは一瞬眉を
顰めるが、大して気にする様子もなく、唐突に口を挟んできた相手を嘲笑っている。
「あらあら、随分と興奮しちゃっている子がいるみたいだけどね。この世界では今はそれが常識となっているんだよん。それもここの連中は教えてくれなかったのかね」
「歪んだ常識など教える必要などないからだ。変な情報を吹き込むのは止めてもらおう」
「おろろ、自分達の都合の良いように歴史を捻じ曲げたのは君達自身だと思ってたんだけど。歴史は繰り返されるのかな。講釈はいい加減飽きてきたから、試しに使ってみようか」
「何を馬鹿な事を。そこに乗っている魔法はそう簡単には使えないはずだ!」
さすがのエルバも実力行使に出る事に決めた。今度はいつもの空気弾を放出する魔法とは構えからして違う。エルバは伸ばした手を交差させた上で、爪を立てて一気に振り抜いた。真空波のような風の刃がその先から生まれ、直線的な軌道を描いてカモネギ達に襲い掛かる。逃げ場のほとんどない素早い魔法攻撃だと言うのに、敵方は悠々と構えて手にした本をゆっくりと開いた。
「【雷を司りし天空神ゼウスよ。その全知全能の力を以って、外敵を瞬時に殲滅する一閃の霹靂を放たん――“ケラヴノス・ラグロムト”】」
ブーピッグは冷静かつ迅速に詠唱を言い切った。その太い指先から電流が迸り、次の瞬間には極太の一閃の雷が撃ち出された。波打ちながら突き進む雷光は、迫り来る無数の風の刃を全て掻き消した。強力な魔法を飄々と放ったのを見る限りでは、威勢だけではない。見た目とお茶らけた口ぶりからは想像できないような、言いようのない不気味さを纏っている。
「さすが“エンシェント・チャーム”だけある。最近の軟弱な魔法なんか軽く凌駕しちゃうんだものね」
風の魔法を撃ち破って余りあるはずの雷撃は、エルバの真横の壁を焦がすに留まった。それは威嚇の為にわざと外したというのが答えであった。ポケモンが持つ
属性においては効果がない攻撃であるはずにもかかわらず、いつしか圧倒されてルエノ達の頬を伝って冷や汗が流れていく。
「厄介な物があいつらの手に渡ってしまったようだな。悪いんだがルエノくんやオスロも手伝ってはくれないか」
「何で……あいつらがあの魔法を使えるんだ……そんなはずは……」
骨を堅く握り締めるオスロの隣で、ルエノは半ば放心状態となっていた。実力のあるエルバの攻撃が易々と撥ね退けられたこと以上に、自分と同じ魔法を使用している事に衝撃を受けていた。わなわなと震える小柄なピカチュウが目に留まったカモネギは、盛大な笑い声を上げる。だが、ブーピッグは真剣な表情を崩さずルエノを凝視していた。
「何だあ? この魔法を見て怯えちまったってか?」
「いいや、そういう風には見えないね。それに、あの態度とか彼の背中から感じるものから察するに……君、魔導書を持っているね――」