Predication-25 マダム・フルーティ
風も吹きつけぬ砂の大地に、幾度と無く自然発生のものではない突風が巻き起こされる。その風に混じって鼻腔に強い刺激を与える匂いや、逆に心和むような甘美な香りが撒き散らされていく。――その渦中にいるのは、ルエノ、モーノ、エルバの三匹である。エルバの的確な誘導もあってルエノ達は到着早々に、自らをマダム・フルーティと名乗るキマワリと交戦中にあった。フィールドは砂と言う事もあり地面タイプであるカラカラのオスロとフライゴンのエルバには分があるが、エルバは一切手出しはしようとはしない。あくまでもルエノとオスロが請け負った任務だという認識は変わらず、戦闘も任せっきりにしている。
「右、来るよ」
オスロの忠告に従って後退すると、ルエノの立っていた場所に切れ味鋭い葉っぱの群れが通り過ぎていった。ターゲットとなるキマワリは魔法のみならず通常の技も巧みに使いこなしており、予想以上に苦戦を強いられていた。今のところはかわすのが精一杯で、ルエノ達の防戦一方となっている。
「おーっほっほっ! さっきまでの威勢はどうしたの? そんなんじゃ掠り傷一つ付けられないわよ!」
キマワリが高笑いをしている隙に、オスロが骨の棍棒を投げつけた。回転しながら迫る棍棒を、キマワリは横に体を逸らして易々とかわしてみせる。円軌道を描きながら旋回し、再度キマワリ目掛けて接近していく。
「良いコントロールしてるわね。でも、魂胆は見え見えよ!」
背後を一瞥して骨が戻ってきたのを確認すると、正面からのと同じ要領で“ホネブーメラン”を避けた。しかし安堵できたのも束の間、振り返ると眼前にはオスロが骨を携えて飛び掛ってきていた。勢いのある棍棒の重い一撃を喰らって、キマワリも苦痛に顔を歪めながら後退する。後ろを向いてる隙に手元に戻る途中の骨を自ら回収に向かい、そのまま攻撃に転じたと言うわけであった。
「なかなかやりますわね。私もそろそろ本気にならないとね!」
「口の減らない奴だな」
草タイプに対して地面タイプの攻撃は効果が薄い。余裕を見せるキマワリが気に入らないのか、オスロは追撃をするために速攻を仕掛ける。待ち構えているキマワリは両手の葉っぱを広げ、その先から黄色い粉を大量に放出する。間合いを詰めてしまった事で回避行動も間に合わず、怪しい粉の嵐に飲み込まれる事を覚悟したその時、突風が二匹の間を駆け抜けて粉を全て遥か遠くへと掻っ攫って行った。
「僕がいる事を忘れないでください」
五芒星の魔法陣を足元に展開しているのは、しっかりと二匹の戦闘の行く末を見ていたルエノだった。敵にも気付かれず且つ攻撃を防げる絶妙のタイミングで風の魔法が発動し、突撃を仕掛けて守りが疎かになっていたオスロの危機を救った。
「なーかなかやるじゃないの、あんたたち。これで少しは退屈凌ぎになりそうだわ」
「退屈凌ぎだなんて冗談じゃない。とっとと倒させてもらう」
「それはどうかしらね。この通り名の所以を身を以って分からせてさしあげましょう」
言い草は相変わらず余裕綽々と言った様子ではあるが、目つきが明らかに変わった。並の相手でないことは覚悟済みであったが、その異様さにルエノもその警戒度をさらに高める。
「【“ブリント・リマオン”】」
今まで手の内を明かさなかったキマワリが、ここに来て真骨頂たる魔法を発動させた。葉っぱの両手を掲げた先の空間に、楕円形の黄色い果実が出現する。それが中央で真っ二つに分かれると、円形の断面がルエノ達の方に向いた。次の瞬間、不可視の力で外側から果実が圧縮され、切り口から大量の液体が放出された。未知の魔法に見惚れている内に、ルエノ達はもろにそれを浴びてしまう。
「ああっ、め、目がっ……!」
強い酸性の液体は、強力な目潰しとなって二匹に襲い掛かる。ただの水とは比較にならない、断続的な痛みが目の中で爆発を起こす。視界を確保しようとして下手に開けようものなら、空気に触れた折にさらなる痛みに苛まれる。
「さあさあ、まだ始まったばかりですわよ! 【“フィニカス・カノーネ”】!」
目を潰されて身動きできない二匹を尻目に、キマワリから次なる攻撃が淡々と展開される。地面から大量の砂を迫り上げて、二本の細い樹木が天に向かって伸びていく。天辺の羽上の葉っぱが密集する根元には楕円形の藍と茶色の実が生えている。大きく育ったそれら――シーヤの実が木から離れ、ルエノ達の頭上から投下される。
目が見えずとも、気配で異変に感づいたオスロが真っ先に動きを見せた。骨を握り締めて軽く跳躍し、頭上に向かってがむしゃらに振り回す。落ちてきた堅い木の実は数も少なく、やけっぱちに近いオスロの“ボーンラッシュ”によって全て地に叩き落された。
「あらあら、つまらないわねえ。この木の実が美味しいのに!!」
自分の足元まで飛ばされたシーヤの実を拾うや否や、キマワリは鋭い葉を繰り出して実を真っ二つに裂いた。果肉の詰まっていない部分から溢れた果汁を悦に入った表情で飲み干していく。悠々とルエノ達が視力が回復するのを待っている辺り、戦いを楽しんでいるようだった。
「完全に遊んでいるな。全く、よくもやってくれたものだ」
傍観を決め込んでいたエルバが、ここに来て重い腰を上げた。口調こそ穏やかではあるが、その赤い眼帯越しに鋭い眼差しをキマワリに向けている。その迫力にさすがのキマワリも一瞬たじろぐが、すぐに“笑顔”に戻してエルバを睨み返す。
「あーらら、あなたも私の魔法の餌食になりたいのかしらん?」
「生憎だがそれは御免被る。こちらとしてもさっさと任務を終わらせたいものでね」
出し抜けにキマワリが放った
葉刃の群れを、エルバはたった一回の跳躍で軽々とかわす。すぐさま空中で体勢を整えると、片手を突き出して円を描いてそれを掴むような動作を見せる。キマワリが魔法で生み出した花粉を上空に向けて放つと同時に、エルバが再びその手を開いた刹那、風が渦巻いて激しい気流が生まれる。徐々に空気が圧縮されて風の球体が形成されていき、撃ち出されたそれは花粉ごとキマワリを吹き飛ばした。
「【“プラタノ・スフェラ”】」
しかし、キマワリもここで負けじと食い下がる。どこからともなく現れたナナの実が空中に浮遊したかと思うと、一つ一つの房に分かれて弾丸の如く飛び出す。ルエノとオスロは迎撃に向けて身構えるが、たかがナナの実など防ぐまでもないとするエルバは翼を羽ばたかせて砂嵐を巻き起こす。荒れ狂う風の勢いで落下するだろう――そう思われた桃色と黄色の三日月形の木の実は、その強固で色鮮やかな皮を脱ぎ捨て、中の柔らかい実だけがルエノ達に直撃する。だが、その実が崩れて体がべとつくだけで、付着しても特に効果が現れる様子はない。
「単にナナの実をぶつけるだけとは、なんつーふざけた魔法だ……」
「あら、真っ当な魔法ばかりではありませんもの。それにしても、こちらはまだまだなのに、そちらは随分と疲れた様子ですね。残念ですわ――全く以ってつまらなくてよ」
息切れ一つ起こしてないキマワリの言葉は真実味が帯びている。あくまでもこの状況を楽しんでいるようで、その上自分が捕まるなどとは微塵も思っていないのである。実力を兼ね備えているが故か、大胆不敵な態度も充分頷けた。だが、ルエノ達とて一方的にやられるばかりではいられなかった。
「エルバさん、僕はどうすれば良いんでしょう」
「これは予想以上に厄介な相手みたいだからね。ここは俺も協力しよう」
ルエノ達の方から仰ぐまでもなく、エルバは助太刀を申し出た。心強い援軍であるが、裏を返せばエルバが手を貸さなければ捕獲できないほど手強い相手であるという事実を突きつけられた事になる。こんなところでたじろいでいられないと、ルエノとオスロも揃って気合を入れ直す。
「【“アドカボロ・パルファン”】!」
その勢いをここで止めようと、キマワリは続けざまに魔法を繰り出してくる。現れたのは卵形の黒い果皮を持つ果実で、呪文が異なる事からも先の二つとは違う物であるのは明白であった。だが、むざむざと発動を待っているルエノ達ではなかった。ルエノとエルバが同時に魔法を展開し、先に唱え切ったエルバの魔法が発射される。圧縮された空気の球が果実を捉えた瞬間、突風と共に中の実ごと弾け飛ぶ。これて相手側の目論見を阻止した――魔法を打ち砕いた事から安堵したエルバ達であったが、対してキマワリは至って冷静に構えていた。詠唱途中で待機していたルエノも、最後まで唱えずに出方を伺う。
――そして、異変は突如として訪れる。風によって撃破した果実の香りが運ばれてきたのを嗅覚で感じた。その甘く油っぽい香りを甘んじて受け入れてしまったのは失敗だった。急に目眩に襲われ、三匹揃ってその場に崩れた。
「なんだ……これ……」
「【西風を司りしゼピュロスよ――】」
途切れた集中力を再度高めて怪しい芳香を吹き飛ばそうと試みる。だが、肝心の防御の風が吹く事はなかった。激しく咳き込んで詠唱どころではなくなり、出かけていた魔法陣も光を失って消えてしまう。苦しそうに地に伏せている三匹を、キマワリは悦に入った表情で見下ろす。
「真面目に構えてばかりで面白みに欠けますわね。じゃあ、私の方で少し楽しく盛り上げてあげましょうか。【“マンゴリス・ベネノ”】!」
ようやく新鮮な空気を吸って体勢を立て直そうとするルエノ達の頭上に、快活な発声と共に新たな果実が現れた――