Predication-13 早めの起床とモーノとの任務
半ば強引に休憩室から連れ出されて案内され、今度は半ば強引に引き戻される形となったルエノが目覚めたのは、翌日の朝の事だった。
窓の隙間から差し込む光が顔に当たり、すぐにその眩しさで目が冴えた。軽く辺りを見回すと、ポアロとモーノが寄り添って眠っているのが見える。まだ静かな寝息を立てており、起こさないように立ち上がる。
その時に気づいたのが、昨日までは全身を突き刺すように走っていた痛みが和らいでいた事である。今度はほぼ完全に無くなっているようで、力を込めても全く辛くはなかった。
「静かだね。みんな、まだ寝てるのかな?」
空気がそんなに暖かくない事から、まだ早朝だという事を実感しつつ、ルエノは廊下をそぞろ歩きし始めた。広いところに出ると一層静寂さが強く身に染み、他のポケモンの気配なども感じられなかった。そんな中を宛てもなく歩く内に、不意に右手に寮へと続くものとは違う階段が見え、何となく上っていく。
階段を上りきったルエノの左側には、涼しい風が入り込んでくる窓があった。そこからは町の様子が一望でき、このリベロンだけでなくクロスクローバー全体が静まり返っているのもわかった。
「やあ、良く眠れたかい?」
物思いに耽るように外を眺めていたルエノの背後から、突如静かな声が聞こえてきた。飛び上がるようにして振り返ると、片手を上げて軽く挨拶をしながら近づいてくるエルバの姿を視界に捉えた。
「あ、エルバさん。はい、ぐっすりと眠らせて頂きましたし、おかげさまで体の方も良くなりました」
「そうか。それなら良かったよ――っと、頭は下げないでくれよ?」
ゆっくりと頭を垂れて視線を下に向けようとした時、強く肩を掴まれて動きを止めざるを得なかった。それで頭を下げるのを諦め、エルバは笑っているのだろうと思いつつ、苦笑を浮かべながら顔を僅かに上げると、その予想は外れていた。ルエノを見つめるその瞳は、迷いがあるかのように微妙に揺れ動いていた。
「エルバさん、どうかしましたか?」
「いや、君がここに来たのを後悔してないかな、と思ってさ」
エルバは深く溜め息を吐いてしゃがみ込み、なるべくルエノの顔を見えるように近づいた。じっと見つめてくるその眼差しに対し、ルエノも表情を引き締めて強い意志の篭った視線で見つめる。
「僕は全く後悔などしていません。まだ一日しか経ってなくて、ここにも慣れていませんが、それでも来れて良かったと思います。何故急にそんな事を言い出すのですか?」
「さあ、何でだろうね。俺にもわからないんだ」
今度はエルバが苦笑いを見せた。手慰みに片手で軽く頭を掻くと、ルエノに背を向けて窓の方に視線を移す。
「俺は別に波導を扱える訳でも無ければ、微妙な魔力の変化を感じとれる訳でも無い。だけど、第六感が告げてるんだ。君は普通の魔道士とは違うってね。何だか馬鹿らしくて笑っちゃうだろ?」
まるで自分自身を嘲けるかのように高笑いをすると、エルバはもう一度ルエノの方に向き直る。その時には、笑っていた顔も真剣なものに戻っていた。
「だからさ、君はこんなところに留まっているべき存在じゃないかなと思ったんだ。……悪かったね、先輩の戯言に付き合わせて」
「あ、いえ、そんな戯言なんて……。僕は自分の意志でここにいる訳ですし、それに――」
エルバが勘違いしているとは言え、自分が本当の正体を明かしていない事に少々戸惑いを感じていた。それ故に、その事について語ろうとして口を開くものの、声を出さずに固まってしまう。
「それに――どうしたんだい?」
「いえ、何でもないです。別に何でも……」
エルバに話し掛けられてはっとすると、ルエノは何とか言葉を濁すようにしてそっぽを向いた。エルバも一度は訝しそうな表情をするものの、これ以上聞くのは野望だと思ったのか、声を出しかけて止めた。
「そうか。まあ、俺も詮索するのは好きじゃないからな。とりあえず、今日のモーノとの任務、頑張ってね」
「はい、頑張ります」
やや気まずい空気になったところで、エルバはルエノの心境を何となく察した。だからこそ、ルエノの顔を覗かないようにして背を向けると、エルバは静かにその場を立ち去っていく。
「あっ、エルバ、さん」
呆然とその後ろ姿を眺めつつ、ルエノは我にも無く呟いた。どこか心苦しさを感じてはいたが、何となく呼び止めるのも憚られ、伸ばしかけた手もそのまま下ろしてしまう。そんな哀愁漂うような様子を見せながら、ルエノは窓から離れて階段を下りていった。
再び一階に降り立った時、どこからともなく鐘の音が鳴り響いてきた。金属製の独特の澄んだ重々しい音色が廊下中に通り抜けると、今までは眠っていたリベロン内のポケモン達もぞろぞろと姿を見せ始める。
「おっ、ルエノじゃん! ここで何してんだ?」
歩いている内に聞こえてきた、聞き覚えのある明るい声のした方に振り向くと、エイパムのモーノが近づいてくるのが目に入った。寝起きなせいか、頭の毛が少し乱れているが、起きたばかりとは思えない程にその表情には満面の笑みを湛えていた。
「いえ、ちょっと早めに目が覚めてしまっただけです」
「そっか。じゃあ、一緒に任務に行く前に、まずは腹ごしらえをしていこうな!」
「ま、待って――引っ張らなくても行きますってばっ」
またしてもモーノは強引にルエノの手を掴むと、ゆっくり行こうとするルエノの制止を振り切るようにして駆け出した。一方で、モーノの振る舞いにも慣れてきたのか、ルエノも思わず笑みを零しながら後を付いていく。
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モーノが引っ張って連れて来た先は、昨日に紹介してもらった大食堂だった。入り口から空間全体を見渡すと、体の大きさが大小様々なポケモンが集っているのがわかった。モーノの話によると、リベロンに所属しているポケモン以外にも、依頼をしに来た訪問者などがいるとのことらしい。
「あちゃー、最近は何か依頼しに来るやつが多いから、テーブルは埋まっちゃってるな。まあ、一般向けの食堂として解放してるってのもあるんだけど」
木の実スープや木の実を練り込んだパンなどが小さなお盆に乗っている“木の実セット”なるものを頼んで受け取り、混雑している方を見ながら、モーノは苦笑を浮かべた。かと思えば、手のような尻尾を動かし、ルエノを出口の方に誘導した。
「あの、食堂を出てどうするんですか?」
「ん? ここで食べられないなら、オイラ達の部屋を使うまでさ」
専用の部屋なんてあったっけ――そんな疑問は、一つの扉の前に立った時には一瞬にして消え去った。またしても尻尾を器用に駆使して扉を開けると、そこは緑色の絨毯が敷かれており、隅には暖炉がある部屋――昨日ルエノが一番最初案内された談話室であった。
「あら、モーノにルエノじゃない。どうしたの?」
不意に聞こえた声に反応して左に振り向くと、揺り椅子に座っている一匹のピッピ、ポリマの姿が目に入った。前後に椅子を揺らしながら、一冊の本を手にして読んでいる。
「食堂の方がいっぱいでさ、こっちまで来たんだ」
「そう言われると、確かにすごかったわ。ここなら落ち着いて食べれるって訳ね」
「そういうこと。じゃ、早速食べような!」
「は、はい」
ようやく手に持ったお盆を落ち着いた場所に降ろし、ほっと一息を吐いて二匹は食事を始めた。食事の間は至って静かで、誰も一言も喋らずに、行儀良く過ごしていた。
「よーし。食事も終わった事だし、任務に行くかっ!」
――と思いきや、おとなしいのもほんの少しの間だった。一足先に済ませたモーノは、せっかちに動き出そうとした。モーノが立ち上がったところで、ルエノは急いで残りの食べ物を口に放り込み、やや息苦しそうにしながら付き従っていく。それを見つめていたポリマも、忙しい二匹の行動に、思わず笑みを零していた。
次に足を運んだのは、ドンメルとパッチールの二匹が待ち受けている、任務を受け取る部屋であった。相変わらず二匹はのんびりとして所定の位置に座り込んで、向かい合いながら手配書を眺めている。
「おーい、今から任務に就きたいんだけど、良いか?」
接近に気づいていない二匹に対し、モーノは声を掛ける。そこでようやく気づいたパッチールが、一枚の紙を持ってモーノに近づいてきた。
「はいはい。エルバさんから話は聞いてるであるよ。任務はこれ、ホロトの森で木の実を採集して欲しいというものである。では、準備は良いであるか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
紙を渡してパッチールが軽く説明をし終えると同時に、ルエノが身を乗り出しながら口を挟んだ。
「ん? どうしたんだ?」
「いや、木の実を集めるって、そんな任務もするのかなぁって思いまして」
魔道士がするなんて――と、心の中で抱いていた疑問を口に出してみる。すると、モーノは普段から見せている歯をさらに剥き出しにして笑い始めた。
「確かに、魔法を使う魔道士がわざわざそんな任務をする必要があるのかって思うよな? ま、それにもいろいろ理由はあるんだ。取りづらいような位置にあったりして、魔法があった方が取りに行きやすいとか、な。とりあえずは行ってみればわかるさっ」
木の実の回収とは言え、任務である事には変わりないのに、モーノは至って気楽そうにしている。対して、ルエノは一抹の不安を抱かざるを得なかったが、ドンメルが近づいてきたため、それ以上何か言うのは止める事にした。
「ホロトの森は、こっから少ーし遠い所にある比較的小さな森だよー。もし遅くなる時は、近くの町に宿泊とかした方が良いかもねー。それじゃ、早速行くよー」
ゆったりとした遅い口調に負けず劣らず、ドンメルは近寄るのも遅かった。ようやく話し終えると同時に二匹の前に到着すると、呪文を唱えるべく深く息を吸い込んだ。
「気をつけて行ってらっしゃい。【“ヴァンデ・ラオム”】!」
ドンメルの呪文が部屋中に響き渡ると同時に、ルエノとモーノの足元には五芒星の魔法陣が現れた。二度目と言う事もあり、移動に備えてルエノは静かに目を瞑った。二匹の体は眩い光に包まれると、瞬時にその場から姿を消したのであった。