Predication-14 木の実集めの任務の全貌
目を閉じている間に体が宙に浮くような感覚を覚えつつ、次の瞬間に足が再び地に着くまで、ルエノは身動きもせずに硬直していた。それでも、目を開けずとも、一番最初に空気の違いを実感していた。建物の中とは異なる、新鮮な空気を吸い込む度に、移動した事を改めて感じた。
「おーい、ルエノ。もう着いたから、目を開けても良いぞー」
移動が無事に行われていたのはわかっていたが、二度目で未だに慣れておらず、ルエノはしばらく目を閉じきっていた。それを見て不思議に思ったのか、モーノがルエノの体に触れて声を掛ける。
「あ、はい。――ここがホロトの森ですか?」
「ああ、そうだよ」
ゆっくりと瞼(まぶた)を開くと、目前には既に緑が広がっていた。先日リードと訪れた森とは違っており、草花は比較的少なく、その代わりに足元は湿気を纏う苔で覆われていた。しかし、それほど蒸すという訳でもなく、心地好い涼しさを保っている。
「それじゃ、この森に目当ての木の実があるのですか?」
「まあなっ。ここにはラムの実がたくさん生(な)ってるんだ。でも、今回は関係ないかもしれないな……」
「えっ? それって一体――」
珍しく真面目な顔をして何かを隠すような発言をするモーノに、首を傾げながらルエノは聞き返そうとする。しかし、そんなルエノの問い掛けなど歯牙にもかける様子もなく、モーノは急ぎ足で奥へと歩みを進め始めた。ルエノもモーノの変わり様に疑問を抱きながら、その後を追いかける。
森は至って静かだった。風がそよいで木の葉が揺れる音以外は、二匹が苔を踏み締める音しかしない。他にポケモンの気配も感じられず、その静寂な空気に圧倒されているのか、ルエノは黙って歩き続けていた。
「ルエノ、大丈夫か?」
やや俯き加減で歩いていると、モーノが振り返って心配するように尋ねてきた。これにはルエノも驚いて顔を上げる。
「ええ、大丈夫ですけど、急にどうしたんですか?」
「いや、ルエノは怪我してただろ? だから、ずっと歩き続けで体は大丈夫かと思ったんだ」
朝はそんな態度を見せなかったのに、任務に出てから体調の事を気にかけ始めたモーノ。そんな彼の優しさを感じて、ルエノは思わず微笑んでいた。
「ふふっ、もうすっかり治ってますから、心配には及びませんよ。ありがとうございます」
「いや、何ともないなら良いんだ。それに、もうそんなに歩く必要も無いしなっ」
同じく嬉しそうに笑顔を見せるモーノは、何やら意味ありげな言葉を発した。それを疑問に思うルエノが口を開こうとした瞬間、モーノは急に表情を険しくした。
「ルエノ、オイラ達を狙ってる気配を感じるんだ。気をつけろ」
いつになく緊迫した空気が漂い始め、ルエノも静かに頷いて深呼吸をし、気を引き締める。背中をモーノに預けて辺りを見渡すが、何かに監視されているような気配はなかった。
「あの、一体その気配というのは――」
「――気づかないか? さっきから動かないはずの物が動いて、オイラ達に近づいているのを」
未だにモーノの言っているものがわからず、もう一度気を張って周囲を観察してみる。しかし、相変わらず見えるのは、苔むした大地と、その上に生える木々だけであった。
「……すいません、僕にはちょっとわかりません」
「じゃあさ、もう一回歩いてみよう。そして今度は、背後に聴覚を集中してみて。そうすればわかると思うから」
教えてくれれば良いのに――と思いつつも、ルエノは耳をそばだててモーノの隣を歩き始める。すると、水分を含んだ苔を踏み締める音が二匹の足の数よりも二つ多い事に気づいた。しかし、そこまではわかっても、立ち止まって振り返って姿を確認する事は出来ないでいる。
「確かに足音は僕たち以外にもあるみたいですが、目視は出来ませんね。その正体は何でしょう……?」
「ルエノにもわからないか。よーし、それじゃ、そろそろ正体を現してもらおっか。ルエノ、何かこの辺一帯に水を撒き散らせるような水の魔法を使えないか?」
「水、ですか。……正確には水の魔法ではないのですが、それに近い物なら使えます」
モーノに尋ねられ、ルエノは背負っていたリュックの中から馴染みの分厚い本を引っ張り出した。襲ってくるのを警戒しつつ本を開いていき、特定のページを流し読みし終えると、本を片付けて立ち上がった。
「【夏の東風を司りしエウロスよ。梅雨を呼び込み恵みを与えるその力を以ってして、大地に暖気と長雨を齎すそよ風を吹かせ賜え――“バーラン・ブレッザ”】」
怪訝そうに見守るモーノの横で、落ち着き払った様子で詠唱を唱えきると、森を吹いていた風がぴたりと止んだ。それに続くようにして、先まで吹いていた涼しい風ではなく、湿気を含んだ風が流れ始める。
それに伴い、遥か上空に見える暗灰色の雲が大きく動き出した。厚さや色にむらの無い雲の一群は、比較的速い速度でルエノ達の真上に移動してきたところでその流れが止まる。
「ルエノ、一体どうなってるんだ?」
「まあ、見てて下さい」
それらしい変化が起こらない事に不安がるモーノを尻目に、状況は彼の願望通りに移り始めた。上空が完全に雲で覆われて陰りに入ると同時に、小さな雫が少しずつ落ちてきたのである。狭い範囲ではあるが、辺り一体の天候は小雨へと変わった。
「へぇー。気流を操って、雨雲を誘導したってわけか」
「そうです。まあ、雲が無い日は全く使えないんですけどね」
「なるほどな。それより、これで正体がわかるぞ」
「雨で、ですか? ――あっ!」
したり顔をしているモーノが見つめる方にルエノも視線を移すと、雨に打たれながら一本の木が幹をくねらせているのが見えた。動かないはずの木が。それでようやくルエノにもわかり、驚嘆の声を漏らす。
「わかったみたいだな。さあ、さっきからオイラ達を付け回してるウソッキー、正体を現しな」
未だに雨がしとしとと降りしきる中で、動いていた木は徐々にその背丈が縮んでいった。その縮小は、ルエノの身長の三倍くらいで止まった。
「良くわかったな。そうだ、私が付け回してたんだよ。お前達を始末する為にな」
木のような体の上部には目が現れ、擬態していない姿を見せたウソッキーは、緑色の球が付いた腕を振り上げて威嚇の態度を見せた。
「始末する為って――どういう事ですか?」
「木の実を集めるっていう任務自体がそもそも、オイラ達をおびき出す為のものだったって訳だ。たまにいるんだよ。魔道士に個人的恨みを持って、任務と偽って襲う奴が」
動機がわからず戸惑うルエノに、モーノはウソッキーから目を外さないようにしてその理由を答えた。構えた状態で説明を聞いているウソッキーはと言うと、不敵な笑みを浮かべていた。
「そういう事だ。さあ、覚悟してもらおう」
そう言ったのを境に、上げていた両手を振り下ろすと、突如としてルエノ達の頭上に数個の岩が現れた。何も無い空間から生まれたそれらは、同じくらいの大きさの標的に目掛けて落下していく。
「こんな“いわおとし”くらい、簡単なものだなっ。【“エンドレ・メドゥナ”】!」
ウソッキーの先制攻撃にたじろぐ事もなく、モーノは両手を高く掲げて呪文を唱えた。その手先からは流動性のある緑色の光が溢れ、降り注ぐ全ての岩に纏わり付いた。
落ちてくる岩など気にしないように悠々と立ち尽くしていると、岩は速度を落とす事なく、真っ直ぐモーノ達に直撃した。しかし、ルエノとモーノに触れた瞬間に、堅いはずの岩は豆腐のようにぼろぼろとその形を崩してしまった。呪文の効果がわかっていたルエノも目を瞑っており、当たっても柔らかい感触しか無かった事に驚いている。
「なるほど、さすが魔道士だ。しかし、私がそれで驚くとでも思ったか?」
「いいや、思ってないさ。……ルエノ、こいつの相手はオイラに任せてくれ。一対一で応戦したいんだ」
技を防いだ事に安心する間もなく、モーノは一歩前に踏み出した。その決心を汲み取り、ルエノは声を出さずに静かに頷く。
「さあ、オイラが相手だ――」
挑発するように尻尾を振ると、モーノは敵(ウソッキー)に向かって駆け出す。