Prologue 砂漠に吹く一陣の風
普段なら全開でいられる視界を全て奪い、目を開けてなどいられない程に細かい砂の粒子が飛び交う、砂が一面に広がるとある大地。その広大な砂漠の中を、一匹の黄色い体毛をした小柄の鼠のようなポケモンがひたすら歩いている。
特徴的なピンと立った黄色と黒色の耳も、この砂嵐の中では元気なく垂れていた。ギザギザした尻尾も、何処か重そうに砂の上を引きずっている。
「ふぅ……さすがにこの砂嵐の中を歩くのは大変だよ……」
一歩ずつ足を前に出しながら、そのポケモン――ピカチュウは小さく呟く。後ろからずっと続いたはずの足跡も、既に無くなりつつあった。
凄まじい風が吹き付けている為、体を飛ばされないようにするのに必死で、中々前に進めないのが現状。舞う砂の量が多いので、砂漠にありがちな灼熱の太陽光線に曝されないのは幸いと言えるかもしれない。尤(もっと)も、この状況自体が決して良いものだとは言い難いが。
「この砂嵐をどうにかしないと、中々進めないじゃないか、もう。……そうだ、こんな時こそ――」
何やら独り言をぼそぼそと言うと、徐(おもむろ)に背中に背負っているリュックの中から一冊の分厚い本を取り出す。全体的に古びており、ところどころボロボロになって紙の変色も見られる年代物の本である。
「えっと、“風の呪文”の欄は……あったあった」
風に飛ばされないように必死に本を押さえながら、ページを捲っていく。そして、あるページを開いたところでリュックで押さえ、深呼吸をして立ち上がる。
「【西風を司りしゼピュロスよ。その春の訪れを告げる豊穣の力を以ってして、立ちはだかるものを打ち消し賜え――“ティテリアー・ヴェント”】」
ピカチュウは静かに目を瞑り、一呼吸で呪文を唱えた。唱え終えてコンマ数秒後、その足元に突如として光の筋が走って五芒星形の魔法陣が現れ、さらにまばゆい光を放ち始めた。
それと同時に、暖かく優しい風がピカチュウを中心にするように広がっていき、先程までこの砂漠で暴れ回っていた強風がぴたりと止んだ。舞っていた無数の砂粒達も元の地面に落ち着き、隠れていた太陽が徐々に姿を現した。
「あ……砂嵐は治まったけど、今度は日光が……。まぁ、さっきよりはましになったからいいっか」
その小さく可愛らしい片手を太陽の陽射しから目を守るように広げながら、もう一方の手で本をリュックに詰め込むと、また砂漠の上を歩き始めるのであった。彼にとってはとても大事な、ある物を求めて――。