Predication-26 “果物魔法”を打ち破れ
三度繰り出された魔法によって新たに出現した果実は、黄色の表皮を纏った甘ったるい匂いを発する別物だった。敵の攻撃による息苦しさを堪えつつ、エルバが即座に羽を広げて風を巻き起こす。一瞬の隙を突いて怪しい匂いの魔法を吹き飛ばした事で、体力を削られながらも敵の術中からの脱却に成功する。新たな攻撃に警戒を怠らないようにしてはいるが、何せ先刻の不意打ちで危機感と思考が一段と鋭くなっているルエノ達は、先手を打つのを止めて魔法の成り行きを窺う事を決め込んでいた。
「おほほ。黙って待ち構えているのなら、遠慮なく行かせてもらうわね。さあ、行きなさい」
動物型のポケモンで言えば手にあたる葉っぱを伸ばしたのを合図に、曲がった形をした木の実――マゴの実はルエノ達目掛けて一直線に飛んでいく。その対処に名乗りを上げたのはカラカラのオスロだった。大きく振りかぶって骨を投げつけ、迫り来る木の実の軌道を変える。照準だった者達からは逸れて、黄色の実はあらぬ方向へと飛んでいく。
しかし、防がれたとてただで食い下がるキマワリではない。今度は両の葉を左右に広げる動作を見せると、放たれた“はっぱカッター”によってマゴの実が真っ二つに割られ、特有の鼻に強く残るような甘い香りが広がる。
「同じ手ばかり食うとでも思ってるのか」
エルバの方も単調な魔法しか持たぬわけではない。ルエノがまだ見たことのない別の魔法を、それも目にも止まらぬ速度で発動させる。クロスさせた両手からは風が巻き起こり、香りの発生源を侵していく。だが、それはエルバが得意とする風の魔法球とは性質が異なり、風で押し遣るのではなく全てを包み込んで流していく。この場合は、三匹を害そうとする毒霧をキマワリの方に押し返す形となった。
「厄介な風ですわね……【“パリエス・パルマ”!】」
あくまでも冷静に、自分の元に自らの放った魔法が到達するよりも先に、呪文を唱え切った。発動と同時に楕円形の巨大な殻が競り上がり、両脇からキマワリを挟み込んだ。奇抜な形の果実の殻は、霧を防ぐシェルターの役割を果たし、全ての臭気が流れ去る頃になって、真っ二つに割れた殻からキマワリが何食わぬ顔で姿を現した。
「あなた達の得意とする魔法は“風”の属性のようですわね。私のは“草”。我々ポケモンとしてのタイプの草と飛行でしたら私に不利ですが、魔法での相性は関係ない。むしろ私の魔法に対応するだけで精一杯のようですわ」
決してルエノ達に分が悪いわけではない。ポケモンとしてのタイプも魔法の属性もあって、地の利はむしろルエノ達側にある。だが、それを感じさせないような華麗な魔法を立て続けに放ってくるキマワリには、想定以上に手を焼いていた。エルバが急遽戦力に加わってもそれは変わらない。効果も未知数の“果物魔法”をどう突破するかが鍵となってくるのだが、いかんせん簡単には攻略法を見出せずにいるのが現状であった。
「ルエノくん、実のところ俺は君がどんな魔法を使えるのか、まだ全てを把握してはいない。出会った時の見立てが間違いでなければ、君はもっと大きな魔法を、それも複数使えるはずだ。違うかい?」
「ええ、確かに使えます。使えるのですが、僕自身全て暗記している魔法というのが少なく、詠唱を唱えている間の隙が大きい等の理由から、素早い対応の求められる実践向きにはまだ昇華できていないのです」
「そうか。ならば、俺があいつに付け入る隙を与えなければ、時間を掛けてでも強力な魔法を使えるというわけだな」
「はい。エルバさんが期待されているような魔法ではないかもしれませんし、扱えるのかは不安はありますけど……」
「だったら決まりだな。あいつの注意が俺の方に向いている内に、魔法を準備してくれ。もちろんあいつはあいつで妨害を仕掛けてくるかもしれないから、オスロはもしもの時のサポート役だ。いいな?」
エルバはてきぱきと的確な指示を与えていく。ルエノにも一抹の不安と緊張が襲いかかるが、何より信頼してくれるエルバに応えようとしっかりとした眼差しで頷いてみせる。空で唱えるにも限界を感じ、背負っているリュックから愛用の本を取り出す。これで動きは制限されてしまうが、その代償に多彩な魔法を使う事が出来る。オスロもその本を物珍しそうに見てくるが、すぐに武器たる骨を堅く握り締めてキマワリを見据える。無口で何を考えているか時々わからないが、今は心強いサポーターである事に間違いはない。相手が奇妙な魔法で攻めてくるならば、こちらは手数とコンビネーションで対抗する。
「【“ドリオ・ピュロボルス”】」
仕切り直しての初手は、キマワリからの魔法攻撃だった。刺々しい殻のような表皮の木の実を撃ちだしてくる。エルバは口腔に蓄えていたエネルギーを吐息と共に一気に繰り出した。ドラゴンタイプが覚える青い衝撃波を吐き出す技――“りゅうのいぶき”は、迫り来る物騒な木の実を確実に捉えた。二つの力がぶつかり合った瞬間、木の実は轟音を立てて爆ぜた。単なる木の実ではなく、爆発するそれだったのである。
爆風と砂煙で視界が悪い中でも、エルバはその自慢の赤い防護眼鏡に覆われた目でしっかりと標的を見据え、一度の羽ばたきで一気に間合いを詰めていく。眼前まで肉薄したところで、爪先に光を纏った片手を振り上げる。“ドラゴンクロー”――ドラゴンタイプの力を籠めた爪で切り裂く技を、エルバは素早いモーションで音も立てぬように繰り出す。
「小癪な真似は通じなくてよ!」
だが、キマワリも視界が悪い中で反撃に出た。黄色い花びらがキマワリの周囲を舞い始め、全方位に飛ぶその群れがエルバに縦横無尽に襲いかかる。一気に爪で切り裂ける位置まで詰め寄っていたが、ここは伸ばした腕を引っ込めて上空へと避難するしかなかった。その余波がルエノ達の元まで飛んでくるが、後退して何とかかわす。エルバも闇雲な広範囲技によって迂闊には近づけず、上からの奇襲に切り替える。
「【“アリア・コンプレシオ・クーゲル”】」
初めてはっきりと耳にしたエルバの呪文。一瞬にして手先に空気を圧縮させ、高密度の球体を形成して撃ち出される。高速で飛んでいく空気の球は、砂煙ごとキマワリを吹き飛ばした。シンプルで何の派手さもない魔法であるが、純粋であるがゆえに強力であった。
「これって僕の出る幕はあるんでしょうかね……」
「あれ、たぶん本気出してない。手加減してる。相手の力量を見極めてるのだろうけど、同時にこっちの方も見極めてる――はず」
下手したら自分たちは必要ないのでは――そう思いかけたところで、オスロがピシャリと言い放つ。試されているのであれば、おちおち気を抜いてはいられない。いつキマワリが突飛な行動に出るとも限らない。今は攻防を観察しつつ、いつでも魔法が打てるように構えておく事が大事だとルエノも実戦で感じていた。
エルバが手を抜いているという事の真偽の程は定かではないが、器用に立ち回って互角以上の勝負を繰り広げているキマワリも相当な実力者と見受けられる。間近で張り詰めた戦いの空気をひしひしと受ける内に、目の前で繰り広げられている光景が別次元の事のようにさえ見えてくる。
「ぼーっとしない」
戦いの最中に流れ弾として飛んできた木の実を、オスロは骨を豪快に振り回して別方向に弾き飛ばした。戦いを傍観するあまり気を散らしていたルエノに対して、オスロは叱責もせず冷静な視線を向けるだけであった。今までの任務とは一風変わった空気に戸惑いを覚えていたが、甘えていられないのは百も承知だった。
「失礼しました。集中します」
見とれている場合ではないと自らに言い聞かせ、この戦況を打破する魔法を必死に探していく。この地形を上手く利用して、かつキマワリに決定打を与える魔法――本をひたすらめくって探していく内に、お目当てのものは見つかった。今なら詠唱に充分な余裕もある。敵に悟られぬよう、それでいて出来る限り力強く声を上げて呪文を唱え始める。
「【砂漠の気象を司るセトよ。その暴風を繰る力を以てして、砂塵を舞い上げ全てを乱舞させる嵐を生み出さん――“ザーム・トルベジノ”】」
繰り出されるのは定番の風の魔法。しかし、今回は舞台に合った特別な魔法を使用する。それは、ワザとして存在する“すなあらし”を彷彿とさせるような、嵐を巻き起こすものであった。ただし、それは視界を覆って徐々に体力を削る――などという生ぬるいものではない。キマワリの足元から一気に旋風を発生させ、向日葵のような体を宙に舞い上げる。
強力な風の魔法はそれだけに留まらず、土壌に埋もれていた小振りの岩を掘り起こし、飲み込んで旋風内を縦横無尽に飛び回らせる。それは鋭利な凶器と化し、キマワリの体を情け容赦なく傷つけていく。地上では優位を誇っていたキマワリも、空中では自由に動く事も出来ず、さらには魔法を唱える隙すら与えない。そんな盛大な嵐を起こしながらも、その渦中にエルバを巻き込んではいなかった事も巧みに風を制御していたのを示している。
「ほほう、これは何とも高度な魔法だな。やはりルエノくんは見込んだ通りだったようだ、上出来だよ」
風が止んで魔法の効果が消えた頃には、騒がしかったキマワリもすっかりおとなしくなっていた。地面に横たわって伸びており、もはやこれ以上手を下さずとも勝敗の結果は見えている。エルバの魔法でダメージが蓄積されていたのもあるが、決定打を与えたのはやはりルエノの強力な砂嵐魔法であった。エルバが息一つ切らさず冷静に評価を下している辺りからも、実戦経験を積ませるための監視つきの任務であったらしい。
「ところで、ルエノくんは随分と興味深い書物を持ち歩いているようだね。さしずめ“魔導書”と言ったところだろうか」
必要のなくなったそれを収めようとしたところで、ルエノは押し込みかけていたその手を止める。エルバの言い回しがどことなく勘繰られている様な気がして、自然と体も強張って警戒してしまう。そんなルエノの心配を余所に、エルバはそこからさらに深く突っ込んでくるような事はしなかった。
「ああ、驚かせて悪いね。気にはなるが、ここであれこれ詮索するのは止めておこう。せっかく戦果も上がった事だし、早速リベロンに帰って祝杯でも上げようじゃないか。まさかここまですんなり事が運ぶとは思ってなかったからな」
キマワリを颯爽と背に乗せて、ルエノとオスロにも乗るように促す。魔導書に軽く触れただけで流してしまったのには釈然としないが、いちいち疑っていてはキリがないと思い、それも力量を計るためにそうしているんだろうと自分自身を納得させる。
帰ったら一度魔法の勉強をし直そう。そしてもっと実力を高めねば。心の内で今後の予定と志を立てたところで、オスロに急かされるようにしてエルバの背中に飛び乗る。後は真っ直ぐリベロンに帰るだけと思いながらも、不意に過ぎる不安を拭えないのであった。