Predication-17 嫌らしい目つきの監察官
書物庫。それは文字を読むのが嫌いな物にとっては見ているだけでも頭が痛くなりそうな程に本の密集した部屋。棚と言う棚には分厚い本がきちきちに収められており、一冊抜き出すだけでも一苦労する。棚の一つ一つも高く、上の方の本は梯子でも使わない限りは取れないため、一つの棚に一つずつ梯子が備え付けられている。そんな部屋が、リベロンの一角にある。
「えっと、魔導書に関する記述は……」
紙の匂いが充満する部屋の片隅に座り込み、貪(むさぼ)るように本を読んでいるピカチュウの姿があった。彼の脇にはただでさえ分厚い本が何冊も積まれており、その分量は崩れてきたらその小さな体をいとも簡単に下敷きに出来るくらいである。
しかし、そのピカチュウは、読み終えた本を造作も無く本の山の上に置き、バランスを保って崩れないように重ねていく。時々唸り声を上げては悩ましげな表情になり、また次の本に手を伸ばすという作業の繰り返しだった。
「あっ、ルエノお兄ちゃん! ここにいたんだ!」
静寂を破り、歓喜の声を上げて近づいてくる一匹のピチュー――ポアロの呼びかけに、ルエノは集中が途切れて我に返った。久しぶりに聞いた音に驚いて本の山に手が触れてしまい、雪崩のように本が次々と降り懸かってきた。
「あっ、ルエノお兄ちゃん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ。ところでポアロくん、どうかしたの?」
埋もれた状態から本を払いのけつつ、ようやく顔を出したルエノは開口一番に目的を聞いた。まだ完全には抜け出せていないルエノを引っ張り上げながら、ポアロは一回首を傾げる。どうやら今の出来事に集中している内に忘れてしまったらしい。
「……あ、そうそう! 何かね、モーノさんとエルバさんが呼んでたよ?」
「そう、わかった。伝言ありがとう、ポアロくん」
外から帰ってきたきり書物庫に篭って本を読み耽っていたルエノには、二匹の真意はわからなかった。良からぬ事か、はたまた良い事なのか。どちらにせよ、行ってみればわかるという事で、ルエノは散らかってしまった本を整頓すると、体に付着した埃を払って部屋を後にする。
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「ここでも無いかぁ……」
ポアロからモーノとエルバの居場所を聞き出すのを忘れていたルエノは、建物の中をぐるぐる歩き回らされる羽目となった。とりあえず今までに行った事のある部屋から巡り、一階は踏破しきったため、今度はやや重い足取りで階段を上っていく。
以前モーノに唆(そそのか)されて行きそうになった寮ではなく、会議室などの部屋が並ぶ二階に辿り着いた。廊下に他のポケモンの姿は無く、違和感を抱きつつ歩いていく。
「おーい、ルエノ! こっちこっち!」
程なく進んだところで、背後から声が聞こえた。振り返って見ると、階段を挟んで反対側にあった部屋の扉からモーノが顔を覗かせている。尻尾で手招きをしているのに気づき、ルエノは小走りで駆け寄っていく。
「あのな、あんまり大声じゃ言えないんだけど、覚悟しておいた方が良いぞ」
「えっ、それは一体どういう――」
戸惑って聞き返そうとするのを遮って、モーノが強引にルエノを部屋の中に引き入れた。こけそうになりながら入室し終えて、ようやく部屋の全貌が見えた。フライゴンのエルバも隅に居て、見知った顔に会えて安心する反面、見知らぬ姿がいて緊張が高まる。
全身は黄色い体毛に覆われており、首元にはマフラーのような白い毛がある。薄く開かれている小さな目は夢うつつのようで不気味さを醸し出しており、左手には振り子を持っている。その名は、俗にスリーパーと言われているポケモンである。
「おやおや、随分と小汚いネズミが入って来ましたね。しばらく見ない間に、メンバーも様変わりしたようですね」
丁寧な口調とは裏腹に、灰汁の強い態度を見せる。初対面にしていきなり辛辣な事を言われ、ルエノも表情に不快感を滲ませる。しかし、下手な事を言うのは良くないと考え、自分を押し殺して口を噤んだ。
「ほほう、それで、これが新入りですか。ある程度の素養はあるようですが、これと言って使える人材ではありませんね。今年は不作なのでしょうか」
品定めをするような目つきで、じろじろとなめ回すように見つめられ、ルエノは完全に視線を逸らしていた。何か言い返すつもりも無かったし、押し黙ってやり過ごす事を決め込んでいる。
しかし、にたにたとした笑みが何とも薄気味悪く、何も返せないルエノの精神を削っていく。それを見て居た堪れなくなったエルバは、二匹の間に割って入った。
「もうその辺で良いでしょう。次の場所を案内しますから」
「ふむ、そうですか。まだ何もしてませんが、まあ、とりあえず参りましょうか」
「あ、そうそう。一つ言い忘れてた事がありますが――」
ルエノからある程度引き離したところで、エルバは付け加えるようにスリーパーに話し掛けた。
「今度うちの仲間にあんな事言ったら、あなたと言えど、ここから叩き出しますよ」
さっきまでは沈黙を貫いていたエルバが、突如眼光を鋭くして言い放った。陰鬱な空気を生み出していたスリーパーも、その勢いに気圧されて萎縮した。冷や汗を垂らして顔色を窺いつつ、すぐに冷静さを取り戻して部屋を後にした。
完全にその姿が見えなくなったのを確認すると、ルエノはゆっくりと大きな安堵の溜め息を吐いた。モーノも労いの意味を込めて軽く肩を叩いた。
「モーノ、さっきのは誰なんですか?」
「王室直属の魔道士の監視役だよ。感じ悪いだろ、あいつ。いつもああなんだけど、今日は特に捻くれてるな」
いなくなった後で次々と出て来る悪口に、ルエノも思わず苦笑いを見せる。自分の周りに纏わり付いていた不快な空気が消えた事で、長く手放していた気がする平穏を手に入れ、その場にペたりと座り込んだ。
「そういえば、僕に用があるってのはこの事だったんですか?」
「うんにゃ、違うぞ。たまたまこのタイミングであいつが来ただけだからな。どうやらお前の魔法についての事なんだけど、エルバさんがいないから詳しくは今度にした方が良さそうだな」
「はぁ、そうですか。僕は構いませんが……」
肩透かしを喰らった上で無駄に罵声を浴びて疲れた気がして、ルエノは視線を落とした。しかし、今の言い回しに疑問を感じて顔を上げると、モーノがじっと見つめているのがわかった。
「魔法についてって言いましたよね。何か問題でもあるんですか?」
「いや、問題って程でも無いんだけどな。ただ、何と言うか……」
言葉を濁し始めたため、聞いてはいけなかったかと思い、ルエノは表情を堅くさせた。その異変に気がつくと、モーノは大きく口を広げて笑顔を作った。
「ルエノさ、オイラ達のとは違う魔法を使うだろ? それについて聞きたいと思ってたらしいぞ」
「えっ、そうなんですか?」
特に自覚していなかったルエノは、軽く首を傾げる。その反応に、モーノも同じく怪訝そうな顔をする。
「自分の魔法の事、わかってないのか? まあ、オイラだって、何か違うって事しかわからないけどな」
「そう言われても、僕は自分に使える魔法を使ってるだけですし……。そもそも、僕だって魔法の事を全て熟知している訳ではありませんから」
「それもそっか。何か問い詰めたみたいで悪かったな」
「あ、いえ。そんな謝られる程の事ではありませんし……」
二匹がそれぞれに気まずさを感じ、口を閉ざして言葉を少なくした。しかし、それが性に合わないモーノは、気を取り直してルエノの手を握った。
「細かい事はこの際置いといてさ、とりあえず何か任務が無いか聞きに行かないか?」
「あ、はい。特に話が無いなら別に……」
「よーし。じゃ、早速例の部屋に行くぞー!」
いつものように手を引っ張り、先導するように陽気なエイパムは走り出した。そんな彼なりの気遣いに嬉しさを感じつつ、微笑みを取り戻したピカチュウは歩調を合わせて足を前に踏み出していった。
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溌剌(はつらつ)とした様子で廊下を駆け抜け、ルエノとモーノは依頼が書かれた紙が張り出されている小部屋へと辿り着いた。ドンメルとパッチールのコンビは相変わらずのうのうと座り込んでおり、二匹の入室に気がついても軽く手を上げる程度だった。
「よーく来たねー。ご用は何だい?」
「新しい任務が入ってないか見に来たんだ。何かあるか?」
「ちょっと待つある」
ドンメルが振り返るよりも先に、パッチールが千鳥足のような足取りで後方の掲示板へと歩いていった。何枚か貼られている紙に目を通した後で、ある一枚を剥がして二匹の元に持って来た。
「これなんかどうあるか? 今度はちゃんと信頼の置ける依頼者で、内容は取引みたいなものある」
「取引って何ですか? 何か怪しい物なんじゃ……」
「いいや、普通に物々交換みたいなものだ。このリコノ村とは、時たま木の実とかを交換してるんだよ。リベロンの敷地では中々作れないからな」
モーノの簡潔な説明を受けて、ルエノも納得したように数回頷いた。しかし、僅かに腑に落ちないところがあるのか、頷いた後で複雑そうな顔をする。
「なるほど。でも、何か宅配便みたいですね……」
「そう言うなよ。これだってすごく大事な任務なんだからな。ただ食糧としてだけじゃなく、薬の材料としても必要なんだ」
「はい、了解しました。それで、結局この任務を受けるんですか?」
今度はその重要性を理解したルエノの方を見て、モーノは大きく首を縦に振った。
「もちろんさ。どうせ時間は空いてるんだからな」
「あら、早速任務探し? 暇なら私も混ぜてよ」
不意に背後の扉が開き、別の訪問者が現れた。気づいて振り返ると同時に、二匹に声を掛けてきたのは、同じ魔道士仲間のピッピのポリマだった。
「ポリマも任務を受けるのか? オイラ達はもう決めたところなんだ」
「ふーん、そうなんだ。それじゃあさ、ルエノ君、私と一緒にやらない?」
「ちょ、ちょっと待てよ」
オイラ“達”と言ったのが聞こえなかったのか――そう言ってポリマの誘いにモーノが噛み付くと、ポリマは頬を膨らまして不機嫌そうにした。
「いいじゃないの。あなたは一回ルエノ君と任務をやったんだから。今度は私とやらせてよ」
「回数なんか関係ないだろっ。オイラはもう一回ルエノとやりたいんだ」
どっちがルエノを任務のお供に連れていくかで、二匹の口論が始まった。否応なしに同行させられる事に決まってしまったルエノ本人も、困ったように成り行きを見守るしか出来ないでいた。
「それじゃ、どっちが一緒に任務に行くか、勝負して決めましょう」
「ああ、良いぞ。臨むところだ」
事が大きくなり始め、ルエノにはもはや収拾不可能な事態となっていた。そうして傍観する内に、二匹は遂には肩を怒らせて部屋を飛び出していってしまった。原因の一端が自分にある事を感じつつ、ルエノも渋々その後を追うのであった。