エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第九章 生命溢るる花の村〜花の香りと不吉な風〜
第六十五話 草の精霊・シェイミの采配〜見え始めた異変の片鱗〜
 奇抜な登場を果たしたシェイミに、視線が一極集中した。未だに淡い光を纏っているそのポケモンは、自らの事を”草の精霊”などと聞き慣れぬ名前を口にしたのだから、訝るのも無理は無かった。
「何だ、お前。精霊とか、そんなお伽話の存在みたいなのがいるなんて、聞いた事ないぞ」
「そりゃあそうでしょうね。私は特に、必要に応じて動く方だから、あまり人前には姿を見せないようにしてるもの。少し出無精なところもあるけどね」
 腕組みをしながら高い位置から鋭い視線を投げ掛けるバシャーモを見ても、シェイミは極めて冷静に返していた。エルフーンのように敵と思っていないのではなく、それ相応に対処するべき相手だと弁えていたからである。
「それはどうでもいい事ね。とりあえずあなた達、おとなしくこの村から出ていきなさい。さもないと痛い目に遭ったりするかもね」
 落ち着き払った声ながらも、どこか締まりの無い腑抜けた口調が見られた。さすがのバシャーモとコロトックも、憮然として立ち尽くしてしまう。しかし、すぐに気を取り直し、置物かと見紛うような愛らしい見た目のポケモンに詰め寄っていく。
「おい、精霊とか言うんだったら、フルスターリの事も何か知ってんだろ。とっとと教えな」
「ちょっと待ちなさい。あなた、人にお願いする時の態度がなってないわね。私は今、相手をしたくないようなあなた達と遭遇して不機嫌なんです。私の言う事が聞けないなら、強引にでも村の出口までお送りして差し上げますよ?」
 浮かない面持ちから一転して、これでもかと言うくらいに笑みをいっぱいに浮かべた。饒舌で丁寧な言葉の裏には皮肉混じりの鋭利な刺が垣間見え、シェイミの抱く負の思いの全てが滲み出ていた。爆弾の導火線に火を付けたのは彼ら自身であり、爆発するのはもはや時間の問題だった。それならばと覚悟を決め、先手を仕掛けられるのを避ける為にも、先に火蓋を切った。
 下手に気取られないよう即座に足元に炎を這わせ、一気に蹴りかかろうとした。相手が草タイプである事は容易に想像出来たし、その上小さい体であれば、一撃で沈められるかもしれない――そんな慢心は、一瞬にして崩壊させられた。
 バシャーモが脚力を誇る足を踏み出すよりも速く、蔓に搦め捕られて身動きを封じられた。抵抗する間も与えられない早業に、押さえ込まれた本人も絶句していた。近距離で一部始終を眺めていたコロトックも、唖然としているばかりである。
「私は植物の生長を操る事が出来るの。だから、あなたなんか捕らえるのは簡単ですのよ」
「馬鹿にするな! こんな草ごときで――」
 堅く使った拳固に揺らめく紅球を灯し、力任せに捕縛している植物を引きちぎろうと試みる。だが、いくら植物が火に晒されようとも、決して解ける事は無かった。
「くそっ、何故だ。所詮は植物のはずなのに――ぐあっ!」
 激しい炎など物ともせず、蔓はバシャーモを更に縛り上げた。その強さによって悲鳴が漏れる中でも、シェイミは淡々とその光景を見つめる。
「だから、植物の生長を操れると言ったでしょう。その再生力も、植物の耐久度を変えるのも、私の意のままなのよ。もちろん可能な範囲内だけだけど」
 今度は蔓全体が動き、バシャーモの体を横倒しにした。シェイミはその小さな体に秘められた膨大な力を発揮し、十倍近く体の大きい相手を完全に圧倒していた。
「それ以前に、エルフーンの発想の転換には随分と苦しめられたようね。念のために来てもらっていて良かった。ありがとう、ベルン」
「いーえ、お安いご用だったりするよっ。ここまで来るのはちょっぴり大変だったけど、結構楽しかったしね!」
 シェイミは敵対していた連中を差し置いて、エルフーンの方に優しく微笑んで振り向いた。顔見知りであるかのように名前で呼ぶと、エルフーンもそれに対して陽気な声で返した。
「なるほどな。最初から対策は立てておいたって訳か。抜かり無い奴め」
「そうでも無いかも。最初からあのキレイハナ達が戦ってくれるとは思ってなかったもの。さあ、もう一丁きりきりと行くわよっ」
 自然の縄をもう一束用意し、それを疲れきっているコロトックに巻き付けた。これで完全に二人を捕らえ、シェイミは軽く一息吐いた。一方で、侵入者の二人は抜け出す手立てもなく、手足を動かせない状態で地面に寝かせられるしかなかった。
「おい、オレ達をどうするつもりだ」
 恨めしげな目でシェイミを見遣るバシャーモは、著しく低い声で問い掛けた。今は倒れている為に、シェイミは平行な位置で目線を合わせてにっこりと笑いかける。
「さあ。どうするのも私の勝手。見たところ、随分と乱暴な手段でフルスターリを手に入れようとしてるみたいだし、このまま黒幕を突き止めてもいいわね。でも、面倒事になるのも気が乗らないし」
 シェイミは物ぐさそうに遅い歩調で花園の辺りを歩き回り始めた。ただ様子を眺めている事に飽きたのか、エルフーンのベルンはすっかりおとなしくなった二人の近くまで寄り、屈み込んで顔を凝視する。
「あのさ、何でこんな事やってるの? フルスターリっていうのがあると、何か得する事があるの?」
「詳しい事は知らねぇよ。知りたきゃ自分で調べてみな」
「うん、わかった。じゃあ、調べるの手伝って」
 笑顔で答えると同時に、ベルンは巻き付いている蔓を解こうとし始めた。誰も予想していなかった行動で毒気に当てられ、バシャーモも思わず吹き出してしまう。もちろん、慌ててシェイミは軽く小突いて引き止める。
「相変わらず変な奴だな。まあ、少しだけなら教えてやるよ。フルスターリが手に入れば、凄まじい力を扱えるようになるとかいう話だ。“ある道具”と組み合わせると、普通ではありえないような事も可能に出来るらしい」
「なるほど。確かにフルスターリには膨大な力が秘められているものね。でも、最後のは私も聞いた事無いのよね。何を企んでるのかしら」
 頑なに口を閉ざしていたバシャーモがすんなり情報を提供した事はさておき、シェイミは自らが派手に登場を果たした樹木に目を向けた。寂寞を突き破るように、透き通った鐘のような音色が響いて輝きだした。
「あら、フルスターリも何か異変を感じとってるのかしら。それとも、誰かがフルスターリの力を使っている兆候(サイン)か。どちらにせよ、胸騒ぎがするわね」
 役割を終えた星のように光は萎んでいき、力を湛えていた神聖な大木は元の姿に戻った。誰もが呆然と事の顛末(てんまつ)を見守る中で、押し黙っていたコロトックがふと口を開いた。
「気づくのが遅かったのは、我の失態であったな。ただちに見つけ出せば、こんな事にもならなかったのか」
「それはどうかなー。精霊様は以前から怪しい動きをする輩に気づいていて、目を付けていたらしいからね。だから、ボクも早く呼ばれて来たんだけど」
「そうね。世界中で何か異変が起こってたってくらいは薄々わかってたから、守護者としてあなたを呼んだんだもの。さすがにその正体までは掴めなかったけど」
 仄かに悔恨の念を抱いていたコロトックは、二人のやり取りで徹底的に打ちのめされた。最初からフルスターリを狙っていた事も感づかれていて、その上で対策としてエルフーンを招いていた。眼前でそれを余裕で言ってのけられた事が大きな衝撃だったのである。
 そんな愕然としているコロトックの傍らでは、ベルンが両手で頻りに頭部の綿を掻き、目に見えてそわそわし始めていた。忙しなく三人の前を往来していたかと思えば、次は突然何かを思い出したように片手でもう一方の手に槌を打った。
「あっ、そういえば、関係あるかどうかわからないけど……別の怪しい人を見た事があるよ。暗くて姿はあまり良く見えなかったんだけど、何か黒いポケモンで、イーブイとジラーチがここに来なかったかって尋ねて回ってたんだ」
 謎の訪問者の話が飛び出し、シェイミとベルンは揃って同種の該当者の方に振り向く。しかし、こればかりは身に覚えの無いらしく、バシャーモとコロトックは一様に呆けた顔になっていた。
「あなた達じゃないとしたら、まだ何か別の変なのがうろついてるの? だとしたら、用心するに越した事は無いんだけど……。でも、あっさり侵入した割に、情報収集だけしていったのね。ますます怪しいわ」
 独り言を重ねるシェイミは、表面に浮き出てくる不安の色が濃くなっていく。それを察してか、笑顔だったエルフーンの表情も曇っていた。
「じゃあ、また今日みたいにボクが退治しよーか?」
「いえ、正体が判明しない以上は、下手に動かない方が良いと思うの。今は異変が起こるのをおとなしく待ってて、いざという時の為に備えておくのよ」
 すぐに明るい調子でベルンが申し出るが、シェイミは変わらず慎重な返答を示した。ベルンはややつまらなそうに頬を膨らますが、シェイミの放つ真剣な空気を読み取り、遂にはしおらしく体育座りをする。
「たぶん事はそんなに単純じゃないと思う。だから、またいずれ協力してもらう事になるわ。仲間達の事も心配だしね」
「良かったぁ……。もう役目が無いのかと不安になっちゃった。まだやる事があるなら、張り切って頑張るよ!」
 急に顔色を変えて勢いよく立ち上がり、跳びはねて天真爛漫に感情を目一杯(さら)け出すベルン。子供らしい一面を覗かせる所作を見て、シェイミも自然と口元が綻んでいた。

 一段落ついたところで、戦いで疲弊していた心を落ち着かせてくれる甘美な香りが、四人の周囲を満たしていった。一時の幸福感に浸り、互いに敵である事すら忘れてしまうような花の魅力に酔い()れる。嗅覚から訴えかけられた平和をもたらす優しい刺激は、誰も争いの事を考えさせないようにしていた。
「何だ、この感覚。久しく味わっていなかった気がする」
 今まで酷く荒んでいたものが、一気に浄化されて癒されていくようだった。本来の目的も忘却の彼方へと飛び、バシャーモとコロトックは、安らぎを享受出来る対象にすっかり身を任せていた。
「これがフルスターリの正しく清い力の使い方よ。尤も、この土地柄のおかげで上手く行ってるのだけどね」
 花園の持つ神秘的な自然の恩恵に心を奪われて、二人はまどろみの世界へと誘われかけていた。その二人の前を悠々と歩いていき、シェイミは穏やかに語りかけた。まるで催眠術にでも掛かっているようなとろんとした目つきの二人は、素直にその声を聞き入れて頷く。
「あなた達、どうしてこんな事をしてるの? 争いが頻繁するような世界じゃないし、元は静かに暮らしていたはずじゃない?」
「オレは……良く覚えていない。なまじ力を持ってのさばっていたら、気が付いたら奴の下で動いてた」
「我も似たようなものだ。命令を受けて動く前の事は、殊に覚えている事が無いのだ」
 この花園の虜になって、操り人形も同然となっていた二人は、各々に口走り始める。無意識の内に吐き出させた事情に、シェイミは疑問符を浮かべる。
「変な話ね。自分達の意志で協力してるんじゃないみたいな言い方だけど。いろいろと俄かには信じ難いわね」
 未だに猜疑(さいぎ)は怠っていないようで、シェイミは注意深く二人を見つめる。しかし、最初の頃の強情な態度とは打って変わって、次々と身の上話を漏らす二人を僅かに心に懸けていた。
「信じないんなら、それも勝手だ。どうせオレ達は任務を遂行出来ずに、捕われの身となった存在だからな」
 まんまと捕まってしまった事を嘆くように、バシャーモは吐き捨てた。大して切羽詰まってるような表情ではなく、むしろ開き直ってるようなそれに近かった。それを半ば無視しているシェイミは、ますます悩ましげな顔つきになる。
「また引っ掛かる案件が出て来た訳ね。ちょっとこれはフリートとも相談しないと」
「ねー、それよりこの人達はどうするの?」
 抵抗する気も無くした襲撃者達を見遣りつつ、ベルンが不思議そうな顔をした。大きな悩みの種を抱えた上に別の事が重なり、シェイミは戸惑い始める。
「どうしましょう。逃がすのはまず無いとしても、このままほったらかしにするのも、ね。何か良い考えは無いかしら? 私は別の用事が出来て忙しくなるから」
「じゃあ、ボクがずっと見張ってるよ! このままじゃ動けないだろうし、付きっ切りなら仲間が助けに来ても何とかなるしね。色んな事をやってみたくてうずうずしてたんだー!」
 あっけらかんとしたベルンを見て、自らの人を見る目を疑い始めたらしく、シェイミは少し呆れたようにそっぽを向いた。しかし、その積極的な姿勢は買っているため、負の色を払拭して微笑みかける。
「その役に回る人はともかく、誰かに見張ってもらうってのは良いわね。とりあえず村長に話して身柄を引き渡しましょうか。後は任せる事にします」
「何かボクの出番は無くなって寂しいけど、わかったー。それじゃ、村長を呼びに行ってきまーす」
 のんびりとした口調で自ら立候補すると、ベルンは持ち技で風を起こし、それに上手く乗って楽しそうに花園を後にした。残されたシェイミはと言うと、木の下を離れて花の絨毯の方へ歩いていった。
「さてと。ベルンが村長のフシギバナを呼んでくるのに時間は掛からないから、あなた達はそこでおとなしくしててね。逃げてって言っても無理だとは思うけどね」
 肉体的にも精神的にも捕捉された二人に背を向け、シェイミは大きく息を吸い込んだ。すると、その動作に呼応するように、体を再び光が包み込んだ。繭の如くシェイミの姿を覆い隠したその光は、すぐに消失していくと同時に、シェイミの体に新たな変化を及ぼしていた。
 短かった耳や四肢が伸びてしっかりした体躯になり、両頭にあった赤い花はスカーフのような形状になって首元に巻き付いていた。先の“ランドフォルム”と対を為す、“スカイフォルム”と呼ばれる容姿である。
「“ついでに”あなた達の事もちょっと調べてきてあげる。特にバシャーモ、あなたの方は何かと訳ありみたいだからね」
「ちょ、ちょっと待てよ。オレ達はどうするつもりだ?」
「だから、さっきも言ったでしょ。そこでおとなしくしてなさい。話し合いと様子見さえ終われば、すぐに戻って解決策を見出だすから」
 ベルンの帰還を待つ事なく、姿を変えたシェイミは高く飛び上がった。変化によって飛行能力を有した事で、落下する事なく木をも飛び越え、そのまま一点を見つめて滑空していった。虚しくも縛られて放置された形となる二人は、ただその後ろ姿を見届けるしか無いのであった。


コメット ( 2012/10/22(月) 08:11 )