Predication-20 呪いの館にようこそ
呪い――それは古くから言い伝えられる物で、悪意を持った霊などによって災厄や不幸が齎される事を指し示す単語である。決して好まれるような部類の物ではなく、むしろ忌み嫌われる事が多かった。特にその存在が世間に広く伝わっている建物と言えば、誰からも怖がられる事が至極当然の事で――
「んもうっ。ぎしぎしとうるさいんだから」
――ポリマにおいては例外らしく、怖がる素振りなど微塵も見せなかった。気にするのは建物全体に漂う変な雰囲気よりも、溜まった埃の不快な感覚や、踏み締める度に軋む床板の方だった。肝が据わっていると言っても良いのだろうが、何より恐怖の欠片も無い事に、ルエノも密かに驚いていた。
村の全ての家を訪問し終えて林の中央に辿り着くとすぐ、二匹は薄気味悪い洋館に足を踏み入れていたのだった。中は光の差し込む隙間も無いらしく、木々の間を塗って到達する僅かな光で内部が照らされる程度だった。元は豪華な邸宅である面影こそあるが、今となってはほぼ廃墟に近く、生活の跡だけが残る抜け殻と化していた。
「確かに危ないですね。歩くだけでも随分音が鳴ってますし」
床が抜けやしないかと恐る恐る確認しながらの探検であったため、進行速度は芳しくなかった。おまけに薄暗い上に埃っぽい事も重なり、決して楽しい気分にはなれなかった。これで探している相手がすぐに見つかりでもすれば帳消しになるのだろうが、現実はそう甘くなく、影も形も見当たらない状態で歩き続ける事を強いられていた。
「こんなところに本当にポケモンがいるのかしらね。ゴーストタイプのポケモンならいそうだけど。それとも、本当の幽霊がいるかも」
「ありえそうですけど、不気味な事を言わないで下さいよ」
「あら、ルエノくん怖いの?」
ポリマは明るい声の調子でからかいつつ、ルエノの方に振り向きながら笑顔を向けた。その瞬間に偶然にも壁の一部が崩れ落ち、その衝撃音に驚愕したルエノは不覚にも飛び上がってしまった。
「今のは別に怖がったのではありませんよっ。警戒していただけです」
「ふーん、そういう事にしておいてあげるわ。せいぜい背後には気をつける事ねー」
ルエノは変な警告に反応して素早く後ろを向くが、視界に広がるのは先に通ってきた玄関や廊下であり、ポケモンはおろか生物がいる事さえも確認出来なかった。ポリマに脅かされた事に気づいた時には、既に頬がほんのりと赤くなっていた。
「僕をからかったんですか」
「私はからかったつもりは無いわよ。あなたが勝手に勘違いしただけ」
いつの間にか手玉に取られているような気がして、反論出来ない状況にまで追い込まれていた。このままだと完全にポリマのペースに持って行かれる事を危惧したルエノは、深呼吸をして落ち着きを取り戻し、澄ました顔でポリマの横を歩き始めた。
「あーあ。つまんないの。せっかくルエノくんのリアクションを見て楽しもうと思ったのに」
ポリマは全て本音を語っており、先程からの行動を鑑みれば、ある意味モーノの事を言えないような立場にあった。ルエノは決してそれを表に出す事はなく、些細な文句を心の内に秘めた上で、奇妙な建物の探索を再開した。
これで巨大な蜘蛛の巣が張ってあったり、突如家具が浮いたりするような事態が起これば、それこそホラー映画のような雰囲気が醸し出されていた。だが、生憎にも怪奇現象の類いや不気味な罠が存在する事はなく、ただの廃屋探検と成り果てていた。ポリマもつまらなさそうに溜め息を吐く回数が増え、逆に口数は見る見る減っていった。
「ここまで無いとなると、本当に退屈なものね。こんな事なら、ここに潜んでるってポケモンも早く姿を見せて欲しいわ」
遂には愚痴を零し始めた。壁際に無造作に積まれている本を捲り、その度に舞い上がる埃に手を焼きつつ、二匹が手を広げて並んで歩いてもまだ幅に余裕のある廊下を突き進んでいた。屋敷と言う事もあって部屋が多数あり、時々横手にあるのを覗いてみたりもするが、見えるのはどれも薄暗くて殺風景な空間ばかりだった。
「あっ、まだ二階もあるのですね」
それは屋敷の中を半周した辺りだった。上に続く階段を見つけ、その先に進むべきか決めあぐねていた。一階にはまだ確認していない部屋がいくつか残っているが、同じだけの広さを有する二階も捜さなければならない事を考慮すると、一つの決断をするに至った。
「よおし、こうなったら二手に分かれましょ! ずっと一緒に歩いてたって効率悪いもんね」
「分かりました。じゃあ、僕は二階の方に行きますね」
「うん、お願いね。戦力が分散する事になるから、いざとなったら危険度はより高いけどね」
恐怖を煽るような余計な一言だけを残して、ポリマはさらに奥へと突き進んでいった。今回は惑わされる事はなく、平静を保とうと呼吸を繰り返すと、ルエノは意を決してぼろい段差を抜き足で上っていくのだった。
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「さて、と。ここは何かの調理場なのかしらね」
階段前でルエノと分岐したポリマが次に訪れたのは、水を溜めておく為のバケツやボウル、数本のナイフがあちこちに放置されている場所だった。端にある棚には皿が重ねて置かれており、ポリマの予想は正しかった。
「相変わらず生活の跡が残ってるのね。汚れてるから使いたいとは思わないけど」
意味もなく査定しながら歩き回るが、これと言って変わった物は見当たらなかった。自慢の耳を澄ませど、自分以外の足音が聞こえてくる事はなく、部屋中を隈なく捜し回っても徒労に思えた。調理場はこの際調査の余地も無いと見なし、繋がっている扉を潜って隣の部屋に移動した。
こちら側の部屋には絨毯が一面に敷かれており、表面に大量に埃を被っていても、その色の鮮やかさと毛の質の良さは未だに失われていなかった。置かれている椅子なども、やや古風ながらも豪奢なデザインで、部屋全体に高級感を与えていた。
「誰かいないのー? 診断に来たわよー」
間延びした声で呑気に姿の見えぬ相手に問い掛けた。だが、答えが返ってくる事もなく、静寂がたちまちその場を支配してしまった。診断対象が現れない事に対して苛立ちが募っているのか、はたまた歩き続けて疲れが溜まっているのか、ポリマはたまたま近くにあった壁を強く叩いた。すると偶然にも、その衝撃で壁に掛かっていた巨大な額が落ちると同時に、今までそれによって隠れていた物が顕わになった。
横幅はちょうどポリマの三倍はあろうかという程の巨大な額と同じ長さの閂(かんぬき)によって閉ざされた扉があり、その部分だけ他の壁の素材と異なっていた。この屋敷の壁自体ある程度の強度を持つ木材で建てられているようだが、隠されていた扉は老朽化している様子も全く無く、壁以上に頑丈な物で作られているようである。
「あら、隠し金庫かしら。それにしても、本当に運の良いこと。誰もいない廃墟だから、開けてみても良いわよね?」
要は罪悪感の無いように存在しない家主に確認を取った上で、開ける事を決心したらしい。下手に力を入れ過ぎて壊さないように、片方の扉が開ける程度に閂を半分だけ抜いて、ふとした拍子に壊れないようにそっと扉に手を掛けた。長年扉の上方に積もっていた埃が降ってくるのを我慢しながら中を覗いてみると、物々しい造りの割には何も貯蔵されていないように見えた。
「おかしいわね。てっきりお宝でも入ってるかと思ったのに」
せっかくの予期せぬ発見も、収穫が無いまま終わってしまい、ポリマはがっくりとうなだれていた。数秒そのままのポーズを維持したところで、すぐに当初の目的を思い出した。半身だけ突っ込んでいたのを戻して捜索を再開しようと意気込んだ、まさにその時だった。
背後から激しい衝撃に襲われ、ポリマの体は大きくつんのめった。顔から地面に着く事は免れたものの、踏み止まる事は不可能であり、空間の奥まで押し遣られる形となった。ポリマは手を着いて支えを確保した上で、犯人を突き止めようとして素早く振り返った。しかし、同時に足を扉の方に進めた時には既に遅く、外側から扉が閉まってしまった。
「ちょっと、何よっ!」
必死に扉を押し開けようと試みるも、いくら力を入れても揺れ動くばかりで、全く開く気配は無かった。妙な堅固さの為に隠し扉の中に差し込む光は僅かしか無く、ポリマは真っ暗で狭い空間に一匹閉じ込められてしまったのだった。
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時間はほんの少しだけ戻り、階段を上がっていたルエノは、一階以上に古びている造りに手を焼いていた。まず何よりも床が抜ける事を想像すると、一歩一歩踏み出す際の恐怖感が倍増していた。すぐに抜けてしまいそうな程に脆い訳でもないが、だからと言って手放しで安心が出来ないような音を床板は奏でていた。
壁や天井の一部が崩れており、叩けば一気に崩壊してきそうな気がして、手を着いて歩く事もままならなくなっていた。そろそろと慎重に歩みを進めていくと、突き当たりにある一際大きな扉が目に入った。ドアノブが回る事を確認しつつ、静かに押し開けた。
中は入る前に見えた以上に広々としており、きらびやかな装飾品が多く見られた。窓の前にはカーテンが引いてあり、光が遮られて闇の色を増幅させていた。目を凝らして何とか部屋全体の構図が把握出来るくらいであるため、何か隠れてやしないかと内心恐れていた。
「しかし、本当に不気味なところだなぁ。呪いの館ってのは嘘じゃないのかも」
言った傍から自らの呟きを否定するように首を大きく横に振った。これでは恐怖に打ち勝つどころか、自分が作った心の隙間に付け込まれ、ありもしない存在まで想像してしまうと危惧していた。頭の中の悪い考えを振り払おうと躍起になりながら歩いている内に、足元の方がお留守になっており、家具の角の部分に足をぶつけてしまった。用心を怠った代償は大きく、足先から電流の如く痛みが一気に駆け上がり、その場に倒れざるを得なかった。もはや罠でもない地味な失態を犯した事で恥ずかしくなり、目を閉じて踞りながら痛みが消えるまでやり過ごした。
誰もいなくて良かったと心底ほっとしながら、回復して立ち上がると、近づいたが故に目前にある物のはっきりとした輪郭が認識出来た。今し方ぶつけた物は机であり、その上に何やら分厚い物体が置かれているのも見えた。
「これは、本かな? 随分とボロボロで破けてるけど」
手に取って中を確認しようとしても、劣化が激しくて軽く触れただけで紙が形を成さなくなってしまった。この本から得られる物は無いと判断すると、ルエノは半ば手探り状態で別の方に足を進めていった。
細心の注意を払っており、今度ばかりは障害者に接触する事なく窓際まで辿り着いた。少しでも視界を良くしようとカーテンを開けると、僅かながらも部屋の明るさが増し、床に映る影もより濃くなった。これで動きやすくなるだろうと一安心した矢先の事、自分のよりも一回り大きな影が覆いかぶさったのに気づいた。背筋が凍りつき、立ち尽くしたまま動けなくなった。
「誰か、いるんですか」
ポリマである可能性を考慮し、念のために震える声で相手の正体を確認しようとした。だが、いつまで待とうとも返答は無く、深呼吸をして全身の緊張を解き、意を決して即座に顧みた。そこに影の主らしき姿は無く、最前は見えていたはずの影が忽然と消えていた。
「気のせいかな。畏れを抱いてあらぬ幻覚が見えただけかも」
気を紛らそうと、目一杯までカーテンを開け、窓の外を見遣った。汚れがこびりついており、拭き取らなければ外の様子が窺えなかった。手で軽く擦ると、手が汚れるのと引き換えに、ガラス越しに広がる林が視界に飛び込んできた。予想通りの景色に対して大した反応も見せず、ぼんやりと全体的に外を見渡した。その際に再び嫌な予感がして、窓に薄く映っている背後の景色に注意を向けると、入口の辺りに先程は見られなかった怪しい影があった。
今度は本能が危険であると告げており、全身の毛が自然と逆立っていた。対策を取るべき構えながら体を動かし始めるが、振り返る隙を与えられず、後頭部に凄まじい振動が走った。脳を揺さぶられて意識を保てなくなり、体はそのまま埃の敷物の上に投げ出されるのだった。