Predication-5 問題の収拾とお別れ
常に体力を奪われる激しい砂嵐の中を歩き抜き、ルエノとポアロは何とか再びサンザードへと戻ってきた。枯渇していた川に再び潤いが戻り始めたのに気づき、町のポケモン達も活気づいており、あちこちで喜んでいる様子が見受けられた。
「わぁ、すごい! 川が元に戻って、皆も元気になってるね、ルエノお兄ちゃん!」
「うん、そう……だね」
川だけでなく、住民達にも潤いが戻ったのを見て歓喜の声を上げるポアロに対し、ルエノは上の空といった様子で元気なく返すだけであった。異変を察知し、ポアロは顔を覗き込んだ。
「ルエノお兄ちゃん、大丈夫? 顔色が悪いよ?」
「えっ? うん、大丈夫、だよ。それより、ポアロくんの家に、一旦戻ろうか」
ルエノの目はどこか虚ろで、気候が暑いとは言え、異常なまでに大量の汗を流している。その様子を心配したポアロが声を掛けるが、当の本人は平静を装って歩き出した。最初こそ何事も無いようだったのだが、徐々に足元がふらつき始める。
「ねぇ、ちょっと休もうよ?」
「問題、ない……よ。まだ、やらないと、いけない事が……ある……か……ら……」
必死に取り繕おうと笑って見せるが、それが逆に辛そうに見えた。やがて言葉も途切れ途切れになり、遂に限界が来たのであろう。そのまま前のめりに倒れ込んでしまった。
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ところ変わって、マリルリのラピスの家。たまたま倒れたのが彼女の家の近くだったという事もあり、ルエノはポアロによって運び込まれたのである。
「お兄ちゃん、大丈夫かな?」
「一応、手当てはしたから大丈夫よ。体は衰弱してるみたいだけど……。かなり疲労(ダメージ)が溜まってたみたいね」
静かに眠っているルエノの傍らで、ポアロとラピスは会話を交わしていた。元々砂漠を歩いていて体力を奪われていたのにも係わらず、ちゃんと休まないまま砂嵐の中を歩き、その上で戦って攻撃を受けたのが祟ったのである。そして、体力の限界が来た状態で砂嵐の中を戻ってきた事で、止めを刺す形になったのであろう。
「でも、この子は一体……」
「うーん。そういえばぼくも、預かったこの本と“魔法”を使うって事くらいしか、ルエノお兄ちゃんについて知らないや」
今まで預かって抱えていたルエノの分厚い本を、ポアロはその持ち主の脇に静かに置いた。本の内容が気にはなるものの、他人(ひと)の持ち物を勝手に覗いてはいけないと思って、表紙をじっと見つめていたその時だった。
一陣の生暖かい風が家の中を吹き抜け、本のページを次々と捲っていった。気まぐれな突風はすぐに止み、ページも半分程捲られた辺りで止まる。予期せぬ事が起きて驚きながらも、ポアロは本に対する好奇心から、開いているページを見てみる。
「あれっ、本のはずなのに、何も読めないよ」
両手を地面に着いて、ぴたりと固まったままでいるポアロの最初の言葉がそれだった。その後、目を凝らして見たり本を逆さまにして読んでみたりと努力するが、やはり読めないようで、首を傾げながらラピスに見せてみる。
「えっ、本当に読めないわね。何かが書いてあるっていう事はわかるのに」
不思議に思ったラピスが同じく目を凝らして読んでみるが、結果は同じ。何かしら文字らしき存在を確認出来ても、それを解読するには至らなかったのである。
「ルエノお兄ちゃんは、読めない本を持ち歩いてるって事なのかな?」
「いえ、私達に読めないだけかもしれない。もしかしたら、これが“魔法”なのかも……」
今度は二匹して、初めて見る得体の知れない物に悩み始めた。そして、もはや他人(ひと)の物だからという事を忘れ、ひたすらぺらぺらとページを捲っていく。しかし、どれだけ見ていっても、一向に解読出来る様子はなかった。そうして読むのを諦め、しばらく沈黙が続いた後で、その場から離れようとした時だった。
「うっ。こ、ここは……?」
「あっ、ルエノお兄ちゃん! 気がついた?」
薄目を開けて右手で頭を押さえながら、ルエノがゆっくりと上体を起こす。それに気づいたポアロが、嬉しそうな表情で駆け寄る。
「ポアロくん? そうか、僕は町に戻ってすぐに……」
「そうだよ。ラピスさんがルエノお兄ちゃんをここまで運んでくれたんだよ!」
ルエノは覚めたばかりのぼんやりする頭で整理していき、ようやく現状を把握した。視線を左の方に遣ると、優しい笑顔を浮かべているラピスが見え、ルエノはすぐに手を着いて立ち上がった。まだ全快でないせいか、後ろに倒れそうになるが、慌ててポアロが支えて何とか踏み止まる。
「ルエノお兄ちゃん、まだ休んでた方が――」
「ありがとう、ポアロくん。もう大丈夫だから」
先程の事もあってか、ルエノの“大丈夫”という言葉を信用していいのか些か疑うポアロだったが、とりあえずは手を離して後ろに下がった。
「ラピスさん、ご迷惑をおかけしました。そして、ありがとうございました」
「そんな、別に迷惑なんて事ないですよ。それに、川を元に戻してくれたのはあなたでしょう? 感謝するのはこっちの方です。ありがとうございます」
ルエノとラピスは互いに向き合って会釈すると、それぞれに感謝の意を述べた。これで終わりかと思いきや、ルエノは「それで……」と続ける。
「一つお願いがあるのですが、オアシスからの水の流れを塞き止めていたベトベトンさん達を責めないで下さい。あの人(ポケモン)達も、居場所を失って彷徨(さまよ)っていただけなんです。だから――」
「ええ、わかりました。川に水が戻ってきたんですから、それ以上に何かしようとは思いませんから。町のみんなにも、私から言っておきます」
ルエノの必死の懇願を、ラピスは笑顔で快く引き受ける。町のみんなにも伝えてくれるとまで言ってくれた事にルエノは一安心すると、足元の本をリュックに入れて担いだ。
「ま、まだゆっくり休んでた方が良いですよ?」
「重ね重ね、ご心配頂きありがとうございます。でも、僕はまだこれから行かなきゃいけないところがあるので」
ラピスが止めようとするのを笑顔で丁重に断り、ルエノはそのまませかせかと強烈な陽射しの降り注ぐ家の外へと出ていってしまう。その後ろ姿を見送るポアロとラピスも、ただ不安そうな顔つきでその場に座り込むだけだった。
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「は、あ……何か、また苦しくなってきた……」
ラピスの家を出て町の出口まで来た辺りで、ルエノは胸を押さえて蹲った。ここまで大した距離は無かったが、相変わらず容赦なく照り付ける日光に、再びやられ始めたのである。
「ルエノお兄ちゃん。この水を飲んで」
大きな溜め息を吐いて、呼吸を整えようとすると、不意に横から水の湛えているコップを差し出された。そこにいたのはもちろん、笑みを湛えているピチューのポアロである。
「ルエノお兄ちゃん、また水を忘れてたでしょ? はい、これ!」
水を飲み終えたルエノに、ポアロは担いでいるリュックから一本の水筒を取り出して渡す。何故わざわざリュックに入れてるのだろう――と疑問に思うルエノだったが、とりあえず「ありがとう」と言って再び立ち上がる。そして、またお別れだと言うように微笑んで見せ、歩きだそうとするが――
「待って、ルエノお兄ちゃん。ぼくも付いていきたい!」
ポアロに両腕でがっしりと掴まれ、その歩みを途中で止めた。ベトベトンのいるところに行った時と同じ展開に戸惑い気味になるも、少し考えて口を開いた。
「僕といたら、今日みたいに危ない目に遭うから、ポアロくんは付いてこない方が良いよ」
「それでもいいよっ! 例えダメって言われても、絶対に付いていくって決めたもん!」
ポアロは負けじと声を張り上げて、その強い思いを伝える。掴む力もより一層強くなり、ルエノはややたじろぐ形になる。その気持ちはもちろん嬉しかったのだが、もし危険な状況に陥った場合に、この子を守り切れるだろうか――。そう考えると、手放しでは喜べないのであった。
しかし、本気で付いてきてくれるというポアロの思いを無下にするわけにも行かず、了承の証として、ルエノはにっこりと笑って見せた。
「本当に良いの? それじゃ、早速行こう! ルエノお兄ちゃんってどこか危なっかしいから、ぼくが付いてて支えてあげるね!」
ぐいっと強い力で引っ張られるようにして、ルエノはポアロに連れられて走り出した。無邪気な思いから出た、どこか喜べないような言葉に苦笑いを浮かべつつ、砂の上を素早く駆けていくのであった。