Predication-10 いざ、初めての任務へ(2)
深緑が一様に広がり、ところどころに夜に近い暗部が窺える舞台にて、リードとゴーリキーの戦いが始まったのとほぼ時を同じくして、ルエノ達の方も戦いの始まりを告げていた。
先に仕掛けるのは、ヤルキモノの方だった。持ち前のスピードで距離を一気に詰めると、片腕を振って鋭い爪で引っ掻こうと手を伸ばしてきた。攻撃をむざむざ受ける訳にも行かないため、ルエノは後ろに軽く跳んで射程範囲から離れる。
「ちっ、これならどうだ?」
攻撃をかわされた事に苛立ちを感じながらも、ヤルキモノは次の攻撃をするべく、拳を作った片方の腕を引っ込めて集中し始めた。ルエノの方を強く睨みつけている内に、徐々に拳に力が溜まっていく。
「あれはちょっとまずそうだね。【西風を司りしゼピュロスよ。その春の訪れを告げる豊穣の力を以ってして、立ちはだかるものを打ち消し賜え――“ティテリアー・ヴェント”】」
さすがに危険を察知したルエノは、ヤルキモノが走り出したのを確認すると、手を前に突き出して素早く唱えきった。魔法陣の登場と同時に、背中から暖かい風が吹き抜けていき、目前まで近づいていたヤルキモノの体は元の位置まで押し戻された。
「くっ。そっか、お前も魔道士だったな。何故風を操れるのかって一瞬疑問に思ってしまったが」
ふっと笑って見せると、片腕を静かに上げて爪を真っ直ぐルエノに向けた。そのまま何をするでもなく硬直しており、ルエノも毅然とした態度でその様子を見守る中、突如ヤルキモノは口を開く。
「【“プロクス”】!」
ヤルキモノはそのたった一単語を叫んだ。声が辺りに反響したかと思えば、ヤルキモノの爪の先から小さな火球が現れ、少しずつ肥大していった。それがちょうど手の平と同じくらいの大きさになった時、弾丸のように飛び出してルエノに一直線に飛んでいく。
「うわっ!」
ルエノは慌てて横に跳び、燃え盛る火球をかわした。相手が魔道士とは分かってはいたものの、突然魔法を使ってきた事には驚きを隠せないようである。
「魔法を使った戦いの方が、技だけよりも面白いからな。ほら、ぼーっとしてると、まだまだ行くぜ!」
「くっ、【西風を司りしゼピュロスよ。その春の訪れを告げる豊穣の力を以ってして――】」
詠唱の途中で言葉を切ると、ルエノは悔しそうな顔をして右に走り出した。今度は両手で連続で火の玉を放ってきた為に、まずは避けるのを優先しなければならなかったのである。
「【――立ちはだかるものを打ち消し賜え――“ティテリアー・ヴェント”】!」
最初の二発を避けきったところで、再度向かってくる二つの火球を打ち消す為に、詠唱を続きから唱えた。魔法もちゃんと発動し、“防御の風”が炎の魔法とぶつかり合う。しかし、風は炎を打ち消すどころか、その勢いを増大させてしまった。
「しまっ――」
間一髪のところで地面に伏せる飛び込んで回避に成功するものの、さすがに全てをかわしきるのは難しかったらしく、炎の一部が右腕を掠めた。
「ははっ、残念だったなぁ。所詮はお前も、俺を無理矢理捕まえようとした連中と同じレベルか」
不敵な笑みを浮かべているヤルキモノは、それと同時に怒りのような表情も見せた。右腕を軽く押さえながら見つめるルエノは、何となくではあるがその機微が読み取れてふと戦う姿勢を解いた。
「あなたはもしかして、もう逃げるのが嫌なのでは? 捕まる恐怖が徐々に増幅していったとか」
「はっ、そんなくだらん事を言ってる場合か? 逃げ場は無くなったんだぞ?」
ルエノも最初はヤルキモノの言ってる意味がわからなかったが、後ろから聞こえてくる弾けるような音で全てを把握した。急いで振り返ると、背後にある枯れた木々が大きな炎を上げて燃えているのが目に入った。明らかにヤルキモノが放ち、ルエノがすんでのところでかわした火球が原因であった。
「これは、どうしよう。“ティテリアー・ヴェント”ではとても火は消せないし……」
しばらく考え込んだ後でルエノは背負っているリュックを下ろし、中から本を取り出して素早くページを開いていった。このままでは、火の手が大きくなって、雑木林が燃え尽きてしまうと焦っていたからである。
「あっ、あった――ぐうっ!」
火を消す為の魔法を見つけた瞬間、意識を刈り取るような凄まじい衝撃が背中に走った。じりじりと焼けるような音がして、ルエノは苦痛に顔を歪める。
「戦っている最中に、敵に背を向ける奴があるか? さあ、戦いを続けるぞ」
横目で振り返ると、ヤルキモノが不満げな面持ちで腕を向けているのが見えた。後ろを向いて隙だらけのところに、炎の魔法で攻撃を仕掛けたらしい。
「くっ。今は、そんな場合じゃありません!」
いつもより声を張り上げてヤルキモノの要求を一蹴すると、再び本の方に目を遣ってゆっくりと立ち上がった。深呼吸をしながら集中し、本を再度一瞥して唱え始める。
「【秋の南風を司りしノトスよ。農作物の破壊者の異名を持つその力を以って、万物を荒らし掻き乱す嵐を生み出さん――“フェロズ・オラージュ”】!」
長い詠唱を一息で言い終えると、ルエノの両脇で音を立てて風が渦巻き始める。しかし、それは先の風の呪文とは異なり、冷気を纏った強い風。それが吹き始めると、上空の雲行きが徐々に暗くなっていった。
小さく息を吐き出して、横に伸ばしていた腕を前に突き出すと、状況はその動きに連動してさらに一変した。しっかりと根付いている大木が揺れる程の暴風が吹き、燃え盛っている炎が大きく揺らぎ始めた。轟音を立てながら全てを吹き飛ばすかのように吹きつけるこの強風は、炎の威力を強める事なく鎮めていき、数秒の後には完全に鎮火させるに至った。
「こ、これで何とか――」
ほっと胸を撫で下ろした直後には、再び背中に激痛と強い熱を感じた。またもや意識が掻き乱され、気づいた時には体が前向きに倒れかけていた。
「ぐ、あっ……」
何とか手を着いて堪えるものの、身に受けた火傷はより酷くなっていた。立ち上がろうとしても、上手く力が入らず、しゃがみ込んだ状態でヤルキモノの方を見遣った。攻撃が当たって満足そうな表情をしているのかと思ったが、寧ろ更に不満そうにしている。
「これだから、魔道士ってのは面倒で嫌なんだよ。魔法を他者の為に使って、自分の事は二の次にするみたいに、正義感を振りかざすのがな。【“グラン・プロクス”】!」
苦々しげに舌打ちをしながら、ヤルキモノは両腕を上に掲げた。その間に小さな炎の塊が現れ、大きくなっていくまでは先程までと同じだったが、今回は規模が違っていた。掌サイズと言うには程遠く、一回りは大きくてルエノの背丈ほど大きい。
「さあ、避けるなら避けるがいいさ。どうなるかは、もちろん分かっているだろうがな。どうせこれくらいのは防げまい」
試すような口ぶりで言い切ると同時に、ヤルキモノは思い切り腕を振って炎塊を投げ付けてきた。もちろんルエノも、ヤルキモノの言いたい事は分かっていた。横に跳んで避けれない事は無かったが、もし避ければ、確実にさっきよりも大きな火の手が上がり、災害が再発する。だからと言って、この距離では明らかに詠唱が間に合うはずもなかった。そうなると、残された道はただ一つだった。全てを受け止める覚悟を決め、せめて目は守ろうと、瞼を静かに閉じた。
次の瞬間、ルエノの小さな体は豪火に包まれた。悲鳴を上げる事すら許されず、ひたすら身を焼かれるばかり。そんな拷問から数秒後に解放された時には、全身に酷い火傷を負っていた。
「う、うぅっ……あっ!」
体を少し動かすだけで、身が引き裂かれるような激痛が全身を走り、立ち上がるどころか、身動きする事も儘ならなかった。出来る事と言えば、地面に這い蹲(つくば)った状態で視線を上に向ける事だけである。
「何故だ。何故避けられたものを避けなかった? 木々を守る為に、お前が犠牲になる事は無いだろ」
呆然と成り行きを見守っていたヤルキモノの方は、明らかに動揺していた。攻撃を仕掛けた張本人だと言うのに、それを真正面から受けたルエノが信じられないようである。
「僕の、怪我は、すぐに、治ります。でも、木は元に戻るまでに、時間が掛かりますから。それに、あなたが、苦しんでるよう……でしたから」
掠れた声を振り絞って、ルエノは必死に思いの丈を伝える。体はボロボロであるものの、その言葉には強い意志が篭っており、目にもまだ強い光を宿している。
「俺が苦しんでるだと? 馬鹿を言うな。俺はただ、お前のような魔道士にうんざりしてるだけだ」
「それは、あなたが、魔道士を辞めたのと、関係が?」
「ああ、そうだよ。必死に皆の為に尽くしてるのに、誰も気づかない――それにうんざりしたんだよ。それを聞けて満足か?」
ヤルキモノはいつの間にか、ルエノのペースにすっかり巻き込まれていた。この状況下で信念を貫いている相手を前に、思いをさらけ出したくなったのである。
「だから、僕への攻撃も、魔道士に対する恨みのようなもの、だったんですね」
「まさか、それを分かってて、わざと受けたと言うのか?」
ヤルキモノの問い掛けに、ルエノは必死に小さくではあるが笑ってみせる。木々を守る為に、そして、自分の思いを受け止める為に攻撃を受けた。この事実に気づいたヤルキモノは、高笑いを始めた。
「ははっ、馬鹿みたいでやんの。もっと早く、お前みたいに馬鹿正直な奴に会ってたら、少しは考えが変わってたかもな」
笑うのを止めたところで、ヤルキモノは大きく溜め息を吐いた。敵意の無い事を示すように両手を広げつつ、ルエノの前まで来ると、複雑な表情をしながら跪いた。
「今からでも、遅くはないですよ。死罪を宣告されたのではないんですから、またやり直す事は可能なはずで」
「――かもな。俺ももう逃げるのには疲れたし、おとなしく捕まる事にする。どうせ“魔力”も尽きた事だし。まあ、いきなり改心するなんて、自分でも信じられないけどな」
嫌に力の篭った決意を告げ終えると、ヤルキモノはその場に座り込んだ。その表情には、さっきまでは見えなかった安堵のような色さえ窺える。
「それにしても、悪かったな。こんなになるまで攻撃をして」
「いえ、大丈夫、です。このくらい――っ!」
体が平気な事を示そうと、ルエノは両手を地面に着いて立ち上がろうとするが、体が全く言う事を利かなかった。声こそ上げないものの、強く歯を食いしばって表情を歪めている。
「おいおい、無茶はしない方が良いぞ。全く、こんな無謀な奴、俺がいたところでも見た事ないな」
「はは……。それは、褒め言葉ですかね。一応、僕は――」
その続きの言葉を告げようとしたところで、脇の叢からがさがさと物音が聞こえた。話すのを止めて視線をそちらの方に視線を送ると、戦いを無事終えたリードの姿があった。二匹の光景を見ると、即座に攻撃の構えを取った。
「あっ、リードくん! ち、違うんだ……! や、ヤルキモノさんは、もう逃げないって――ぐっ!」
今にも飛び掛かろうとするリードを見て、ルエノは出来る限りの声を上げた。その決死の言葉はちゃんと届いたらしく、リードは寸前で立ち止まった。一方で、ヤルキモノも両手を上げて降参の意思を示している。
「そう。分かった。それじゃ、ゴーリキーとヤルキモノをリベロンに連れていくけど、君は大丈夫?」
「うん、大丈夫。もう少し休めば、ちゃんと動けるから。先に、戻ってて」
ルエノの返答を受け取り、本人の意志と任務を優先しようとしたのか、リードはヤルキモノを連れてその場を離れていった。
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「さて、と。どうしようかな」
リード達の姿が見えなくなり、足音も気配も全く感じなくなった頃。しばらく休んだ事で息も何とか整ってきて、呼吸も苦ではなくなっていたが、体は以前として回復してはいなかった。
「は、あっ……。やっぱり、そうそう治る訳ないか。もちろん、分かってたけど。リードくん、もうリベロンに戻ってるかな」
何とか動こうと試してみるも、結果は変わらなかった。もちろん、こうなるのは分かっていた上で、リードに嘘を吐いたのである。それも、出会ったばかりの相手に、迷惑を掛けてはいけないと思っていたからである。
「どれくらい休めば、足が動く、かな」
このままおとなしく休もうと思い、瞼を閉じて眠りに就こうとした時だった。長く続いていた疼痛とは別に一瞬だけ激痛が走るとともに、体が持ち上がるような感覚を覚えた。一度は閉じた瞼をゆっくりと開けていくと、目の前には青と黒の背中が見えた。
「リードくん!? どうしてここに――」
「――あまり大声で喋らない方が良いよ。傷に響くから」
「う、うん。でも、どうして?」
先に戻っていたとばかり思っていたリードが突然現れ、自分を背負っている事に驚きつつも、ルエノは再度問い返す。
「んっ。ヤルキモノがゴーリキーを運んでいったし、ちゃんとリベロンに向かってたから。それに、一応任務の間は相棒(パートナー)だし、戻れるなら一緒の方が問題無いからね」
“一応”という言葉にやや引っ掛かりはするものの、ルエノは笑みを浮かべていた。どんな理由であれ、自分の為に戻ってきてくれたという事実だけで嬉しいのである。
「でも、僕を背負って歩くのは、大変じゃない?」
「別に。ゴーリキーを運ぶよりはずっと軽いから。気にしなくて良いよ」
「そう、かな。あり……がとう――」
先程とは違い、安堵から来る眠気に、ルエノは身を任せた。徐々に声も小さくなっていき、最後には頼れる背中で、静かに眠りに落ちていくのであった。