Predication-19 穏やかな村と奇妙な任務
陽射しが体を焼くような炎天下でも、全身を濡らすような雨でも無く、外は至って過ごしやすい天気だった。砂漠の気候区分にあるこのクロスクローバーでも比較的涼しい日に当たり、いつもは屋内に篭っているポケモン達も、この日ばかりは外に出ている数が多かった。
幸いにも天気に恵まれた外出となり、ルエノとポリマも足が軽くなっていた。砂の上を素足で歩いても、裏に受ける触感は比較的良いものであった。互いに相手と歩調を合わせるようにしており、その同調行動も相まって、知らず知らず徐々に心の距離も縮まっていた。
「そういえば、今回の任務について細かい事を聞いてなかったのですが、具体的には何をするのでしょうか?」
「そうね。リコノ村には収穫真っ盛りのチイラの実を貰いに行くんだけど、その代わりにこっちから提供しなければいけない物もあるのよね」
ここでようやくルエノも先刻モーノが説明した物々交換の事を思い出した。しかし、それは同時に別の疑問を生じさせていた。その疑問とは今まさにポリマが口にした“提供しなければならない物”であり、両者共にそれらしき物を所有しなかったのである。既にクロスクローバーからは遠ざかっており、今さら引き返す事も出来ない状況であった。
「でも、僕達は何も持ってませんよね」
「そうなのよ。私もちゃんと依頼書を読み込むまで気づかなかったんだけど、今回提供して欲しいのは“人手”だそうよ」
答えは人手――つまりは労働力という事で、交換と言うより普通の依頼と変わりは無い事になる。想像とのズレに少々驚きつつも、ルエノは納得して静かに頷いていた。
「モーノは最初から物々交換だと決め込んでこの任務を受けようとしたみたいだけど、ちょうどあいつには無理な任務だってこと、本人は気づかなかったみたいね」
「一体どういう事ですか?」
「これね、細かく魔力を感知出来る魔道士が適任なんだけど、モーノはそういうの苦手なのよ。だから、無理だったって訳なの。本当にせっかちな奴なんだから」
詳細までは分からなかったが、ルエノには少なくともモーノらしいと思えた。呆れているポリマの顔を窺いつつ、苦笑いを浮かべていた。隣にいる相手と、仲間の事について話し合う――そんな関係が心地好くて、ルエノはついつい口を開いていた。
「あの、ポリマさんはモーノと仲が良いんですか?」
「別に仲が良いって程じゃないけどね。大抵魔道士四匹で行動する事が多いから、自然といろいろ相手の事を知ったと言うか。とにかく、モーノはもちろん、リードやオスロの事もある程度知ってるつもりよ」
「へぇ、そうなんですかぁ」
相槌を打つルエノには、好奇心を持った子供のような顔がそれまで以上に色濃く表れていた。変化に気づいたポリマは、ふと立ち止まってルエノをまじまじと見つめる。
「な、何ですか」
「モーノの話をしてるだけなのに、何であなたがそんなに嬉しそうにしてるのかなって思って」
「いや、それはその、もっともっと皆さんの事を知りたいので、こうやっていろいろ話を聞けるのが嬉しくて。変ですかね?」
「ううん、変なんかじゃない。これからもそう思ってくれると、私としても嬉しいかな。まあ、モーノには気をつけるに越した事は無いってのは言えるけど」
あくまでもポリマはモーノの事を手の掛かる相手として見ているようだった。モーノは今頃くしゃみを繰り返しているのではないかと勝手に想像しつつ、ルエノはちょっとだけ罪悪感を抱きながら笑ってしまっていた。
「ふーん。ルエノくんが笑うところを初めて見たけど、中々良い顔してるのね」
「そ、そんな、別にただ笑っただけですし」
「照れなくても良いのよ。いろんな笑顔を見てきた私の個人的な意見だもの。……あら、話をしている内に、目的地が見えてきたみたいよ」
ずっと横を向きっぱなしだったルエノは、久方ぶりに前方へと視線を戻した。ポリマが指し示す方には殺風景な砂漠はもう広がっておらず、大地は緑が埋め尽くされていた。今までルエノが見てきた土地の中でも、最も植物が視界に占める比率が高く、幹が太く短い木々が点々と生えているのも特徴的である。
それとは対照的に、建物は数える程しか見えなかった。家と言うには堅固さが足りず、逆にテントと言うには大きいような、小屋のような建造物がばらばらと建っているに過ぎなかった。
「ここがリコノ村ですか?」
「うん、そうよ。クロスクローバーとは正反対で静かなところだから、私もこの村が好き。村のリーダーは優しいポケモンだから、きっとルエノくんも受け入れてくれると思うわ」
「それはお会いするのが楽しみですね」
長らく味わっていなかった草による足元のくすぐったさを覚えながらも、二匹は村に足を踏み入れた。辺りにポケモンの気配は無いが、ある区画だけ整備された大地となっており、そこで特定の植物を栽培されている様子が窺えた。
「おやおや、ポリマじゃないか。わざわざご苦労さん」
風景に気を取られている間に、背後に一匹のポケモンが接近していた。声を掛けられて振り返ると、V字になった眉と黄色い嘴、そして何より翼で掴んでいるのが特徴のポケモン――カモネギがそこにいた。大した足音も立てずに忍び寄ってきたらしい。
「エンテさん、お久しぶり! ルエノくん、こちらがこの村のリーダーよ」
見知った相手のようで、ポリマは陽気に挨拶を返した。それに遅れるようにしてルエノが会釈すると、カモネギの方は軽く翼を上げて笑って見せた。嫌に爽やかな笑顔だったので、ルエノもいつの間にか釣られていた。
「ところで、そっちのピカチュウは新人か何かかい?」
「そう。今回初めてコンビを組む事になった、ルエノって言う名前の子なの」
「初めまして。ルエノと言います。よろしくお願いします」
ルエノが歩み寄って握手を求めたのに対して、カモネギのエンテも躊躇する事なく翼を差し出した。堅く握手を交わしたところで互いに手と翼を引っ込めようとした刹那、ポリマはエンテの方を見て声を上げた。
「あっ、翼に傷が増えてる。また最近闘技場に行ったの?」
「ああ。ちょくちょく近くの町に行っては腕試しをしてるんだ。じっとしてるだけじゃ退屈だし、腕も鈍るからな」
「相変わらず自分を鍛える事に余念が無いのね」
「それを言うなら君だって。どうせ本ばっかり読んでるんだろ?」
「まあ。どうせって言い方は失礼ね」
ルエノはいつの間にか置いてきぼりにされ、二匹は前からの交流を窺わせる程に親密な態度を見せていた。近況に関する話に花が咲き始めたところで、エンテは咳ばらいをして表情を堅くした。
「報告はこれくらいにして。それで用件の方なんだが、いつもの“診断”を頼んでも良いかな?」
「ええ、もちろん。その為に来たんですもの。その代わり、木の実の方はお願いね」
「もちろん。それじゃあ、よろしく頼むよ」
ポリマとエンテの間で何やら短い取引が行われたかと思うと、エンテはくるりと回れ右をした後に、すたすたと村から離れていってしまった。状況に付いていけていないルエノは、ひたすら立ち尽くすだけとなってしまった。
「えっと、これは一体どうしたら」
「簡単な話よ。家を回って“ディグリス”って呪文を掛けて住民を“診断”していくの。まあ、付いてくれば分かるわ」
概要が未だに掴めないままに、ルエノはポリマに付き従って、とある一軒家にお邪魔する事になった。扉を開けるなり、“フラワーポケモン”のマダツボミが両方の蔓でポリマを抱きしめてきた。訪問を待っていたらしく、密着状態から離れるとすぐにお茶を差し出してくれた。
「よく来たわね、ポリマちゃん。元気そうで何より。新顔の子も遠慮せずにどうぞ」
「いつもありがとう! ありがたく頂くわね」
「あ、ありがとうございます」
これまでに連続で受けた、戦闘を交えるような任務の堅い雰囲気はこれっぽっちもなく、挙げ句お茶まで御馳走になって、ルエノは気が緩んでいた。まだ何か待ち受けてるのではないかと内心
気にはなっていたが、部屋中に漂う香ばしい香りに癒され、大事な事さえも忘れかけていた。
「あの、結局やるべき事ってのは」
「大丈夫、すぐに終わらせるから。さあ、いつもみたいに横になって」
渡されたカップ内のお茶を飲み干すや否や、ポリマはマダツボミに寝るように促した。突拍子も無い言葉に疑う素振りも見せずに横たわったところで、ポリマは両手をマダツボミの頭の位置に当てがった。続いて息を深く吸い込み、そっと目を閉じた。
「“ディグリス”!」
さして広くはない部屋に呪文が響き渡ったところで、ポリマの両手は既にうっすらと白い光を纏っていた。その光は手と手袋の関係のようにポリマの動きに連動して付いてきており、その両手を上半身から下半身に向けてゆっくりと動かしていった。
「これは初級レベルの診断魔法で、その名の通り体を診断する目的で使われるの。日常を何気なく過ごしていて気づかない病気とか怪我があれば、これで見つける事が出来るのよ。さあ、これで診断は終了。異常は無かったわ」
ルエノへの説明を同時進行で進める内に、診断の方も終えていた。本当に体の上に両手を翳しただけにしか見えないが、診断を終えたマダツボミの方は、ご機嫌な表情をしていた。やるべき事は実質これだけらしく、マダツボミからさらに接待を受け、ポリマの意向で言葉に甘える事になっていた。
「ポリマさん、本当にこれで良いんですか? 特に何もしてない気が……」
成り行き上仕方ないとは言え、ルエノは何だか余計に調子が狂わされていた。思わず零した不安も、自分が何もしていない事とポリマがやった事を振り返れば当然の事だった。だが、そんなルエノの想いを知ってか知らずか、ポリマは軽くお茶を啜ってのんびりとしていた。
「本当にこれで良いのよ。見た目はものすごく地味だけど、この診断は魔法を使えないポケモンには難しい事なの。だから定期的に来てるし、来る度にこうやって交流を深めてるのよ。元々リベロンは孤立しているようなところがあるから……。それに、仲の良い相手を作るに越した事はないもんね?」
一瞬だけ垣間見えた複雑そうな雰囲気を取り払うと、ポリマは同意を求めてマダツボミの方に話を振った。マダツボミはポリマの期待に応え、蕾状の頭を縦に大きく動かしていた。
「そうねー。たまに世間話をするのも楽しいし、何よりいろいろ情報交換出来るのは素敵だわよね」
そう言って一層笑顔を浮かべつつ、マダツボミはおかわりのお茶をそれぞれのカップに注いだ。こんなに呑気にしていて良いのか――心のもやもやが晴れないままに辺りが再び芳醇な香りで満たされていくのを気長に感じていると、不意にマダツボミが顔色を変えたのに気づいた。
「そうそう。情報交換で思い出したんだけど、住民を全員診断してくれるつもりなら、“例の館”にも行ってくれない?」
「えー、またあそこに篭ってるポケモンがいるの? 懲りないわねぇ」
またしても耳慣れない言葉が飛び出し、ルエノは首を傾げた。如何にも不満げな溜め息を吐くポリマを見る限りでは、少なくとも良からぬ場所である事は推測出来た。
「じゃあ、村のポケモンの総数は少ないから、その厄介者は一番最後に回しましょうか。ご馳走様、美味しかったわ」
「ご苦労様。次来る時はもっとゆっくりしていってね」
ようやく談話に終わりを見出だしたようで、二匹はマダツボミの家を後にした。外の新鮮な空気を吸ったところで、ポリマは体を左に九十度回転させた。その見つめる先には、今いる場所以上に木々が密集している地帯だった。
「ポリマさん、例の館ってのは何ですか?」
「ええ、それなんだけどね。ポケモンが謎の失踪を遂げる事が多いって噂の、呪いの館なの」
「えっ」
“呪い”などと聞いて平然としていられる程、ルエノは神経が太くはなかった。反射的に後退りしている辺り、体は正直なようだった。その動きがあまりにも滑稽で、ポリマもルエノ自身も笑ってしまっていた。
「心配しなくても良いわ。ただの噂だから。さあ、早速次の家に向かいましょうか」
ポリマは本当に軽く笑い飛ばすだけで終わってしまった。何の迷いもなく林の方に歩き出したその背中に、一種の憧憬さえ抱きつつ覚悟を決め、ルエノも後を追うように、最後に待ち受ける事になる“呪いの館”のある方向に駆け出したのだった。