Predication-22 体に刻まれしもの
「ぽ、ポリマさん? 何故そんなところにいらっしゃるのですか?」
危機を免れて緊張が解けるのも早々に、ルエノに大きな衝撃が走った。嬉しい誤算には間違いないが、壁を突き破っての登場には驚きを隠し切れない。想像だにしなかった役者の飛び入り参加に、ルエノはただ呆然と立ち尽くしていた。
「何故って言われても、私も良く分からない。突然後ろから押されたかと思えば、あの中に閉じ込められちゃったのよ」
軽く払っているポリマの手には、ぼんやりとした淡い銀色の光が残っていた。何か力を篭めたパンチで壁を突き破った事は推測出来たが、それだけの破壊力を秘めた技を持っていた事にルエノは人知れず動揺していた。ポリマはポリマで状況が上手く飲み込めず、辺りを頻りに見回していた。
「閉じ込められたと言う事は、その犯人はこの屋敷にいたポケモンという事ですよね。もしかして、あのストライクですか?」
「いえ、その姿は見てないの。ところで、そのストライクって誰?」
吹き飛ばした壁の残骸で倒したなど、本人は知る由も無かった。ストライクは今もばらばらになった木材の下敷きになっており、ルエノの視線も自然とそちらに向かっていく。不謹慎だとは分かっていながらも、ポリマは笑いを堪え切れなかった。
「もしかして、あの下に埋まってるの?」
「え、ええ。結構な数が当たってましたから、伸びているのだと思います」
全く動かない事を確認して、ようやくルエノも胸を撫で下ろすことが出来た。散々追い回された挙げ句、隠れていたところを見つかって逼迫した状況から一転して、心に平穏が訪れた。どんでん返しの喜びの余韻に浸っていると、ふと別の疑問が浮かび上がってきた。
「そういえば、そのストライクは様子が随分と変でしたね。何か心ここにあらずと言うか、まるで本人の意志が感じられなかったと言うか」
「それってどういう事? そんな怪しい奴がこんなところに住み着いていたって事に誰も気づかなかったのかしら。こんな小さな村なんですから、村民の数なんて高が知れてるでしょうに」
何を考えようと憶測の域を出ないので、ルエノも首を傾げるしかなかった。相変わらず謎は多いままであるが、これで一件落着だと思い、出口の方へ歩みを進めていく。薄暗い中で足元に散らばった木片などに注意しながら、二匹は一戦を交えた部屋を後にした。
眩しい日差しが入らない廊下を無言で歩く内に、ルエノは不意に窓の外を見遣った。木々の茂った敷地の中央にある建物であるため、太陽の姿を目視する事は不可能であり、太陽の傾きによる時間の経過を知る事は出来なかった。だが、微かながらも光は零れてきており、辺りに広がる深みのある緑を一層映えさせる効果を施していた。
「暗いところではありますが、何だか美しい世界ですね」
玄関に一番近い、またしても窓の側でルエノはふと足を止めた。ここに来るまでに何度も見てきた景色だと言うのに、ルエノは改めて見惚れているようだった。新鮮味も変化も特に見られない深い密林で感慨に耽っている彼を、ポリマは温かい目で見守っていた。物腰はどこか堅さが残るのに、時折見せる子供のような眼差しが彼女を自然をそうさせていたのである。ひとしきり外を眺め終わった後で、ルエノは穏やかな目つきで玄関のほうに振り向いた。
「何だかお待たせしてすいません。この不気味な館から出ましょうか」
「そうね。こんなところにもう用は無いし」
「――俺にはまだ貴様らに用があるんだがな」
どすの利いた低い声。聞き慣れぬ、そして聞きたくはなかったものが二匹の間に割って入るように突き抜けていった。最初は素直な体が硬直してしまったが、何とか恐怖の呪縛を振り解いて振り返ると、先ほど気絶したはずのストライクが廊下で仁王立ちしていた。呆気に取られているルエノ達を尻目に、ストライクは両腕を研ぐように擦り合わせ、攻撃の意志が充分であることを誇示していた。
「ルエノくん、逃げましょ!」
二対一でも苦戦を強いられることを瞬時に判断し、ポリマはルエノの手を引いて一目散に駆け出した。背中を向けて離れていく二匹を追撃する様子もなく、ストライクは不気味に舌なめずりをしながら傍観しているだけだった。
「おかしいですね。何もしてきませんが」
「たぶん自分でもどうしていいのか迷ってるのよ。今のうち距離を稼ぎましょう」
リュックを背負って二足で走っているルエノの手を放し、ポリマとルエノは前だけを向いて全力で走り続ける。似たような木々が行く手に広がる中を要領よく通り抜け、何とか森からの脱出を図った。村にさえ戻れば何とかなると信じて、一心不乱に足を前に進めていく。
「用があると言っただろう」
無我夢中で走っている中で、またしても背後から聞こえてきた。危険を察知して振り向こうとするが、その暇すら与えられなかった。鋭い一閃――ルエノは強襲を受けて大きく身体を吹き飛ばされた。
「ルエノくんっ!」
襲撃に気づいて踵を返したポリマは、素早く拳を構えてストライクに立ち向かっていった。銀色の光を纏い、尾を引く筋を残しながら接近していく。しかし、リーチの長さが圧倒的に違い、あえなく鋭い鎌で瞬時に薙ぎ払われてしまった。
「お前はそこでこいつが料理されるのを見てろ」
ストライクは腕を振り上げて倒れているルエノに向かって突きつけた。だが、小芝居がかった動作は隙を作り、ルエノは叩き付けられて痛む体を無理矢理起こして攻撃範囲から逃れた。視線がポリマに向いている内に反撃に移ろうと本を構えるが、声を発し始めた頃には本と自分に大きな影が被さってきた。
「【冬の北風を司りし――】」
「遅いな」
長い詠唱と言い切る時間など与えてはくれなかった。瞬時に背後へと回りこみ、鋭い両手の武器を叩き付けた。“みねうち”――つまりは渾身の一撃ではない。相手を格下に見たが故の、力を抜いた攻撃だった。
「がっ――」
それでも防御の間に合わない攻撃に変わりはない。易々と頭部への強打を許し、ルエノはその場に崩れ落ちた。顔が草の上に力なく落ちるのを感じるのも間もなく、ストライクは逃がしまいとその頭部を踏みつけて身動きを取れなくした。
「さてと、どう料理してくれようかな」
止めを刺すつもりだ――頭の中で警鐘が大音量で打ち鳴らされており、すぐにでも態勢を整えようと試みた。だが、圧倒的に速い敵の動きに翻弄されっぱなしのルエノは、良い策が浮かばずにいた。上から掛かっている強い力に加えて、脳が揺さぶられている事もあって、思うように体も動かなかった。
「覚悟を決めたようだな……」
そう言って仰々しく鎌を振り上げた瞬間に、突如として異変が起こった。その主語たる者はストライクであり、見る見るうちに表情が苦痛に満ちたものへと変わっていく。高々と伸ばした腕をゆっくりと下ろして押さえた先は、謎の光が明滅している腹部だった。鎌で覆われてからはその正体が掴めなかったが、その前に体に浮かぶ紋章が僅かに見えた。
「動きが鈍くなった? これは一体なんでしょう」
「ルエノくん、今のうちに逃げ――」
ポリマも背を向けかけたところで、ストライクは顰めた顔のままルエノの方に歩み寄って攻撃の構えを取っていた。しかし、そこにはさっきまでの整った美しい構えは消え失せ、明らかにでたらめな鎌の振り方をするストライクがいた。そこだけ見ればもはや別固体だと見紛うほどの変わりようである。
「オマエ、タオス……」
理性を失っているようで、半ば白目を向いた状態だった。より一層身の危険を感じたルエノは、重い本を抱えたまま走り出そうと試みるが、足を軽く掬われて転倒してしまう。ふらふらと近づいてくるストライクから逃げられないと悟ると、ルエノは絶体絶命の状況で静かに目を閉じた。
「――おい、大丈夫だったか?」
いつまで経っても敵の攻撃が当たらない事に疑問を覚えて視界を開くと、そこにはストライクの一振りを棒状の物で受け止めている別のポケモンの姿があった。窮地に陥ったところで颯爽と駆けつけたのは、村で出会ったカモネギだった。思いも寄らぬ援軍の登場に、ポリマは援護する事も忘れて立ち尽くしていた。
「そういえば怪しくて危険な建物があることをすっかり忘れていてな。危機一髪だったな」
後ろ向きでルエノに話し掛けながらも、カモネギは絶妙な力加減で敵の攻撃を押さえていた。ストライクが力任せになっているとは言え、狂気を放っている危険な相手を目の前にしても、そつなく対応している。だが、ルエノがそれに感心している暇もなく、カモネギは自慢のネギを振るってストライクを押し返した。
「キサマハ、マサカ……」
「何だか知らないが、余計な手間を掛けさせないで貰いたいものだ」
ストライクの独り言などカモネギにとってはお構いなしだった。嘆息に似た呟きを残した後で、カモネギは細い両足を曲げて姿勢を低くすると、溜め込んだ力で一気に加速をつけた。“でんこうせっか”にも引けを取らない速度で接近し、そのまま相手の脇を素早く通り過ぎていった。すれ違いざまに腹部に一太刀をお見舞いすると、次の瞬間にはストライクはうめき声を上げることすら許されずにその場に崩れた。
「もしかして、今ので倒してしまったのですか?」
「“みねうち”に過ぎないけどね。ともあれ、無事で何よりだよ。君達がいなくなってしまっては困るからね」
立ち振る舞いはさながら剣士のようだった。ネギを斜め下に軽く振るい、鞘の代わりに脇に収めた。ルエノが本を脇に置いて深々と頭を下げると、カモネギは爽やかな笑顔で肩を叩いてくる。物珍しそうにまじまじとルエノの本を見た後、感嘆の声を上げながら自らの手――もとい翼を差し出した。それに捕まらせてルエノを立ち上がらせ、ポリマの元へと歩み寄っていく。翼で洋館とは逆方向を指していた事から、村に戻るように促していた。
「それで、このストライクさんはどうしましょう。このまま放置していても、じきに目覚めてしまうでしょう」
「それならこちらに任せてもらおう。一応この村の敷地内で起こったことだから、自分達で始末するから心配は要らない」
本来ならばこれで一安心なのだろうが、ルエノとしては未だに釈然としないところがあった。この場に置き去りにして離れるのも納得がいかないが、村のリーダーが大丈夫だと言い張る以上は取り越し苦労だと考えることにする。ましてやカモネギの実力を垣間見た後では尚更だった。
「そうですか。それならいいのですが……。よろしくお願いします」
頼もしいカモネギの言葉に甘え、ルエノ達は一息吐く為に村へと引き返し始めた。突然襲ってきたストライクと異変の謎に頭を悩ませつつも、休息を求めている体には逆らえず、後ろ髪を引かれるようにその場を立ち去るのだった。