Predication-12 お調子者のご案内
モーノに軟化呪文なるものをかけられ、足を一歩踏み出す度にぐにゃりとした気味の悪い感触を感じつつ、ルエノは連れられるがままにリベロン内の廊下を突き進んでいた。外からの見た目以上に広い建物で、次々と部屋の前を通過していっても、一向に行き止まりが見えない程だった。
「よし! まずはここだっ」
一つの部屋の前で急停止をしたため、やや前のめりになってルエノも止まる形となった。小さく溜め息を吐いてモーノの指す方向に目を向けると、その空間には木製の巨大な棚と、その一つ一つの段に所狭しと並べられている分厚い本が無数あるのが見えた。
「ここは書物庫って言ってな、魔法に関する本なんかはほとんど揃ってるんだ。ま、オイラはあんまし来ないし、読みもしないんだけどなー」
「へぇ、そうなんですか」
食い入るように見つめつつ、ルエノはその所蔵数に圧巻したように立ち尽くした。その本の数は、最上段が天井まで届きそうな棚にさえも入りきらない分が、床に積み上げられている程である。
「おっ、そういえば薬学の本なんてのもあった気がするな。上手く行けば、傷の治りが早くなる薬の調合法が書いてある本が見つかるかもしれないけど、どうする?」
「いえ、この中から探すのはちょっと大変そうですから、遠慮しておきます。それに、見つかったとしても、作るのは大変そうですし」
「そっか。じゃあ、ここにはもう用は無いなっ」
自分から持ち出しておきながら、あっさりと止める事を決定した事にルエノが驚くのも束の間だった。モーノは再びルエノの手をしっかり握ると、全力で駆け出して書物庫を離れていった。ルエノは半ば引きずられるようにして、その後を付いていった。
「さてと、ここは何だっけかな? あ、そうだそうだ。ここは食堂だった。奥には食物庫もあって、常時適切に管理されてるんだ。オイラには難しい事はさっぱりだけどなっ」
次にモーノが案内してくれたのは、長方形の木のテーブルと多くの椅子が並んでいる空間だった。辺りには甘い匂いや酸っぱい匂いなど、嗅覚を忙しく刺激する様々な匂いが漂っている。
「あの、ここで皆が食事を取るんですか?」
「そうだよ。皆で団欒しながら食べるのが、オイラは一番楽しいんだ!」
はしゃぐように明るい声を放ちながら、モーノはルエノの方に生き生きとした笑顔で向き直った。そんな陽気な姿を見ると、ルエノは手を胸の方に持っていって軽く当てた。
「ん? どうかしたのか?」
「いえ、何でも。ただ、モーノさんを見てると何か……」
モーノが顔を覗き込むようにして聞いてくるのに対しても、ルエノはどこか上の空で答えるだけであった。すると、モーノは短い両手を使ってやや下の方を向いているルエノの顔を自分の方に向けた。
「あのさ、オイラの事をさん付けで呼ぶのは止めてくれないか? そういう堅苦しいのは苦手なんだ」
「え、でも、それは――」
「わかったな? オイラの事は呼び捨てで構わないからなっ」
「は、はぁ」
ほとんど強引に押し切られる形でルエノは了承させられた。一方で、ルエノが受け入れたのを喜ぶように笑みを浮かべると、モーノは先程よりも強くルエノの手を掴んで駆け出した。
食堂を出た廊下を曲がった先には、今度は何重もの鍵が掛かっている、黒塗りの重々しい扉が待ち構えていた。明らかに重要な物が先にある事が分かる程であり、見た目からも近づく事さえも憚られる。
「モーノさ――じゃなかった。モーノ、あの先には一体何があるんですか?」
「さあな。オイラは何にも知らない。ささ、次の行き先はこっちだぞ」
目の前にある如何にも怪しい扉を避けて通ろうとするモーノに対し、ルエノはどこかぎこちなさの残る呼び掛けをしてみた。しかし、モーノはあっさりと一蹴すると、強引に引っ張って手前の角を曲がってしまった。
「ちょっと、一体どうしたんですか?」
「別にどうもしないよ。さーて、次にご案内するのは、オイラ達魔道士じゃなく、エルバさん達魔道師が暮らしてる――いわば寮みたいなとこかな?」
わざと注意を逸らすようにしてモーノが紹介したのは、上に通じる階段の一歩手前だった。視線を徐々に上に送っていくと、螺旋状になっている階段の先にも廊下が続いているのが見えた。しかし、その先は階下から見えず、上の階の間取りは全く窺い知れない。
「あの、この上に寮があるのは分かったとして、まさかこの上に行こうなんて言いませんよね?」
「あったりー! オイラも部屋の中まではあまり入った事は無いんだけどさ、ルエノも興味あるだろ? 今回は案内の為に特例という事で、部屋の中まで忍び込んじゃおうな!」
嬉々とした表情を見る限りでは、到底案内の為に行こうとしているのでは無い事はわかった。ルエノも半ば呆れるように溜め息を吐く。――と、次の瞬間、大きな影が二匹を覆い尽くした。
「なーにが案内の為だ。全く、お前を捜して回ってみれば、またそんな事をやってるとはな」
「あ、え、エルバさん!?」
影の正体――それは、腕を組んで仁王立ちをしているフライゴンのエルバだった。さっきまで飄々としていたモーノも、表情を強張らせて立ち尽くす。
「いや、これは、その――」
「今さら言い訳をしたって遅いぞ。でも、それよりも問題なのはルエノくん、君だよ」
「えっ、僕、ですか?」
この空気の中で名前を呼ばれた事に驚き、ルエノは一歩後退りをした。その背後には壁があり、ぶつかった瞬間に体をびくつかせてしまった。顔も俯かせ、既に反省の素振りを見せる。
「そうだよ。安静するように言っておいたのに、こんなにもすぐに約束を破るとはね」
「そ、それは、その……」
ルエノもモーノと同じように口ごもってしまった。それと同時に、失望の眼差しを向けてくるエルバを見て、胸が強く締め付けられる思いがした。期待に応えようと思っていたのに、最初から逆に裏切るような事をしてしまい、自責の念に駆られたのである。
「エルバさん、その、ごめんなさい」
視線を地面の方に向けつつ、ルエノは小声で囁いた。すると、不意に頭の上に何かが乗っかったのを感じた。決して力が強かった訳ではないものの、その衝撃で僅かに走った痛みに堪えて顔を上げると、エルバが柔和な笑みを浮かべているのが見えた。
「ごめん、傷に響いたかい? ともあれ、別に何も悪い事をしたわけじゃないんだから、謝る事はないさ。ただ、ルエノくんはおとなしいイメージだったから、ちょっと驚いただけだよ」
お咎めを喰らわずに済んだ事で気が抜けたのか、ルエノの表情はいつの間にか綻んでいた。高鳴っていた心臓も落ち着きを取り戻し、すっと気分が楽にもなる。
「ただし、無理だけはしないでくれよ。……さて、忘れてた本題だ。モーノ、お前に任務が来ているぞ」
「ちぇっ、せっかくルエノを案内して楽しかったのに」
エルバが表情を引き締めて告げると、モーノはつまらなさそうにしてそっぽを向いた。すると、エルバは苦笑を浮かべつつ、「やれやれ」と言って話を続ける。
「お前は本当にな……。ああ、そうだ。一つ言い忘れてたけど、今回の任務はパートナーを連れていっても良いんだけど――」
「それじゃ、オイラはルエノと一緒に行きたい!」
エルバが全てを言い切るまでもなく、食い気味に即答を返した。再び嬉しそうな顔に戻ると、モーノはルエノの手を強く握った。突然の出来事にルエノも戸惑いの様子を見せる。
「まあ、ルエノくんの傷は明日にはある程度は良くなってるだろうから、そっちに関しては問題無いけどな。後はルエノくん自身が行きたいかどうかだけど」
「はい、僕も行ってみたいです」
「そっか、なら問題は無いな。それじゃ、今度こそ今日一杯は休んでおくんだよ」
最後にもう一度だけ戒めとしてそう言い残すと、エルバはそのまま寮へと向かう階段を上っていった。その後ろ姿を見届けた後で、ルエノは改めてモーノの方に向き直る。
「あの、モーノ、何で僕をパートナーとして選んでくれたんですか?」
「ん……だってさ、オイラ、早くルエノと仲良くなりたいからな!」
無邪気に、これっぽっちも恥ずかしがる様子もなく、モーノは言い切った。真っ直ぐな視線を向けられたルエノは、思わず目を逸らしてしまう。
そんな事を言ってくれるひと、今まで誰もいなかった――壁の方を見遣りながらぼんやりと考えていると、ふと腕を強く引っ張られるのを感じて我に返った。急いでそちらを見ると、モーノが笑いかけて引っ張っていた。
「えっ、どうしたんですか?」
「予定変更だ。オイラと一緒に任務に行くんなら、早く元気になってもらいたいからな。早速休憩室に戻って安静にしてもらうぞっ」
ルエノが続いて反応する間もなく、モーノはしっかりと手を離さずに走り出した。その後、抵抗する事も出来ずに真っ直ぐに休憩室まで連れていかれ、さっきまでとは真逆の態度を見せたモーノに安静にしてるように見張られていたのは言うまでもない。