Predication-27 帰還
キマワリとの激闘に何とか決着をつけたルエノ達は、一息吐く間もなくクロスクローバーへと戻ってきた。キマワリの身柄の引渡しを急いでいたと言うよりも、意味深な言葉を聞いてから胸騒ぎが止まらなかったと言う理由が大きく占めていた。町に到着してからも、一刻も早く戻ろうと、エルバは全員を乗せたままひたすら飛び続けた。
そしてリベロンの門の前に辿り着くや否や、異変に気づいて三匹共に絶句してしまう。ここに来るまでに町のポケモン達の姿が消えていたり、いたとしてもその場に倒れて微動だにしなかったりした事があって、口々に不安な思いを並べてはいた。その予感は自分達の居城に戻って来たことで、見事に的中したと思い知らされる。
降り立った瞬間に一同が抱いた違和感――その正体は、普段は魔法で施錠された上に見張りが立っているはずの入り口の扉が、無造作に開け放たれている光景であった。いつもその両脇に立っているニョロゾとサンドパンの姿もなく、中の絨毯が廊下の奥まで延びているのが中に入らずとも丸見えになっている。華々しい帰還とは到底言えなさそうであった。
「どうやら不自然なのは入り口だけじゃないようだね」
最初に足を踏み入れたエルバの言うとおり、建物の中は墓地のような異様な静けさが広がっていて、いつも賑わっている声が建物内に全く響いていなかった。いつもならここにいるはずとの考えから、ルエノは入り口近くにある談話室に真っ先に駆け込んだ。仲間のリードやモーノ、ポリマ、そして兄として慕ってくれるポアロが座り込んで楽しげに話しているだろう――そんな淡い期待も、影一つない空間が目に入って簡単に打ち砕かれた。
「一体どうしたんでしょうか。こんなに静かなリベロンなんて初めてのような気がします」
「だが、魔力を感じるという事は、確実に皆はこの建物内にはいるという事だ。これはかつてない異常事態だな」
目を閉じて神経を尖らせているエルバの表情には、今までにない焦りの色が窺えた。我が家に土足で踏み込まれて荒らされたようなものである。滞在を始めて幾許もないルエノでさえ、愛着が湧き始めて内心不安が渦巻いているのである。以前からここにいるエルバやオスロはなおさら驚きを隠せないようであった。
魔法に関しては
手練れが揃っているはずのリベロンで、謎の強襲に対する対処が間に合わなかった。そもそも何が起きたのか掴めていない状況では何とも言えないが、単なる偶然として片付けられる事でないのは間違いない。まずは確実にここの者がいるはずの場所――ルエノも幾度と無く足を踏み入れた掲示板の部屋だった。
そして、リベロンに戻って第一に発見した仲間は、その任務の貼り紙が壁じゅうにある部屋のど真ん中に居座るドンメルとパッチールのコンビだった。だが、決して息を潜めて帰りを待ち構えていたのではない。中に入るなり待っていたのは、依頼書の張られた掲示板の前でぐったりと横たわって身動きもしない二匹の姿である。急いで駆け寄って容態を確かめると、どうやら眠っているだけらしく、命に別状はないようであった。
「何で揃って寝てるの。仕事さぼってないで起きなよ」
オスロが骨で軽く頭を小突いてみるが、人形の如くまるで反応はない。かと言って容態は気絶の類でもなく、寝息を立ててぐっすりと眠って夢の世界に入っており、ちょっとやそっとの事では起きそうにない。念の為に数回揺すったりなどいろいろ試してはみるが、どれも思ったような成果は得られず、ルエノ達も二匹を起こそうとするのを諦める。
「さて、これはどうしたものかな。もしこれがこの建物中――ひいては町中で起こってるんだとしたら、原因は何か突き止めないといけないだろうが……」
さすがのエルバも困り顔で立ち尽くしていた。町中のポケモンが眠りに落ちるなど前代未聞の出来事で、その真実を知る者はこの場にはいないという事になる。それが何者かによって故意に引き起こされたものなのか、自然に発生した何らかの現象によるものか、それさえも分からずじまいである。
手がかりもなく意気消沈していたところに、無音の巣窟と化していた建物内に物音が響いた。偶然何かが落ちたような衝撃音ではなく、確実に何者かの存在を誇示する足音であった。三匹の中では最も聴覚に優れたルエノを先頭に、音の出所を突き止めて階段を駆け上っていく。だが、それも完全に上りきる前に遮られることとなる。
「貴様らは魔導士の残りだな! 誰も目覚めた者はいないと思っていたが、つまりこの状況で健康状態にあるということは――」
二階への折り返し地点で遭遇した初めての健常者――スリーパーは、三匹の無事を認めるや否や、敵意を剥き出しにしていた。すぐさま半歩下がって身を後ろに逸らし、手に持つ振り子からサイコパワーの塊を飛ばしてくる。狭い階段や廊下では大きな動作で攻撃を躱すのは至難の技で、ルエノ達は必然的に魔法に頼らざるを得なくなる。
「【“アリア・コンプレシオ・クーゲル”】」
真っ先に迎撃に転じたのはエルバだった。圧縮した空気の塊で相手の攻撃を相殺すると、通路の幅を物ともせず飛翔して襲撃者に急接近する。スリーパーはよたよたとした足取りで上へと逃げて廊下の角を曲がり、不格好ながらも一時退避する。今は唯一現状を把握している存在という事もあって、三匹は意地でも事情を聴こうと全力で追いかける。幸運にもスリーパーの逃げ込んだ先は袋小路で、壁を突き破らない限りは逃げ場はない。
「くっ、来るな! こちらには眠りの類は通用しないのだからな!」
「俺達が誰かを忘れたか。勘違いしているようだが、こちらも急いでいるのだ。丁寧に説き伏せるのも手間だから手短に言う。たった今任務から戻ったばかりで現状が掴めない。知っている事は洗いざらい話せ」
エルバが高圧的な態度を見せるのは、同じくスリーパーと対面した時以来であった。囲まれてもなお反撃の意思を抱いていたスリーパーも、対峙した事でルエノ達の存在を改めて正しく認識すると、攻撃の構えを解いて落ち着きを見せた。性格が捻くれていても聞く耳持たずな厄介者でない事はまだ喜ぶべき事実だった。スリーパーは自分以外の建物中のポケモンが意識を失っている事実に直面した事で、その中で動いている存在こそ騒動の犯人だと判断していた。つまるところルエノ達をこの事件の犯人だと勘違いし、敵対視して攻撃に転じたのである。しかし、ようやく誤解が解けた事で一安心すると共に、謎の解明に一歩大きく前進する事となる。
「そういえば、ここの奴らが一斉に眠りに落ちる直前、鐘の音が響いていたような気がする」
決定的な発言がスリーパーの口から放たれた。鐘の音――それは定刻を告げるだけでなく、目覚ましの魔法が掛けられていると先日もエルバの口から聞いた。しかし、それではむしろおかしい。目覚ましの魔法がリベロンを中心として町中に轟いているならば、全員が眠っているというのは本来発揮される魔法の効果とは真逆の状態である。
「もしかしたら、ですけど、犯人らしきポケモンが分かったかもしれません」
瞬時に一匹のポケモンの姿が脳裏に浮かんだ。ルエノには今回の事に心当たりがないわけではない。かつて遭遇して一戦を交えた相手に、逆転魔法を使うストライクがいる。それならば目覚める効果を持つはずの鐘の音が逆に聴いた者を眠りに落とすに至った説明も付く。だが、そのストライクは別のポケモンの助力もあって何とか撃退したはずだった。それは他でもないルエノ自身が証人である。かと言って犯人の候補からは外せない。むしろそれしか考えられなかったのである。
「ふむ、それはルエノくんの勘も混ざっているわけだ。それならば俺はそのルエノくんの勘を信じよう。さて、そいつは一体どこに潜んでいるのかが問題だが」
根拠と言う根拠は少ない。そんな中でエルバは全幅の信頼を置いてくれると言うのだ。ルエノもそれに応えないわけには行かなかった。自分達のポケモンとしての直感や能力で解決できないならば、頼りになる魔法がある。この状況に適した魔法を閃きと記憶の中から即座に探り当てた。
「確か書庫の本を漁っていて、敵の居所を察知する魔法を見つけました。今からそれを使えませんか。僕はその呪文を覚えていますので」
「そのアイデアは良いと思う。だが、それには一つ分からない事があるだろう。その系統の魔法には付き物の条件があるはずだ」
「ええ。一度対面したとは言え、相手の波長まで覚えきれてはいません。ましてこの建物には様々なポケモンが出入りしますから、仲間以外ははっきり言って見分けがつきませんね」
「それじゃあ、ここはオスロの出番になるな。ルエノくんの記憶力もありがたいが、彼なら居所を察知するのも同時にこなせる。オスロ、頼んだよ」
魔法に関する実力は未知数である。エルバが信頼を置いて任せるくらいであるならば、現状を打破する魔法を持ち合わせているのだろうと期待を抱いて見守る。二匹の仲間の視線を背中に受けながら、オスロは手に持った骨で壁を叩いた。強くも弱くもない力で打ち据えられた事で、鈍い震動が通路に響き渡る。
「一体何をしているんですか?」
「彼は震動に関する魔法を操るんだ。空気とも関係があるから、属性は風に近いんだろう。まだ新参のメンバーでは唯一俺が手解きをしているんだよ」
オスロもまたエルバに信頼されている存在である。急かす必要もないため、ルエノも彼を信じてじっと待つ事にする。オスロは集中力を高めるためにゆっくりと目を閉じ、骨ではなく手で直に壁に触れた。
「【“サント・トレルス”】」
呪文の発声と共にオスロの手から漏れた光の波が、蛇のように壁を走っていった。波が視界から消えてしばらく経った後で、オスロがぴくりと身動ぎしてルエノ達の方に振り返った。オスロからはほとんど表情が窺えないが、それでも自身に満ちている事だけはルエノにも分かった。
「捜しているやつ、捕捉した」
願ってもない朗報だった。引きとめようとするスリーパーを残し、すぐさま移動を開始する。このリベロンという魔道士の集う建物には、高位の者しか立ち入りを許されていない区域がある。オスロが察知したのは四階へと続く階段の先で、ルエノやオスロにとっては未知の領域であり、一度立ち止まってエルバの指示を仰ぐ。
エルバは躊躇う事無く先へと進むように促した。何かあった際は責任は取る。だが今は些細な掟に従うよりも優先すべき事がある。そう言い放って、先陣を切るように一っ飛びで上階まで辿り着いた。
「ルエノくんの予想は当たっていたみたいだね――“半分”は」
想像していた両腕に鋭い鎌を持つストライク――そのポケモンの傍らには別の影があった。茶色の体毛を持つ鳥類の姿をしたその者は、ルエノ達の姿を捉えるなり片手に携えた自慢の葱を向けて挑戦的な態度を取っている。動揺している様子は微塵もない。一方でルエノはその相手――カモネギを認めたと同時に打ち震えていた。
「何故あなたがここに……あなたはそのストライクを捕らえるのに協力してくださったはずじゃ……」
「そうさ。協力したさ。こいつをこの建物に上手く忍び込ませるためにな。まんまと騙されてくれてこっちとしても助かったと言うものだ」
カモネギはほくそ笑みながら淡々と語る。ルエノもそこでようやくポリマとの任務そのものが彼らに仕組まれた罠だった事に気づかされた。その瞬間から、全身の血が沸騰するかのように怒りが込みあげてくる。今までエルバ達の前では負の感情をおくびにも出さなかったルエノが、初めてその表情を険しく鋭いものへと変貌させた。
「またそうやって裏切るのかっ!! 何故そう平然と他人を売る真似が出来るんだあなた達は!」
普段は穏やかなルエノの激昂。かつてない怒気を篭めた裂帛の叫びは、まるで哀しみの咆哮のようにも聞こえる。脇にいるエルバも怒りに震える姿にはたじろぐものがあった。しかし、それも無表情を貫くストライクと未だに薄気味悪い笑みを浮かべるカモネギには全く通じていない。
「勘違いしてもらっては困る。裏切ったんじゃない。最初から利用するつもりだったのだ。君の記憶か何かと混同しないでもらおうか」
「ルエノくん、こいつの陳腐な煽りには耳を傾けない方が良い」
興奮するルエノを宥めつつ、エルバはカモネギとルエノの間に入った。両腕の間には魔力を溜め込んでおり、いつでも攻撃する構えは出来ている。それでも悠々としているカモネギの動きに細心の注意を払いつつ、エルバは質問を投げ掛ける。
「ところで、ここに押し入った理由は何だ」
「決まってるじゃないか。ここに隠されている
魔導書をいただきに来たのだよ――」