Predication-4 ルエノの使命(しごと)
怒りが頂点に達した事でポアロを完全に敵として認識したベトベトンは、毒性のある紫色の粘液を大口を開けて勢い良く放った。鉄砲玉のような塊のヘドロは、途中で飛散しながらも、確実にポアロに目掛けて飛んでいく。
「【西風を司りしゼピュロスよ――】」
怒りの矛先を向けられたポアロは、その迫力に怯えきってその場で立ちすくんでしまっていた。ルエノは慌てて防御の為に風の魔法を繰り出そうとするが、呪文が長いせいで、どれだけ早口で言っても到底間に合わない。そう判断したルエノは、意を決して全力で駆け出した。
それはまさしく“でんこうせっか”の如きスピードだった。ベトベトンの攻撃をぎりぎりのところで追い越し、ポアロと“ヘドロこうげき”との間に入って盾となった。
「うあっ……!」
その刹那、ルエノは攻撃が当たらないように両手でポアロを包み込みながら、背中を襲う衝撃に耐えた。粘性の液体が背中から尻尾まで覆い、毒による激痛がじわじわと体を蝕んでいく。
「ぐっ……ポアロ、くん。大丈夫?」
「うん、それよりも、ルエノお兄ちゃんが……」
「僕は……平気、だから。ここに、いて」
平気な顔をして笑ってみせるが、明らかにその顔は苦痛で歪んでいた。それでも、何とか心配させないようにポアロの両肩を軽く叩くと、背中のヘドロを振り払い、再びベトベトンの方を見据えた。
ベトベトン達は攻撃を受けて疲弊したルエノの様子を見て、全員がせせら笑っていた。それを見たルエノは、一つ小さく溜息を吐くと、足に力を込めて走り寄っていった。先程よりは格段に遅いものの、体力の衰えを感じさせない程に力の篭った動きだった。
「ほお。仲間を庇って傷を負うなんて、ずいぶんと傑作な話だな」
先程よりも弱っているルエノの様子を見てベトベトンは嘲った。受けたのがたった一撃とは言え、確かにルエノの体力は削られていた。苦しそうに肩で息をしており、顔色もあまり芳しくない。そんな状況にあっても、ルエノは構えを解いていた。
「すいませんでした。“浄化魔法”は解きますから、話を聞いてもらえませんか?」
「はっ、今さら下手に出ようってか。貴様がそんな偉そうな事を言える立場にあると思うか?」
拒絶の言葉を発すると同時に、ベトベトンは至近距離でヘドロを吐きかけた。今まで攻撃を避け続けていたルエノだが、今度はかわすつもりすらないようで、真正面から“ヘドロこうげき”を甘んじて受けた。全身にヘドロを浴び、ダメージがさらに蓄積されていった。何とか踏み止まって耐え切るが、足元がふらつき始める。
「げほっ……。僕に、怒りをぶつけるのは構いませんから、落ち着いて下さい。あなたも、他のポケモン達と、仲良くしたくない訳じゃ、ないんですよね?」
呼吸するのが苦しいからだろうか、それとも切実に語りかける為だろうか。どちらにせよ、ルエノに一言ずつゆっくりと話し掛けられる内に、ベトベトンはその動きが止めた。
「あなたは今まで、その形(なり)だけで忌み嫌われ、避けられてきた事が少なからずあったんですよね? だから、他者と仲良くするのが嫌になり、こうやって独り占めして自己顕示を――」
それ以上喋るな――そう言わんばかりに巨大なヘドロの手を振り下ろし、ルエノを“はたき”飛ばした。ルエノの体は何度も地面に叩き付けられながら転がっていった。ようやく転がるのが止まったところで、ふらふらと立ち上がる。
「失礼な事を言って、ごめんなさい。でも、あなたのその淋しげな顔を見れば、何となくわかります。本当はいろんなポケモンと付き合いたいけど、今までの経験があるから、その一歩が踏み出せない。違いますか?」
「……だったらどうした」
ルエノの言葉を聞き入れる気になったらしく、ベトベトンはおとなしくなって短く返した。その反応を見て些か安心しつつ、ルエノはベトベトンに歩み寄った。
「僕は部外者ですし、あなた達の関係については何も言えません。しかし、とりあえずは場所を譲って下さいませんか? もちろん全てとは言いません。ただ、もう一度だけあなたから歩み寄りを見せれば、何か変わるかと……」
「そんな、子供みたいな甘い考えが通るとでも思ってるのか?」
ベトベトンはゆっくりとヘドロの手を上げて、再び攻撃しようとする。しかし、ルエノは攻撃を受けようとしてるのに、穏やかな目でベトベトンを見据えたまま動かなかった。
「何故だ。部外者なら尚更、お前がそこまでする必要はないはずだ」
「これが、僕の使命(しごと)だからです。……ベトベトンさん、もう一度お願いします。町の皆さんとオアシスを共有して下さいませんか?」
「わかったよ。お前には負けた。好きにするがいいさ」
ルエノの必死な願いに感服したのか、ベトベトンは要求を飲む事にする。それを聞くと、ルエノは深いお辞儀をして笑顔を見せた。相変わらず息遣いも荒く、苦しそうではあるものの、誠心誠意の感謝の気持ちを示している。その後、ルエノは頭を上げて水際までヨロヨロと歩いていき、再び“浄化の呪文”を唱えた。
先に発動していた“光の波紋”は消え、新たに別の波紋が広がっていく。新しい“光の波紋”は、川を塞(せ)き止めているヘドロを一瞬にして消し去り、流動を始めた水と一緒に窪みに広がっていった。
そしてそれとは逆方向に広がっていった波紋は、水面に浮いているヘドロをあらかた浄化していった。その範囲は、大体オアシスの四分の三程である。
「これで、あなた達の場所は確保出来ましたし、いくらあなた達がここの水を汚そうとも、川を通っていく内に水が浄化されるように魔法の調節を施しました。ご協力ありがとうございました。それでは……」
「ちょっと待て。一つ、質問をしていいか?」
背を向けようとしてルエノがその場を去ろうとした時、ベトベトンが怖ず怖ずと声を掛けて呼び止めた。
「はい。何でしょうか?」
「お前は一体何者だ? この近くの町のポケモンでも無いようだし、見る限りではまだ子供みたいだが……」
ルエノをじっと見つめながら、今までになく遠慮がちにベトベトンは尋ねてきた。子供と判断したのは、ルエノが普通のピカチュウに比べてやや小柄であるからであった。
「僕は“伝道士”をやってるルエノと言います。自分で言うのも何ですが、子供という部類に入るかもしれませんよ」
「伝道士か……聞いた事無いな……。それに、あの少し交渉に慣れていない感じでわかっていたが、やはりまだ子供だったのだな。まあ、ずいぶんと大人びているようにも見えたがな」
先程まで敵対していたとは思えない程に、ルエノは微笑みを湛えて話していた。それを見たベトベトンも思わずふっと小さく笑い、相手を認めて理解したかのように呟く。
「それはお褒めの言葉と受け取らせて頂きます。ありがとうございます。それでは、今度こそ失礼しますね」
疲労困憊なせいか、ルエノの表情はやや引き攣ってはいた。だが、それでも精一杯の笑顔を見せながらお辞儀をして、振り向いた。するとそこには、心配そうに近づいてくるポアロが見えた。
「ルエノお兄ちゃん、大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だよ。それじゃ、町の方に戻ろっか」
ルエノは優しくポアロの頭を撫でてそう言うと、サンザードの方へと歩みを進めるのであった。傷ついた体ながらも、さりげなく砂嵐からポアロを庇うようにして寄り添いながら――。